第12回 知多新四国88ヶ所巡り お遍路ウオークの一歩たち

2006年2月18日〜6月24日 10日間の日程  運営は愛歩世話役のみなさまです。

「第10回知多新四国お遍路ウオーク」第四日目に参加  06年3月25日(土曜) 天気 晴れ  距離 23キロ

3/25(土)今年の四日目となるお遍路日がまたまたピカピカでポカポカの雲ひとつ無い大晴天で有りました。
朝はいつものようにパソコン前でお遍路三日目のレポートをアセアセとカキコしてたりして、ママとは出発時間の確認を何度もしていたのですが、ナニを勘違いしたのか家を出ようとして時計を見ると「アレレレレ〜・・・もしかしなくても今はJR中央線で電車に乗る時間じゃーん」って大慌てで駅に行き走って電車時に飛び乗って金山駅でも「ソレ急げ!」でしたが、十分にセーフで間に合ってホッとした電車待ちのパパママでありました。
でも乗換駅の名鉄富貴駅でミンナにつられてママも「ちょっとトイレね〜」って行ったのは良いのですが駅構内のホームへ渡る遮断機が下りてしまい電車が何度もドアを締めて出発ですヨ〜って電車に乗らずにトイレ組を待っているパパたちを催促するんです。
トイレから出たママたち数人に降りたままの遮断機を「くぐって・早く・は・や・くぅう〜!」って急がせて、ギリギリまで待ってくれた運転手さんの配慮で電車が出発となりました・・・でも車窓から見えるのは最後にトイレから出て来て取り残された歩友の岩田のとしちゃんなのでした。
後で聞いたらパパたちが金山駅構内を走っているのを見て時間的に余裕が有ったのに行きたかったトイレに行けず・・・クククク・ク〜って大笑いです。
集合場所の河和駅で1本遅れた岩田さんを待って出発となりましたが、朝から本四国お遍路帰りの木村ご夫妻から絵柄のステキなお煎餅の接待で有りました。


河和駅を出て一旦東の海岸に向いて歩き眩しいほどの朝の太陽君と見事な「なぎ」の三河湾を眺めさせて頂きますが、キラキラの朝の光が我々の今日一日を祝福してくれているようです。    我々人間も生命の根源は海にあるのではって思えるようなこころ持ちになりますが今度は右に折れて山手の西方向に向って行きます。
↓のは昨年とほぼ同様のアングルで撮りましたが今日の仲間全員が一列で、行儀の良いお遍路ウオークなのですヨ〜ン。




「朝の影 人に合せて 等身大 長いの有ったり 短かったり」

真っ青に輝く三河湾の海風景を眺めて直ぐに山手の西に向いましたが、昨年はかなり歩いたような気がしたのに今年は距離感を感じないままに軽い昇り坂を4キロほどを歩いて本日最初の27番札所・誓海寺さんに到着を致しました。   ココの弘法さまに「来ましたヨ〜」って山門を兼ねた鐘突き堂の鐘をゴーンと鳴らしてから更に軽く登ったところに本堂や弘法堂が有りましたが、先ずはほとんどの人が着ていた服を一枚脱いで汗を拭ってお茶を飲んでから本日の第一声のナムナムを始めさせて頂くのでありました。

誓海寺さんの弘法堂で今日初めての大合唱を済ませてもう覚えましたが、直ぐ左隣りにある番外札所・禅林堂さんで2回目のナムナムをさせて頂くのです。    どのような順番や意味で同じ境内のお隣りでお参りをさせて頂くのだろうか?って思って見上げてみましたらお堂の看板に「新四国開創者」と書いてありました。   弘法さまとご一緒に新四国遍路寺やその遍路道をお創りになった方の居たお寺さまなのでしょうか・・・来年は聞いちゃおう!のパパなのであります。

そしてお参りを済ませ当たり前のように去年も一昨年も頂いたお腹いっぱいのご接待のが「今年も!」って楽しみに社務所へ移動の我々でしたが、パパママはそのことを予想して朝のオニギリを普段は2個づつなのに1個づつに減らしていたほどです。
でもナゼかオニギリもお漬け物もお菓子も・・・ナニも無かった・・・いやお茶は有りました。
パパはアハハハハの快々の気持ちになったので有ります!

