第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期間 = 2007年2月10日〜6月23日まで10回に分けて基本日程は「第二・第四土曜日」開催
         運営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  19番札所から十カ寺を巡拝  07年3月10日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 20キロ
   集合 JR武豊線・乙川駅(AM8:30) → 19番・光照院 → 20番・龍台院 → 21番・常楽寺 → 22番・大日寺 → 23番・蓮華院                 
 → 24番・徳正寺 → 25番・円観寺 → 番外・華航寺 → 番外・影現寺 → 26番・弥勒寺 → 名鉄河和線・河和駅ゴール(PM3:30)

パパのダラダラのレポートの事をヒゲおじさんからもからかわれ「あんまりレポートが遅いと忘れるだろう」って言われますが、脳裏の裏に(それでは元に戻っちゃう)焼き付いたあの日あの時の一瞬たちは、パパのこころの奥底にシッカリととどまって居てくれる思い出たちです。
さてさて暖かなお遍路日和の本日(3/10)はママも朝の受付係りということで一本早めの電車で到着なのですが一番乗りだと思ったら、年寄りは朝が早くて(失礼さまです)更に一本前の電車で到着組も居る賑やかなJR乙川駅前なのでした。


今回からの「役の持ち回り」で今日はヒゲおじさんがコース先導で旗手は武豊・六貫山の立山さんでアンカーはハイブリッジさんがお勤めとなって定刻の八時半にイザ出陣ですヨ〜ン♪
足軽パパは黄旗班で最初から大きな交差点でお仕事をしていて最後尾となりましたが、その最後尾を定位置にしたように弥富金魚の柴やんや木村の親分が歩き、更にその後ろにはナビ野儀さんもいて今回からは楽隠居を決め込んで居られるようです。
オレはまだまだ早過ぎると思うけど「そろそろ若いモンに任せなアカンでな〜」って言われるこの方々ですが、イザとなったら先頭に立って仕切ってくれる頼もしい方々で、弘法サマの前にこの方々の手の平の上を遊んでいるワタクシかもしれません。

今日も一緒に歩かせて下さいネ〜って言ってたら、スタートからここまでの道ならば片目をつぶっても歩ける19番・光照院さんへとやって来た8時45分です。
そうそう ママは納経帳の世話係りもする本日のようです。


光照院を出て10分も行かず「ココを曲がるんだっけ」とか「そっちだっけ?」って大きなマンションが目印のはずなのに細い路地がいっぱいで、でもどう間違えても行き着くところには間違えようのない20番・龍台院さんへと9時10分ころの到着です。
毎回ウオッチのコヤツ等ですが可愛いお地蔵様が並んで我々を迎えてくれイブキの木の中には可愛い顔のチビ弘法さまが居られるし、五円が取り持つ愛情と花がいっぱいの境内なのです。

パパは講釈師のようにココに吊るす五円(ご縁)の事をミンナに説明をしてあげましたが「皆の衆 よく耳をかっぽじられよ!今境内に飾られているこの生花もミンナが吊るすその五円が浄財となって花として開いているのですぞ」・・・ナムナム・オッホンなのです。

お遍路をウオークレポートにして再度ネット上を歩かせるパパですが、自分自身が歩いたあの日の事をハリコと共に文章にして残すことであの大切な一瞬たちを心に深く刻む毎日です。
弘法堂のお参りも済ませ、そんな境内を後にして名鉄の踏切りを渡り曲がって大通りを南下すると9時45分に
21番・常楽寺さんに到着となりました。
納経帳の受け渡しですが何がそんなに楽しいのか・・・お遍路などと言うと根暗で神か仏に頼る現実逃避の行脚のように思われるかもですが、心を解放し合える者同士が一緒に過ごす、まるで無邪気な子供たちの休み時間のようなニギヤカさです。


ヒゲおじさんのHPを読んでいたら「知多半島全域の寺院を統括する常楽寺である」とか「来年の二百年祭には主会場になる」ってご紹介でしたが、この地方の季節の指標としている境内の彼岸桜も花を終えかけていました。
お遍路四年目にしてこのように咲いた彼岸桜のその後というものを知りましたが、まだまだ知らない知多半島の春の移ろいです。
でも形有るものは壊れもし咲いた花が朽ちるのも世の常で、全てのものがこの世の先生となって様々なことを具現化してくれていますし自然は森羅万象の凝縮のようです。
さあぁ またまた半田からみいちゃんの住む武豊へと南下しますヨ〜


名鉄の線路と並行するように一本道を半田から武豊へと歩を進めますが、途中のコンビニでは昼食お弁当も買い込んむパパたちでドコで弁当を調達すべきか段々と熟知もしてきたお遍路道中です。
そしてパパたちが住んでいた頃は成岩(ならわ)という駅名だったのが青山という駅名に変わっていて笑っちゃいますが、確かに「あたしゃあ・ならわで電車に乗っただわさ」って言うより「わたくしはあおやまからご乗車よ・オホホホ・ホ」って方がイイ感じかもだけどネ
その青山駅の横も通ってまだ咲くには早過ぎの小川沿いの桜並木も通って「上げ駅」手前の踏切りを渡ると
22番・大日寺さんへと到着が10時10分なのでした。
木村の姐御の先達の声が響き渡る境内で「ワタシで間に合うかしら」と言う「間に合う」というフレーズがなんともイイ感じの鶴田ママと我がママコンビのお世話係も真面目にお仕事です。


