第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期間 = 2007年2月10日〜6月23日まで10回に分けて基本日程は「第二・第四土曜日」開催
         運営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  番外・浄土禅寺から十カ寺を巡拝  07年4月14日(土曜)  天気 曇りのち晴れ  歩行距離 23キロ
集合 名鉄河和線・河和駅(AM8:30) → 貸切バスにて師崎まで移動 → 番外・浄土禅寺 → 40番・影向寺 → 41番・西方寺 → 42番・天龍寺         
 → 43番・岩屋寺 → 番外・奥之院 → 45番・泉蔵院 → 46番・如意輪寺 → 44番・大宝寺 → 47番・持宝院 → 名鉄内海線・内海駅へ(PM4:20)

4/14(土)日の出が早くなり朝5時には外も明るくなっている我が愛知・小牧ですが、毎回の如くにウキウキ気分で前回ゴールとなった知多半島の突端へと行くべく名鉄・富貴駅で電車を乗り換え、下車した河和駅からはお世話役に手配をして頂いた「愛知県ウオーキング協会」と書かれた貸切バスへと乗り込みますが、タダでは乗せない門番のお金徴収係り・奥田さんと片岡さんの愛歩大先輩なのです。
そして二週間前に自分たちの歩いた道々や海の風景ををバス車中から眺めつつでしたが、我ながらに歩く足というものに感激をするほどの距離をバスに乗っていました。

前夜からの雨も上がるとの天気予報だったけれど、まだ黒いどんよりとした厚い雲を見て「いやいやまだワカランよ〜」って思う我々でしたが、本日のコースにも晴れコースと雨コースが有り先導のナビ野儀さんがどっちを選ぶんだろうと思いながらのバス車中でした。
そしてバスが停まったのは「活魚の美舟」裏手で本日は山コースを行くようです。
狭い藪地を使って出発式もしてストレッチもする我々ですが、正しい遍路道を示す道標をナビ野儀さんに教えて頂きながら地図にもない道無き道?を野儀さん頼りで山の中へと歩が進みます。
さあぁ みんな〜 足下に注意をして滑らんようにネ〜・・・って、最初からのワイルドなコースにはしゃぐワタクシなのです・・・良い道だな〜♪





一歩づつ ただ一歩づつ 踏みしめて 無心の中に 清々の感

今は海岸沿いに立派な国道も通り歩き遍路の人以外に通る人が居るのだろうかと思うような背丈を越える笹薮の中を掻き分けるように歩いたり、先導が居なかったら心配で一歩も進めないようなところも通っていますが、200年前の開祖の方々道を開かれたころの海岸線は断崖と荒波の岩場たちばかりで、選択肢のベストがここだったのかもかもしれません。
きれいな遊歩道よりもこの様なところを歩く事で「こころの充足感」がより得られ、これってやっぱ遍路だよナ〜・・・って往時を思わせるようなけもの道にも道標を見つけてホッとする我々なのです。


道なき道を藪をかき分けて登りきったところの平地には菜の花も咲き畑も有りましたのでどこか他から車でも来られる道が有るようでしたが、今朝のスタートはナビ野儀さんが先頭でアンカーを奥田さんが務められる正統派の隊形でお遍路コースを進む我々です。
空にはまだ黒い色の雲も居て我々を見下ろしていましたが、高台から眺める西の空が俄然明るくなって来たので「これなら良いかもね」って進む歩の先は、まるでジェットコースターの天辺から下のような道なのです。


せっかく人の気配のあるところに出てきたかと思ったら、またまた急勾配の道なき「コレは絶対に道ではナイ」ようなところを下って行きますが、頭の上でも人の声がするし足の下からも声が聞こえてくるような傾斜地です。
でもこの道無き山中が間違いなく正しい知多新四国のお遍路道であることを示すように、倒れて埋もれながらも我々を導く道標が待っていてくれたのです。
来年は開基200年祭を迎える知多新四国ですので誰かが直されると思いますが、もし埋もれたままに直らなかったらオレがスコップを持ってきて真っ直ぐに立て直してやろうと思う道標なのです・・・ナムナム・・・段々と明るくなってきて下界の空気だヨ〜ン