人はナニかをして頂けると感激に喜ぶものですが、最初はそれに大喜びをして二回目は当たり前になり、三回目は当然のように構えソレが無ければ「なんだ 今回はナニも無しかヨ」ってなってしまうものです。
もともとお接待という「お寺さまの無償のご配慮」なのに人は傲慢で身勝手にり、つまらないモノサシで相手を見る程度の生き物なのです。

そして1個100円で販売をしていた大きなヨゴミ餅(町ではこの値段では買えないような大きくて美味しいお餅でした)を食べましたが、その事を気付かせ教えて頂いた開創者の居られた誓海寺さんに感謝をしてお寺を後にしました。
ウオーキングの世界でも同様に湯茶の接待などがそうですし、ママがお仕事をしている介護の世界などでもそうでしょうし毎日の「当たり前」ということがどれほど貴重で大切なものなのかを再確認したパパなのでした。


春を実感するポカポカの中を足元の草花や横の木々に目をやり山や青空を眺めていると・・・・十方が「空」ゆえに悟る・・・と言う弘法さまの仰った言葉を実感の本日です。
途中の「つくだ煮街道」というドライブインのようなお土産屋さんでつくだ煮やハーブティなども試食や試飲をして休憩をとりましたが5キロ弱を歩いて
28番札所・永寿寺さんに到着となりました。

そうそう 途中で寄った「つくだ煮街道」というドライブインを出る時にミンナと同様に下ろしたリュックを忘れて出ようとして直ぐに気付き慌てて取りに戻ったパパでしたが、ミンナから「良かったわネ〜・・ママは忘れないようにネ〜」などと笑われてしまいました。
気付いた自分自身に感謝をして丁寧にお参りもして「さあぁまた5キロチョイを頑張りましょうネ〜」って本日の前半は1ヵ寺毎がながーい午前中です。


山間にある小さな集落に守られた永寿寺さんを出て直ぐに右も左も広大な田畑で北海道の田舎の風景を思い出すようなところでしたが、ほんとうに心地の良い晴天の中を歌も歌いスキップもして歩き、野辺の花たちを見ては「キレイだわ〜」って言うママたちの言葉にもつられてアチコチで花君たちにもハイチーズってしていたパパでしたが・・・
永寿寺さんを出た小さな集落の最後の家の塀の下にキレイに咲く花にママが「わ〜ステキなきいろ〜♪」って言うんです。
パパも「それではパパが撮りましょうかネ〜♪」って、しゃがんでパチリパチリってしていたら最後尾になってしまい赤旗を持った奥田総大将たちからも「いい写真が撮れたかね〜」って言われてニマニマしながら上り坂を駆けて先頭にも行って「ミンナ〜頑張ってネー」などと振り向いてはパチリです。


じわじわと登った丘の上から竹薮や寂びれて今は誰も手入れのする人が居なくなって雑木と同様に茂ったビワ畑の跡なども見ながら雑木林の中を抜けてながーい下り道を歩き「こんだけ降るって事はけっこう登っていたんだよネー」って言いながら「乙方」という集落に出てきました(そこは後で地図を見て分かったのですが「南知多道路・豊丘インター」の近くでした)
ちょっと広い道でしたので「さあぁ 黄色旗を出そうかな」って両手を見たらアレレレ・ナイ!んです。
「ええぇ〜ママー パパの黄旗をしらなーい?」・・・このお遍路でパパは安全班を担当しているのですが、今朝のドタバタで自分の黄旗を自宅に忘れてきて奥田総大将からお借りしていたのですが「ドコで忘れて来たんだろう??」って言ってアレコレ考えていたら最後尾近くを歩いていた横幕さんが「さっき写真を撮っていた時に下に置いていたじゃない」って教えてくれました。
今登って降りてきた道を思い出しパパ自身も躊躇したし、ママからは「今日は無理だから明日また出直して探しに行きましょうか」って言われたり、ほかの人も「あんな旗の一本くらいイイんじゃない」って言ってくれましたが、ちょうど次のお寺がお昼休憩を兼ねたところだしハッキリと忘れていた場所を教えてもらったので「やっぱり取って来る!」ってパパは引き返すことにしました。


