第12回 知多新四国88ヶ所巡り お遍路ウオークの一歩たち

2006年2月18日〜6月24日 10日間の日程  運営は愛歩世話役のみなさまです。

「第10回知多新四国お遍路ウオーク」第六日目に参加  06年4月22日(土曜) 天気 薄曇り時々晴れ  距離 13キロ

たった今 一週前のお遍路レポートを済ませましたが名古屋ツーデーが有った為、この四月は二週続きとなった4/22(土)のお遍路日でありました。
我が家を出るときはピカピカの晴天の朝でしたが、名鉄・河和駅を降りて貸切バスに乗る頃には薄ぐもりのお天気で、本日期待の船の旅には青空がイイナ〜って思っていたけど無理のようです。
でも「先週は咳が止まらなくてヨゥ」って言って不在だったヒゲおじさんも居られ、バスの中には「これまで13年で三回目の休みだったけど風邪で具合がねぇ」って猪又御大も笑顔で座っておられました。
もちろんココの総大将の奥田さんも居ましたタローおじさんも居られて「安心・あんしーん」のパパです。
自分の足で歩いたところなども眺めながらバスに乗って河和駅から師崎港フェリー乗り場へと専用バスで移動でしたが、さあぁ 今から船に乗って向うは日間賀島です・・・ワーイ! お船だヨ〜ん♪〜

 
まるで遠足のように船内では早速にお菓子を出したりもしていますが、ほらみんなイイ笑顔で嬉しそうでしょう〜   そして外のデッキでも出て垂井の伊藤さんたちもパチリですが、海上タクシーとも呼ばれる定員70名ほどの小さな船に揺られてアッという間に到着の日間賀島東港の波止場なのでした。

「荷物は置いていてもイイですヨ〜」ってお参りの間も待ってくれている船を下船してハイ・奥田総大将とも元気印をパチリのパパです・・・先週来なかった理由は聞き忘れちゃいましたが、でもこの笑顔なら体調では無く別に多忙な理由が有ったんだと思いますヨ〜♪〜
東港に到着をして船を下りて出発式も済ませイザ・スタートですが目的地まで100mも行かずの距離のところに二ヵ寺なのであります。





13年間のこのお遍路でたった三回のみのお休みという猪又御大に驚きのパパです!スゴスギル!
こないだは風邪が理由でしたが、その前は日にちを間違えて更に前のは集合場所を間違えて合計三回だって!大笑いデス!


に遍路寺「?」さんで、なぜ「?」かと言うと番外札所というのはキチンと公的なパンフレットや愛歩のコースガイドにも載っているのにこの番々外の札所・呑海院さんはナンの紹介も無いんです。
でも立派に「鯖弘法大師霊場」って有りますのでやっぱり弘法さまのゆかりのお寺さまなのでしょうネ〜
そして納経帳にも全てのお寺の名前が書いてあるところに順番にご朱印を頂くのですが、呑海院さんは後ろの白紙のところに紙を貼ってご朱印ペタリなのです・・・ほらやっぱ変でしょう
その呑海院さんを出てって言うほどのこともない曲がって曲がって10mも行かずに
37番・大光院さんへと参りました。
大光院さんの前には遍路客相手とも思える海産物のお店が数軒並んでいて、パパは昨年も顔を覚えていたおじいさんに「今年もお元気で精をだしていますネ〜」って言って「お幾つになられました?」って聞くと「85歳」って教えてくれましたがその会話をする手で袋を出してワカメを入れて「さあぁ持って来な」って仰るのです。
「ええぇ〜」って驚き、タダではもらえませんのでママを呼んでほかの海産物を買わせて頂きましたが、指をベロリとして袋を開くしぐさは昨年同様で心に残るおじいさんでした。


ココに来たらコレを買うって決めている人も居るようですミンナして一つ目の島でイッパイの買い物をして戻るところですが、ママは「コレを買っちゃいました〜」ですし、大好きな千秋ちゃんや鶴田ママも手に袋を持っています。
あれれ〜 仲良しの二人だけど服の色柄も似ているじゃ〜ん お揃いで合わせたのかナー・・・そして船のところまで戻りますがクルリと廻って200mも歩いたでしょうかネ〜・・・これならば船も待っているはずデス。   さてさて 次は篠島へ移動ですヨ〜

どっちの島を先に行くのかも決まっているようで決まっていないようで船会社の都合が優先なのでしょうか?
今回は日間賀島から篠島へと向いますが、雲ってはいるもののデッキでも心地よい潮風を感じられアッという間に篠島到着で「またまた、歩くヨ〜」って、やはり先頭にはミニ愛歩旗を差したお遍路スタイルの猪又御大の笑顔があるとシマリますネ〜