ひと山越えて本日最初は番外・浄土禅寺さんですが、最後尾を歩いていた「名は体を表さない」ってからかうその名の通りの細井さんや、55キロ下見ウオークの先頭を引っぱった岡本さんも居るしもちろん先達を務めて頂く木村の姐御も居られ、アンカーの奥田さんにも入って頂きハイチーズの下山後です。
お参りもして佐藤さんや河西さんとのスナップ撮るワタクシですが、この一瞬のアレコレをこころにも記録にも残したい全てなのです。

番外・浄土禅寺さんを出て、三島由起夫の潮騒の舞台となった神島などが浮かぶ伊勢湾を望みながら海岸沿いを歩く我々ですが、怪しげな雲がどんどんと東に移動して海の色が映える青空が濃くなってきました。

                       ただ歩くことのみが楽しいのではなく
                         あなたと一緒に歩幅を合わせ会話を弾ませることや
                           山あり海ありの風景に包まれて笑い合う
                                この心地良さが共歩きの真髄なのだ
                                   さあぁ 次のお寺でも弘法さまが待っておられる


「弘法さまが待っている」などと言いながらその前に恒例の豊浜漁港の魚ひろばに寄る我々ですが、ワタクシも早やこの道四年のべテランでお昼のお弁当用に「たこオニギリ」と海から上がったばかりの「鮮魚のフライ」を調達に走り、ママはと言いますとのんびりと豊浜鯛祭りのミニチュア飾りを携帯に収めていた10時20分ころです。
市場の中でジャコ類や海老せんべいなどの試食品も口に放り込みながら適度な休憩もして、漁港の町独特の狭い路地たちを進む我々です。


知多半島西側の豊浜近辺では海に大きく山がせり出し小さくある平地に蜜集するように民家が詰まっていて、今は海沿いに広い国道も走っていますが、一本路地に入ると過ってはその必要もなかったのであろう両手を伸ばすと左右の家が手に触れるほどの道幅が続き、これが正統派の遍路道ともなっていて道標が残っているのです。
200年前の開祖者たちが歩いた当時のことや、海を生活の糧として暮らしていた人々を思いながら歩いていると10時50分に浄土禅寺から4キロほどの
40番・影向寺さんの境内へとやって参りました。
お参りを済ませ進む歩たちですが、弘法様とお遍路仲間と一緒に巡る知多半島です。





青空に 同じ色だと 海が言い 潮の香に乗る 風も歌うよ ・・・心地良い4月半ばの西之浦地区です。

三河湾側を山手や海沿いと繰り返して知多半島の先端部まで来た今までの四日間から、今度は伊勢湾側を同様に山手や海岸線を出入りして進めるお遍路の道です。
左写真で想像が出来るかもですが、道路の無かった昔は荒磯の岩場伝いに波を避けながら歩いていたであろう往時が忍ばれる地形を進む我々です。
もともとお遍路というものは今の時期が本来で、俳句の季語でもただ「遍路」という言葉を使う場合は春を示し、秋の場合は「秋遍路」という風に季節を足すのだそうで、波が比較的静かなこの時期に開基の方々も歩いた200年前なのだと思います。
さあぁ 何だかんだと歩いていたら11時40分に山海海水浴場が目の前の
41番・西方寺さんへとやって参りました。

大きく深呼吸もしていっぱいに肺の中に潮の香のする空気を吸い込み歌うナムナムですが、どこで切って息継ぎをしていいのか分からず水中に長い時間を潜った後の息吸いのように思いっきりまた息を腹の中に入れるオレです。
そして先達の木村の姐御が歌うのを目で文字を追いながら探す歌詞カードですが、覚えたようでいまだに覚えられず判らなくなるとムニャムニャ・ナムナムって言っているオレを、今日は世話役から解放されて横で一緒のママが笑います。

西方寺さんの境内で昼食休憩を済ませ再スタートが12時半でしたが、先導のナビ野儀さんたちをパチリとしようとしてたら、野儀さんが「風の無い時に撮ってよナ」「風が有ると下向きでしかめ顔になっちゃうでヨ」って言います。
「ハイハイ 笑顔のいい顔のを選んでハリコしますネ〜」ってワタクシですが、一旦は海岸線から離れどんどんと山手の半島中央部へと向って歩が進んでいます。


