第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期間 = 2007年2月10日〜6月23日まで10回に分けて基本日程は「第二・第四土曜日」開催
         運営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  一番札所から九カ寺を巡拝  07年2月10日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 19キロ
集合 名鉄空港線・古見駅(AM8:30) − 79番 妙楽寺 − 80番 楠光院 − 81番 龍蔵寺 − 82番 観福寺 − 83番 弥勒寺 − 86番 観音寺            
 − 85番 清水寺 − 84番 玄猷寺 − 5番 地蔵寺 − JR東海道線・共和駅ゴール(PM3:00)

6/9(土)ですが、雨の音で目覚めテレビの天気予報を見ると降水確率も80/90%の一日でシッカリと雨具の用意をして出掛けたお遍路9日目です。
本日のお遍路が終わった後に孫の萌生ちゃんたちが遊びに来るとのことで、娘の家までマイカーで出掛けたものだからギリギリ時間に前回ゴールの古見駅から本日の集合場所である
79番・妙楽寺さんへと行くと既に体操を始めていた8時半過ぎです。
左ハリコはヒゲおじさんからの一枚デス。

しかもそのストレッチ指導は久々感のある岡崎の植野さんがされていて、何処で覚えてきたのか太極拳のようなナンだかヘンテコなストレッチでしたがそれを真面目にやっているミンナをパチリとしながら加わる朝の体操です。

てっきり雨だろうと思って足元をスパッツで守りカッパも傘も持っての妙楽寺さんですが、何故か雨が上がっていて濡れていた境内も乾くほどで「どうなっているんでしょうネー」って話題に「シィー」って「空の上の雨雲さまに聞かれちゃマズイので雨の話題は禁句にしましょうネ」なのです。
妙楽寺・弘法堂と開基200年の立役者である
亮山和尚番外・開山所の二つにお参りをして、降らぬ雨と天気予報の降水確率を不思議に思いながらも本日のお遍路が始まりました。

未だにドコをどっちに歩いたら次のお遍路寺に行けるのか、回を重ねる毎に複雑怪奇の似た道や全く知らぬと思う風景にキョロキョロですが、忘れもしない大きなクスノキの80番・楠光院さんへとやって参りました。
ママも見上げて早速にワーオで携帯のカメラを向けますが、足元を撫ぜさせて頂き「コンニチわ・また来ましたよ」って、俺にとっては長ーい一年だったけど悠久の千年余の大楠木さんにとってはどんな一年だったのでしょうか?
写真は有りませんが壁に弘法さまが現れたというお堂にもご挨拶をさせて頂き、故意なのかこのクスノキ同様の歴史の中でこの様になったのか、足元の石段も左右の瓦屋根の塀も不思議に変形をした階段を登って本堂へと上がらせて頂きます





足元を撫ぜさせて頂き「コンニチわ・また来ましたよ」って、俺にとっては長ーい一年だったけど
悠久の千年余の大楠木さんにとってはどんな一年だったのでしょうか?


ママも見上げて早速にワーオで携帯のカメラを向けますが誰の心も優しく包んでくれるような楠木君が居てくれ、写真は有りませんが壁に弘法さまが現れたというお堂にもご挨拶をさせて頂き、故意なのかこのクスノキ同様の歴史の中でこの様になったのか、足元の石段も左右の瓦屋根の塀も不思議に変形をした階段を登って本堂へと上がらせて頂きます




いつものようにお参りを済ませ託した納経帳をお世話係りの方から返して頂き開く納経スタンプ帳ですが
80番の札所ということに「とうとう80番代か〜」って感慨も一入の9日目です。


番外も含めると90近くを既に廻っているかもですが、知多半島という愛知県の三河湾と伊勢湾を仕切るように名古屋から伸びた半島に、このようなお遍路寺が作られて200年。
きっと本四国での巡礼に思いを馳せながらも「わしらには所詮叶わぬ夢だわな」っていう大衆の気持ちを感じ、何度も本四国お遍路の旅に出た開基の先人たちが「四国にも似た風景のこの地をお大師様に歩いて頂こう」って開かれた知多新四国なのだと思います。
そのような遍路寺を歩かせて頂けることに感謝もして「また来年ネ」って大楠木さんにバイバイをするオレですが、歩く横を今は名鉄電車が半島に住む方々の足となり、名鉄・常滑線って思っていたら中部新空港へつながるために名鉄・空港線と呼び方が変わっているのだと教えてもらう知多市内です。


1キロも行かぬ国道155線沿いの81番・龍蔵寺さんへと到着で安全班のパパは黄旗を忘れた本日で奥田さんからお借りして、ママは仕事の無い本日でお世話係りの鶴田ママや益子さんに納経帳を託しております。
山号を巨渕山(こえんざん)と付ける龍蔵寺さんですが、西に500mも行くと伊勢湾岸のこの場所は元は入り江に深い渕(ふち)でも有ったのでしょうか?そして龍に纏わる何かがあるのかも・・・昨年巨渕山の読み方を教えて頂いた、明治時代のような髪型が特徴のお寺の奥さまに今年もお会いしましたが、鶴田パパが来年に何かのウオークの同窓会で知多遍路を計画されているそうでその話題や、他の方が直接に筆で書くご朱印を頂かれたりしていて、また来年お聞きしようと思います。


