第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期間 = 2007年2月10日〜6月23日まで10回に分けて基本日程は「第二・第四土曜日」開催
         運営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  66番札所から十三カ寺を巡拝  07年5月26日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 20キロ
集合 名鉄常滑線・常滑駅(AM8:30) − 66番 中之坊寺 − 67番 三光院 − 68番 宝蔵寺 − 69番 慈光寺 − 70番 地蔵寺 − 71番 大智院 − 72番 慈雲寺      
− 77番 浄連寺 − 73番 正法院 − 75番 誕生堂 − 74番 蜜厳寺 − 76番 如意寺 − 78番 福生寺 − 名鉄・古見駅ゴール(PM4:00)
5/26(土)はお遍路8日目となり、前日の大雨と打って変わってピカピカの朝の集合場所は前回解散の常滑駅です。
お天気のお陰なのか・お日柄もヨロシクなのか・友が友を呼びなのか、大勢が集まった本日デスが、立派になった常滑駅の邪魔にならない西広場で出発式もしてストレッチもして「さあぁ 暑くならないうちに頑張って歩きましょうかネ〜」なのですが、今日のリーダーはあの懐かしのナビ野儀さんで旗手は武豊・六貫山の立山さんでアンカーはハイブリッジさんがご担当です。

新空港が常滑沖に出来て三年、陸地側の基点駅として常滑駅も立派になり周辺にも新しい家が立ち並び、知多半島道路から空港へとつながる広い道が街を貫いています。
でも変遷の中に変わらない場所もいっぱいだし変わらない道も健在で、狭い道を「あなたは自身が思うほどそんなに細くは有りません・さあぁ道の端に寄りましょう」って言う、本日は黄旗のパパの注意に素直な皆さまです。
一旦は街を抜け陶磁器問屋が立ち並ぶ常滑焼卸団地内の公園で一服休憩をしましたが、田植え作業が済んで可愛い早苗が並ぶ畦道を行く駅を出てから1時間ほどです。


時が流れ町が発展していく中で「道」というものも消えたり新たに立派なものが出来たりですが「こんな所は変わらないだろう」って思うような田園地帯も一枚一枚の田んぼや畑を大きく四角い形に変え機械化された農作業がやり易くして、同様に曲がりくねっていた畦道が広い直線道になっています。
そして「車が通るのもやっと」って思うような道の側には古くからの民家が立ち並び人々の生活が有り、不便だな〜って思いながらも変えようのない細い道が維持されているのです。



そんな道たちを歩かせて頂き6キロチョイの10時ころに本日最初のお遍路寺
66番・中之坊寺さんへとやって参りましたが、お参りを済ませ進む路肩には埋まるようになりながらも道標がここは遍路道だよって教えてくれていた大野城の北です。

中之坊寺さんを出て「鶴田パパママのご自宅はあの大野城の向こう側だよ」って以前に教えて頂いた城山を眺めながら、今日は鶴田ママだけがご参加です。
鶴田ママに「今日はパパは〜」って聞くと中部国際空港でお仕事の本日だとのことでしたが、いつの間にか鶴田パパは「常滑沖の空港で飛行機の窓ガラス拭きをしている」との話しが流れるお遍路の本日デス(ダレが流したのじゃ!?ってオレです)
鶴田ご夫妻の地元だという大野地区を進んでいくと時宗の
67番・三光院さんへとやって来た10時半です。




境内では益子さんが「徳島の佐々木さんに私を見てもらいたいから」ってハイチーズですが
JRのダイヤ改正で今まで参加が無理だったという岐阜の岩田のとしちゃんや、周りのご一緒仲間も加わって
徳島方面を向いて「佐々木さ〜ん・コンニチわ〜」の一枚デス。


