21世紀の朝鮮通信使  ソウル−東京・友情ウオーク36日目をお見送り 07/5/6(日)


「清道旗(チョンドゥキ)を なびかせ進む 熱き輪の 優しさ強さと 過ごした七日」・・・その6日目(*^^*)

公式ホームページもご覧下さいネ


東海道鳴海宿(名鉄・鳴海駅前)から岡崎宿まで 07年5月4日(金曜) 天気 晴れ 距離 27キロ 

朝鮮通信使友情ウオークと共に歩く毎日も6日目となった5/4(金)ですが、疲れ果てて帰宅をして泥のように眠る夜を過ごし、鮮魚のようにピチピチな気分で朝を迎え友情ウオークの皆さんと歩かせて頂く日中を繰り返している毎日です。
たかが6日・・・されど6日・・・ソウルを発って33日間を歩き続けておられる皆さんの足下は及びもしないホンの数日ですが、生まれて初めての連続ウオークを繰り返し経験させて頂いている充実の日々なのデス!
集合の名鉄・鳴海駅コンコースでの出発式の様子ですが、大勢のディリー参加の方々も交えて宣正史のご挨拶やパパの井上レポート代読などもして晴れ渡った東海道を出る我々です。
井上レポートによると400年前の実際の朝鮮通信使たちは朝鮮を出て江戸までを半年近く掛けて三人の正史・副使・従事史を筆頭に、数百から千人近い世話役や荷物持ちなども従えて歩いたようですが、晴ればかりではナイお天気と疲れから案内役の対馬藩の守役と気持ちの仲たがいも有った日々だそうです。
21世紀のこの時代にソウルから歩く日韓両国の朝鮮通信使たちの心の内はどの様な日々なのか・・・疲れを見せること無く、むしろディリー参加のミナサマのド肝を抜くようなハイスピードウオークと固い結束で進む日々です。


全国から集まった友情ウオークのメンバーと一緒に歩きたかったと言い、わざわざソウルまで行き一日を一緒に歩き今日また愛知に来たミンナと歩きたいという87歳が居て、中二・中一・小五の子供達とお母さんが、ネットで知ったと言う「おじいちゃんの誘いで参加しました」「でも肝心のおじいちゃんは体調不良になっちゃって」って歩き、有松観光協会のジジババも「ワシらは歩いたことなどナイもんで」って旗を持ってご参加です。

敦子さんと歩くのは本隊メンバーで愛知県に入って清田のダンナ様から引き継ぎをされて先頭リーダーをお務めの高蔵寺の宴会部長こと森さんの奥さまの鏡子ママで「この2日間だけ我が家だったわ」っておっしゃられます。
そして「無理をせずに愛知の先導役を終えたら一旦帰って、二・三日たっぷり休んで欲しいの」って言っていましたが、ウオーク中は見せませんがやはり相当お疲れの様子の本隊のミナサマ方のようです。


連日を歩き続けて更にはスタッフとしてディリーの参加者の受付対応もしているユキちゃんはゴール後に渡す完歩賞のチェックに忙しそうですが、有松での記念フォトは欠かせません。
きっとお疲れの日々であろうに不思議なエネルギーが彼らを包み、我々もその波動に包まれて歩く日々デス。
アレレ 誰かに頼まれてシャッターを押すオレだけどこんな変な格好だったっけナ〜





って、被写体になられた方々はご覧の皆さまでゴザイマス・・・ありま・ココはありまつ・じゃ。


前に走って行き先頭を行く森宴会部長を撮らえるパパですが、道中では新聞などで知ったのか家の前に椅子を出して手を振る方々が居られ、途中からはリュックを背負った方も「行けるトコまで行ってみるわ」って言って隊列に加わる方も居られます。
そしてワイワイの会話も弾ませ、朝から暑い陽射しの中をお江戸に向けて確実に歩が進んでいる友情ウオークなのです。





ちょっとの信号待ちなどもストレッチを欠かさないと言うべきか
そうしないとからだ中のネジが外れて壊れてしまいそうな状況を何とか維持している彼女たちですが
日歩の新聞を見て参加したと言う福岡の大村さんが居て
民団新聞で知ったと言い今回のウオークで通訳の要職もしている広島の康(かん)さんが居て
嶋さんつながりからこのウオークを知って参加したという三重の延与さんが居る・・・
パパもいい写真を撮るでしょう!


