名前:竹樋パパ   
    日付:10月14日(日) 2時21分
    (自身の掲示板にカキコのオレでした)

     皆々さま コンバンワ〜 シィ〜・・・って、ヘンテコ時間にカキコのワタクシですが
     我が身ながらも自由の利かぬ現役生活でここ暫らく我が掲示板にもご無沙汰をしてしまい失礼を致しました。
     日が替わったので昨日となりますが

     昨年の第7次ユキちゃん隊に続く伊能の中山道ウオークが今回は畑中一一さんを隊長にして
     10/10(水)に京都を出発しており、所用で参加出来なかったパパに代わって我が家代表でママのみが参加となりました。

     予定表では休養日として関ヶ原町内の散策ウオークとのことが「ナニがナニカが」で「ナンでだで」となり
     島津義弘石田光成の陣や家康の桃配山や合戦の本舞台など
関ヶ原宿を縦横無尽に駆け歩き
     勢い余って気が付きゃ
垂井宿だし更には赤坂宿へと歩が進んだようで
     ママからの逐一のメールを見ながら「コイツ等ドコまで行く気じゃい」の名ばかりの静養日だったようです。

     ワタクシはと申しますと午前中は研修会に参加で午後は告別式に参列も有ったのですが
     自分と全く同じ歳の方を送り出す葬送の儀に参列をして重なる人生に涙を止める事で出来なかった午後なのでした。
     年老いて健在のご両親や突然に喪主となった奥様、そしてまだ学生のお子様たち
     逝った彼のご兄弟や親族の方々の慟哭の嘆きや気丈さを目にして
     同じ時代を過ごして来たであろう遺影を見つめ彼と彼を取り巻いた人生を思う時「この世の無常や儚さ」
     更には「掛け替えの無い日々と、限り有る命の尊さ」を改めて思い返した私です。

     今は畑中隊と過ごして疲れ大爆睡中のママですが、大切な一日をママと語り合ったり笑い合ったり・・・
     だからどの一瞬も貴重な宝なのです。。。


『黒字』は帰宅後のママレポートにパパが加筆したものです。
 「第8次中山道ウオーク・畑中隊」四日目にママが参加の一歩たち 07年10月13日(土曜) 天気 晴れ 距離 20キロ 
コース = JR東海道線・関ヶ原駅前スタート 〜 関ヶ原・古戦場巡り(昼食) 〜 垂井宿 〜 赤坂宿ゴール

今日(10/13)は、今週の水曜に京都を出発して中山道を歩き始めた歩友のみなさんが関ヶ原から歩きます。
パパは仕事で参加できなくなりましたが、もう一人でもちゃんと行けます♪余裕のよっちゃんで関ヶ原駅に到着すると、スケッチの為に一人で歩いていた大津さんが「お〜い」と声を掛けてくれました。
そして、パパも楽しみにしていたのは和田さんのリュックの後ろ。


『このレポートたちはママがママの何でも落書き帳に記録したものですが、パパとは一味違う文章とハリコを見て、10/13・第8次中山道ウオーク・四日目の様子です。。。ナンか「ハラハラ・ドキドキ」でこれを読むオレです・・・ナンなんだろう』 (*^^*)

大津さんの案内でみなさんが昨夜泊った旅館へ、大津さんのほうはスケッチもちゃっ、ちゃっと済ませます。手早いもんです!

