第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期間 = 2007年2月10日〜6月23日まで10回に分けて基本日程は「第二・第四土曜日」開催
         運営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  日間賀島 番番外札所から九カ寺を巡拝  07年4月28日(土曜)  天気 晴れのち薄曇り 歩行距離 13キロ
       集合 名鉄河和線・河和駅(AM8:30) バスで師崎まで移動 師崎港から船で日間賀島へ   番番外 鯖弘法様 − 37番 大光院   
         日間賀島からまた船で篠島へ   38番 正法禅寺 − 番外 西方寺 − 39番 医王寺   
          篠島から船で師崎港に戻りバスで内海まで移動 − 48番 良参寺 − 49番 吉祥寺 − 56番 瑞境寺 − 52番 蜜蔵院
                                       − 53番 安養院 − 55番 法山寺 − 57番 報恩寺 − 名鉄内海線・知多奥田駅ゴール(PM4;00)

4/28(土)はパパママのライフワークともなっている知多新四国のお遍路ウオークに出掛けていた我々なのです。
さてさて スカッとはしないお天気ながらも何度も通った知多半島東海岸へは、どんなに頑張ってもこれ以上の先がナイという名鉄電車の終点の名鉄・河和駅を下車して、今度はチャーターバスに乗せて頂きこれまたこれ以上行くと海に落っこっちゃうという半島先端の師崎港へと到着のお遍路仲間のご一行様デス。
そして今度は船にと乗り込みますが、ナビ野儀さんの手配ヨロシク一般客をかき分けて前へ前へとで、チャーター船が着くよりも早くに桟橋をトントントンと渡っちゃう遠足の様な本日なのです。


電車から乗り換えたのが8時半前で、自分たちが歩いた四日目の道程や三河湾の風景も眺めつつ30分ほどをバスに揺られながらでしたが、乗船をして海の上に居た時間はわずかに10分・・・このまま半日ほどもクルージングをしてくれないかナ〜・・・などと気持ちよい海風に吹かれながら船内外を含めて定員80人ほどをチャーター船が三河湾を進みます。
おーい 徳島の佐々木さ〜ん 今日は二人一緒にご参加の鶴田パパママも居ますデスよ〜ん♪


6日目の午前中は恒例で知多半島の先にある二つの島の遍路寺を巡るのですが、当然にこの遍路路を開創された200年前は手漕ぎの船に揺られて行き、遍路寺になって頂く交渉事や事前には「どの寺にするべえかのう〜」って歩かれた開創者たちだと思います。
船会社の都合も有ってどちらの島を先に行くのかはマチマチですが、今回は順番宜しく
日間賀島(ひまが)東港へと到着で、出発式も行ないましたが奥田総大将からは「心配の雨もどこかへは、参加の皆さまのお陰です」ってご挨拶も有りタローおじさんのストレッチもして「さあぁ・歩くぞ〜」って、わずか20mでタコの先の建物の奥が本日最初の目的地デス。

最初に寄ったのはいまだにオレ自身は分かっていない番々外といい納経帳にも載っていないし、世話役から頂いた巡拝予定表にも載っていない鯖弘法さまですが、三年前にパパのくたびれた△帽子を北村みっちゃんに勧められお納めさせて頂いたお寺でも有ります。
当時は居たご住職もナゼか昨年は既に不在となり、本堂の中もガランとして三年前の面影が無くなっていますが地域の方々のお世話で納経所は開かれているいまのようです。
そこに大勢の我々が行き、納経所では別の紙にご朱印を押したものを最終ページに糊付けをしてくれていたようですが、随分と手間を掛けて応対をして頂けた番々外の鯖弘法さまです。


番々外の鯖弘法さまから路地向かいの細い所を10mほどの37番・大光院さんでのお参りもして、境内に沿うようにして並んでいる乾物屋さんですが、顔を覚えた今年は86歳になったであろうお爺ちゃんのお店に行ったらご不在で、お婆ちゃんにお聞きすると浜の店に行っているとのことなのでした。
「ああぁ 今年も元気で居られるかい 良かった・ヨカッタ!」のパパですが、納経帳のお世話を済ませて来たママに「ナニか買い物をって」ねだりましたら、山ほど「オマケだよ」って袋にあれこれ詰め込んでくれたお婆ちゃんです。
また来年も来るから、お二人ともお元気でネ〜♪


