碧海幡豆W協12月例会「南吉の足跡を訪ねて安城市内ウオーク」に参加 06年12月3日(日曜) 天気 晴れ 距離 15キロ
コース = 名鉄西尾線・南安城駅スタート  〜 安城高校 〜 桜町小  南吉の下宿 〜 新田小 〜 安城運動公園(昼食) 〜 中部小 〜 明治川神社ゴール

12月の声を聞いた最初の日曜日12/3愛知県にも木枯しが吹いた一日でしたが、風邪でダウンしていたママが「歩きに行っても大丈夫よ!」って朝の一言で敦子さんや水野ママの居る安城へと行くことにしました。
ピーチライナーが廃止になって便利になった自宅近くのバス停から春日井駅まで行き金山総合駅で乗り換えなのですが、安城(あんじょう)には「三河安城」「安城」「新安城」「南安城」「北安城」と5つの駅があり「ドコへ行ったらイイのかや?」って思わず立ち止まり「あんじょう調べたワタクシだす」???(コレでは宮城の和田さんに勝てまへん)
初めて降り立つ名鉄西尾線・南安城駅でしたが、早めに到着したと思いきや既に寒風を防げる朝日の当たる陽だまりで受付を開いている碧海幡豆のスタッフの皆様でありました。
そして予想をしたりしなかったりもする顔たちとの朝のご挨拶もして定刻過ぎには駅を出発ですが「今日は開会式も無しでスタートかい?」って思うほどかなり歩いた秋葉公園で開会式となり、西川阿羅漢さんのストレッチご指導などで朝の冷たさを吹き飛ばす我々です。


そうそう 阿羅漢さんが正しいストレッチや正しい姿勢というものを運動の中でお話しして頂けましたが、体を曲げたり反ったりする時は意識して曲げようとするのでは無く「ただ息を吐くように」すれば無理のないストレッチが出来るそうだし、真っ直ぐ立って正しく歩くのに胸を張ってとか、背筋を伸ばしてとか、頭の天辺を更に上にとか言いますが「お尻の穴をキュッっと絞って上に持ち上げる感じ」を常に意識していると自然と正しい姿勢になって歩けるそうです。
パパがそれを「ウンコを我慢する感じかな?」って言ったもんだからママは気合いの抜けたストレッチになってますが、さあぁ今から南吉の短い人生の足跡を訪ねるウオークの始まりです。


冷たい北風も歩き出すとイイ感じで体がホカホカしてきますが、最初に向かったのは南吉が昭和13年4月から18年春まで教壇に立ったという元安城高等女学校で現在は県立安城高校となっているところです。
小さな会のウオーク例会で学校の校庭に入り込むのは初めてくらいかもですが、リーダーの小森さんに率いられて校門を学校の奥へと進む我々です。
そして奥の中庭の一角に南吉が先生をしていた時にクラス担任だった生徒詩集の巻頭に載せたという「南吉の詩」が記念碑となっていました。

パパはこの詩を読んで蝸牛(デデムシ)が舞うと表現していることに不思議を感じ、もしかしたら南吉は蝶々のさなぎと蝸牛を間違えていたのではないかと思うけど・・・そんなワケはナイよね・・・この詩のなかで触覚と書いて「ツノ」と読んでいるのも蝶々の触覚(しょっかく)そのもののほうが似合いそうだけどナー・・・でも彼の繊細な気持ちと春のひと時を小さな虫を通して美しく表現しています。





                生れいでて 舞う蝸牛の
                  触覚のごと しずくの音に驚かむ
                        風の光にほめくべし 花も匂はば酔ひしれむ   正八

前身が元安城高等女学校だという安城高校の詩碑を読むと気が付かれたかもですが、南吉はカタツムリのことを「デデムシ」と読ませています。   パパも小さいころは「でんでん虫」って言っていたので違和感はありませんが、南吉の詩や童話の世界に何度も登場してくる「ででむし」のお話しの一つを・・・

          ある日一匹のでで虫(カタツムリ)が「僕の背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっている」って
         気が付くというのです
         そして友だちのところに行って、そのことを言うと
         「私も同じよ」って言い、次の友だちに聞いても「私の背中にもいっぱいの悲しみよ」って答えが返ってくる
         次々とほかのでで虫たちに聞いても同じ答えで
         「悲しみは、誰でも持っているのだ 自分ばかりじゃナイ」って気付き
         自分は自分の悲しみを堪えて生きていかなきゃイケナイ!って思い
         嘆くのを止めたというお話です・・・