ウオーカーの朝は早い。荷物を積み込んでいるオッパーさんに遭遇。   そして、玄関ではみんなが「黄門様」と呼んでいる桑原さん。
姿勢を崩さない静かな微笑は素敵でしょ?・・・ピッタリの呼び名です。

駅前に戻り、きょうの古戦場巡りのコース説明は畑中隊長から。    初対面になりますが、みんなの陰でみえません。
この後、ご紹介いたします。
オッパーさんに私が行くことを知らせてくださいましたユキちゃん、ありがとう。  では、出発準備をすることにいたします。


『フムフム 関ヶ原駅横にある大きな観光案内の地図看板を前に、畑中隊長が本日休養日の関ヶ原町内散策ウオークのコース説明をされているようですが・・・パパもまだお会いした事のない畑中さんの横顔が・・・チラリと』

こちらは中山道、「古戦場巡り」のスタート前。 ストレッチと檄はかかせません。
そして今年の畑中隊長は・・・ちょっと待ってね。


『ストレッチをされておられる方をパパは初めてお見受けしますが伊能つながりの奥は深い。  おおぅ 今朝の檄は和田さんです。  って、オレの文章もおかしくなりそうです』

お待たせいたしました。   だんだん、近づいて・・・やっと正面からとらえることができました。   本日はよろしくお願いいたします。

『伊能ウオーク本部隊員として愛知の西川阿羅漢さん達と二年間をご一緒された畑中一一さんがお勤めの今回8次ですが、もちろんパパママも岐阜から名古屋を通り豊橋へと東海道を進まれた伊能ウオークに畑中さんとも一緒に歩いたはずなのですが。。。』




こちらの幹の太いこと!
大勢の人たちを見てきたんだよなあ・・・。    もちろん、戦国時代も・・・。


『今から数百年前、悲喜交々の人生がこの木の下を弓矢・刀を抱えて駆け巡り
名を馳せたものもいれば、誰からも気付かれずに枯れ野に朽ちていった者たちも・・・』

午前中は逆光になってしまい、背中から撮るのが多くなってしまいましたが、足元も撮るのを忘れないようにしないととね。
武将たちの陣地巡りはもう暫らく続きます。


『なおきちさんの影響かママのマンホールのフタ写真も相当な数になると思いますが、意識して見ていると芸術の域に達するように美しいものも各地に有ります』

畑中隊長の説明の中に皇女和宮の話が多くありました。
和宮が家茂に嫁いだのは16歳の時であったということです。

中山道を通り江戸城へ向った当時の和宮の気持ちはどんな風であったろうと考えます。不安な気持ちがいっぱいだったろうな・・。

              住み慣れし 都路出でて けふいく日
                                  いそぐもつらき 東路の旅

              落ちて行く身と知りながら もみぢ葉の
                                  人なつかしく こがれこそすれ

でも資料によると、互いを思いやる仲の良い夫婦であったそうな・・・。


畑中隊長の説明が続きますが石田三成の陣地の跡にやってきました。

「竹矢来」(たけやらい)といって竹や丸太を荒く組んで作った囲いですき間の形が四角や菱形のものがあります。
三成はこの柵を二重にめぐらし敵の侵入を防いだそうです。


『ママかアップの皆さまを撮っていますが、康さんとも親しくなった朝鮮通信使ウオークのパパママの7日間だったしそれをサポートカーに乗って支えた黄門さまも後ろで、右の渡部さんからも伊能ウオークのエピソードをいっぱい教えてもらったし、ヒゲの遠藤さんも伊能の延長のどのウオークにも欠かせない方です』

『ママのレポートが途中で止まってしまいましたが宮崎の大津さんご夫妻もだし、春日井の宴会部長の森さんも楽しげな歩が進んでいるようです。』




『歩が止まらず関ヶ原散策のつもりが家康の桃配山まで来た後は、中山道を垂井方面へと進んでいます』



『垂井の街を突き進み幾つもの川を渡り、橋を越える止まらぬ歩たちデス』



『そして気が付きゃ赤坂宿へと入っていく午後2時です』

『朝からの仕事と午後の葬送の席を終えてママをマイカーで迎えに行ったワタクシですが、午後2時半頃に向っているという赤坂宿へと車を走らせ到着をすると、ほぼ同時に到着だと言う皆さまと合流することが出来ました。
明日のご一緒ウオークを約束もして横でスヤスヤと眠るママを助手席に乗せて帰宅の10/13(土)なのでした。』



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