21世紀の朝鮮通信使  ソウル−東京・友情ウオーク36日目をお見送り 07/5/6(日)

「清道旗(チョンドゥキ)を なびかせ進む 熱き輪の 優しさ強さと 過ごした七日」・・・その4日目(*^^*)

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中山道垂井宿(JR垂井駅)から尾張一宮(JR一宮駅)まで 07年5月2日(水曜) 天気 晴れ 距離 37キロ 
本日から三日間は春のウオークの祭典とも言える東京スリーデーマーチが始まりますが、全国から大勢の方がご参加でニギニギしい事と思います。
そしてコチラはと言いますと「驚きの人々」って程度の形容では表しがたいくらいパワフルで気力・活力のみなぎる平均年齢66歳だそうですが「青春とは人生のある一時期を言うのではなく、その人の心の持ちようだ」とサムエルウルマンが言ったように、マサに人生の青春を謳歌している日韓の方々と過せる連休にどっぷりと浸かっている毎日のパパママです。

5/2(火)は前日の嵐の様な天気を引きずったままの曇り空の朝でしたが「天気予報は回復基調だが、日中は時々降られるかも」との事で、大垣の宿を出る前は降っていたと言い雨具を用意でバスを降りて来られる垂井駅前のかめさんたちなのでした。
ほらぁ 垂井の駅前に並んだ顔たちは、どの方も前日の風雨の中を34キロも歩いた顔には見えないでしょう〜
それから訂正で日を重ねて間違いに気が付きましたが、右写真のママの隣りの方の正しい名前は「康さん」と書いて「カンさん」と読む美人で歩く姿がキレイな方です。
更には嶋ちゃんの隣りの黄色いベストは「雀さん」と書いて「チェさん」と読む日本の事のアレコレに興味いっぱいの方ですが、段々とミンナの名前と顔が一致してきた四日目です。




さあぁ今日も みんなの朝が やってきた アンニョンハセヨと おはようさんだよ!

ほらぁ 垂井の駅前に並んだ顔たちは、どの方も前日の風雨の中を34キロも歩いた顔には見えないでしょう〜
それから大勢の方々の名前をいっぺんに聞いてやっと名前と顔が一致してくるパパですが、右写真のママの隣りの方は「康さん」と書いて「カンさん」と読む美人で歩く姿がキレイな方です。
更には嶋ちゃんの隣りの黄色いベストは「雀さん」と書いて「チェさん」と読む日本の事のアレコレに興味いっぱいの方ですが、段々と名前と顔が一致してきて会話も弾む四日目で大津ご夫妻もお元気です。


今朝も新たにデーリー参加の方が加わりますが「年に一度の地元垂井のお祭りも放ったらかしには出来ず、さりとてこのウオークへの共歩きもしたい」という、昨日芭蕉ウオークの青森からお帰りの伊藤さんや「五日まで通える範囲で」って言いながら超早起きして駆けつけた伊能仲間の四日市の筒井ご夫妻や小牧のよっさんなどもご参加の本日でした。

いつもの様に出発式もして宣さん(ソンさん)のひと言韓国語は「お疲れでは有りませんか?」でしたが「今日は雨はどうかね〜」って言いながら、イザスタートですが昨日までの大阪の清田のダンナ様からリーダーが交代です。
今日のコースは大きな川を三つも越えるそうですが岐阜県から愛知県へと進む本日で、コースリーダーは愛知高蔵寺の森さんと、地元垂井だけでなく「中山道のことならこの方に」っていう伊藤さんが先導を務められ、ロケーションなども求めて風景の良いところを選んで連れて行ってくれますが、相川に下がる鯉のぼり眺めつつ中山道から美濃路へと行く平成の朝鮮通信使たちです。


