岐阜ウ協2月例会「岐阜宿から黒田宿へ御鮨街道と総会ウオーク」の一歩たち 07年2月11日(日曜) 天気 晴れ 距離12キロ
コース = 岐阜金華山公園スタートして御鮨(おすし)街道へ 〜 岐阜宿 〜 中山道・加納宿 〜 笠松宿 〜 木曽川笠松湊(昼食) 〜 (JR木曽川駅)黒田宿ゴール

前日のお遍路ウオークで岐阜ウ協例会の情報を森さんたちから得ていて、2/11(日)はマイカーで一宮まで移動してJR東海道線で岐阜駅まで行き更に岐阜バスに乗って岐阜公園博物館前で下車しましたが、自宅からスイスイの1時間チョイで到着の金華山の麓なのでありました。
受付では今日の情報をくれた森賢三さんが居り「またまたパパに写されたら載ってまうでいかんわ」って嬉しそうに嫌がりVサインのところが本日の一枚目です。
そして昨日のお遍路でご一緒だった杉岡博士や垂井の伊藤さんや光崎さんなどとも岐阜城をバックに記念のパチリですが・・・ああぁ逆光なのかレンズの汚れか??
更には長谷さんがなにやら持っていると思いきゃ本日のウオークの小道具も登場で手の込んだ岐阜ウ協の面々ですが、この説明も今からしちゃいますからネ〜


長良川ツーデーマーチの会場でもあるココに大勢の人が集まっていますが、カッパの堀さんは「名古屋駅ホームで日本落雫会ウオーク行きの面々とバッタリで危うく向こうに拉致されそうだった」って会場入りでしたが、縁が縁を結んで笑顔が並ぶ皆さまと記念のパチリなどをしていたら開会式も始まった8時頃です。

金華山岐阜城を上に構えた立派な岐阜公園には雪吊りの縄もして有りましたが今年はサイワイに枝を傷めるような天候も無く穏やかな日々で、司会の方の「さあぁ それでは今からアスレチックを始めます」には笑っちゃいましたが、ママの体操も足だけはソレらしいけど気の入らぬストレッチで心は十分にほぐしている本日のようでアリマすデス!
会いだすと頻繁に会い会わずとなると半年も会わない放生さんともおはようのパチリなどをして、まだ空気の冷たい8時過ぎには開会式も終えてスタートとなり今から御鮨街道(おすしかいどう)という変な名前の道を歩くのですが、ではではこの名の由来から説明のパパですヨーン。

元々は江戸徳川家への献上の鮎の熟鮨(なれずし)を運んだ道を御鮨街道と呼んだそうで、長良川で獲れた鮎を日持ちを良くするために塩漬けにして濡らした米をお腹に詰めたりまぶしたりすると米麹菌による自然発酵で丁度食べごろの四昼夜後に江戸のお殿さまの元に届いたそうですが、の製法の熟鮨を5月頃から8月までの間に10回ほども繰り返し合計四千匹も江戸へ運んだというのです。
しかも冷蔵保存の出来ない当時に江戸の殿様への献上物の運搬で「先を急ぐ大義」を以っての人足には特命が与えられ、普段は日が暮れると閉まって開けぬ各関所も夜中だろうがなんだろうが「どけよ!開けよ!」のバトンリレーで岐阜から南下して東海道に入り東進で四昼夜の96時間ほどで天下の箱根も走って越えて江戸へ届けた道だというのです。
そして届いた長良川の鮎の熟鮨はお殿さまのお腹にだけではなく、各大名家や家臣への付け届けやお土産としても使われたそうですが、ドチラ様からも評判上々だったそうでゴザリマス。
さて本日の我々は黒田宿までの11キロほどですが、どんな道を歩くのでしょうかネ〜


熟鮨の荷を担ぎ「御用旗」「御証文」の書きものを先頭に広い岐阜公園の中を通って歩が進む我々が向かうのは史実からこの鮨を作っていた「御鮨所」という場所だそうですが「岐阜のことなら任してネ」って「知っている事以外しか知らないことはナイ!」と言う杉岡さんが、ココは岐阜市と中国の光州が姉妹提携で作られたいう中国風庭園で、アッチにはご本人がご幼少の70年ほど前(いや60年前だったか80年前だったか・・・忘れてしもた・・・)から既に有ったと言う、当時はハイカラであったで有ろうロボット水門だとのご説明にカメラを向けてはハイパチリと忙しいパパです。

長良川の川岸に近く当時から鵜(う)を使った鮎漁が盛んだったけど禄高も大きくはなく栄えた街では無かったという岐阜宿だそうで、中山道の加納宿や大垣などのほうがはるかに栄えていたという説明でしたが、ココで本日表題のウオークのセレモニーが行なわれました。
史実に近い現在は「泉屋さん」という熟れ鮨屋をされているお店の前ででしたが、往時を思わせる「出立の儀」を執り行い役員スタッフの鷲見さんたちが使者として読まれた一文を披露しますが、江戸までの宿々への到着時間を記録する帳面なども持っての旅立ちだったそうです。
しかも毎月二回ほども送り出す「熟れ鮨」ですが、お上の元へ届ける大事な品でしたので毎回仰々しくもかしこくも伝達の口上を朗々と読み上げての出立式を上手に小道具も並べての再現なのでありました。
コレにはウオーク参加の一同も大拍手と大笑いの朝8時20分だったのです。





