金鯱歩こう会1月例会「名古屋市北部初詣ウオーク」に参加  06年1月22日(日曜) 天気 晴れ  距離 13キロ
コース = 名城公園スタート 〜 名古屋高速管理センター 〜 ひつじ神社 〜 パパ独身時代の社宅跡 〜 伊奴神社 〜 妙本寺(昼食) 〜 滋賀公園 〜 綿神社ゴール

土曜の夜にウオーク資料を見ていたら懐かしい地名の場所を通るというので「どうしょうかナ」って思っていたのですが、前の週から雪の心配がされていた日曜日の朝、予想外にピカピカの太陽君の顔を見て「ヨッシ あそこを見に行こう!」って思った1/22(日)の朝でした。
パパは結婚前に名古屋市北区光音寺町というところに二年ほど住んでいたのすが、ママと出会う事が出来た運命的な場所でもあるのです。
自宅から久々にピーチライナーに乗って名鉄小牧駅から地下鉄を乗り継いで名古屋城のある名城公園駅で下車しましたが、同じ電車に愛歩・伊藤会長夫妻が乗っており先週までの熱田・伊勢のご苦労話しを聞きながら集合場所の噴水前へ参りました。
今日は金鯱の総会ウオークでも有るようで代表の平木さんもご挨拶をされたりストレッチなどもしましたが、ジッと立っているとやはり寒さを感じ歩き出すと体内からの発熱で服の中がホカホカとなれいい感じになれるウオークです。   そして定番のヒゲおじさんとママですが、最初の休憩場所となった名古屋高速管理センター内でありました。


名古屋城から近いことも理由かも知れませんがいたるところに社寺仏閣が有り、名古屋城の堀の水源となる御用水路を歩いていましたら道路向こうの多奈波太神社(たなばた)という立派な神社を教えてくれる人がありましたが近くの地名が田端町(たばた)なのです。   歩をさらに東に進め三年前の干支の当り年には大賑わいだった羊神社(ひつじ)に参りましたが、この付近も北区のど真ん中で辻町(つじ)と言います。   社寺の名前が町名に転ずることが多いようですが地域と社寺が深い係わりと支えあいをしていたであろう歴史を感じてフムフムのワタクシでありました。
そして出発式でもそうでしたが羊神社もそうでした・・・ハルウララさんとママを笑顔の羊の前で撮ったのですが顔が白くテカって写ったり、白黒のように無機質に写ったり・・・今までと同じような感覚なのに上手に撮れない写真が多い・・・シャッターの切れるタイミングもおかしいんだろうか??(ハルウララさ〜ん ゴメンね〜)
コチラはまあまあに撮れましたが羊神社の直ぐ隣りにお寺様の修善禅寺さんというところの前で常滑の鶴田ご夫妻とママでした。


読み方を忘れてしまいましたが「別小江神社」というところでもおまいりを済ませてココからがパパが注目しなくちゃの懐かしい風景たちとなり、自分の住んでいた場所はドコだっただろうかと??・・・キョロキョロで気がつくと写真を撮るのを忘れるほどでしたが・・・意識的にこの町にに住もうなどと思った訳でなく、骨折したのはパパのオッチョコチョイですし、休日診療をしてくれていたママの勤めていた病院に行くのも自分の選択の偶然だったのです。
おおぅ 懐かしい風景が目の前に・・・あの日 あの時 あの時代・・・いいぞ〜
幹線道路から1本入った川沿いに住宅が並び橋もいっぱい架かっていて似たような風景が続くこの道たちに「ココだっけ?ドコだっけ」ってママと言いながら歩いていましたが、ふと「そうそう お隣さんの名前はナンてったっけ?」ってパパが聞くとママはキチンと知っていて「○野さんですヨ」って教えてくれました。    当時住んでいた家や近所を振り返り思い出しながらですが、商店や喫茶店も33年前とは全く変わってしまっています。
そして突然の如くに見知った表札発見・・・と、その隣りに・・・家が無い!・・・でも思い出すこの玄関横のブロック塀!