ヒゲおじさんが歩きながら「ここから半径1キロ以内がオレの家だが、お前にだけは教えん」って言いながら「ここは昔は大通りで」って車がすれ違うのも大変な道を何度も曲がり、更には新しい道も進み「尾張八幡神社」とか「熱田神社」という歴史も由緒も有りそうな大きな神社たちを横目に歩が進みます。

そして到着が82番・観福寺さんですが、アレレレレ ママも納経帳のお世話係りを始めていますが「忘れていたけど今日お休みの久恵さんに代わりを頼まれていたのを思い出したわ〜」って、安全班の旗を忘れるオレとお世話係りを忘れる我がママで、このいい加減さがイイでしょう(*^^*)

観福寺さんの境内を真っ直ぐ進むと一段高くなった舞台の様な場所が有り、その上にあがったところに格子越しの本堂と横に弘法さまが座って居られます。
弘法さまにお参りをしている最中にその本堂の座佛にヒゲおじさんがカメラを向けていましたが、般若心経を読みながら更にその姿にカメラを向ける余裕のオレです。
そして進む歩の先ですが、朝から高い降水確率でそうは遠くない空が時々真っ黒くなり、その下ではきっと大雨が降っていることマチガイナシのような雲の様子を眺めながら見知った風景と道たちへと進んで行く10時50分ころです。


本日のお遍路の一週間前に碧海幡豆ウ協の例会で来た83番・弥勒寺さんですが、下見歩きをしたり本番の例会を経験してシッカリと自分の中で道とその配置が理解出来るようになりました。
来年のお遍路では落慶された仁王門に出会うことも出来るだろうし、800年前の屍と化した仁王像も蘇えるとのことですので楽しみな弥勒寺さんですが、丁寧にお参りもさせて頂きました。


その境内でのスナップですが「今日は飛行機の窓拭きのお仕事はお休みですか?」ってオレに聞かれてキョトンの鶴田パパと、本四国をお一人で歩かれた加藤翁にも並んで頂いた境内です。
弥勒寺さんを出て道を挟んで向かい側となる東海市役所の軒下をお借りして昼食が11時20分ころでしたが、各地からご参加の皆さまが集合場所に8時半に来るには早起きが必要だし朝ご飯も早い時間なので全く問題なしでパクパクのお昼なのでした。

いつもの様に写真がナイ昼食を済ませ12時丁度に出発となりましたが、空模様を気にしながらも公園散策で一週間前はまだ早かった菖蒲園へと行って参りました。
すると曇り空が反って良いのか大きなカメラを持った方々が大勢居られ菖蒲の花にカメラを向けていましたが、ママも携帯カメラでパチリをしています。
そしてその横ですが、ママの落書き帳にTS・マウスさんが行ったと言う大連ウオークでばったりと出逢ったという宇佐美さんもご一緒の本日です。
今年は花付きがイマイチだと言うけれど、いやあぁ〜 一週間前とは違い見頃ですネ〜





いやあぁ キレイだね〜って「いっぱいの 笑顔溢れる 菖蒲園 いずれアヤメか カキツバタかな」

我がお遍路道中記たちですが、オレとママと一緒に共歩きをされる方々との人生の一ページで、疎かににはしておけぬこの一日の記録です。
早めの昼食を済ませ12時ピッタシに大池公園からメルヘンの森へと歩を進めますが、降水確率と周囲の怪しげな雨雲たちを意識したナビ野儀さんが上手に時間配分を調整しながらの歩たちです。
大池の横を通るどなたの顔もステキな笑顔たちですが奥田さんのアンカー付近にもステキな笑顔が溢れています。





メルヘンの森を抜けると楠光院の大クスノキ君と絶対に友だちであろう同級生のように大きな86番・観音寺さんの
大クスノキさんが我々を向かえてくれる12時40分です。


きっと既に「今コッチを出て行ったからソッチにもう直ぐ行くかもヨ」ってお互いに遍路道を行き来する人たちを高い空越しに話し合いもして我々を見守ってくれている大木たちだと思います。
先週はここから更に北上をして聚楽園大仏のしあわせ村へと進んだのですが、自分の足で近隣を歩き今年初めて全体の位置関係が分かったオレでして、実は83番の弥勒寺さんから「84・85」を一旦飛ばして来た86番で、今から戻る飛んだ札所へなのです。