左の写真をよく見て頂くと二つの川の合流点であることを気付かれるかもですが、立派な松の木と共にオレのお気に入りの風景です。
矢田川と大山川が合流をして直ぐその先が伊勢湾なのですが、鶴田パパの説明で「大潮と大雨が重なるたびに水が溢れてここら辺は昔はよく冠水していたものじゃ」って教えて頂いた名鉄・大野町駅近くです。
更には歩きながらも般若心経の歌詞カードを開いている信心深い岩田のとしちゃんと思いきゃ「これにハンコを押してもらったもんで」って、ご朱印帳を忘れたので般若心経の教本ら押したご朱印を天日で乾かしている岩田さんです。


そして大野町駅前の左に曲がる目印となる喫茶「エレサ」ですが、正しくは「エルザ」という名前なのに「ル」の「ノ」が落ちてしまい「ザ」の点々のペンキがはげてしまい「野生のエルザ」ならぬ「大野町のエレサ」なのです・・・いい目印でしょう〜
エレサを曲がってひねって進む先は
68番・宝蔵寺さんだったのですが、本堂はコンクリ作りの蔵のようで確かに宝が詰まっていそうなお寺さまですが写真がナイ。

しかもお参りの後は前回のお遍路で加藤翁がリュック忘れをした二代目をしたオレで、理由は簡単 天野さんの道中の八百屋で買ったというお接待のビワが美味しくて美味しくて「ほら、いっぱい取りぁあ」って言葉に夢中になって2個3個と手を出していたら、背中が暑くて下ろしたままのリュックの事をすっかり忘れてしまい「しゅっぱーつ」の掛け声にそのまま歩き出しヒゲおじさんに救われた我がウオークの友なのでした。
そしてクネクネして今度は10分ほどの同じ大野町内の
69番・慈光寺さんですが、弘法堂の前に「願い石」というちょっとエッチな形にも思える穴越しに弘法さまに願を掛ける皆さまです。
で、これを見たワタシはと言いますと穴の反対に行き「悩み事はなにごとじゃ」「叶わぬ願い以外は叶えてしんぜようぞ」って遊んでいましたが、人それぞれどの様な思いで合わす手でしょうか。


更に10分ほどで大野城公園を抜けて横の入口からコンニチワですが、70番・地蔵寺さんへと参りまして、ココの境内中央に二メートル角ほどの大きさのお堂が建っていて急な階段があるのですが、その階段を登って中を覗いて「オオッー」って言っても誰も反応がナイ・・・皆さまもパパの性格を熟知の四年目のお遍路道中です。
さあぁ 歩をドンドンと進めますデス。


大野の街を出て水の入った田んぼで農作業をされる皆さまが手を止めて行列の我々の方を向かれますが、手を振って「コンニチワ〜 ご精が出ますネ〜・お遍路ですよ〜」って言うと、泥田の土で真っ黒くなった手を振り返してくれますが、心地良い11時半ころなのでした。
そして進む先には毎年恒例で、我々が行くと嬉しそうにマイクを持って出て来てくれ、目に良いという飴もお接待をして法話をして頂けるメガネ弘法こと
71番・大智院さんです。
でも残念ながら本日は本堂で仏事の真っ最中で、きっと我々が来た事を背中で感じながらのお経だったと思いますが、先達の木村の姐御の静かな声に従って小さな声で般若心経を唱え「来年はまたお話を聞かせて下さいネ〜」って手を合わせるワタクシです。


メガネ弘法・大智院の和尚さまは我々が歩いて回っているお遍路寺で作っている「知多四国霊場会」の会長職を務めておられるそうですが、四国にも似たという知多半島の風光を眺めながら歩いてこそ知る知多新四国巡礼だと言い、オレはハタと膝を叩くのです。
ははーん なるほどネ〜 知多半島を巡って多くを知る・・・だから知多なんだ・・・なるほどネ〜
そして「巡礼」は命の大切さにも気付く旅なのだと言う長谷川和尚ですが、今年はメガネ弘法の由来のカンバンを記念にパチリとして境内を後にしました。
お昼は大きな旭公園でしたが、今年初めて来られた岩田さんや垂井の伊藤さんや大垣の辻さんなどとご一緒の昼食休憩を済ませ、午後の歩きが動き出したほぼ1時です。


