第12回 知多新四国88ヶ所巡り お遍路ウオークの一歩たち

2006年2月18日〜7月8日 10日間の日程  運営は愛歩世話役のみなさまです。

「第10回知多新四国お遍路ウオーク」第九日目に参加  06年6月24日(土曜) 天気 晴れ  距離 20キロ

6/24(土)はお遍路日でしたがお天気は「暑過ぎる」とぼやくほどの贅沢な晴天の中の九日目でアリマした。
そして今回はずーっと通しで久恵さんが仕切ってくれてミンナで上手に土日回数券を活用でしたが名鉄常滑線の古見駅を降りるとそれぞれの車両から見知った顔がワンサカと下車して来て、本日の集合場所でもあり今日の最初のお遍路寺でもある
79番・妙楽寺さんへと100mほどの移動なのです。
朝のうちは空気も心地良くて風も乾いていて「今日は良い日だ!」ってご挨拶でしたが、山門近くでミンナの来るのを待っていた地元の猪又御大ともオッハーさまのハイパチリなのです。


集合が遍路寺だということも有りココだけは変則ですが納経帳のハンコペッタンを来た順番にそれぞれご自身で頂き、全員が揃うのを待って本日のご挨拶が奥田総大将から有りましたが「今日は予想外にこんな良い天気になりまして・・・」って嬉しそうにお話をされていました。
実は週半ばの天気予報では梅雨真っ盛りの本日は傘マークがガチガチでパパママも「てっきり雨だろう」って思っていたくらいなのにこの三年間のお遍路で雨の日はまだたったの一日だけなのです・・・スゴイね〜
そうそう 朝の出発式の写真を見ていて気が付きましたが、奥田総大将の後ろに止まっているココのお寺の車のナンバーが「・・79」なのですが、自由に車の番号を選べる今はならではで79番札所だからなだよネー


奥田さんのご挨拶やナビ野儀さんからの本日のコース説明なども終えて納経帳のハンコも済ませた一部の人が「さあぁ」って門を出ようとしましたが実はまだナムナムをしていないのです。
弘法堂と
開山所さんの二箇所でナムナムをしましたがココの「十三世の亮山和尚さまが16年の歳月を掛けてこの知多四国お遍路寺たちを開かれた」と看板に説明もありました。
我々がこのように楽しんで知多半島をお遍路ウオークが出来るのもこのお寺と亮山和尚さんが居たからなのです。
今から200年近く前の事だそうですが「と言うことは今まで廻った全てのお寺たちが200年以上の歴史を抱えているということだし、そのお寺たちを支えた檀家の人々の人生たちが有ったということなんだよね」・・・今日の空のような日も有り雨の日も風の日も雪の日も・・・いっぱいの一日が積み重なって今ココで般若心経を唱えられる自分自身にシアワセというものを感じるパパです。   さあぁ 今日もお遍路しようネ〜♪〜


ココは知多市ですっていう古見の古い町なかをクネクネして「オレは絶対にこんなところは歩いたことがナイ!」って自信を持って自信なく言うしかないようなヘンテコ道たちを歩いていたら突然のように良おく見知ったドデカイ楠の居る80番・栖光院さん(せんこういん・・・読めんでしょ・俺もだけどサ)へとやって参りました。   でも山門もボロのところだと思ったら違って立派な赤い仁王さんたちがお出迎えでしたし、写真にはアリマセンが弘法さまがお堂の壁に現れたというお堂も有ったりするこのお寺の歴史はどのくらいなのか・・・楠君の年令もいまだに分かっていないパパです。




「聞こえたよ お前のナムナム 届いたよ 誰より上手いね 般若心経」・・・ってコイツがオレに言うんで




人たちは皆そうなのかもしれませんが、自分自身のモノサシと全く違うものを相手にすると声も出ずただただその相手を
見つめるだけとなるようで、このクスノキさんの足元を遠慮がちにそおぅと手を出して触れてみたり撫ぜてみたりでしたが
この木の下に居ると悠久の時代たちを生きてきたこの木が大きな手を開いて
全ての人々を優しく包み込んでくれるような感じになれます。


「またおいで また来るんだよ 元気でね お前のことは ココから見てるよ」・・・ってコイツが見送ってくれるんデス

ドデカイくすの木君ともバイバイをして、またまたヘンテコ道は更にヘンテコとなり「本当にココも遍路道なの〜」って名鉄・常滑線のすぐ横を歩いたりもして81番・龍蔵寺さんに参りました。

山門をくぐった正面本堂の上に「巨渕山」と山号のカンバンが有りましたので「こぶちさんって読むんですか?」ってハンコペッタンのおばさまに聞きますと、違う正しい読み方を教えてくれたんだけど「こえんざん」って読むそうです・・・お寺の名前は面白いですネ〜