会社の社宅として住む事になったのが確か三月末、それから1ヵ月ほどの忘れもしない4/29(日)大安の日に会社の先輩の新婚先への引っ越し手伝いに行き祝い酒をご馳走になり、貰ったご祝儀で先輩たちと二次会もしてご機嫌になり過ぎて名古屋駅の階段で骨折をしてしまい今は消えてしまったこの家で一人ベッドの上で熱を出して唸っていた悲惨なゴールデンウイークだったのです。   
捻挫ぐらいに考えて4/30(月)は痛みに耐えながら寝ていましたがどうにも痛くて、5/1(火)に119番に電話して「歩けない」と事情を話すと「自分で電話出来るのなら救急診療の場所を教えるので自分で行きなさい」って暖かい言葉をおっしゃりやがるのです。
そこでしかたなくタクシーを呼び運転手さんに家の中まで迎えに来てもらい肩を借りて数ヶ所教えてもらった中の大きそうな名前の病院へと出掛けたのです。
レントゲンを撮った結果は右足首の骨折でした・・・先生が看護婦さんに「即入院だね 部屋は空いてる?」・・・エエぇ〜
入院の用意も出来て無いし会社のミンナも連休で連絡も取れず、腫れが引くまで添え木固定の包帯でこの家で過ごした日々でした。
そして5/7(月)に先輩に手伝ってもらい入院をしてギブス固定となって2ヶ月、勤めていたママと知り合ったパパだったのです。
だからママもこの家にも遊びに来たりして二人共通の思い出の場所なのです・・・家は転売されその後どなたが住んだのか・・・建物は消えてしまいましたが・・・懐かしい〜


昔住んでいた家をミンナにも教えて懐かしがっていましたが、ミナサマには関係の無い普通の道や家並みでドンドンと歩が進みますが、アチコチをキョロキョロしていたら今度は元住んでいた場所からそんなに遠くない場所にある伊奴神社(いぬ)というところにやって来ました。
呼び方が一緒と言う事で今年の干支の神社として全国的にテレビなどで紹介されたそうですが、673年に建立されたという中部地方の中でも有数の古社だそうです。
その名前からか犬をお祭りしていて安産の神様にもなっているようで、屋台も出ての大賑わいの鳥居前ですが中に入るともっと大勢の人たちで賑わっていました。   この大きな絵馬の前でも記念のパチリの方々が入れ替わり立ち代わりでしたが、パパたち同様にお揃いを着て仲良し度でも負けていない堀田パパママとの思い出写真を撮らせて頂きました。


今回のパパは神社の名前と地名の不思議についてウオッチしていますが、この伊奴神社(いぬ)のあるところの地名は稲生町(いのう)と言います・・・やっぱり地名と社寺の名前には似た発音のシッカリと縁が有るようですが?!?どうでしょうか?

でもココの神社の説明をして頂いた氏子さんのお話では
      むかしむかし貧しかった小さなこの村落では、みなが食うものにも困るほどのじゃったが
      日照り続きや裏の大川(庄内川)の氾濫で困り果てていたある日
      修験者がやって来て「裏を流れる庄内川の土手を掘りなされ」という
      するとビックリ そこから御幣に「犬の王」書かれたおふだが出て来たそうな
      村人と修験者がそれをココに奉ってからは、川の氾濫も治まり豊かな稲が毎年採れるようになったと
      めでたし 目出度し ・・・だから地名が稲生町なのかな??


いろいろの社寺を巡って懐かしい思い出の場所もウオッチしましたが、11時半過ぎに伊奴神社の直ぐ近くの妙本寺さんの境内をお借りして昼食タイムとなりました。   パパママはお昼ご飯を持って来てなかったのですがお寺の前にある喫茶店で、伊藤会長夫妻や堀田パパママと3カップルで「同じものを頼んだほうが早く出るであろう」との予想から全員仲良く「焼きそば定食」を頂いたのでした。
そして境内に戻り子どものように嬉々としてハンコを押しをしてもらい、さあぁ午後のスタートですが一部西区を通って「の」の字の逆を歩くように志賀公園を通って黒川方面に戻ります。


午後1時半に最後のお参りとなる綿神社(わたじんじゃ)というところに着きましたがまたまた素敵な鶴田ご夫妻とゴール記念のパチリをしてココでもミンナでお参りをさせて頂き「新年も健やかに過ごせますように」って手を合わせましたが、会長の平木さんや紹介が最後になりましたが本日の主任案内人の竹村さんのご挨拶も有り無事に13キロの「我が懐かしの青春時代」の町を歩かせて頂きました。
この後は名古屋金鯱歩こう会の総会だそうで、他協会の人も参加すると「金鯱もなか」が食べられるという誘惑を断ち切り、我が萌生ちゃんの待っている自宅へとイソイソ帰ったパパママでした。  ではでは コレにて チョーン!



    目次に戻る