第二回名古屋港(宮の渡し)から名古屋城まで「堀川ウオーク」の一歩たち 07年5月19日(土曜) 天気 晴れ 距離 8キロ
コース = 熱田・七里の渡し公園スタート 〜 堀川沿いを 〜 白鳥公園 〜 古渡橋 〜 納屋橋 〜 伝馬橋 〜 能楽堂 〜 名古屋城ゴール

さてさて 本日のレポートは言いますと、5/19(土)に中日新聞社主催で開催された「堀川ウオーク」のお手伝いとなりましたが、開会式の始まる一時間前ほどに集合場所となる熱田神宮近くの「熱田・宮の渡し」へとやって参りました。
既に早々の参加者も大勢ですが5/3に朝鮮通信使ウオークでも寄ったここが本日のスタート会場となり、事前応募の抽選に当たった方々約1000名が楽しむ本日のウオークのようです。




愛歩組はウオーク支援のスタッフ役で、朝のミーティングも終え半分は会場のお手伝いに残り
半分がコース上での安全班として先行して会場を後にしますが
先ずは記念のパチリをネ〜

開会式などの様子は分からぬまま会場を出て、今から参加者のミンナが歩くコースを辿り要所のポイント毎にスタッフが抜けていきますが、堀川という名の通り人工川で1610年に名古屋城の築城に際して掘られた川だそうです。
地図を見ると宮の渡し横の河口から真北にほぼ一直線となっていますが、当時は清洲城辺りが尾張の中心地だったものを戦略的な意味も含めて「名古屋に更に大きな城を作ろう」と言うことで築城の為の物資の運搬もされたでしょうし、三河湾の西浦を歩いていて聞いた「名古屋城の石垣はここのんなんだわ」って言う大石たちも知多半島を回って伊勢湾から上ったこの川だと思います。

現在は護岸の整備も進みきれいな公園緑道のように続くこの道ですが、昭和20年6月の「熱田空襲」の時のものだという堤防の弾痕はココに有った飛行機の計器工場を狙ったものだと言い、昭和34年9月の伊勢湾台風ではこの堀川が貯木場(右の写真にも水に浮く材木が写っていますが)になっていた事も災いして、未曾有の大洪水の中に流れ出した材木たちが街や人を呑み込んでしまったのだと地元に古くから住むウオーク仲間でも有り人生の大先輩の皆さまたちが教えてくれます。

歩く先に見覚えのある建物ですが、名古屋デザイン博の時に作られメイン会場ともなっていた変わった形の建物は、国際会議場センチュリーホールとして今も様々な催しに使われており、この一帯がその時に整備もされ白鳥公園や白鳥庭園としてウオークでもよく来る場所です。
川沿いを上流に歩きながら周りの風景を見て「ああぁ ここなんだ〜」って部分部分に自分の居る場所が気付きますが、堀川を通して歩くのは初めてのワタクシです・・・段々と川幅が狭くなるのにお気付きでしょうか。


「古渡橋」「日置橋」「納屋橋」などと何度か歩いている橋たちを横串をさすように北上してどんどんと細くなる川幅ですが、元々の川幅なのか街の発展と共に名古屋の中心部に向うに従って川を占領するようになった護岸なのでしょうか?
一時期は生活廃水が原因なのか臭気もすごくて「堀川」というと「どぶ川」のイメージの川で、名古屋の街を歩いていると一本筋の奥を歩いていても匂ってくると「堀川が近いな」って思うほどでしたが、今もけっしてキレイとは思えない色だけど、多くの方々が川の浄化に取り組んでおられこの季節のお陰も有ってか臭気は感じない現在です。


さあぁ 壁の狛犬がナンなのか?面白い建物の先がパパママの本日の持ち場となっている「伝馬橋」ですが既に歩き始めているであろうウオーカー達が来るのを黄旗を出して待ちましょうかネ〜

などと「暫らく時間を待たなくちゃ」って思って下(しも)の方の担当だった多恵子さんに電話をすると既に「ウオーカーが通って行きます」って情報でしたが、たかが7キロほどのウオークにもフライングスタートで先頭を競う猛者?たちが居られたようで、パパママも腰を下ろす間も無く交通整理の始まりです。
その後は続々のウオーカーにカメラどころでは無くなりましたが、合間を狙ってママの仕事振りと参加者の皆さまです。


パパママが担当をしたスタートから約6キロ地点の伝馬橋では、9時に開会式だと聞いていたけど最初の方が通られたのが10時よりかなり前でアンカーが来られたのは11時半と、6キロほどの距離に1時間半以上の歩行スピードに差が生じていたようです。
黄旗を持ちながら歩かれる方の姿勢や足運びなどもウオッチのワタクシですが・・・
誰かに追われているのかと思うように後ろをチェックしながらすごい速さで行く「逃亡者ウオーク」の人もあれば、よくぞそのスローモーションの上を行くような動きが出来るものだと感心さえしてしまうような「太極拳ウオーク」の方もいて、ご家族連れやご夫婦や親子、お友達同士で話しを弾まされオレの居た信号のところではおやつを出して休憩をされる方も居られました。
千人ほどが通過をしてウオーカーもマバラになったころに赤タスキを掛けた我が愛歩城の城代家老・奥田さんが、テクテク歩きのチビたちを露払いにして来られるではアリマセヌか。
そして最後尾を確認して、仲良しなことを隠す堀田パパママお二人の共同作業で矢印表示を撤収となりゴールまでミンナと一緒に歩きます。


堀川というところを通して歩いたことが無く今回初めて目にした川沿いの風景でしたが「宮の渡し」から「名古屋城・西端」までの約7キロ、段々と奥に行くにしたがい黒に近い川色となっていましたがお城下では遊覧観光船もつながれておりました。
この川の水源は最初に掘られた1610年頃は地下からの涌水が元だったと言いますが今はそれも枯れ、お城での生活用水(御用水路)として引いたという庄内川からの分水が現在の水源になっているそうです。
「もっと多くの水量を流せば堀川もキレイになるのでは」って感じますが、汚れの元を無くさなくちゃ根本の対策とならず海が汚れるだけなのだとの配慮がこの川の浄化に努める方々の悩みと思いなのでしょうか。

川を眺め、自然を考え、地球を思う・・・半日ほどのウオークでしたが、清正像の能楽堂から名古屋城へと無事に全員をゴールさせてフィニッシュとなった愛歩スタッフです。

川を眺め、自然を考え、地球を思う・・・半日ほどのウオークでしたが、清正像の能楽堂から名古屋城へと無事に全員をゴールさせてフィニッシュとなった愛歩スタッフです。
本日の主催は中日新聞社だそうですが、我々はスタッフだった為に参加受付もせず資料なども頂かなかったのでどのような趣旨や目的の「堀川ウオーク」だったのか分かりませんでした・・・でも、健康に歩きこの川の現実を眺めただけでも価値のある半日なのでした。
ではでは コレにてネ〜




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ちょっぴしオマケですが「近いから迎えに行ってあげるわネ」って、孫の萌生ちゃんと娘が名城公園まで迎えに来てくれて午後はジジババを楽しんだワタクシたちです。
午前中はウオークを楽しみ午後は萌生ちゃんと遊んで過ごした本日なのでした。  ではでは ネ〜