コレは耐えて我慢せよって言っているのでは無く「生きているということ」とは何ぞやという事を南吉の言葉で語っていて、次に案内してもった安城市役所横の安城公園には下の詩碑も有りました。


           牛は重いものを曳くので 首を垂れて 歩く

             牛は重いものを曳くので 地びたをにらんで 歩く   南吉

 
「生きていると言うことは辛く苦しいことの積み重ねだよ」って言う真実を見つめていた人だから、あんなに優しさいっぱいの童話たちを生み出すことが出来た南吉なのだと思います。


南吉が女学校の先生をしていた当時の安城高等女学校が実際に有ったのは今の市立桜町小学校が建っている場所だそうで、そこにも足を向けましたが校庭には「南吉が女学生に囲まれて詩や童話の話しをこのクスノキの下でしていたんだよ」って場所も有り、ここでも小学校の校庭内に入った我々です・・・若い南吉先生は女学生達にモテタそうですよ〜♪

写真には写らない寒風の中に似合わないほどの青空ですが、気持ちを弾ませて歩が進みます。
今日のコースリーダーはこの会の責任者もしている小森さんですが、朝のお話で「同じようなところを何度か歩きますけどネ」って言っていました通り、アッチからコッチへと歩き、ここからそこへと行くのですが同じ建物の周りを何度も行き来もして南吉が嬉々として過ごした一時期を思い出させるような花の木商店街なども通って楽しい足跡巡りが続きます。

南吉の下宿先だったという新田地区へと向いましたが意外と町から離れていて今でこそ町並みの続く先って感じですが、きっと当時はキツネやタヌキが出るような藪地であろうし、明治用水が通ったこの地は新田の名の通り野っ原だったところが新しく耕地をして田んぼや畑に変遷していく真っ最中の安城だったのだと思います。
そんな南吉のアレコレを思いながら久々に出合った友との会話も楽しみ、弾む歩を押えながらでもスキップが止まらないオレのパチパチが続きます。


南吉の下宿先だったという黒壁の家は農業を営むこの地方の旧家によくある建て方で「長屋門」という広い地所の周りを囲むように塀を兼ねた長屋を作り、そこを馬小屋や農機具小屋にして真ん中に庄屋作りの住居を建てているのです。
これはこの地方が戦国時代には戦さの場になったりした時に小さな要塞となるようにと財力のある豪農たちの知恵から形作られたようですが「ここが
南吉の下宿していた部屋です」ってところも長屋門の一角にきちんと現存していましたし、門をくぐって中庭側からも眺めさせてももらいましたがもちろん何代後の方なのか普通に生活もされているコチラの家でした。(右の写真のママの立っている前の窓の部屋です)
更に歩を進め今度は市立新田小学校の校内へと入らせて頂きましたが、ここにも南吉の詩碑が有りました。(下のです)



    


        百姓家   おききよ この百姓屋からもれてくる ハモニカの声を
                   誰かが風呂に入りながら ハモニカを吹いているのだ 
                        ほら 湯気にくもった硝子窓に
                             小さなカンテラの灯が見えるだろう
                      あの灯の下でじゃぶじゃぶやりながら 吹いているのだ     新美 南吉

南吉はあの下宿先の部屋で詩や童話を作りながら、両手を広げるといっぱいくらいの路地向いの家の風呂場から聴こえてくるハモニカの音を楽しんでいたようですがパパの余談です。

   オレが20才代のころですが尺八に夢中になっていた時期が有ります。
   家で尺八の練習をよくしていたのですが、ママから「隣りのおばあちゃんの話しだけど
   「パパの黒髪が段々と上手になってきましたよ」って、おじいちゃんが褒めていたそうだわよ」って事でした。
   どうも隣りのウチのお風呂場と我が家の部屋が近くて、おじいちゃんがお風呂の中でパパのヘタな練習を聞かれていたようです。
   「黒髪」というのは地歌で尺八の練習曲としても使われる邦楽のポピュラー曲なのですが、新田小の校内の南吉の詩を読んで
   刈谷・小垣江の路地沿いの旧家の一角に間借りしていた若かりしあのころのオレ自身の思い出がよみがえった
   いっ時でありました。

南吉の詩を読み返したりした新田小学校を出てそろそろ腹減りモードかな?って思っていたら安城運動公園というところで昼食休憩となりましたが、その前から風に乗ってニギヤカな音楽が聴こえてきていて「ナンだろう」って思っていた理由が分かりました。
地域のお祭りが開かれていて「よさこいソーラン踊り」も披露されていたのですが、地元安城のこのチームの技量は全国区だそうで札幌や徳島の阿波や昨年の愛地球博などアチコチから参加依頼がかかるほどだそうで迫力のある踊りを見せてくれていましたが弁当も忘れて見入っていたパパです。


