愛歩8月例会「中山道・薮原から鳥居峠越えウオーク」に参加  06年8月20日(日曜) 天気 晴れ  距離 12キロ
コース = JR中央本線・薮原駅スタート 〜 中山道・薮原宿 〜 鳥居峠(昼食) 〜 中山道・奈良井宿 〜 JR奈良井駅ゴール

日が沈む時間が早くなり日の出も遅くなっていることを実感ですが夜は7時頃に日没となり朝も明るくなるのは5時を過ぎてからで8月も後半、確実に季節は秋への準備をはじめています。
さてさて 8/20(日)は青春キップを活用してとのことで毎年愛歩の恒例に近いですが、涼のある地方への遠征ウオークとなり「中山道・鳥居峠越えウオーク」となりました。
パパママも「涼しい朝のうちに出かけようか!」ってミンナより1時間半以上早い電車で現地に向おうかとも思ったのですが、微妙なタイミングだったので一旦は始発の名古屋駅に出て「ナイスホリデー南木曽」という特別快速に先頭に並んで乗ることにしました。
そして時間たっぷりだったので先ずは腹ごしらえにホーム内の立ち食いそば屋さんですが、かつお味のきしめんにニンマリのママが一口食べて「美味しい〜」・・・確かにいける味でした。
そしてご一緒となった愛歩の大看板福田女史ともオヒサーですし、垂井の伊藤さんとは京都でもご一緒でしたし、お遍路では大変お世話になったナビ野儀さんともコンニチわ〜だし、途中の恵那からはカッパの堀さんも乗ってきて豆餅をご馳走になったり朝ご飯が今からとの事で席を代わってあげたりワイワイの車中をヒエヒエクーラーに涼みながら二時間半ほどの旅でした。
そして降り立った薮原宿ですがアチチチ・チーって炎天の11時でありましたデス。


その炎天の中を影のあるところに避難のミナサマですが、堀さんのお友だちの鈴木さんもご一緒ですしタローおじさんの早苗ママも、鶴田パパももちろんご夫婦でご参加です。
そして恒例の開会式や愛歩支部巡り達成者の表彰も始りますが、パパはコースサブリーダーでしかも小さな旗を持っての旗手も兼ねていてここからはママカメラとなりますですが果たしてどんな写真たちが並ぶのでしょうかネ〜


そうそう 我が子と同じ歳のメガネ君も一回目の完歩を達成でしたがオメデトウございますネ〜って彼の新デジカメでメガネ君をパチリ・パチリのパパなのでしたがコレはママ画像デス。       今日は全国一周ウオークをしている岩山さんも居られましたし、広島の山岡さんも遠方からご参加でお顔を見たら「京都五山からいったんは広島にかえったけぇ・また今日じゃ」ってスゴイ行動力です。
さあぁ 暑い中にイツまでもですので「イザ・スタートじゃ!」の先頭ですが、ハイブリッジさんが「あっ・その小さい旗でも旗手を引き受けたんだね」って言われましたが、こころはドでかい愛歩旗のつもりです。

                  オーイ 愛歩の正統の先頭旗くーん 7月に続いて ながーい夏休みを取らせてゴメンね〜


薮原駅をスタートした我が愛歩たちですが「薮原駅」というところは変な駅で、普通は町の人が使うんだから町に入口が向いていて当たり前って思うんだけどココは逆でナゼか町の表通りに背を向けた方が駅舎出入口なのです。
駅正面側は住宅が少なく国道19号線が走っているだけ・・・だから町に入るにはこの地下道をくぐって出てそこが中仙道の薮原宿となるのです。
パパは小さい旗を持って「ハイみなさーん・本日は愛歩観光をご利用頂きアリガトウございました・ただ今から藪原宿へとご案内ですが、どなたも本日はこの旗が目印ですので迷子さんにはなりませんようにネ〜」
「お客さーん・コレがお六櫛屋でアレが高札場でそれがこの町を守る消防機動隊詰所でございまーすー」って言ってたけどママカメラはあさってをパチリとして話と会わんじゃろうがネ〜


薮原宿のロケーションはママカメラマンのご都合でカツアイですが、一旦は駅舎横から地下道を通ってJR中央線の線路をくぐって薮原宿を通って(写真がナイ・しつこい!)再度中央線の線路をくぐると中山道鳥居峠への登り道となるのです。

         長野県のこの地域全体を木曽(きそ)と呼んでいますが
         ココ薮原宿は木祖村(きそ)という「村」単位の自治体だそうですが
         「そ」の字の違いはナンでしょうか・・・
         木が租税としてして使われていたことに由来するのか
         はたまた「おらが村の木が木の元祖なんだナ」って言ってたのでしょうか?