西方寺さんを出て山手に進む先には42番・天龍寺さんへと到着が12時45分ころで、山門先で待つ本日の世話役はこの方々がお務めなのです。
各人を左からご紹介ですが、ママの横は今朝掘りたてだというタケノコを持って来て頂き朝から俺のリュックを重くしている宇佐美さんで、その横が今年は安かった青春キップで遠くへ何度も足を運んだ久恵さんで、桃色の益子さんは世界各地を歩かれて今は地元をネって言う今日このごろなのです。


四年経ってもまだまだオヨヨと驚いたりヘエェエ〜って感心したりのお遍路道中ですが「この知多遍路、知らないこと以外は全てを知っている」と訳の分からぬ自負のオレにもまだまだ知らぬことだらけで、四年目にして初めてここに居られる事を知ったワタクシなのですが・・・
誰の作やらオレと同じ笠帽子をかぶったナンともステキで穏やかなお顔の「愚痴聞き地蔵尊」というお地蔵様が境内横の狭い場所に静かに立って居られたのです。
今までの四年間もお地蔵様のことを気付きもせずに山門から本堂や弘法堂へと行き来するパパたちのガヤガヤを静かに眺めておられたのでしょうが、しかもこの穏やかなお顔で愚痴までも聞いてくれるというです。

このお地蔵様の前にどっかとあぐらで腰を下ろし、一升瓶を片手に湯のみ茶碗になみなみと注いだ酒をすすりながら「オレの愚痴を聞いてくれ〜」って言う自分や「日が暮れたでもう帰りゃあ」って言われちゃうオレ自身を想像が出来ますが、でも今のオレに愚痴など何が有ろうか!?・・・オレが地蔵様の愚痴を聞いてあげたい可愛いコヤツともお友だちになった天龍寺さんなのです。
さあぁ 更に向うは、桜の花が懐かしい山の奥へとドンドンの歩が進みますデス。


離れがたかった天龍寺さんの愚痴聞き地蔵尊君とバイバイをして共歩きの笑顔の皆さまと進む桜並木の先は43番・岩屋寺さんへと1時05分の到着なのでした。
ここでは納経帳のスタンプが二つでしたがお参りを済ませ、先にここで押して頂いた番外札所の岩屋寺・奥の院
へと、腹も満足だし足も軽いしこころはなお軽くウキウキ気分で歩く我々です。

岩屋寺から進む先には杉樹林の中に朱塗りの三重の塔が見えますが、その奥が断崖の様な岩壁になっていてコンクリートで作られた階段を登っていった場所が奥の院です。
知多半島を歩いているだけでもたくさんの社寺が有りますが、そのそれぞれに社寺の生い立ちや歴史が凝縮されているようで、何も聞かずともその場に立つと感じるウン百年の歴史の声たち、この
番外・岩屋寺奥の院さんにもそんな空気がいっぱいなのです。

岩壁に建つお堂の中で木村の姐御の静かで透き通るでも力強い声に誘われて歌う我々のナムナムは、前の石壁に反響をして歌う自分たちを優しく包むように返ってきますが、こころが洗われるような気持ちになるのはワタクシだけでしょうか。

奥の院から一旦は来た道を戻るように先ほど参った岩屋寺さんや愚痴聞き地蔵尊君の天龍寺さんの前も通って進む歩ですが、今年も路辺のお地蔵様がパパたちが来るのを耳を澄ませて待っていてくれました。

                       「また来たよ 君に逢いたく 来たんだよ 元気だったか 変わりはないかい」

進む先の蛸城地区にお遍路寺ではありませんが、龍江寺さんというところの山門前にこのような掲示がありました。
日常生活を過ごす中で「こんなの当たり前だよ」とか「それは当然でしょ」って思う感性が有る人はまだマシで、人は何気ない自分の周りの日常の全てに無意識となり自然の摂理にさえも無関心となってしまう。
今あなたと過ごすこの一瞬たち 大切で大事だし、嬉しいし楽しい・・・だからオレのカキコとハリコたちがどんどんと長ったらしくなるんだよナァ〜
でもいい笑顔の河西さんがオレの前を歩かれているでしょう〜♪