それでは皆の衆 しゅったつぅぅ〜

いよいよ御鮨街道という笑っちゃうようなネーミングの道へと歩を進めますが、この街道には歴史がいっぱいで材木町という地名の所では碁盤や将棋盤の材料となる榧(かや)の木が建物に立て掛けられるように自然乾燥をしていたり、八代家光が行なった節制策の天保の改革の時から作り出したという和紙にロウを塗った紙の鯉のぼりを今も作っているお店などもありました。
そんな道々の歴史を地元岐阜の方々からも聞き歩いていましたが、上手に作ったネって言うこの熟鮨の荷を担ぎたいようで恥かしくて担ぎたくないミンナが交代で持って先頭を務めていましたが、大好きな大垣の辻さんが御用旗を持った時にはすかさず前に走って行ってパチリのワタクシです。


歩いている時から気が付いていたのですが若いお母さんと可愛い娘が一緒に歩いていて途中のトイレ休憩で声を掛けると東京から夜行バスで「愛知・岐阜」まで500選ウオークの歩きを求めて来たと言うではアリマセヌか!
ジックリと名前を聞いたり住まいを聞いたり果ては血液型まで問い詰めるパパでしたが直ぐに親しくもなりお互いに名刺交換もして、ホームページを持っているけど「ハリコはOK」って聞くと「美人に写ってたら」というお母さんや、照れ屋の一年チョイでIVV1000キロを達成していると言う可愛い娘二人に長谷さんから本日の小道具などもお借りしてハイチーズの一服なのでした。


岐阜宿から初めて歩く御鮨街道は右も左もキョロキョロで「ここが美味しい」とか「ここは代々料理屋で」とかご一緒ウオークの方々に教えて頂き、ウオークの途中じゃなかったらそのままお店に入りたいところもいっぱいの道々でしたが、途中から中山道を通り加納宿へと到着を致しました。
鮮度維持のために長距離を短時間に運びたくて人の交代も必要でしたでしょうし、確実に定刻通りにお上の献上物が渡り歩いたのかを確認する意味もあり宿々で口上を披露の御用行列のようですが、到着した加納宿でも口上の受け渡しが始まりました。
パパが極秘にバッチリと捉えたこの口上文たちですが、皆さまも歴史の一旦をご覧下さいネ〜・・・これが次々と宿々で繰り広げられ必死で走ったであろう使者たちの四日間なのです。


歴史凝縮の道を歩き笠松の街へと入ってきましたが笠松問屋前で再度の口上披露などもして、先月末の「一宮歩こう会」で来た見覚えの有る杉山邸笠松町歴史民族資料館などの前も通って昼食場所へと向かいます。
パパママはお弁当無しでしたので「ドコかお店にに入ろうか?」などとも言っていたら偶然にも和菓子屋さんに赤飯とおはぎが売っていてコレを手にしてアンカーより遅れて木曽川の河川敷に向かったのですが、途中でおばあちゃんが「ドコから来てドコに行きよるね」って声を掛けてくれ丁寧に説明のママに「あんたの奥さんかね 優しいのう」って、そして「元気でのう〜」って言って頂きましたがオレもおばあちゃんに「元気でね〜」ってエニシの嬉しさにパチリのパパです。
道をただ歩いているだけだと何気なく通り過ぎてしまうけど、ちょっと声を交わすだけで相手からも声が掛かり一日が楽しくなれるし心が暖かくなれる・・・そんな日々を目指している訳では無いけれど自然に手を握って撫ぜて短い時間のスキンシップを大切にするパパママのウオークなのです・・・おばあちゃ〜ん お元気でネ〜


お昼休憩は木曽川河川敷の笠松湊(かさまつみなと)と言い「宝江の渡し」の渡し舟に乗って渡ったと言う木曽川を眺めてのご飯でしたが、冷たい風をもモノともせずに笑い声を響かせてカッパさんやママのメル友の岩田のとしちゃんや大垣の辻さん・垂井の伊藤さんなどと並んで、パパが伊藤家の食卓と呼ぶ一宮の伊藤ファミリーからはおかずを山ほど頂き買った赤飯も半分を残したほどの昼食休憩でアリマした。
食後は顔は見覚えがあったけど会話らしい会話の少なかった岐阜の規乃ちゃんとも親しくなり、お互いに名刺交換などもしたりして次から次へと友達の輪が膨らんで参ります。

そして東京から来た親子には腹いっぱいで食べ残した「おはぎ」を、さも「わざわざ君達のために!」って恩着せがましく渡すなど、一旦はリュックに入れたのを再度出させて証拠写真まで押えるオレです。
でも傍若無人そうに見えて実は繊細なパパの微に入り細に入る「こころ細やかな荒っぽさ」は一つの芸にも達していると自負ですが・・・あくまで自負のみのコレまたオレです。


今も古い町並みを残す笠松の食事休憩場所になった笠松湊(かさまつみなと)は、木曽川を使った海路としての交通の要所となり年間に万を越える船が出入りをして近隣に無い大港として御鮨街道と共に栄えていたそうで、廃藩置県で岐阜県になる前の明治維新ころには「笠松県」という名前で県庁を置く岐阜の中心地だった場所だそうですヨ〜
そんな歴史凝縮の場所で食事を終えて木曽川を渡ってゴールを目指した我々ですが、背が高くてお母さんを追い越すのも間ナシかもって思う睫毛が長くてカワイイ東京の彩っチは「でも一番前なの〜」って、今のお子達の成長のすごさに感心をしてウオークフォトを撮るパパです。
そして午後1時にはJR木曽川駅に到着となりましたが、お昼休憩時にIVVや500選の認定印ををもらい忘れたために岐阜ウ協の総会会場まで行くことになった東京からの彩っチ親子と別れてバイバイとなり、12キロの短いウオークを楽しんで午後の二時には帰宅してレポートを開始した日曜日なのでありました。
ではでは これにてネ〜




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