ママも長崎県の対馬というところの出身ですが実際に行ってみると端から端まで車で移動するにも何時間も掛かる大きさだけど、日間賀島も篠島もほんとうにカワイくて小さな「島らしい島」でサイワイにも本土?の師崎とも目でシッカリと確認の出来る船で直ぐの距離です。
小さな島特有の限られた土地の有効活用の為に家と家の間はほんとうに狭く傾斜地を上手に利用して人々が住んでいますが、新しい家も古い家も有るけど「家の建て替えなどはいったいどうやってやるんだろう」ってもちろんクレーン車などは絶対に入れないし「柱一本」を持ち込むのにも狭過ぎる路地を曲がることさえも出来ないのではって心配するような路地や傾斜地たちなのです。
でもシッカリと家も立ち人々が住んでいる・・・海岸通りには観光客用のお店も並んでいましたがナゼか山頭火さんの句碑もありました。

                       
「春風の 声張りあげて なんでも十銭」・・・山頭火

島の子どもたちがワイワイと騒ぎながら十銭のお小遣いを持って駄菓子屋に行く風景でしょうか?
それとも島のおばさんたちが観光客相手に海の幸の乾物や昆布や魚の干物などを「ナンでも安いヨ〜」って賑やかに呼び込みをしている春の一日を表しているのでしょうか?・・・いろいろな想像が出来る一句です。


さてさて 篠島のフェリー乗り場から歩いたと言っても300mほどですが、かるく登って島の高台にある38番・正法禅寺さんへと参りました。
家々が詰まるように並んでいる中を住人たちの思いでしょうか・・・精一杯に広い境内と隣接するように檀家のお墓がお寺に寄り添うように並んでいましたが島の人たちにとって大切な場所であることがよく実感出来る空気がありました。
写真は有りませんが、どのお墓のひな壇?の前にも立派なフタ付きのお湯飲み茶碗が2個づつ並んでいて、お茶やお水が供えられていました。   この日もそうでしたが花をさし替えたりお茶を入れ替えたりする村の人たちが墓石の前に居られ、お墓というものが活きていることを実感出来る風景でした。
お茶を入れ替え花を飾るおばあちゃんのしぐさを見ていると、父母や更にはそのジジババさまや兄弟や縁者などなど、先に逝った身内や先祖の人々が眠るこの場所へ来ることが毎日の日課となっているようです。
そしてこの高台から今を生きる島びとたちをココで人生の全てを終えた先人たちが墓の中から見守っているのです。


 

正法禅寺さんを出てまたまたちょっと行くと100mほどで番外札所・西方寺さんへと参りました。
お寺たちの1ヵ寺づつはなかなか風景なども含めて覚えていないものですが、島の数少ないお寺を巡っていると先ほどの日間賀島もここ篠島でも弘法寺の風貌が鮮明に記憶に残っているのはナゼでしょうか・・・そしてナムナムの合わせる手の中が熱くなるのはナゼでしょうか?
さあぁ 先頭がお似合いのお二人に連れられて、またも更に登って行きますヨ〜・・・って言っても300mです。


港からも見える南方高台に有る39番・医徳院さんですが、ココは島の幼稚園も兼ねているようで島の子どもたちはもちろん、通園にその母親やおばあちゃんが毎日ココまで登って連れて来て、またお迎えで来て帰っていくとはアハハハハなのです・・・知らず知らずに「親・子・孫」して脚力もつき元気になれちゃういい場所の幼稚園だナ〜
そして今までもこれからもナイかもしれない弘法さまのお寺の中で珍しいもの・・・ソレはこの屋根です!
弘法堂の前のお参りをするところに屋根が作ってあるんです。   きっと雨降りの日にお参りをするお遍路の人々を眺めていたこのお寺の先人がこの屋根を思い付いたのでは!?って思いますが、こころ温まる屋根にパパは「いいよナー」って思いました。

そうそう もちろん写真などは有りませんがココの小学校は更に高台の島の天辺にあるそうですし、中学校は更にその奥だそうです。
健やかなれ! この島の子よ!って思いながら、帰りは島の売店でクギ煮やちりめんジャコを摘んでは口にパクリとして、袋にもギュウギュウに詰めてもらってお土産を買わせて頂きました。




さあぁ この幼稚園に通う子等の親たちは毎日と思われるココから、ミンナと港風景を眺めながら階段を降りましょうかネ〜

写真たちが一気に飛んでしまいますが、朝はバスで名鉄河和駅から師崎港まで移動をして二つの島を船で巡り、また師崎港で待っていてくれたバスに乗って名鉄内海駅へと参りました。
内海に到着がほぼお昼でそのまま昼食休憩となりパパママは駅横の食堂で昼食をしましたが、さあぁ 午前の観光気分からウオークの開始となります。
この写真はスタートしたばかりでしたが、左の写真 ママとヒゲおじさんが鯉のぼりをパチリとしているのが分かりますでしょうか?  午前中は曇りでしたが青空も見えてきて五月の空の映えた写真が撮れたかな??・・・パパはというとこんな笑顔の先頭のステキ写真をパチリだもんね〜