笑顔と迫力の踊りに見とれていたらいつまでも戻らないパパを敦子さんが迎えにきてくれましたが、強い風が避けられるグランドのネット裏で既に敦子さんや水野パパなどの手料理が並びミンナは昼食スタンバイとなっていました。
そのベンチに並べたおかずたちを「今日はバイキングで食べてネ」ってミンナで箸を伸ばし敦子さんの美味しいオニギリをパクパクしていたらまたまた持参のコンビニ弁当が食べられないほどお腹がいっぱいになった昼食だったのです。


今回は南吉のことをカキコし過ぎでみんなの顔が少ないかもですが南吉のふるさと半田からメガネ君も参加ですし、岡崎の植野さんもおられますし、西尾城主酒の神の大竹さんともお久し振りですが、一緒にお昼を過ごして午後のスタートとなりました。

今回のウオークで思うことですが「学校にこんなに簡単に立ち入ってイイのかい??」で、きっとリーダーの小森さんが事前下見で了解も得ているのでしょうが安城の学校巡りウオークってタイトルにしてもおかしくないくらいで今度は市立中部小学校の校庭へと進んでいく我々です。




中部小の運動グランドの前にも詩碑が有りここには「貝殻」という彼の詩が刻んでありました。

   
          「貝殻」   かなしいときは 貝殻鳴らそ
                        二つ合わせて 息吹をこめて
                                    静かに鳴らそ 貝殻を    新美 南吉

なんじゃ 辛気臭い 詩(うた)じゃのう・・・って感じる人も多いと思うけど、どんな強がりな人も深層の本当の心というものは弱いくもろいもので、そのことに気付く人も気付かぬ人も居るのがこの世の中なのです。


最近は「完歩」という言葉に引っ掛けて「観歩・歓歩・汗歩・感歩」などという言葉で、歩くことの目的や副産物の効用を語る人が多くなりましたが、実際には強く語らずとも既に日々のウオークの中でそれを実践もしからだ中で晩秋から初冬を感じている我々です。
でも今回の南吉の足跡という観点から碧海幡豆ウ協の地元であるここ安城で上手にこのコースを組んだリーダーの小森さんには座布団三枚なのでアリマす・・・今までにナイコースの組み方かもよ。。。


      敦子さんたちが立ち止まってコッチを向いている・・・どうしたのかな?
                                   カメラを向けるとVサイン??
                            アハハハ・ハ 遅れたママを待っていてくれたのです・・・そしてミンナの楽しい歩が進むのです。


北風に吹かれながらもこころが暖まる南吉と一緒に歩いた15キロを午後2時に本日のゴールである明治川神社へとやって参りました。
南吉は若くして病に倒れこの神社に祀られている都築弥厚のことを童話にしようとしながら道半ばの29歳で逝ってしまったのですが、スタートからゴールまで南吉尽くしのウオークでありました。


指差して読み方を教えて頂いているおもしろい柄の手袋の持ち主は阿羅漢さんですが「免以ぢか○はし」コレは「めいじかわはし」って読むんだろうけど○の「わ」と読む部分は「己」のような違うようなナンでしょうかね〜・・・でしたが、パパも岩村の道標でも「わ」の字がこれと似た表記をしていたのを覚えていますが一度調べてみましょうかネ〜
その本殿前の太鼓橋を背に並んだ右半分もアップですが、外野で笑って見ている方々もいるゴール後なのでした。


10月最終週にも一宮歩こう会の例会で南吉のふるさと半田を歩きましたが、こうしてまた南吉の青年時代を過ごした町を彼の足跡を辿って巡らせて頂けるコースを作られた小森さんたちに感謝ですが、ご自身も満足顔で明治川神社を後にします。
ゴールと言いながらここから旧東海道の松並木を通って1キロ以上を歩き名鉄新安城駅へと帰りましたが、豊田方面の方々は豊田・若林方面へと更に歩かれるとのことで、ミナサマ歩く事に関しては5キロや10キロ程度の余分はオマケだねってヘッチャラでテクテクされて行かれました。
そして我々はと言いますと駅で一旦「バイバイね〜」って言いながら・・・ちょっと安城で寄り道をして帰宅した「碧海幡豆ウオーキング協会」今年最後の例会なのでした。 ではではネ〜




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