岩田さんは久々のウオークで、しかもゆっくり先導をしているナビ野儀さんのスピードにも「こんなに早よう歩るいとったかや」って言うほどで「わしはもうヘロヘロだわ」って言っていた本日ですが今回が一番長い距離を歩く8日目です。

「おおぅココにも我々が通るのをジッと静かに眺めていてくれる地蔵さまが居ったわい」ですが、何百年・いや千年を越えて変わらぬ道たちを歩かせて頂けるシアワセを感じながら1時半ころに到着の72番・慈雲寺さんです。

慈雲寺さんは開基200年を意識されてなのかパパママが参加をした三年前から本堂を含めた大改修が行なわれていて、いっ時は境内の端に小さなベニア作りの仮の弘法堂を設えていましたが、山門も含めて立派に変貌をしました。
今からウン百年後には風雪の歳月を重ね風格の本堂となり、こうして手を合わす人たちの居る時代であるように願いながら詠う我々です。
そして直ぐ隣りの工場直結で作られる「竹新あられ」さんのお店に入り試食タイムとなりました。
奥田さんが指で休憩時間をミンナに伝えていますが、売るほど有る試食のあられや煎餅を腹いっぱいに頂き、またまたお土産の袋の花が咲く竹新あられさんです。


竹新あられさんを出て細い山道に入り更に佐布里道(さぶりどう)という一列でしか歩けないような細い畑の中の道を行きますが、このお遍路道中に二つ有る団地の一つ、岡田地区へとやって参ります。
この山間の数百メートルの距離の中に小さな田んぼを囲むように五カ寺ものお寺がそれぞれに存在している・・・もう1ヶ所の河和の先に有ったのは漁師町が支えていることが分かったけどこの山の中のお寺たちは果たして・・・


お遍路寺を巡る我々ですがこの知多新四国が作られて来年で200年になると言う・・・と言うことはどのお寺も最低でも200年の歳月を重ねているということですが、全てのお寺がお遍路寺として途絶えることなく英々の時を過ごし、維持されていることに不思議も感じ感謝の気持ちにもなります。
お遍路団地の最初は
77番・浄連寺さんで今年は弘法堂の前に屋根が作られていて、雨の中でお参りをされるお遍路の人たちに対する配慮でしょうか。
そして一年前には一枚の水田が埋められて駐車場となってしまい、この五カ寺の風景を台無しにするように思うオレですが、開基200年の人込みを想定して決めたことなのでしょうか・・・車によるお遍路が主流の今のようですが、時が流れ風景が変わる・・・たかが三年ほど四回目でも刻々に景観やお寺の変化が生じる中を眺めながらのお遍路が続きます。
以前は水田の畦道だったものが駐車場と化した端を進み
73番・正法院さんですが、この石柱はどのように思って眺めているこの地なのでしょうか。

正法院さんのお参りを済ませ180度後ろに振り向いて境内からつづく階段をそのまま登った所が75番札所となる誕生堂さんなのですが、未だに誰の誕生なのか分かってイナイ!
しかもお堂というのだから、一つのお寺とは言えないかもでご朱印を五つもらうので「このお遍路団地には五つのお寺が有る」って思っていたけど、もしかしたら四カ寺のどれか一つに足されたお寺のお堂かも?
でも正法院さんの境内前の高台に有るようでも有り、誕生堂を下った
74番・密厳寺さんの裏山に有るようにも思えてドチラの所有なのか??
短い時間でお参りをしていると納経所の方にお聞きしようかな?って思いながら知らぬ間に次々で失念してしまう・・・来年は聞こうかネ〜




お遍路というものを始めて初めて聞いた般若心経というものですが(今までも聞いていたかもしれないけど記憶にナイ)
いっぱいの漢字が並んでいるだけで歌詞が有る訳ではない。
棒読みに一字づづを読んでいけば良いようなのだが
パパは先達の木村の姐御について般若心経というものを習わせて頂きシアワセである。
彼女の腹の底から湧きあがるような力強い
しかも透き通った清々感さえもある声で微妙な抑揚やリズムも付けての般若心経が何ともこころに響くのである。