パパはこのお遍路道たちのドコを歩いていても「ステキだナ〜」って思いますし「海有り・山有り・人住む町が有り」の森羅万象の息づかいが聴こえてくるような全てに五感も六感も働かせて歩いていますが、その素晴らしさをこの方々が顔の表情で表現してくれています。
「おだやか」って題名を付けたいような左のパチリですが、オチャラケのパパにとっては宝物のような一枚たちです。


山手を歩きながら時折り林越しに見える海を眺めたりもして確実に知多半島西岸を北上しながら歩を進め、小野浦キャンプ場というところでは若者や子どもたちも交えた大勢のグループもディキャンプを楽しんでいましたが、新緑の候をお互いに満喫しながらの一日です。
そして4キロ半ほどで「やっと着いたね〜」って感じのママですが
48番・良参寺さんでした。

昨年のレポートでも紹介をしましたがここの境内の槙柏(しんぱく)という樹の根元には子抱観音の名前の付けられたこの様な形のものが有ります。   木も岩や空の雲などナンでもないようで面白い形に見えるものがありますがこの木の根元にはリアルに立体的なおばあちゃんが赤ちゃんを抱っこしているように見える不思議な形の槙(マキ)の木が有りました。
そうそう 午前中の師崎から内海に移動のバスの中で「いまだに抵抗が」って言うパパに尾関さんから「二人の間でパパママはいいけれど、孫さんにはジジババって呼ばせてあげなさいね、だって本当のパパママと呼び方が似ていては孫さんが困るでしょう」ってこんこんと言われました。   もうカタカタ(まだカタコトではナイ)を話しだした萌生ちゃんが困らないように「ジィジとバァバでもイイのかな〜」って思いながらパチリです。
そしてココは三浦綾子の「海嶺」という本で知られた方もいるかもですが、この小野浦出身で14歳で1832年に海に出て漂流をして一年二ヵ月後にアメリカ西海岸に漂着し異国のマカオで生涯を閉じた音吉たちの遺灰が眠るお寺でもあります。
パパは三浦綾子さんの本はほとんど読んでいますが「海嶺」の元は、平らな海のように見えるその深い海の奥底にも山谷が有って、人のこころの奥底のヒダのようだと音吉を通して語っています・・・さあぁ いろいろなこころを持って歩きましょうかネ〜


良参寺さんのお参りを済ませまたまた突っ込む山道でパパも覚えたセリ積みの場所でしたが、今年は春が遅いせいかジュクジュクで足を踏み入れると埋まってしまいそうな状況に断念をしました。
でも採れないとなると余計に欲しくなるのが人の人情で、全員がアチコチをキョロキョロで発見をしました! そして草たちを掻き分けると、有るわ・アルワ〜で我も吾もとこの有様です。
アハハハハ パパもゲットしましたが今夜はセリで一杯ですよネ〜♪〜


昨年もセリ摘みに夢中になって興奮していたせいか、辿り着いた49番・吉祥寺さんのことは全く記憶に無いくて「ヘエェエェ〜 こんなお寺有ったっけ?」でしたしこの後もお遍路団地に行くものとばかり思っていましたが全く違っていました・・・そしてまたまた登りだヨ〜

確かこの山を越えて行くと田んぼに囲まれたお遍路団地があるんだよな!って思いながらでしたが、見覚えがあるような無いような道たちをドコへ行くんだっけかな??って思っていたら吉祥寺さんから一山越えた1キロほどで56番・瑞境寺さんへと参りました。
ここもセリ摘みの印象が強過ぎた昨年のせいかへえぇ〜こんなお寺が有ったんだ!って感じだし、やっぱり想像のところとは違っていたけどこの後はお遍路寺たちがかたまって並んでいたココの始まりでアリマした。

今は葉桜に近くなっていた桜並木ですが満開の時期に通った記憶があり今日は彼岸桜の赤が目に入る道を200mほども行くと、今度は真っ赤な山門の52番・密蔵寺さんへと参りました・・・記憶があるようで印象が薄いお寺たちが続いています。
本日はお遍路コーラスリーダーの木村の姐御が本四国にお参りに行っていて不在の為、コーラス隊長代理は片岡さんがお勤めです・・・愛歩の歴史はもう24年になるそうですが、勝手は役員の中心として新参役員のパパなどにもウオークのお世話の色々なことを優しく教えて頂いていましたが「いつまでもおばあちゃんではダメだからね」って退任をされて随分ですが、イザという時はキッチリと先頭で仕切られて我々の後見をしてくれています。