駅を出で10分もしないうちに登り道となったのですがなかなかキツイ登り道で、更に10分ほど登った信号の無い道路を渡ったところで一旦列詰めと水分補給となりましたが、炎天で一気の坂道のためからだ中から汗がふき出してきます。
そしてかなりの時間を休憩して再スタートですが、先頭の前のママカメラマンとヒゲおじさんが交差をしながらのパチリ合戦となっていました。





薮原宿の標高が既に標高950m・・・そして今から向かう奈良井宿へは1197mの鳥居峠越えです。

薮原側からはほぼ直登に近い登り道で道も段々と細くなり途中には「熊除けの鐘」というものも路端に有りました・・・パパはいっ時「一人で中山道を歩いてみるのも良いかもナ〜」って思ったことが有りましたがココを実際に歩きコレで「絶対にその実現は無い!」って結論になりました。
だってヘビは周りの人たちも驚くほどの恐がりだし、ましてや熊などメッソウもアリマセン。。。
でも、中山道ウオークのキッカケとなった最初の金哲秀さんは完全にお一人でココを歩かれたのだろうしあの△帽子も既に中山道の馬籠宿で手に入れてアレをかぶってココを歩かれていたと思うと・・・コメントも出来ないほどの驚きです。
そして二次となった園子さんや三次の敦子と阿羅漢さんもそんなに大人数ではなく心細いことも多かったかと・・・遠藤さん・嶋さん・清田さん・・・そして今第7次のユキちゃん隊はまた10月にこの道を歩かれる・・・そうそう ハンスとローリーも大荷物を背負ってだし、風の吹くままファミリーも子供たちを背負ったり抱っこしたりして通ったここでしょうか・・・
中山道の魅力ってナンだろう・・・オレはヘビと熊に退散で、実は先頭を歩きながらも徐々にリーダーの黒メガネの小林さんを前にしてそして健脚組にも道を譲って「どうぞ・どうぞ」でヘビに巻き付かれず熊にガブリとされない位置にそーっと退却なのです・・・


距離は3キロもないくらいで標高1200mほどの頂上近くの円山公園というところが昼食休憩場所でしたが、薮原宿自体の標高も950mほど有るので登ったのは200mチョイほどの高さでした。
でもヒエヒエ電車から炎天の外に出て更に直ぐに山登りとなって体調を崩された方も居られたり、体力的にも傾斜のキツイ山道で先頭が到着からアンカーが来られるまで30分ほどの時間差がありました。
そこで当初より食後のスタートを遅らせることにしましたが、木陰を通る風は涼やかでやっぱり木々に包まれた木祖の村です。
お昼休憩の間に吹き出していた汗も乾きバクバクの心臓も落ち着いてきましたがスナップをママがパチリとしてミンナのワイワイ・ガヤガヤの様子をウオッチの楽しい昼食休憩となっています。


さてさて アレレレ・レ ウオークの一歩たちって言ったのにコレはすいませんさんかなおきちさんのハリコ〜??って間違える方も居られるかもですか、ママカメラマンが我々もパチリとしてしていましたが鳥居峠の山に咲く野辺の花たちをも捉えていました。
最近マクロ撮影というものをすいませんさんから習ったようでパパが見ても「いいんじゃなーい」っていう写真たちですし、須田パパが「これはナンだと思う」って円山公園での昼食休憩中に持ってきてのですが「ゲンノショウコウ」という煎じ薬になる薬草だと教えてくれました・・・更にまたすいませんさんのご説明ではお腹が痛くなった人がコレを飲むと本人も驚くほどサラリと腹痛が治ることから「ほらね 現の証拠だろぅ」と言って「ゲンノショウコ」いう名前なのだと教えて頂けました・・・これでずーっと名前を覚えておられそうな気が(気だけです・・・)するパパです。


昼食を済ませて鳥居峠の頂上を越えて奈良井宿へと歩を進めますが、この峠には御岳遙拝所という小さな祠のある御岳山が望める場所や、立派な栃の木の大木たちが並ぶところも有って「子産の栃」って説明板も立っているポッカリと赤ちゃんが寝られそうな穴の開いた栃の古木もあるのです・・・でもママ写真はアリマせぬ(シツコイ)。。。
そんな鬱蒼の木立の中を20分ほど歩いて行くとミンナが休憩に利用出来る円山公園のログハウスと同じ時期に作られたと思うようなまだ新しい休憩小屋が有りまたまた列詰めとトイレ休憩をしましたが、そこには冷たい山の水場もありヒエヒエの水を飲んだり顔や手を洗ったりして大一服となりました。
横に居た三重の長岡さんや岐阜の三輪さんとハイチーズってママですが、パパたちの再スタートに今度は我々の前を行くママです・・・転ばないでヨ〜


アハハハ・ハって右写真で今度はママがパパの代わりに旗を持ってパパが撮影班を担当となったのが分かりますでしょうか!
既に峠から見渡す周囲の山の風景も「中の茶屋」も通り過ぎてしまい谷間いのような下り道となっていますが、今しばらくの下山風景は黒メガネの小林さんとママリーダーがご案内となります。
ココの谷には木曽義仲と武田の軍勢が一戦を交えて負けた武田の武士が埋葬されているのだと聞いていましたが、やっぱり一人じゃ絶対に歩けないパパです。