二キロはアリマセンでしたが今来た山道を早足で登って越えた先は小走りで「逆方向に歩くのも乙なもんだヨな」などと独り言をこころで思いながら戻ったら、黄色い水仙君に似合うように黄色い旗が花の横に有りました。  早速それを拾って直ぐにUターンをしてまたまた登り道を急ぎ足で歩きながらママに電話で「有ったよ〜〜ハフゥー」って言ってドンドンと歩いていると今度は道の真ん中にオレンジ色のものが落ちている・・・アレレレ オレのヤッケじゃん!?・・・走っているうちにリュックの口が開いて落ちてしまったようです。  それも拾ってリュックのファスナーを閉め直して小走りに山を下り曲がり角などを電話でママに確認しながら昼食休憩中の29番札所・正法寺さんに辿り着いたパパなのでした。
山門をくぐって境内に入るとそのことを全員がご存知だったようで、パパは手にした黄旗を振って「ただいま〜」ってニコニコとしましたが、実は心臓はバクバクでママの横にへたり込んで暫らくは動けませんでした。
でも黄旗を持って帰ってきたパパと目が合ったこの旗の持ち主の奥田さんの嬉しそうな笑顔を見たら疲れはどこかに飛んで行きました。 ハフ〜〜 ヘロヘロ・フ〜


この写真たちはパパが黄色いスイセンに夢中になって脇に挟んでいた黄旗を知らぬ間に落としてしまってそれを取りにエッチラ・オッチラと山を越えて拾いまた戻っている時間にママが撮った写真たちです。
正法寺さんでのお参り風景や境内に咲く白木蓮ですが自分が過ごしている時間と重なり合って時が流れて行くのです。

パパ自身も一瞬躊躇するような峠向こうまでナゼ黄旗を取りに戻ったのか・・・物の価値というものは値段ではないからです。
違うかもしれないけどもしかしたら今は亡きご一緒に歩いていた奥様が使っていた黄旗だったかもしれないし、奥田さんが日々のウオークであの黄旗に特別の思いがあったかもしれない・・・それぞれの人にとってその物の価値は違い自分のモノサシだけでは計り知れないものなのです。

既に食事休憩をしていたミンナのところに戻って汗を拭い呼吸も整えご飯も食べて、弘法堂にて一人で般若心経も歌わせて頂きましたがママが横に来て一緒に歌ってくれました。
さあぁ 午後のスタートですが、この標識を見てホッとした先ほどだったのでちょっと戻ってパチリもして早苗さんとママにもハイチーズで、またまた先頭にビュ〜ウゥ〜ンと行っちゃいパチリのパパです。


リュックを忘れそうになったり黄旗を落としたりのオッチョコチョイのパパをミンナがニマニマで見ていますが、河西さんがおどけてパパカメラにステキなポーズをしてくれました。
正法寺さんを出て約3キロほど南東へ歩を進め大井地区へと向っていますが、相変わらず前へ後ろへといそがしくしているパパの旗や荷物をまた落しはしないかとチェックしているオールジャパンを徳島で達成した芝やんや先達の木村の姐御や鶴田パパですが、その最後尾では赤旗を持った黄旗の持ち主の奥田総大将がチェック・チェックで暖かいミナサマでアリマす。