「たかが三年なれど三年」でお遍路を通じて色々な新しいお友達も出来ますが、顔を覚えて笑顔で挨拶もしたり軽い会話もしちゃうのに名前を知らない!・・・このお二人とも親しいし、今朝は「パパママのHPを見たわヨ〜・スゴイわね〜」って褒めてももらいましたが、春先にはお揃いの黄色い帽子をかぶっていたので「ヨッ・幼稚園」って呼んでいるお二人です。
そして昨年までは「こんな所に消防署??」って思う変則五差路の細い道を入ったところに有った消防署ですが、ドコかにお引っ越しをされたようです。
町を抜けてブドウ畑も有ったりもする田んぼ道を歩いていましたらママは「すいませんさんに教えてもらったチョウチョだワ〜」って道端に座り込んでパチリなどを楽しんでの歩が進むんです。
お遍路道にはいっぱいのアレコレでそれを楽しむパパママですが、穏やかに見守ってくれている奥田総大将が赤い旗を持ってアンカーを勤めて頂いております。   オーイ 置いて行くぞ〜


いっぱいのお遍路を続けているとアレコレの記憶がゴチャゴチャになってお寺の順番も、歩いている風景から想像するその先のことも混乱をして「きっと今度はココだろう」とか「アレがあったから今度はコレだな」って思うのですがことごとくハズレのワタクシです。
今回も「ワカランし来た事もナイ!」って言っていたら、どうも知らぬ間に東海市に入っていて地元組のナビ野儀さんや猪又御大やヒゲおじさんまでもが加わって全く違う道を先導しているようで「太目の人は横にならなくちゃ」って思うような細い道をショートカットをして歩いたり「孫が幼稚園の時は毎日来とった」ってヒゲおじさんが教えてくれる幼稚園を過ぎるとやっぱり見覚えのある
82番・観福寺さんでしたが、龍蔵寺さんからは4キロ弱の距離でアリマした。

パパもお遍路というものを始めるようになり亮山和尚さんのことを知るようになりましたが、その由来を超短く書いた石碑とその彼が植えたという紅白ツバキが後ろに立っていました。
ほぼ200年を経過するこの木をどれほど多くの方々が眺めながらこのお寺で般若心経を歌われたのでしょうか?
雨の日も風の日も炎天の真夏も・・・自分たちのモノサシでは測れないほどの歳月というものに畏敬の思いを抱く以外にありません。







アハハハハって笑っちゃいます・・・お参りを終えてスタンプペッタンの済んだ納経帳をミンナに返していたママとヒゲおじさんでしたが、お互いに同様のお仕事中ということでママが最後まで持っていたヒゲおじさんの納経帳をご丁寧にお渡ししている図ですが、渡すほうよりそれを頂くヒゲおじさんの方が堂々で・・・楽しんでいる連中でしょう〜♪
さあぁ 今度は何処へ行くのか ナビ野儀さんの足の向くまま気の向くままです。





かなり古くなった山門を通る人がケガなどをしないようにと崩れ防止の足場を設けてあるほどでが
その左右には仁王様が立っておられたのです。


83番・弥勒寺さんに立って居られたこの人たちををハリコしようかどうかちょっと迷いましたが自分自身の記憶をより強くしておくためにハリコをしてみます。
人だけに死があるのではなく、この世に形あるものの全てに生死があることを教えてくれるような力強いお姿の仁王様たち・・・パパのこころの奥底をグサリと突き刺すような、正に仁王立ちです。


そしてこの写真の朽ち果てかけた仁王様や山門を見るとひどいボロ寺とおもわれるかもですが、実は全く違うのです。
昨年のお参りのときにもチラリと紹介した覚えが有りますが、昨年から新しい仁王様を製作中で愛地球博の行なわれた長久手会場でも製作途中の様子が会場で披露されたりもしたそうで、今年は新しいのが立っているかな?って思っていたら、仏師がカンコンとしながら製作から完成までに3年以上を要する大仕事だそうです。
そしてその際には山門自身も新しく建て直して正面に新仁王像が立ち、背中合わせのほうにこの800歳の仁王様たちも修復もしてお化粧直しもしてもらって再度ご登壇だそうです。
2008年春が落慶の予定だそうですが、ひょっとしたら知多新四国開基200年目とも合致するのかも?