どの様な運行管理をされているのか不思議ですが同じ船で「荷物は置いて行っても良いよ」って場合も有りますし、今回のように似た大きさながらも後ろにデッキの無い違う船が待っていてくれる場合もあったり、わずか10分ほどで結ぶ島々を上手に船が我々を運んでくれます。

日間賀島から篠島(しのじま)へとの移動の10分ほどもベタなぎの水面をスイスイで、突然のように大型船が通った航跡の波間に乗り上げてはキャーオって黄色い声ですが、楽しい遠足のような時間を過ごす我々です。
オーイ 船が篠島港に着いたよ〜ん


篠島港では片道1キロも歩かぬ中に有る3カ寺の遍路寺のお参りですが、漁業を中心として港付近には昔ながらの観光土産屋や民宿なども有り、もちろん普通の雑貨屋や八百屋や花屋さんやガソリンスタンドなども有る。
小さな子どもの手を引いたお年寄りが歩きバイクの前後に子どもを乗せた母が走り抜け、タオルを頭に巻いたお父さんが壊れかけの軽自動車の音を立てて走って行く。
港の波止場ではタバコを吸いながら笑っている漁師が居る・・・小さいながらも「人の活き住む町が凝縮している」って感覚がガンガンと伝わってきますが、限られた土地を使い家を建てる材木も町を走る車たちも、全ての物を海路で運ばねば成立たぬ生活はどんな風だろうかと想像もつかないがこの活気はなんだろう。


島の空気に、同じように生活をしていても無限大に与えられることや有ることが当たり前と思っている陸地の人々と、限られた物質たちの中で生活する島の人々との違いなのかな?
などと思いながら狭い路地を登っていくと港から500mほどで傾斜地に並ぶ墓地に囲まれるように、島の人々の総意のようにココだけが贅沢に広い境内の
38番・正法禅寺さんへとやって参りました。

お参りをした帰りにはお寺さまからの接待ということで飴を頂いたりもしましたが、飴を舐めながら更に100mも行くと番外札所西方寺さんです。
弘法堂には「ネコが入るのでお参りをしたら直ぐ締めて下さい」って貼り紙が有りましたが、食うものに困らないこの島のネコたちでしょうがココは彼らの都合のよい住み処になっているのでしょうか。


更に登って進んだ先の高台となった場所に有る39番・医王院ですが、ここは島の保育園も兼ねていて毎日この島のチビたちが、ジジババや母親に手を引かれて登ってくるのでしょうがそれだけで十分な運動となるような場所に有ります。
ここには100歳近かった名物お婆ちゃんが納経帳のスタンプ押しをしてくれて居たのですが、既に亡くなられて今はそのお嫁さんであろうふくよかなお母さまがペッタンコをして頂けます。
ナムナム ナムナム 合わす手が どんどんと熱くなる 爽やか色の潮風が心地良い10時半ころなのでした。


医王院さんのお参りを済ませ境内を降りる階段からの港風景のハリコからですが、篠島港へ戻る途中のお店では作りたての温かい小女子の釘煮や、生干しの小エビや島ひじきなどにサイフのヒモを緩める皆さまが居て、いっぱいの荷物を下げて港に戻りまた船に乗り。。。

二つの島を巡って無事に師崎の港へと戻ったヒゲおじさんがバンザ〜イで、河西さんはピューンだしママも大きな袋を手に提げて知多半島・師崎港へと再上陸となりました。

二つの島を巡ったお参りを済ませ知多半島突端の師崎港に戻ったのが11時過ぎでしたが、今朝河和から乗って来て待っていて頂いたバスに再度乗車をして5日目にゴールをした内海(うつみ)駅へと送って頂き昼食休憩となりました。
そして午後のスタートが12時半でしたが、名鉄内海駅前から一気に山手へと進み目指すは・・・どこだっけ!
どんどんと山手を進みパパも道を覚えようと地図までも用意しての毎回なのですが、地図にも載っていないところを進む先頭のナビ野蟻さんだけどちゃんとお遍路の道標が・・・ありゃりゃ・埋まっているわいナ





峠越えの切り通しで一服をする我々ですが誰が削ったのでしょうか?
ちょっとでも楽をしたいと思う一心の人々が居て山越えの天辺をVの字にえぐるように削ってくれた
お陰で横壁越しに見上げるその上に登らなくて良かった
感謝の笑顔のミンナです。