大日寺さんに到着した時間に合わせるように武豊在住でウオーク仲間の青木さんが自転車で来てくれましたが、毎年恒例のようにお菓子などの差し入れをして頂け、今回は青木さんご自身が作ったと言う「サルボボ」というマスコットまでもが「全員に一つづつね」ってオマケ付きなのでした。
さあぁ 目と鼻の先で雑談をするヒマも無いほどの400mほどで
23番・蓮花院さんに到着の11時05分ころですが「いやあぁ・春は名のみの初夏じゃんか」ってはっきり言って暑いデス。

我々の到着を嬉しそうに待っていてくれお接待を下さる武豊の青木さんと一緒に大日寺さんから移動をして、蓮花院さんの境内でも御礼記念のパチリもするパパですが本当にごちそう様でありがとう・・・モグモグ・パリパリって煎餅を口にくわえながらのモグ・チーズです。
そして蓮花院さんがちょうどお腹の虫が鳴き出す時間で、年寄りは朝が早いけどウオーカーはお腹が空くのも早くて境内にドッカと腰を下ろしてランチタイムなのですヨ〜ン。


食事を終えて蓮花院さんを出たのがちょうど12時で懐かしい武豊駅前商店街を眺めたりもして、パパママが住んでいた町だけにナビ野儀さんが先頭に居ずともそして地図を見ずともスイスイで、黒壁の細い路地の曲がり角もバッチリで12時20分に到着の24番・徳正寺さんです。

お腹が減っていても満腹でも変わらぬ木村の姐御の先達で歌う般若コーラスですが、漢字ばかりがイッパイで何の意味やらどういう事やら、同じ言葉を繰り返しているようでそうでもないもんだから、ついついいい加減に歌っていると間違えたフレーズに飛んでしまって何処を歌っているのか分からなくなる
でも、腹にいっぱいの空気を貯めて徐々にその空気を使いながらナムナムを繰り返し苦しくなるまで歌い続ける・・・目が回りそうになるまで腹の底の空気を吐き出し、またイッパイの線香味の空気を吸ってナムナム・ナムナム・・・空が青いのう〜


毎年毎年次から次へと巡る遍路寺たちですが、先頭にナビ野儀さんと愛歩小旗を背中のリュックにさした猪又御大が居られ最後尾に大代表の奥田さんが赤旗をもって歩く・・・パパたちが参加した時からずぅーっとその形だったのでナンか違和感を感じない訳でも有りませんが、時が巡り時代が流れると言うことはこういう事で代々引き継がれて行く知多遍路です。
ヒゲおじさんや愛歩旗の立山さんが先頭を歩くのが似合うようになって、ハイブリッジさんのアンカーも雰囲気が出てくる頃までずぅーっと歩き続けたいこの道たちを、大人しく照れ屋の山本さんがパパカメラにVサインをするようになったらオレのカキ回し遍路ウオークも本物となって参りますデス。


カメラを持って飛び跳ね歩くオレに最後尾を歩く岩田さんからも「パァパ〜・おぶってよ〜」って声が掛かったりもして、12時50分に到着の25番・円観寺さんに一番最後に境内に入ったパパですが、真新しい石仏が入魂前で白い布で覆ってあり「ありゃりゃ怪我でもしたかね・全身打撲だネ〜」などと誰も耳を傾けず相手にもしてくれないバカ話しをして歌詞カードを出して既に始まったコーラスの後を追ったのですが・・・
ママが携帯カメラで何かを撮っているので行ってみると、石に書いた可愛い達磨さんや仏さまたちです。


お参りを終えて花いっぱいの境内で一服休憩となりましたが、このお遍路を通じて覚えたミモザという木の黄色い花が超満開でワーオだったり、名前は分からないけど「八重が面白いわ〜」っていうママがまたまた携帯カメラで花のパチリなどを楽しんでいました。

そして出発前に納経帳係りのママや植野さんたちが「やっぱり一人足りないわ〜」って言っていて、ふと「ああぁ オレが100円出してなかったヨ」って気付き「じゃあぁ パパ自分で出して来てネ〜」ってママや植野さんも言うんです。
そこで「ハイ・ハーイ」って何気なく納経所に行き「100円出すのを忘れていました」って置いて来たオレですが、お寺を出て暫らくしてから「あれぇ〜・考えたら納経帳も出してなかったわ」って、ハンコが一つ足りない円観寺さんだったのです。

ママからもナナメ目線で・・・ (¬_¬) ジーーー☆ーーージ(ーー;) アセアセ

でも十年も住んだ我が子らの故郷のような武豊南部・富貴の町に「またおいでよネ〜」って弘法さまが仰っているんです。。。


富貴の町を抜け元の我が家方向も眺めつつ長く続く田んぼ道を歩いていますが、吹く風が暖かく心も体も軽くなり海も見えてくる布土(ふっと)地区です。
ナンにも無い道だけど時折り家と家との間から青く輝く海も見えたりして知多半島を南下していることを実感の午後1時過ぎですが、今年初めてご参加の皆さまにはどの様に感じるお遍路道中でしょうか。