お聞きしたのはこのお寺の奥様でしたが「随分掛かるんでしょうネ〜」って聞いたら、パパの想像を超える費用が掛かるようですが、これからまた更に800年の歳月をお寺の前で仁王立ちで頑張ってもらう為には必要なのだと思いますし「ヨクゾ決心をしてこの事業を進められている現ご住職!」って思っちゃいました。


弥勒寺さんを出て昼食休憩場所の大池公園にやって参りましたが、でか過ぎる公園で休憩する場所によって全然周囲の風景も違ってしまい地元のヒゲおじさんやナビ野儀さんのご案内でコンビニに行って来ましたが喉越しのサポートにとヒエヒエビール君も買い、更に喉越しを求めて最近のお昼はツルツルの冷麦やお蕎麦などてす。
アレレレ 買い物から帰ったらもう宴会が始まっている皆さんですが、外の木陰の下が心地よいお昼休みであります。


休憩中のママは「今日のミンナの思い出パチリにいってくるワ〜」ってカメラを持って休憩中のミナサマをパチリってし始めていましたが・・・このアングルはママならではです!・・・でもタローおじさんご夫妻のホンワカさが背中にも現れているステキな一枚かも??
その後もほとんど全員をパチリってしたんじゃって思うほどですが、皆さまそれぞれに笑顔で接してくれていたようです。
残念ながら枚数が多過ぎてココにハリコは代表作の一枚ですが、さあぁ たっぷりと一時間の休憩もして午後のスタートが始まりましたヨ〜ン





「満腹な だけじゃナイです シアワセは あなたと一緒に 歩ける満足」

知多市から東海市そして名古屋港へと伊勢湾沿いには湾岸工業地帯が延々と続き広がっていまして、今も世界中が鉄不足の中をフル操業であろう製鉄メーカーや鉄鋼所群がいっぱい並んでいるこの地です。
先頭のナビ野儀さんも猪又御大もヒゲおじさんもそうですし、「宴」の書をパパに書いて頂いた鶴田パパもまだこの地が鉄の町に変貌をする前の準備段階から鉄屋としてあの工場群を作るところからお仕事をされていたそうです。
そしてその工業地帯と町を隔離するようにステキなグリーンベルトが作られたのでしょうが、今はこんなに立派木々がそびえる長大な公園となっていています。


さあぁ 次に来たのは86番・潮音閣・観音寺さんというパパがお気に入りの名前のお寺でちょっと高台にありますが、きっと絶対に昔はこの下まで海が広がっていて磯場を波が洗う音がザアァザアァと聴こえていたのだと思います。
そしてそのお寺の境内と言うべきかその横にもどでかいクスノキ君が居るんです!
弥勒寺のは根元に驚きコッチのは空に広がる枝振りに驚くほどです・・・オーイお前らは千年も前からのお友達同士なんだろうネ〜


ねえねえ みんな〜 この先頭を歩く方々の笑顔ってなんだと思いますか〜
本当にこころからのイイ笑顔で「いったい何が楽しいとこんなにステキで優しい笑顔になれるんだろう」って思いますが、観音寺さんを出て今度も東海市内の古い町の中を歩いています。
するとヘンなにおいとヘンなものが農作業小屋の中に見えたのでパパがコンニチワ〜って言ってお聞きすると「これはフキの根だ」って教えてくれました。
「ヘエェエ〜 この根も食べるんですか〜」ってお聞きすると違っていて、コレを冷蔵庫に入れて二ヶ月ほど冷やして置き、また畑に植えるとこのフキたちの根が寒いところから暖かい土に春と勘違いして新しいフキが生えて来るというのです。
本当にヘエェエェ〜でコレをクマ博士に伝えると「春化処理というんだよ」ってナンでも知らぬこと以外は知っている博士デスが、皆さんもフキがこんなふうな手間を掛けて年に二回も生産をされているなんて知ってましたか〜
北海道では誰も見向きもしないほどいっぱいのフキが広大な台地のアチコチに生えていたけどナ〜・・・こんな手間を掛けて儲かるのかナ〜??


ドデカイ楠の83番の弥勒寺さんを出て古くからの田舎町ってところを歩いていたら門も塀も無い85番札所・清水寺さんへとやってまいりました。
大き門柱には観音堂とあり、そして鈍く光る本堂のカンバンを見ると読めない字だったのでまたも鶴田パパに来てもらうと「慈悲山」との山号だそうです・・・
更に教えてもらったけど「南無大慈大悲観世音大菩薩」・・・観音菩薩様という人は、人々に代わって大きく慈(いつく)しみ大きく悲しまれる優しい人なんだよってことも教えてくれました。

    人が生きているという事はどういうことなのか
    過ぎてしまった昨日 来ぬかも知れぬ明日 でも今は確かに自分はココに居る
    今を生き 今に生かされ 今に感謝する 大切な今の連続の中
    時間と空間というものには始めも終りも無く・・・ただ無限に・・・
    そんな中で俺たちは縁(えにし)という不思議によって多くの人から慈悲を受けている・・・それが「今」かも

菩薩のこころ 母ごころ 押せば命の泉湧く・・・ワッハハハハ・ハー・・・ナンちゃってあれは指圧だ(昔波越徳次郎さんって指圧の先生がいましたよネ〜)
お参りを済ませて一服となりましたがパパの大好きなお姉さんのような水谷さんがどっかりと腰を下ろして出掛けに「立てないよぅ」って大笑いでしたデス。