午前中の観光気分も飛んでいく午後ですが、昼食休憩で食べたお弁当のスペースに島でお土産に買った海産物を詰め込み越えるひと山は食べたばかりの体にはきつ過ぎでしたが、下山するように下り内海から40分ほどで着いたところは48番・良参寺さんでしたが「おおぅ、ここの境内は忘れていなかったオレですヨ〜」

槙栢(しんぱく)という木の根元に昭和五十八年三月に突然のように現れたといい、今は「子安観音」という名前も付けられているそうですが、木の皮が剥がれた奥がこのように子どもを抱く母親の姿に似たこれなのです。
自然の凹凸が偶然の形を作り出し見ようによってそのように見えるというのはよくある事ですが、良参寺の境内に立つこの木のこの偶然には何となくニンマリと「いいじゃんネ〜」って、しゃがんで素直にパンパンと手も叩いてお賽銭もあげ「コンニチわ〜」ってコヤツと目を合わすオレなのです。
ホンでもってミンナでお参りの大合唱もして、またまたウヒャーって地図に無い山の中へと進んで行きます。


この山中にも遍路道の道標が倒れるように立っていて開創200年の正統な道である事を示していますが、進む先で思い出すセリ摘みの湿地帯です。
今年は季節が早く進み過ぎて伸び放題の雑草たちに邪魔をされセリ摘みは叶いませんでしたが、前にナビ野儀さんで最後尾が奥田さんで真ん中辺りでダイッ嫌いなヘビ君に遭遇しないように用心のワタクシで、またもひと山越えた知多新四国お遍路の歩たちです。


良参寺さんを出て本日の二山目を越えて参りましたのは49番・吉祥寺さんでしたが、この山越えを繰り返す似たような風景たちに自分の所在さえ分からなくなるオレなのです。
でも「かうぼう」と書いたのがあり「ナンじゃいや」って思ったら「こうぼう」様の道標で「こ、って書かんかい」って思いつつもコヤツらが我々の進む道を教えてくれるのです・・・ハイ・ハイ・そっちネ〜♪


人は辛ければツライほど、苦しければくるしいほど、次に来る普段はナンでもないようなほんのチョットしたことにも、無上にこの上のない喜びというものを感じられるものです。

                自身のモノサシというものが
                      その人の生きようによって大きく変われるし
                                              見方も変えられる


さあぁ またまた本日の三山目ですが、登っちゃいましょうかネ〜・・・ハフーって越えたら
56番・瑞境寺さんなのです。

ウオークもトントンと進み・・・と言いつつ膨大な量のカキコに時間が足りんのでハリコだけの手抜きの52番・密蔵院さんをご紹介だヨーン

更には直ぐ近くの53番・安養院さんには昨年は無かった井戸のつるべのようにした大きな連珠が作られていて、引くたびに玉同士がぶつかる音が面白くてみんなが交代でカタカタと音を楽しんでいました。




そして四年目にしてまた発見 おおぅ オレがココにも座っているではないかいな

続いて300mの野間大坊・50番・大御堂寺さんでナムナムでホンでもって境内がつながっている51番・野間大坊の大お堂でナムナムしちゃいます。・・・レポートがかなり手抜きだナ〜

この頃名古屋方面の空が黒くなっていましたが帰ってから聞くと土砂降りのお天気だったそうで、我々はと言いますと弘法さまに守られて名鉄内海線をくぐり55番・松井ゴジラ寺ってオレが改名を勝手にしている田んぼを越えた山手の法山寺さんにお参りもして戻ります。

午後3時40分頃に本日最後のお参りは57番・報恩寺さんでしたが、山号を乳寶山と言います・・・お乳が宝だとはいい名前だネ〜・・・って、ニマニマもして読みを納経所の方に聞いたんだけど忘れちゃいました。

今朝はカッパを忘れてきて怪しい空模様に心配もしましたが、無事に全てのお参りも済ませ知多奥田の駅から帰る我々です。

ほらネ〜 ちゃんと終われた(追われた)レポートにヤレヤレですが、早速に今から7日目のお遍路に出掛けるパパママです。
ナンで歩く事がこんなに楽しいのか・・・笑顔のあなたが待っているからデス。 ではでは(って、ウオークレポートを忙しい合間を抜って仕上げました)