去年までは何がドコやらどの順番やら分からなくていい加減なカキコになっていたと思いますし、頂いた参加資料を元にコース順をカキコしていましたが今回はお寺の位置関係も参拝の順番もバッチリのパパです。
大井の集落に参りましたがココはお遍路団地で100mほどの範囲の中に五つのお遍路のお寺様が集まっていてさながら寺町の様相ですが、けっしてそのような場所でもナイのです。  大きくない集落で幾つものお寺様が営みを続けられる原動力を来年はシッカリとリサーチしたいぐらいです。
先ずは
34番札所・性慶院さんですがチョット照れちゃうようなお名前の由来も聞きたいかな〜・・・
山門を入ったところでママたちお世話係りの方が納経帳を集めていましたが、ココではご朱印代をまとめてお一人500円(ご朱印代は一ヵ寺100円です)を預かっていました。
この後は続いて廻る五ヵ寺のご朱印が終わるまでお世話係りの方々が納経帳を持ったままでご苦労さまです。

ドコまで進めたのかも判らなくなるほどのチンタラカキコですがコレはオレの思い出記録ですので、キッチリと仕上げる見た目通りの几帳面でマジメなパパです。
さてさて 四日目のウオークも午後のお遍路団地の一軒目、何度書いても照れちゃう性慶院さんを出て
33番・北室院さんは目の前でしたが入口は右に曲がって左に曲がってところでした。
午後の1時でしたが葬儀が執り行われておられ手を合わせて山門をパチリとして静かに失礼をさせて頂き、前面の道を10mほど行くと左に
31番・利生院さんで、右側には32番・宝乗院さんでしたが先ずは先に利生院さんです。  納経帳を抱えて歩くママと岩田さんをパチリとしましたが久々に得意の居眠りポーズのお二人でした。

たった今北室院さんで葬儀を行なっておられましたが、生命のあるものにとって不変なことであり誰にでも絶対に来る「死」というもの・・・そのことがどのような事なのかパパ自身も分かりませんが「無」の世界に行かれるのでしょうか・・・

          人は先に旅立つ人たちから命の大切さを教えられ
              いま自分自身が限りの有る日々の大事な一日を過ごしているということを教えられるのです


                        
「限りある 命燃やして 過ごす日々 人を愛して 吾を愛して」

利生院さんでの木村の姐御の般若心経は、いま旅立つ北室院さんの「見知らぬ方のこころにも届かん」の思いのこもったいつもより大きな声の般若心経でありました。
パパももう居ない父母や兄やママのおばあちゃんやゴン君や・・・イッパイの先に行かれた方々を思ってこころを込めて一字一字をを熱い気持ちで歌っていました。

赤い門の31番札所と板壁の32番札所で門の位置関係はお互いに向かい合わせの東向きと西向きでしたが、31番でお尻を32番に向けて「お参りさせて頂きありがとうね」のお辞儀をして出て、今度は31番にお尻を向けて「コッチの弘法さんにもコンニチわ〜」でしたが、パパはそんな失礼なマネはしません。
真後ろを避けてややナナメに尻を向けペコリペコリでしたが誰も気付かぬパパの「技」??なのでした。
お遍路団地五軒目となる最後は「30番・医王寺さん」でしたが風格のある大師堂でお参りをした後に、納経帳を戻してもらっていますが五ヵ所のハンコペッタンを確認のミナさまなのです。

ナンでこんなにかたまって遍路寺があるのかも不思議だし、それぞれがお寺としての営みが出来ている不思議さを感じていましたが理由が分かりました!
朝から山の中ばかりを歩いていてあのお遍路団地でも海を感じさせない山間の地と思っていたら実は漁港のチョイ奥手に有った遍路寺たちで、あのお寺たちを支えているのはこのニギニギしい漁師町の人々だったのです。
潮風に包まれてこの風景を見ていると町の活気や息づかいまでもが聴こえてくる感じですし、カモメやトンビの声も高い空から聞こえています。




 「どこまでも 真っ青な海 青い空 そして眩しい 君の笑顔が」

聖(ひじり)公園と名前が有りましたが岬の突端の岩場を階段を使って上がるとワーオの風景が広がり、キレイな海に立つ弘法様ですがココから知多新四国霊場を作られるために上陸をしたという場所だそうです。
ママとヒゲおじさんが並んでパチリをしていますがパパもそれをパチリとしてますヨ〜