ボロ屋根の 中で無言の 説法は 幸も不幸も 己が決めよと

お遍路道中で甲乙を競うボロ寺の不思議さを感じながらお邪魔した13時40分の番外札所・華航寺さんの藁葺きの庫裏がこの一年で酷さを増したことに驚きなのでした。

今日も納経帳を入口で預かっていたママたちに、悪意は無いのだろうがご朱印代として100円を渡すのを間違えて五円玉を渡した仲間が居たようで、ボロ庫裏の社務所で押印をされていた住職にその事実を伝えたら「誰にでも間違いは有りますよ」って、その半端な五円を受け取られ全員の納経帳にご朱印を押して下さったというのです。
清貧という言葉が有りますが人の道を説く仏道に仕えて、雨の日も屋根の役を為さなくなり、冬の寒さにも風が完全に家の中を吹き荒れるであろうお住まいで寺を守る方々・・・オレは合わせる手の横の社務所にお大師さまが座って居られるのでは・・・って深くナムナムなのでした。

華航寺さんを出てこの後は本日のお楽しみでもある「大砲巻き」のお店「飴文」さんへと大通りの海コースを歩を進める先導のヒゲおじさんですが、いくら大砲巻きの味が恋しいからと言ってもちょっと急ぎ過ぎじゃナ・ア・イ
このお店とは親しくもなっていてナビ野儀さんが事前に訪問時間の連絡もしているようで、既に上手に切って並べた名物の和菓子が用意され、塩味がこの菓子に合う桜の葉の浮くお茶も用意してくれているのです。
大砲巻きを食べて温かいお茶もいっぱい飲んで身も心も癒されるひと時でしたが我等の番々外の札所にもなっているココです。





大砲巻きのお店を出たのが14時半でしたが、知らぬ間に青空だった空に薄雲が出て
それに合わせるように海の色も変化していた店を出て直ぐの影現寺さんへの急な登り坂です。
納経帳のお世話が有り前のほうを登るママやミンナもちょっとバテ気味で
そんな時こそ俄然エンジンの掛かるオレが 一気にダッシュで駆け登り
下のミンナにカメラを向けて「みんな頑張ってネ〜」なのです。

急な坂を登りきった見晴の良い番外・影現寺さんですが、写真を撮るのを止めたけど同じ番外札所で有りながら屋根が朽ちるほどの華航寺さんとここ影現寺さんの天と地ほどの違いに驚くほどです。
広大な境内に大きな石仏が並び立ち、本殿も大きいし真新しい庫裏屋も建ち、片や藁屋根に大きな穴が開くほどのところでお遍路の人々の納経帳のご朱印を押印されている。
貧富の差がこれほど歴然としていて連なる番外札所たちを見て、オレは勝手に立派なこっちの方が絶対に良くて、あのボロ寺が大変だろうって思ってるけどそれが正しいのか正しくないのか・・・生きている裸の自分と向きあった時、抱えている形有るものだけで人の真実は分からないのかも知れません。





今日という 二度と来ぬ日が 有ったこと こころに刻んで 歩く夕暮れ

影現寺さんを14時55分に出て一旦は山手を通る名鉄・河和線を眺めつつ里山のようなところを歩き向うは本日最後の札所になりますが、今朝乙川を出て半田の町を抜け武豊の町も一直線に南下するように抜け河和の町へと向っていますが一気に南下をした本日です。
鶴田ママや植野さんは納経帳係りの一日で、真ん中写真の岡本さんは碧海幡豆でパパママとご一緒が多い最近ですが、聞くと我々がこのお遍路を始めた「第10回目の時に初めて参加したんだけどオヤジが倒れて途中で断念したんだわ」って事で「三回忌を終えてもう一度続けようと思ってね」って本日ですし、タローおじさんもこのお遍路に欠かせない方です。
一緒に過ごせる仲間が居てヒイヒイ言うような距離にも登り下りにも負けず一日を歩き通す遍路路ですが、この仲間に不思議な連帯感が生まれてくる日々です。


大垣の辻さんが歩き、やはり今年はご一緒が多い弥富金魚の柴やんが行き、その後のほうをナビ野儀さんや木村の姐御や下を向きながらVサインだった山本さんも歩を進め、更に後には「パパに声を掛けてもらえて何とか歩けたわ」って言う河西さんが歩を進めます。

15時10分に本日最後の26番・弥勒寺さんでしたが葬儀が執り行なわれていたようで我々が到着した時には終わった後の片付け最中でした。
遍路寺を巡っていると葬儀と重なることも多々有りますが、この世に生を受けた時から誰もが背負う旅発ちの時で、弘法堂に向う木村の姐御の透き通る般若心経が一段と声高だったように思ったのは本日最後の遍路寺だけのせいでは無かったようです。

ではでは 弥勒寺さんの境内で解散式も済ませた我々ですが、コレにて三日目を終えますネ〜




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