どのように歩いても間違えようのナイ一本道でしたが「下り道では足が止まらないのよネ〜」ってママのブレーキの掛からない歩きがこの写真たちから理解できますでしょうか??
パパが写真を撮る為にチョット早足だったけど「下りは一歩一歩ゆっくりとネ〜」って言うのにドンドンと近づいて来て困ったものです。
木立の中の緑陰に包まれて歩くこの峠道をどれほどの人たちが通ったのか・・・中山道の歴史は400年を越えましたが今もこの道を歩く人たちが居るのです。


上のハリコを見てお分かりだと思いますが、かなりきついジグザグ道を延々と下りながら「こんなに登っていたっけね〜」って思うほどドンドンの下りが続いた先には7月の梅雨末期の豪雨の爪跡がシッカリと残っていました。
一箇所は掛かっていた橋が橋脚からズレてドロで覆われていたし、もう一箇所は完全に橋が流された後に仮設の橋が設けられていましたがゆきさんの案内で少人数づつがそろそろと橋を渡っているところです。
比較的治水や土木管理というものが行き届いた今だから直ぐに復旧もして歩けるようにしてもらえますが、昔はどんなだったんだろうか?って思います。
そして道を石畳にしたのも先人たちの知恵の一つだったのだと思います。





山に雨が降り豪雨になると大地に吸収しきれない水たちが草木や地面を伝って山の表層を流れる
     やがて普段人の歩いている山道さえが水路となり川となり
     更に道の土たちを洗い流しながら山を下る

     そして谷あいに水が集まり更に大きな水の流れが出来て
     枯れ枝や石ころたちを巻き込んで大きな流れとなり
     木を根元から洗い流し大きな石さえも浮かせて下流に送り出す

     一旦は途中のどこかで木や石などが詰まってダムのようになり、それが一気に決壊する
     水圧や浮力など水のチカラというものは普段の生活からは実感しにくいものだけど
     これが土石流となって大地を下り
下の地形やそこに生活する人の人生さえも変えてしまう

おっかなびっくりの「にわか橋」をそろそろと渡っていた為にその先で全員が渡りきるまで列詰めと水分補給となりましたが、7キロほどのコースで昼食も含めこれで四回目の休憩です。
コースリーダーや旗手などで先頭に居るとなかなかご一緒ウオークのミンナと会話を楽しむということが出来ませんが、ママがスナップ写真を撮ってくれました。
左からパパの大好きな「宴の書」を書いてくれた鶴田パパだし、つい先日に炎天の広島−長崎・450キロを9日間で歩き通したパパのことを先輩と呼ぶ歩仕事人さんだし、メガネの二人は一緒のお名前のおーい・中村さんなのです。
さあぁ 再度の下り道ですがママカメラマンと選手交代でゆっくりとブレーキを掛けながらスロースピードで歩いていたら奈良井宿へと降りて参りました。


ナンかママがカメラマンだったり旗手だったりややこしいことになっていた写真たちですが、無事に中山道・奈良井宿の入口にある鎮神社(ナンて読むんだろう・・・「しず」かな?だとしたらナニを鎮める為なのかかな??)に到着をしてココで解散式となります。
ながーい下りの一本道でしたがみなさまお疲れさまでしたネ〜


左写真・弥富の芝やんとは岐阜ツーデーの2日目をご一緒だったしチカちゃんとママは名古屋ツーデーで抱き合っていたし、久恵さんとはお遍路でずーっとご一緒でしたデス。
そして真ん中、朝の電車もご一緒だった福田さんともう一度ですが、車中でママのことをたまたま「おまえ〜」って呼んでたら「おまえはダメよ!」って厳しく言われた福田女史デス・・・でも愛のあるオマエもあるんだけどネ〜
更には別々に登場ですが鶴田ママと瀬戸歩仲間だった柴田さんと、おおっ後ろには京都で水を頂いた橋本姫も居られます。
大勢過ぎてご一緒ウオークをしていても「あの日は来てましたか〜」って後で聞いたり「何言ってんのよ 横に居たじゃない」って事もしばしの大勢のご参加の青春キップで18才を満喫のミナサマです。


鎮神社で解散式を行なった後はそれぞれが思い思いに、往時の賑わいも面影も上手に残した奈良井宿を観光したり一服もされたりして帰路へとなりました。

北西に飛騨山脈が壁となり、南東には木曽駒ヶ岳などから連なる木曽山脈があって否応無しにこの鳥居峠を越えなければ塩尻方面と中津川方面を結べない中山道ですが、春夏秋冬人々はこの峠を越えてドコにナンの目的で通られたのでしょうか?
そしてホッとする宿場町で疲れを癒し泊られた旅人だったのでしょうか?
右写真の後ろの山が鳥居峠です

「木曽は全て山の中」って言葉がありますが、自然に包まれて越えた鳥居峠を垂井の伊藤さんはどのような目で眺め歩いていたのか・・・10月に歩かれるユキちゃん隊のコースリーダーとして見たこの道たちはパパの感想とは全く違う目線だったと思います。
秋の塩尻以降が無事に過ごせますようにネ〜

ではでは カキコ不具合も有って1週間掛りのレポートの今回でしたがコレにてチョーンだよーん。





真正面に小さく見えますが木曽の御岳山です。


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