日が一番高い午後二時前でしたがこのロケーションの前で一服休憩もしましたがママとおやつを食べている細井さんたちをパチリとしたり、またまたパパがオオゥーって指差す方向を口をあけて眺めるママたちですが、あまりにも巨大過ぎる石油タンカー(200m以上は有ったよ)が碧南や武豊の中部電力火力発電所に向っていますし、その後ろには自動車搬送船が碧南に有るトヨタの自動車積出港に向っています。
お遍路道中をしながらも、産業が動き経済が成立つ社会の一部を目に出来る・・・全てがあってこの世の中です。



 「波風も いとわず海に 立ち給う 大師のこころ まのあたり見ゆ」

      「それ仏法 遥かに非ず 心中にして 即ち近し」

上の二文は海に立つお大師様をお参りできる香炉や燈明台のあるところの石柱に書いてあったものです。
やれ仏さまだ 神さまだ と言わずとも己の心の中にも「正しい いろいろがあるんだよ」って言っているのでしょうか?

ココには河津桜の苗木たちが植えられていて手入れもされた公園が今から立派になるのでしょうが、その桜をヒゲおじさんがパチリとしていたのでパパもパチリとしました。   赤みはなおきちさんチで見た本場の色よりやや淡いように思いますが河津の子孫が愛知の知多半島でも生命を育んでいましたデス。
さあぁ 休憩も終えて公園内のウッドチップのやわらかい道を歩いて、遍路旅を頑張りましょうネ〜

上陸大師さまの公園を出てチッタナポリというリゾートマンション群の横を通って2キロ弱またまた山間地のような風景の中を歩いていましたが35番・成願寺さんへと参りました。
今回のお遍路から来られるようになった風間さんもデジカメを持っていてパチリパチリをされていますが似たアングルの一枚を背中越しにパチリとして山門をくぐりましたがママたちのお世話もこの後一ヵ寺を残す本日です。

先達の木村の姐御に従って歌う般若心経ですが、いっぱい息をお腹に貯めてお腹の中の空気が空っぽになるまで続けて苦しくなったらまたイッパイ息を急いで吸ってミンナのコーラスに会わせてまた歌うのです・・・今日もいっぱい歌いました。
時には歌詞カードから目を離し口は動かしながらカメラでパチリの余裕も出てきたパパですが、この記録たちの一枚一枚がオレ自身の宝になると思っています。
パパママの納経帳のスタンプもまた賑やかになってきましたが、さあぁ本日残すはあと一つだヨ〜

今日も河和から歩き出していっぱいのいろいろが有りましたが、山も楽しみ海も楽しむ知多新四国のへんろ路たちですが青空と心地良すぎる晴天のなかを歩かせて頂き、とうとうこれ以上はどんなに頑張っても南に行くと海に落っこっちゃう最南端の師崎までやって参りました。
見覚えのある師崎の漁港の中を通って細い路地を入っていくと
36番札所・遍照寺さんへとやって参りました。

本日最後のお手伝いをするママですが、イッパイの納経帳をもう持てないほど持っているナビ野儀さんに更に持たせちゃってイイのかな〜
そして本日最後のお参りですがとうとう来ちゃった知多半島最南端の遍照寺さんで歌わせて頂きます・・・お遍路をする方の為に「同行二人」と書かれた白衣や杖なども有りますが、パパママにはいっぱいの同行ウン十人で、今朝富貴の電車の乗換えで取り残された岩田のとしちゃんたちもちゃんとご一緒が出来ました。

「一人で遍路旅をしているんじゃないんだよ 私も一緒だからネ」って、弘法さまが仰った言葉だそうですが、いっぱいの同行の仲間と共に楽しく過ごした一日を終えられました。
コレも諸先輩たちが我々若造のために真摯な思いで遍路の楽しさを教えてくれているからだと感じます。
大だい大満足の一日を終えココから名鉄河和駅まで貸切のバスで帰りましたが途中では「魚太郎」という魚市場で買い物もさせて頂きました。
楽し過ぎる一日に感謝して長過ぎたレポートを終えますネ〜



  二日目につづく   目次に戻る