「第8次中山道ウオーク・畑中隊」五日目「赤坂宿〜加納宿」の一歩たち 07年10月14日(日曜) 天気 晴れ 距離 23キロ
コース = 中山道・赤坂宿スタート〜杭瀬川越え〜揖斐川越え〜美江寺宿跡〜小紅の渡し(長良川越え)〜鏡島弘法(昼食)〜加納宿〜岐阜駅前ゴール

「天高く馬肥ゆる秋」をウオーキングに勤しんで来た10/14(日)でしたが、7年前に二年間を掛けて日本一周ゴールをされた「伊能ウオーク」のスペシャルな仲間達によって、綿々と引き継がれている表記中山道ウオークに参加をして来たパパママです。
ママは土曜日4日目も参加で、10/13(土)そのゴール場所の美濃赤坂まで出迎えに行ったワタクシは、今回隊長をされている伊能本部隊員だった大阪の畑中一一さんと初めてお会いすることが出来ましたが、日曜は更に本部隊員だった東京の野依六郎さんが加わり、愛知の西川阿羅漢さんご夫妻も加わるという錚々たるメンバーで、ご一緒に進むことになる5日目の歩たちです。

今日は碧海幡豆ウ協の例会日でもあり欠席のお知らせをって思って敦子さんにママからメールを発信したのですが、返って来た返事が「私たちも美濃赤坂ヨ」って「アレレ〜」で、大垣に向う電車の車中で合流なのです。
元々別の用事で例会欠席の予定だったのがその用事も事情で流れて「それでは」って事で美濃赤坂行きだったそうですが、お陰で西川ご夫妻とも嬉しい再会で、大垣で下車をすると夜行「ながら」で来られたという野依さんが改札口でお待ちなのでした。




更には宿泊組も続々集合ですが、さあぁ 昨日ゴールの赤坂宿を8時半に出発です。

ママが最近になって「ようやく判別がつくようになったわ」って言う愛知・高蔵寺の森宴会部長と宮崎の大津さんの二人が先頭を行きますが、森さんが初めて大津さんに出会った時に「お前か、俺のニセ者は」って言ったくらいで背丈といい色の濃さといい甲乙付け難いほどのお二人なのです。

そして1キロも行かぬうちに赤坂港跡というところを通りましたが、ここは杭瀬川を往来する川舟の港となっていて上流も下流も揖斐川本流に通じる水路となっていたようです。
当初は関ヶ原宿をスタートして30キロを歩く予定でしたが前日の勢い余った歩が進んで赤坂宿まで来たものだから、本日は楽なウオークで久々の再会を友と語らい道中の秋を楽しんでの美濃赤坂から神戸町へと歩が進みます。
爽やかな秋模様の中山道を進むオッパーさんからご存知の方はご存知の一斉送信写メールが届く毎日です。
笑っちゃいますが、その一斉送信先には一緒に歩いている仲間も大勢で、ヒゲの遠藤さんからも「オッパー、オレはここに居るんだから送らんでいいの!」って突っ込まれていた彼なのでした。


この途中には「七曲り」とか「三回り半」とかいう中山道の道標が有りカクカクと曲がった道が続きましたが、進む先に揖斐川が有り船で行き来する大名たちが身分の違いで籠から下座させぬようと、家来たちが先々の様子を見て我がお殿さまより高位の行列が対向して来た時に、近所のお寺で一服と称してやり過ごすなどの為に出来た道だといい、街道と宿場のアチコチにこうしたカギの手の道が有ります。
更に進む揖斐川手前には皇女和宮が徳川14代将軍・家茂(いえもち)に嫁ぐ道中で宿泊をしたという
小簾紅園(おずこうえん)というところで休憩もした我々です。

越える揖斐川を前にして皇女・和宮が

                 「惜まじな 君と民との 為ならば 身は武蔵野の 露と消えとも」

                     「落ちてゆく 身と知りながら もみじ葉の 人懐かしく こがれこそすれ」

共に満16才の和宮がこの地で詠ったものだそうですが、京からお付きの者たちの多くが
揖斐川を手前にここで京都に引き返したそうで、一際の寂しさに耐えた1861年10月26日だったとの事を詳しく語る畑中隊長でしたが、意識したのか季節が重なる8次中山道ウオークです。

昔は川越人足に頼ったという揖斐川を橋で越えますが海に近い東海道に比べると川幅も広くなく、和宮が使った以外にも女性が川を越える際に嫌な思いを少なくする事が出来たという中山道は「姫街道」とも呼ばれています。
大津夫妻が肩を並べて歩かれママも敦子さんと歩を並べますが、昨年のユキちゃんの手作りゼッケンを模してか、機械プリントながらも全員の県名と名前の入ったお揃いのゼッケンが風にゆれる午前10時過ぎです。