見知らぬ方にも「いっぺん聞いてみてよ」って言いたくなりますが
弘法堂にこだまする彼女に習ってナムナムをしていると段々と諳んじて歌えるようになり声の調子も上がるオレです。


密厳寺さんを出て真ん中にある田んぼの向かい側にあるのが76番・如意寺さんですが、お寺というものには山号と言われる○○山というのが前に付いていて山門に書かれていたり本堂正面に読めないような字で大きな看板が架かっていてどのような意味合いで付いているものなのかもよく分かりません。
でも「山」と名が付くのだからきっと「大きいんだぞ」って前の文字を補足する意味だろうし、如意寺さんのは「雨寶山」と有り「うほうざん」と読み「雨というものは、どえりゃあ宝ものなのだぞ」って山号が教えてくれます。

                  お寺の名前を読むだけで知ること
                  自然の摂理の中で、晴れもして雨も降る
                  そしてその雨も晴れも自分たちの意思では無く、全て自然の意の如く
                  為すがままなのである(ここでキュウリがパパとは言わない)と教えてくれる
                  知多半島という水に恵まれぬ地で、意のまま為らぬ貴重な水
                  その水源となる雨を宝だと教えてくれる「雨寶山・如意寺」なのです





さあぁ 満々の水田の横を通って次に行きましょうかネ〜



一気に五ヵ所でのお参りを済ませ一服休憩もして歩くお二人のツーショットですが、大好きな木村ご夫妻で
パパは直接にご本人たちを前に「木村の親分」と「木村の姐御」と呼んでおります。
そうオレから呼ばれても笑って受け答えをして頂ける度量の広いお二人で
今年は木村の親分が育てた千成瓢箪にご自分で書かれた絵や文字入りの瓢箪が姐御の背中でも跳ねていますが
「欲しい方には」って
オレのお遍路袋にも下がっている親分謹製の瓢箪なのです。


知多半島は田舎だナーって思われる皆さまにもチョット都会の雰囲気をですが、空港と常滑焼きの「常滑市」から、製鉄の東海市と肩を並べる製油と発電の街「知多市」の中心部へと歩を進める我々の午後3時半ころでした。
街の中は黄旗安全班が忙しくて写真が少ないのですが、お仕事をされるタローおじさんやアンカーのハイブリッジさんも久々に登場の知多市中心部です。


本日最後となる78番・福生寺さんへとやってきたのが午後3時45分でしたが、距離も歩きお参りをしたお遍路寺の数も十三とこのお遍路道中の中で一番多い数をこなした我々です。

ここの境内には「焼けん大黒さま」というお寺が大火になっても消失しなかったという大黒様が奉られていて「火伏せ」のご利益も有るというのですが・・・「大火による消失経験を持つお寺が火伏せなどっていうのもなんか変じゃナイカイ」ってオレの天邪鬼が騒ぐのですが、オレの天邪鬼の頭を抑えて静かに静かにお参りをさせて頂くワタクシなのです・・・ナムナム。。。

そして無事に終えた一日ですが、奥田総大将による〆のご挨拶です。
そのご挨拶の中で07.06.09に手に入れたことを深く記憶に留めたいと思いますが、先達の使用される木魚を「愛歩・知多遍路の会」として購入しましたってご紹介も有った本日です。
何処のお寺で手に入れたのか聞き漏らしましたので次回はリサーチしておきますネ〜


解散後は名鉄・古見の駅まで歩きましたが、今日も今日とてお天気もよく満足色の一日なのでした。

線路を挟んで名古屋方面と常滑方面に分かれる我々ですが、向かい側には電車を待つ半田の木村ご夫妻や山本さん、そして本日先導のナビ野儀さんや旗手の武豊・六貫山の立山さんや常滑の山田さんたちとバイバイをした8日目なのでした。
ではでは ネ〜




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