車も交差出来ぬ細い道たちをナビ野儀さん以外に誰が案内出来るのだろうか?って思うような道たちを縫うように進んだ1時過ぎですが、段々と薄暗くなり湿気が濃くなる空気の中を、飛ばした85番・清水寺(せいすいじ)さんへと到着しました。
ここは昔からの住宅地の中に有り門も塀も無く思いっきりコンクリートの境内と本堂という配置になっていて「ナンか変だよな」って思いますが、よくよく見て思うに「ははーん」のオレです。
時代の流れとともに歩き遍路が中心だったものが車などで巡拝をする人たちの為に、細過ぎる路地と無い駐車スペースを考えきっと断腸の思いで門も塀も撤去した清水寺さんだと思われます。
慈悲山(じひさん)の山号が付いているコチラですが、門や塀を撤去せざるを得ない細過ぎる路地の奥のこの場所は、弘法さまやお寺を維持するここの住職の大きな慈悲によって狭いながらも庭木も有ったであろう境内が現在の風景に変わったのはイツ頃からなのだろうか??


慈悲山・清水寺さんは本堂と弘法堂が一つ屋根の下にご一緒なのですが、お遍路参りの方がご本尊さまと弘法さまを間違えぬようにと味のある字で貼り紙がしてありました。(ハリコを大きくして見てね)
オレ自身も元々ギッチョ(左利きのことを北海道の田舎ではこう言っていました)で、小学校高学年になってから箸と鉛筆だけを右利きに直された為に・・・(と、自分のヘタな字の言い訳にしている)・・・人の字を笑うわけではアリマセヌが、何とも言えぬヘタクソさが反って奥行きと深遠なるものを醸し出している「こちら 弘法大師様」の貼り紙です。
納経帳のハンコ押しをしていたお嬢さんに「君が書いたの?」って聞くと「いいえ、おじいちゃんだと思います」って答えに、フムフム・ナムナムってジックリとこれを見つめるオレなのです。

                         「合わす手の 向こうで大師が 言うんです 慈悲の心は 清水の如くと」

清水寺さんを出て歩きだすと朝から寄らず離れずだった黒い雲が一気に我々の頭上に向って来て、湿気を十分に含んだ冷たい風が吹き出したかと思うと大粒の雨がボタリボタリと落ちて来て慌ててパチンコ屋さんの駐車場へと非難です。
ママは面白い傘を引っ張り出して奥田さんとハイチーズですが、孫の「萌生ちゃんとお揃いで買ったの」ってオレも初めて見てワーオです。
誰もがそうでしょうが新しい傘を買ったりレインウエアーを新調したりすると「雨もまた楽し」で子供に返ってチャプチャプです。

午前中から雨を予想して軽快な歩を休めなかったナビ野儀さんも「とうとう降って来たか〜」って、黒い雲から空全体が真っ白な雲に変わって大粒の雨が降り止まぬ雨模様となって来ましたが、84番・玄猷寺さんに到着が午後1時40分です。
カッパを着込んでカラフルなお世話係の益子さんたちは納経帳が雨に濡れぬようにと本堂の軒下を利用ですが、撮ったパチリを「これも徳島の佐々木さんに見てもらうからネ〜」って、鶴田ママもだしこのお遍路の多くの方々がご存知だといい、歩く我々の中でいつも話題になり気持ちの中でご一緒ウオークをしている佐々木さんなのです。
おーい 佐々木さ〜ん 娘御も元気かや?

新しく建った玄猷寺さんの本堂に「良かったら中をご覧になりませんか?」って声を頂きましたが「濡れた体では」ってご遠慮して外から眺めさせて頂きました。
開基200年を意識して新しく建て直した本堂は「今から300年は持つだろう」ってご住職の説明でしたが、使用した木の寿命の分だけ建物も持つのだそうで、その本堂はどれほど多くの人の人生と関わることになるのでしょうか?

お参りを済ませ一気に知多半島を東海市側から大府市へと横断するように歩を進めますが、玄猷寺さんを出た頃から雨足も強くなり叩きつけるような降り方となりました。
上から横から叩きつける雨と川のように流れる路肩の水たちです・・・でもヘッチャラだし楽しいのデス。





晴れの日も有り雨の日もある
そしてこの世に生を受ける全てのものに光を与え水を与えて生きている我らが住む地球号なのです。



手足を動かせる喜び
歩けるシアワセ・君と話が出来る嬉しさ
道の石ころや伸びる草たちと同様に我々も全てが意味が有って存在している今です。

知多半島を西海岸側の東海市から大府市側へと横断をして飛んでいた5番・地蔵寺さんに到着したのが午後2時半ころでした。




土砂降りの雨の中を軒下でみんなで歌う般若心経をお大師様はどのようにお聞きになっているのだろうか?

信心のカケラも無いオレですが、雨降りというこの自然に感謝の気持ちでいっぱいでお参りをさせて頂き無事に終えた9日目です。
河西さんが口癖のように「今年で最後だわ〜」って言っていますが「来年は200年際だよ」って尾関さんとも励ましての帰路ですが、共和駅に向う頃には雲も切れてきた空です。
ではでは これにて9日目レポートをチョーンだよ〜♪〜




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