歩きながら思いますが絶対に来年また歩いても「ワカラン・知らん」を繰り返すであろうややこしい道たちですが、直線に歩くということが絶対に無いような道たちを歩いていると今度は84番・玄猷寺さん(げんにゅうじって去年教えてもらったのにまたワカラン)なのでしたデス・・・
暑くなった午後ですが親ツバメがピーチクの子供たちにエサを捕るために頑張っている中空が判りますでしょうか?「我々もファイトだネ〜」って言っていた午後1時半のころでした。


玄猷寺さんの境内に行くと待っていてくれた方が居られましたが、諸先輩たちがご挨拶をされたり「久し振り〜」って手を握り合っておられましたが、このご夫妻のこともキッチリとカキコしなくちゃって思ってお名前も覚えていたのですが・・・忘れてしまってゴメンなさいネ〜(次回は忘れません!)
地元東海市にお住まいだそうで、左端の黒いメガネの方と久恵さんを挟んで左から三人目が奥さまです。    お二人は今はご一緒することがなくなったそうですが以前は一緒に愛歩でお遍路仲間でもあったそうです。
今日はお菓子やゼリーや冷えたヤクルトをいっぱい持って来て我々をお待ち頂きお接待をして頂いた境内でしたが、別れ際に過ってはご一緒に歩かれたお仲間と並んでのパチリをさせて頂きました・・・ご馳走さまでした。
さてさて 心地良過ぎて暑いほどの中を今まではずーっと北へ向っていたのに、先頭はこんどは東へと方向を変えているようですヨ〜


いよいよ本日最後のお遍路寺へと向っていますが知多半島の根元伊勢湾側(半島の西)の東海市から半島の中央部を通る愛知用水(左写真で知多半島の水源路です)や、知多半島道路(中部空港セントレアはもちろん、知多の先端まで続く交通の大動脈です)を渡って、三河湾側の大府市共和町(半島の東)へと一気に知多半島横断で4キロ弱を「ヒイヒイ暑い暑い」って言いながらの大行進です。




空は秋のようなスジ雲で陽射しは真夏を思わせるほどの午後二時過ぎ・・・いったいこのような写真を何枚撮っただろうか・・・
ナビ野儀さんに言わせると「車が通る道はガソリン臭くてかなわん」とのことですが、安全のことや後続の方々が安心して歩けるようにとの心配りが随所のこのコースたちを作ってくれたことを思うと頭が下がるばかりです。

チョット車の通りの激しいところも通って共和の町に入りましたが本日最後のお遍路寺5番・地蔵寺さんへとやっとこさ到着でコース途中でアゴを出していた水谷さんにも笑顔が戻ってきた山門入口なのでした。
ずーっと穏やかに赤旗アンカーをお努めのこのお遍路の総大将の奥田さんも最後に到着をされて全員が山門をくぐりましたが、ママたちの納経帳を預ってはハンコペッタンをしてミナサマにお返ししているお手伝い係りもコレで本日はオシマイとなります。
ページが白いまま飛んでいたスタンプ帳の五番にもご朱印ペッタンが済んで真っ白だった納経帳もこの五ヶ月でニギヤカになっておりますが、本日最後のナムナムを心を込めてしなくっちゃデス!


あまりの暑さの午後2時半 境内に立つ弘法さまの帽子を見て「あのぐらい深くて大きいほうが陽射しが避けられてイイかもヨ」って誰かが言いましたが、ママに「顔が見えなくてイイかも!どおぅ」って言って怒られるパパです。
さあぁ お参りを済ませ納経帳をミナサマにお返ししているヒゲおじさんやママでしたが・・・ヒゲおじさんの手にあったママの納経帳を名前を呼んでも気が付かずのママに「早く取りにこんとオレは重いぞ〜」ってしぐさに「ごめんなさーい」って駆け寄ったママでしたが、二人して納経帳の授受を楽しんでいた本日でアリマす。


お遍路9日目も無事に全員が完歩出来まして残すは7/8の結願日を迎えるのみとなりましたが、奥田総大将のご挨拶で締めくくり帰路に付きます。
何度かお話していますがパパママが昭和五十年に結婚をして初めて住んだこの町にお遍路ウオークなどという形で三十年後に訪れるようになるなんて信じられないというか当時は思いもしなかったことですが、町の面影と変遷に驚きもしながらJR東海道線・共和駅へと向います。
そして真っ先にキヨスクのヒエヒエビール君をゴックンのパパでした。  ではでは ネ〜





アハハハ・ハって共和駅のホームで電車待ちですが、タローおじさんの指導で足上げストレッチのミナ皆さま
自分が思っているほど上がっていない足の先ですヨ〜ン♪〜


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