JR東海「秋の中山道三宿場祭り、見て食べて歩いた後は温泉で」の一歩たち 07年10月28日(日曜) 天気 晴れ 13キロ
コース = JR中央線・中津川駅スタート 〜 中山道・中津川宿 〜 与坂峠 〜 落合宿 〜 十曲峠 〜 馬籠宿(昼食) 〜 湯舟沢リゾート(温泉入浴) 〜 中津川駅ゴール

表記タイトルの通り久々に朝一番のバスに乗りJR中央線中津川へ向いましたが、春日井近辺では青空だったのに山手に向うに従って電車のドアが開く度に冷たい空気とともに深いガスが山も街も包み込む風景に代わっていました。
恵那近辺で車窓から眺める笠置山も霧の中で、パパママのもなんじゃもんじゃ君も深い霧の中で日々を過ごしているのだろうと思います。
そして
中津川駅を降りるとウオーカーをお出迎えの駅長さんやさわやかウオークのマスコットのかめさんもお待ちですが、このかめさんは現在名前を募集中だそうです。
さあぁ 懐かしい空気と思い出の中山道へと歩を踏み入れる我々ですが、10日前に畑中隊が通られたこの道たちです。


中津川から落合宿へと向いますがそこに控える与坂峠の急坂はカメラで撮ることを忘れてしまうほど登りに専念しなくちゃで、登り切ってホッコリとして見る先の下り坂の風景から登り道のキツサを想像いただきましょうか。




随分以前のことの様にも思えるけど、昨年(06年)の今頃にユキちゃん隊でここを歩いたときに
金是在さんがチビまる子ちゃんの手を引いてヒイヒイ言いながら登った事を思い出させるこの場所ですが
段々と陽が射して山の霧が取れてきました。


与坂のアップダウンを乗り越えてほぼ1時間ほどで宿場祭りが開かれている落合宿へとやって参りましたが、歩き始めた時は寒いと思っていたのもつかの間で一坂越えたら体がホコホコとなる中山道です。
町を盛り上げ街道を賑やかにしようと始まったのか、元々地元の方々の秋祭りとしてなされていたものが現在の形になったのか、大鍋で作られた秋の味覚の「きのこ汁」が振舞われ、東濃名物の栗きんとんが二千個も用意されたとかでウオーカーや観光の方々に配られお茶に漬け物のサービスで一服を進められるなど歩がどっかりと止まるパパママです。


町内会の婦人会が総出でごへい餅を焼き、だんな衆がお盆にお茶と漬け物を乗せて接待役をされ「落合宿のごへい関所でござります・御幣手形をお持ちでないと通れませぬぞ」ってごへい餅を進めますが、これがなかなか美味なのです。
もともと「ごへい餅」のごへいは神官などが両手で胸の前に捧げ持つ「御幣」の形に似ていることから付いた名前なのですが、その形は三河地方に多く、東濃地方では団子形の丸いものが串に刺さったものが多く口の周りを汚さずに食べやすいものです。
更には以前に見た時はキモさ最高で近寄り難かった花魁道中の出立前の風景ですが、本日は記念のパチリもご一緒にデス。


今歩いているこの道を第八次中山道ウオークの畑中隊が行き昨年は反対側から7次ユキちゃん隊が歩いた・・・目の前の高いところの大きな赤い橋は中央ハイウエイで先週はパパママもマイカーを走らせて河口湖に行ったし、色々な道が交差して時間軸の中をそれぞれが過ごしている。
畑中隊はどんどんと歩を進め日本橋ゴールは次週(10/31)の予定で、札幌のユキちゃんや函館のえっちゃん東京の嶋さんなども加わり更に賑やかな歩が繰り広げられるこの道のはるか先です。
落合川は前日の大雨で大瀑布となり、始まる十曲峠の入口に立ちながら格別な思いで一緒に歩いた中山道ウオークのあの日々のことが蘇えってきます。

十曲峠を登りきったと思って振り返るとカメラを向けている方が居る・・・小牧のよっさんご夫妻だったのですが、お聞きすると我々より1時間近く遅くに中津川駅を出られもう追い付かれたとの事だし、登ったところの医王寺さんでも紙芝居を見せてくれるというので座ったパパママに「それではお先に」ってバイバイとなったお二人です。




さあぁ 「きつね膏薬」とは、どんな紙芝居が始まるのでしょうか?



そのお話は・・・お寺の和尚さまは村人はもちろん村に住む動物たちにも優しくて
夜、街からの帰り掛けに怪我をしたきつねを助けたが・・・




その後お寺が大火となり
臥せっていた和尚さまのところにきつねが現れ
「この葉を薬にすると治りますよ」って教えられた通りに使うとあら不思議・・・和尚さまは元気になり




病気の村人たちにもそのきつねが教えてくれた膏薬を貼ってあげたと
すると和尚さまも村人も皆んな元気になったと言う「
医王寺さんのきつねこうやく」のお話しでしたとさ。。。




子どもたちがそれぞれの役になって半分はにかみながらも
気持ちを込めて丁寧に語ってくれた紙芝居に、足を止めたウオーカーたちからも大拍手なのでした。


落合の石畳を踏みしめ見上げる前には奥三界の山々が連なる中山道ですが、400年を越える歴史の中でどれほどの人々が通った道だったのでしょうか?

                            「太田の渡しに 木曽の掛橋 碓井峠が無けりゃいい」

東海道に比較して川越え難所が少ないというけれど、断崖絶壁の木曽川沿いに掛かった掛け橋は一歩間違えば奈落の底だったと言い、当時の草鞋装束で際限無く続く登り下りの高低差をどのような思いで歩いた昔だったのか、自身に置き換えてタイムスリップです。
大きな塚のところに美濃と信濃の境だという石標もありましたが中仙道400年の歴史の中をパパママの歩が進みます。


馬籠宿に到着したのがほぼ11時でしたが街道からちょっと外れた大広場はモウモウの火事場のようで、幻の魚と言われる岩魚(いわな)も「ホンとに幻かい?」って思うほど大量に串刺しで炭火焼きだし、9時過ぎから始まったという東濃各地の味を競ったごへい餅は2時間を掛けずに売り切れも出るほどどちらも長い行列です。

そして素人衆の俄か売店もアチコチで、パパママが頼んだ昼食のうどんはナゼか二玉一緒にゆででしまったらしくて「まあぁいいや・オマケだよ」って特大大盛りも普通のも一杯300円でした。
モクモクと会場中に立ち込めるごへい餅を焼くにおいと煙の中を後にして一路ゴールへ向いますが、歩いた距離は13キロほどなのに要した時間は4時間半、ゆりちゃんとのチンタラウオークをはるかに越えるのんびりウオークなのでした。

ゴールの湯舟沢リゾートで湯につかり中津川駅に到着後は、温泉につかったお陰で二人前のうどんのお腹も落ち着きカッパの堀さんご推薦の山品で更に「鰻」がフィニッシュとなった我々ですが、見て食べて歩いた後は温泉で、更にまた食べたさわやかウオークなのでした。
お腹が苦しいヨ〜〜 ではでは ネ〜




    目次に戻る