伊能本部隊員として二年間の寝食を共にした仲というのがどのようなものなのでしょうか?
今年の夏も野依邸合宿と称して入宿基準は男子で数えの70才以上とかと言い集まった阿羅漢さんであり森宴会部長たちだったそうですが、体温を越える猛暑の東京を「誰もがもう止めよう」と言うこともなく、気が付くと40キロ以上を歩いていたとの事で、一緒に歩きながら「来年はあんなバカな事はせずに夜な夜な歩こうか」って語り合うその合宿の思い出話を横で聞く我々もその可笑しさに笑うしかアリマセン。
その笑いの先には中山道・
美江寺宿跡という碑も立つ美江寺で休憩となりましたが、揖斐川を越えて暫らくして向こうから合流となった岐阜の善さんも加わり賑やかさが増す我々です。

森宴会部長の貼る中山道の隠れた道標のことは何度か説明をしていますが、この色とサイズとこのメーカーのテープに決まるまで試行錯誤の色々だったようで、中山道の歩きが始まる前になると自宅のテーブルの上で丸く巻かれたテープをこのようにカットもして持ち運びが便利なように巻き直す、その森さんの作業を見て鏡子ママが「また始まったわね」ってニヤリだそうです。
街道としてハッキリと分かる道たちも有りますが、時代を経てどんどんと地域の様子や街並みが変化をする中で中山道の貴重な道標になっています。
そんな道中をおヒゲの遠藤さんが「ナニをしているの〜」ですが、歩きながらも道々の色々な方に声を掛けられていて、路端の畑の熟れたイチジクを「どうぞどうぞ」と言われ「私たちは京都から歩いておりましてね〜」ってお昼のオヤツに山ほどを収穫なのでした。


歩は以前は穂積町だったところが市町村合併で瑞穂市となり、ウオークで知り合った新婚さん「おかもとひろし&あきこ」ご夫妻の住む本巣市の南端を通る我々です。
ところでママの△帽子がキレイな新品になっている事にお気付きでしょうか?
二人して同じものを三年半ほど使っていて風雨や日照にくたびれてガムテープで補修などもしていたのですが、前の週に岩村に出掛けた際に町内の竹細工屋に立ち寄って手に入れたものなのです。




さあぁ お腹が空いた12時20分に小紅の渡しへとやって来た我々です。



渡る長良川ですが、県道の一部として一般の歩行者を無料で渡す「渡し舟」が運行されていて
中山道を歩くウオーカーの大切な足になっている歴史有る「小紅の渡し」ですが
今でも年間八千人ほどが利用していて
対岸にある鏡島弘法の弘法様の月参りの際は一日に二百名を越える人が利用しているそうです。


そしてパパママも何回か利用していますが「岐阜長良川ツーデーウオーク」でもコースとなっているここで、二回に分けて全員が渡りましたが、中山道の道中の中で船を使うのは今は長良川越えだけとなりました。
オッパーさんも渡部さんも黄門さまもミンナ子供のようにハシャグ船上です(*^^*)


長良川を船で渡り堤防道路横の鏡島の弘法様で親しまれいてる「鏡島弘法乙津寺」で昼食となりましたが、一緒に座った森さんが篠笛(しのぶえ)という横笛を吹いてくれ、敦子さんのお漬け物やお稲荷さんも味わってシアワセなワタクシです。




午後のゴールまで残り5キロほどだったので遅めの昼食をのんびりと過ごし歩が進みますが、最初に紹介したかった
朝鮮通信使ウオークの本部隊員だった康さんも居られ
今朝「檄」をされた渡辺さんも居られ、埼玉の江平さんもミンナで楽しい午後の歩です。


食後は加納宿へと1時間ほどですが朝鮮通信使ウオークの時が機会で初めて歩く事に参加をしたという康さん(上下・キャップも黒色の女性)ですが、韓国からずーっと歩き通してマメ一つ作らなかったという人です。
歩く姿勢もホレボレだし初めてのウオーク用の靴との「合性もよかったようよ」って、最初に出合った5月の時は「朝に予定していた距離より何時も長いじゃナイ!」と遠藤さんたちにクレームを付けていたのに、今は「長距離ウオークがイイわネ〜」って今回も通しで歩かれるお一人となっています。
今回は途中で「ぶらり探訪」と称する休息日を三回ほど入れて22日間の日数で10/31(水)に日本橋にゴールだそうですが、土曜日10/13の「ぶらり探訪・関ヶ原」がぶらりで済まなかった為に、楽々時間の午後2時半に
岐阜駅前の本日宿泊先へと到着で23キロのウオークとなりました。
これからの道中の安全と健闘を祈って「飛行機でセントレアから成田まで帰ります・・・コレが早くて安くて・エヘヘ」っていう千葉の渡辺さんや「私は新幹線で帰るんですヨ」っていう埼玉の江平さん、そして西川ご夫妻など、一緒に日帰宅組が逗留組にバイバイとなった5日目なのでした。
ではでは コレにてネ〜





これからの道中の安全と健闘を祈って
「飛行機でセントレアから成田まで帰ります・・・コレが早くて安くてネ」っていう千葉の渡辺さんや
「私は新幹線で帰るんですヨ」っていう埼玉の江平さん
そして西川ご夫妻など、一緒に帰宅組が逗留組にバイバイとなった5日目なのでした。
ではでは コレにてネ〜



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