左は崔(チェ)さんと一緒に歩き覚えたての韓国語で「アニヨン・ハシムニカ」って可愛い声で言う高浜から来た内藤さんチの小五ですし、気が付きゃ韓国内も含めて全てを歩き通しておられる正史の立場に居られる韓国体育協会会長の宣(ソン)さんが知立の松並木を軽快な足取りで歩を進められていますし後ろには敦子さんも居られます。

今回の支援車としてワンボックスのマイカーを提供している森さんチですが、鏡子ママが「普段は一人で運転したことなどナイの」って言いながら自宅から大阪までお一人で運転をして届けたマイカーだそうです。
しかも肝心のカーナビが大阪に入って壊れてしまい、分からぬ地理をアッチで聞きコッチで訪ねて泣き泣きミンナが泊っているホテルにたどり着いたというのですが、大勢の影の支援や協力の方々が有って進む歩たちです。
知立から韓国でも2日目に同じ地名のところを通ったと言う西川ご夫妻の地元でもある「安城市」で昼食休憩になり、ユキちゃんえっちゃんにパパママの掲示板でもお馴染みのヒゲおじさんやタローおじさんを紹介したりもした一服なのです。





碧海幡豆ウ協仲間で昼食場所でトマトやナタデココの準備をして待っていてくれた
水野ママや敦子さんと同じマンションの長坂さんたちとも記念のパチリです。


昼食も済ませて午後のスタートとなりコースリーダーの森宴会部長が地元の敦子さんに導かれ太田さんが持つ白い清道旗が続き、そして報道取材班をご担当の金井さんが前へ後ろへと体形に似合わぬ忍者のような歩きでメモを取ったりカメラを向けたりと、どうも内藤さんチの小五をウオッチの今のようです。

今朝のスタート前にも説明があり一宮スタート会場にも岡崎からその関係者の方が来られていたのですが「本日のゴール手前の矢作橋を越えたところでナンでも韓国舞踊の出迎えが有るらしい」とのことで、若干の時間調整と午後の一服をしていた国道1号線沿いでした。
排気ガスで汚れた路肩ブロックの上ですが何処だろうか気にもせずどっかりと座る野郎衆の皆さまですが、常に美しい立ち振る舞いという事を気にもし、ウオーカーだからと言って「女性たるものは疲れたような姿勢で歩いたり、ヨレた服装や、化粧気の無い顔ではイケナイ!」って言う康さんもどっしりと腰を下ろすソウルをスタートから34日目です。


一旦は矢作橋手前の旧東海道で隊列を整える為に五本の清道旗と本部隊の方々が前に並ばれその後ろを行く我々でしたが、勝手に「橋を越えたところで」って思っていたらそのまま歩が進み、岡崎城から八丁のところで味噌倉を構えているから八丁味噌というブランドにしたという角久味噌へとやって参りました。
ここは昨年NHKの朝のドラマの舞台にもなった為に工場見学を兼ねた観光の方も多いようで、ソウルから来た平成の朝鮮通信使だとの情報からかマイクを持った案内の方がいきなりハングル語で説明をしだしたのにはビックリですが、海外からの見学者にも上図に対応の準備をされている角久さんのようでした。


ディリー参加の我々も一緒に工場内を見学させて頂きお味噌汁の味見もさせて頂いたり、売店で味噌アイスやら味噌ビールなどという恐ろしい味覚のものをお金を出して賞味の方も居られました。
そこへ太鼓を胸の前に抱えた綺麗なチマチョゴリの女性たちが現れクルクルと回るようにドンドコ・ドンドコと踊りだし、一般の見学の方は何事が始まったのか?って見られていましたが、友情ウオークのミンナに付いて来るように目線を送られその場から移動を始めたのです。
そして太鼓と美しい女性に釣られて付いて行った先は古い味噌蔵を改装したところでしたが、思わぬ歓迎行事が有り和太鼓や韓国舞踊も見させて頂き解散となった一日で有りました。




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