片岡さんの優しい先達に従ってナムナムをさせて頂き今度は300mほどの53番・安養院さんへと参りましたが、真ん中写真は先代のご住職をお勤めだったという御年90才のおばあちゃんです。
住職のご主人に先立たれた60年ほど前にご自身が高野山に修行に出られて引き継がれたこのお寺は真言宗だそうで、立教開宗の弘法大師(空海)さまの教えを学ぶ為に尼僧として大変なご苦労もあったそうですが、弘法さまの「共利群生」(きょうりぐんじょう)というミンナが共存共生出来てすべての「いのち」が活かされる教えをつないで今は娘婿が住職となっているそうです。
そんなところにマゴかひ孫かと思うようなチビたちも帰ってきてキャッキャと言って庫裏に入って行きましたが来年もお会いしたいですネ〜

今度はお寺の境も分かりにくい距離を移動して完全に観光地となっている51番・野間大坊さんへと来ましたが、山門をくぐると本堂の縁側がお土産やさんも兼ねていていっぱいの色々を並べて売っていましたし、そのお土産販売を担当のお坊さんが納経帳の受付けもしてくれていました。
そして去年も一昨年も出会ったおもしろ住職は本日は不在のようですが、お寺さまからのお菓子のお接待なども頂き境内を
50番・大御堂寺さんへと移動です。

知多半島の宿で泊るバスツアーの方々や遠来のマイカードライブの人たちも三浜町野間のここが観光スポットとしてガイド雑誌などにも紹介されていることもあり本日は土曜ということで大勢の人で賑わう野間大坊ですが、平安末期に「平治の乱」で平清盛に破れてこの地の豪族長田忠致を頼って内海に逃げのびた源義朝だそうですが、頼ったはずの忠致の寝返りにあって入浴中に殺され「ここに一ふりの太刀あらば」と言った古事から供養塔の「刀塚」が建てられていて現在は多くの木太刀が奉納される場所が大御堂寺さん側にあります。
同じ境内を二ヵ所お参りのためミンナの納経帳を持って移動のタローおじさんやママと岩田さんをパチリとしたり、ヒゲおじさんともパチリなどをした大休止でしたが「裏切った人の地元で殺された人を奉って盛り上がるのも変だよナー」などと思いながらも、歴史の舞台であり悲劇の主人公に優しい人々の思いを上手に観光という形でお寺に人を集めています。
この後に行く55番・法山寺さんのすぐ隣にはその無念の湯殿跡というのが残っていますがアチラはあまり人が来ないみたいです。

さてさてそんな野間弘法を後にして午前中は船に乗って島を巡り海を堪能した本日ですが、午後は海から離れて山手を通って更に名鉄の線路を越えて人も車も少ない半島中央部へと歩いている午後3時半ころです。

55番・法山寺さんに参りましたが山間部の田んぼなどはあるけれどお寺の周りに住宅というものが見当たらない・・・でもお寺の納経所にはお寺の方も居られやさしい笑顔で我々を迎えてくれる・・・観光とセットとなって大勢が賑わうところも有れば、住宅に囲まれて地域の人々と日々を一緒に過ごしていることがはた目に見ていても分かるところも多いけどここは周りに家が無くて「寂しいお寺だな!」などと自分だけのモノサシで見るのは不遜だろうか・・・55番札所だから、大リーグに行った松井にでも引っ掛けてゴジラ寺などではダメかナ〜・・・

法山寺さんを出てまたまた山越えもして田んぼのあぜ道を歩いていますが、今日は幾つの峠を越えただろうか?・・・などと言うとハードなようだけれど小高い丘陵のようなデコボコを登ったり下ったり歩くにはモッテコイの道たちです。

歩くこと2キロ半、本日最後の57番・報恩寺さんへと到着をしてお参りを済ませ解散のご挨拶となりました。   今日は木村の姐御がご不在だったので誰がされるんだろうか?って思っていたら大先輩の片岡さんがコーラスリーダーでナムナムを引っ張ってくれましたし、ナビ野儀さんと猪又御大が午前は観光気分で船に乗ったりバスに乗ったり、午後はセリ摘みなどで遊んでいるミンナを引っ張ってくれ無事にちょうど午後4時に番々外を入れて14ヶ寺を無事にお遍路出来ました。
そしてアンカーでミンナを見守る総大将の奥田さんとの主役たち四人のパチリを最後に本日のレポートをチョーンだヨ〜ン!


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