そして森さんが提供の支援車でミンナの荷物を次のお宿に届けたり、歩行中のミンナの救援をしたり、お弁当を運んだり泊ったホテルへ忘れ物を取りに戻ったりと大変忙しい黄門サマこと桑原さんや、時々は一緒に歩きもする大きなカメラの韓さん(ハンさん)も同乗で、肝心のドライバーをお務めの方の名前を聞き漏らしたけど影で本隊を支える支援車の隊員の皆さまが用事を済ませては友情ウオークの進む道中を伴走してくれています。

垂井から「奥の細道・むすびの地」とされ松尾芭蕉が辞世の句を詠んだ大垣へと来て市役所の前も通りましたが、5月に相応しいツツジたちが満開の中を歩かせて頂きます。
朝鮮通信使に日本の発展している様子を見せたかったという徳川幕府の思いが有って作った朝鮮街道であり美濃路のようですが、大垣城の門前も通り進んだ彼らの時代を、韓国や日本各地から集まった平成の朝鮮通信使たちは二つの国をどのような目線で見て歩いておられるのでしょうか。


雀さんが今朝「私は今回カメラを持ってきていないのでメールで写真が欲しい」と言われましたが、もと食品関係のお仕事で日本にも三度ほど来られていたとの話しで、日本語と英語を交えて延与さんが田んぼの蓮華のことを畑の飼料になるのだと教えたり、中村進さんが三英傑の話しをすると彼は三英傑の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」などのことを勉強していると言い「中村さんはどの人のタイプですか」って質問もしていた揖斐川越えです。

但しこのウオークを終えて後日、雀さんに写真を送ったり絵をメールで送って頂いたりでしたが、届いたメールの内容からコチラからの送信が上手く届いていたのかどうかいまだに不安なワタクシなのです。


ハンさんは伴走車に乗りながら時々一緒に歩かれていますが、堤防道路を進む先には秀吉が一晩で建てたという一夜城こと墨俣城が見えてきました。
ここは淡墨桜60キロウオークでも通るところですが、かめさんがご参加の時のパパが撮った「パンパンに腫れた手でのVサインが忘れられない」って言います。





さあぁ 健脚などという言葉では足りない、美人でツワモノの皆さまに並んで頂き記念のパチリもネ〜

墨俣城で昼食休憩を終え長良川堤防へ上がりますが怪しい雲が消え去るとともに風が強くなり、遮るものの無い堤防道路では真っ直ぐ立てていた清道旗も横にしないと歩き難いほどでしたが、先導をされていた垂井の伊藤さんが「ここで地元に祭りに戻らんと近所付き合いが」って別れを惜しみつつ長良大橋でバイバイです。
その先も延々と続く長良川沿いの堤防道路をほぼ一時間ほどでしたが「腹が満ちて一眠り出来たよ」って言う歩きながらも休息をとるツワモノ達に驚きつつ、羽島大橋を渡って
長良川を越え更に濃尾大橋を渡って木曽川を越えて愛知県へと歩が進みます。

木曽川を濃尾大橋を渡り一宮七夕ウオークで何度も足を運んだことのある「尾西歴史民族資料館」に立ち寄る我々で、ここには美濃街道を朝鮮通信使が通った時の資料なども展示され、木曽川を越えるのに渡し舟が一般の人の足となったそうですが、朝鮮通信使と徳川将軍が通る時のみは舟を並べてその上に板を張った俄か作りの舟橋というものを作って渡らせたとの事です。
軍事上の目的もあり掛けなかった橋の代わりにその舟橋は通信使一行が行く時も帰る時も作られたけど直ぐに壊したそうで、普段は渡し舟や鵜飼い漁などの地元の人たちの舟を集めさせたのでしょうか?




垂井から今日の歩いた道中が分かりますが、三つの大きな川を越えて愛知へと入った美濃路です。

本日のウオークは37キロで朝8時に垂井を出て、午後4時を過ぎてようやく一宮に入りましたが、市町村合併で大きくなった一宮の街もなかなかゴールという訳にはいかず、信号待ちなどで疲れ切った足の筋を延ばしてはゴールを目指します。




さあぁ今日も ゴールしちゃった この記録 一日毎に 増える思い出


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