ナビ野儀さんの先導で安心して付いて歩く我々ですが、この道が200年前に開創の導師たちによって知多新四国の遍路道として開かれもので有ることを確認する道標の場所を野儀さんが教えてくれます。
先に走って行き撮った一枚はちっとピンボケですが、更に進む先にも道標が木に下がります。
この知多新四国お遍路の全ての道を歩いてお参りする方がどれほど居られるのか分かりませんが、今は車などで巡拝されたり比較的整備をされた新しい道を歩く方が多いのかもしれません。
オレだって一人では道を分かっていても絶対に入り込まないような道たちで、特にこの五日目のコースはワイルド過ぎるし大っ嫌いな○ビ君などと出会ったら腰を抜かすだろうけど、自然がいっぱいですいませんさんに教えて頂き覚えたキレイなシャガも咲く藪の中です。


今日のひと山越えはいきなりスタート直後の浄土禅寺さんへでしたが、本日のふた山目をエンヤコラさのエンヤラさで出す足も重くなるようなキツイ登りを上り切ると、切り通しを越えた先にはジグザグに降下で右写真の我々の足の下を先に行く方々がお分かりでしょうか。
もくれん茶屋との別名も有る
44番・大宝寺さんへと、裏の山からそのまま飛んだら大宝寺の屋根の上へ乗れるのではと思うような高さの所を一気に下って行きます。

たかが四年目ですが同じような時期に歩いているのに暖冬だったり厳冬だったり、四季折々の気候とともに共生をする自然の草木には彼らの都合というものもあり、既に花の時期を終えて新緑の青葉が繁るもくれんの木の下でのお参りは午後2時半過ぎでした。
そして緩やかながらも下りの道を真っ直ぐと進み、知多半島から伊勢湾に流れる数少ない内海川沿いに内海(うつみ)の街に出て
45番・泉蔵院さんへと3キロほどを歩き3時15分頃に到着の我々なのです。

陽が傾く午後3時過ぎ二つの山越えもして疲れも出て前後を歩く人の間が離れ、本日の納経帳のお世話係りの方々が首を長くして後続の方々を待ちますが、当然に前の方々の納経帳も預かるために自分たちも先頭付近を歩かねばなりません。
宇佐美さんは初めての経験で「今日は緊張で疲れたわ〜」って後で言っていましたが、立場を代えて過ごす一日は相手の気持ちになってその状況を見ることが出来るし、今年から始まった「みんなで運営していこう」という知多遍路が形となっている今回なのです。
でもやっぱりナビ野儀さんが先導で進むこの隊列が絵になると思うパパですが、今日の会旗先導は立山さんがお務めで泉蔵院を出た我々は内海川を対岸に渡ります。
河口部の橋を渡ったその先には「唐人お吉生誕地の碑」なども有りましたが、お吉こと斉藤きちさんが四歳の時まで住んでいた内海だそうで船大工の父の仕事の都合で家族で引っ越した下田だったそうです。
などと聞くお吉の人生に耳と目を向けていたらヒゲおじさんが「これを海に放ったろうかナー」ってドコかで見たような納経帳が・・・ワーオで有りましたが、パパは安全班で黄旗作業の為に早めに出た泉蔵院だったけどママもすっかり忘れていたようで大事な納経帳が宙に舞う前にギリギリセーフで回収をしたワタクシなのでした。


アンカーを奥田さんが務め先頭をナビ野儀さんが行く落ち着いた雰囲気の本日ですが、パパがアンカーを務めた時は赤旗の棒で後ろから背中を突付き「ほれほれ・頑張って歩かんかい」などと半分冗談ながらも「やっぱり奥田さんのアンカーがいいわ〜」って言われていました。
上手に時間配分もして進む13年間のベテランが案内の先は
46番・如意輪寺さんに午後3時40分頃でしたが、残すはあと1カ寺となった本日デス。

あの人が居てこの人もいる みんな みんな 日が傾いたほぼ4時ころに87段だったというキツイ階段を登って本日最後の47番・持宝院さんへと来た我々です。
先導のナビ野儀さんもお手伝いをして納経帳の受け取りをしてくれていますが、お世話係りの皆さま 本当にお疲れ様でアリガトウございましたネ〜
お参りの後はシッカリ歩いて疲れた体をストレッチですが、ハードなコースを無事に全員が完歩で終えられた5日目のレポートをコレにて終了と致しますネ〜



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