第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期 間 = 2008年2月9日〜6月28日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」開催
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  1番札所から9カ寺を巡拝  08年2月9日(土曜)  天気 曇り後ビックリの大雪 歩行距離 21キロ
集合 名鉄本線・前後駅(AM8:30) − 1番 曹源寺 − 2番 極楽寺 − 3番 普門寺 − 4番 延命寺 − 6番 常福寺            
 − 7番 極楽寺 − 8番 傳宗院 − 9番 明徳寺 − 10番 観音寺 − JR武豊線・東浦駅ゴール(PM4;00)

さてさて お待たせした方々には本当にお待たせをしてしまい、待っておられない方にとってはどうでも良いようなものでしょうが、今や我が家の年中行事と化した知多新四国お遍路道中が始まった2/9(土)の事を見せて語ってしんぜよう!ペペン・ペン・ペン
寒いながらも中部地方は太平洋側特有の良いお天気が続いていた前日金曜まで、当日は前夜の天気予報では「晴れのち雪」ってなっていて「どんなだろう」って思いながら出た玄関先でしたが、薄雲が広がるヒンヤリ感の我が家の前で先ずは定点パチリから始めるこのウオークです。
そして先日から「パパもママもお遍路のスタッフをお願いだからネ」って頼まれていて早めの集合場所行きですが、1時間近く前に着いた
名鉄本線・前後駅前には既に先着組みが居て早速に受付体制の確認などです。

そうこうしているうちに続々登場の主役たちを迎える受付チームです。
毎年のパパレポート見られている方々には名前を紹介しなくても既にご存知でしょうが、この方々が居なくちゃ始まらぬ木村の親分と木村の姐御も早々のご入場です。

何度か伝えていますが今年は知多新四国が生れてから200年目を迎える霊場開創200年記念の年で、その事も有ってか参加者が多いと聞いていた今回だけど、例年の二倍以上の事前申込みが有り更には当日に「友だちも連れて来ちゃったけどイイかな」とか「あれれ○○さんに参加するって言っといたけど知らんかや、おかしいナー」って更にふくれ上がる参加の皆々さまです。
「だから人数制限をしなくちゃいかんって言ったのに」って言う役員も居られましたが、ニコニコ顔の奥田総大将は弘法さまのような広い心で全ての方々に「ハイ・どうぞ」って参加申し込みを受け付けて居られたのだと思います。

会場案内をしながら一番前で今回のスケジュール表を配布のオレの隣りでママや堀さんや早苗さんが事前申し込みの確認と参加費を徴収で、その先では脇田さんが参加記念品の靴下を配り、更に奥では納経帳の申し込みやご朱印代の事前受領などをされていてワイワイガヤガヤってやっていたら、あっという間に一時間ほどがたち定刻8時半を過ぎてやっとこさの開会式となりました。

ヒゲおじさんの司会進行でしたが、大勢の参加者を前に愛歩城(愛ウ協)の伊藤城主(会長)にご挨拶をして頂いたり、本日コースリーダーのナビ野儀さんと補佐のワタクシを紹介もして頂き、更には小川さんのストレッチへとですが「おいおい肝心カナメの奥田総大将のご挨拶を忘れているんじゃナイカイ」って思っていたオレだけど、あまりの大人数に緊張シキリのヒゲおじさんだったようです。
まあぁ これから何度も奥田さんのお話は聞けるからネ・・・さあぁ イザスタートじゃあ〜・・・って、長〜い行列が高架上の前後駅前広場から先ずは一番札所へなのです。


パパママにとっても今年で五回目となるお遍路道中で、しかも実はこの一番から十番までをママと二人で歩いたことも有る昨年で「お遍路道中が一筋の光脈のように見えるようになったワタクシです」ってエラそうに言うこともナイ、駅から真っ直ぐのとこにある信号を一回だけ曲がると見覚えのある一番札所・曹源寺さんへとです。
先頭付近には85歳の加藤翁も居られ、ママと鶴田ママが並んでこれまた「新四国一番札所」の石柱を横に定点パチリですが、懐かしくさえも感じるこの山門です。


始まったお遍路道中・一番札所ですが、昨年は工事中だった山門の床が大理石の一枚板となり菱格子に磨いた柄が眩しいほどに輝いていて、下を見ながら丁寧に頭を下げてくぐる山門の先で背筋を伸ばして見上げる境内の先には、鬼瓦権蔵君(おにがわらごんぞうくんって勝手に名前を付けたオレです)が本堂社殿の上から来る人々をどっかと座って見て居られます。
境内左手の弘法堂ですが正面に「奉修 南無大師遍照金剛 知多四国開創二百年記念法塔」と書かれ、横には「経日 大慈大悲慰衆生 大喜大捨済舎識 相好光明以自厳 衆等至心帰命令」とありました。





弘法堂から離れた境内に立つ白木の法塔からは白い紐が伸びていますが、その先は弘法堂の中のお大師様の
指先に結ばれていて、お堂の前までお参りに来られない方々も「そこまで来てくれれば十分じゃ・よう来たのう」って
法塔から下がる紐を持つと弘法さまと握手が出来るというものです。

     経曰 大慈大悲慰衆生・・・
お経に曰く 弘法さまは目の前にいるあなたを何時だって大きな心で慈しんでいるんですよ
だからあなたにもしもの時には、あなたに代わって大いに悲しみあなたの心を大いに慰めてくれるのです。

本当の意味は正しくないかもしれないけれど、並んだ漢字たちを眺めながら
「日々を生きるということは大変なことだけどこれが人生と言うものじゃ・努力なされよのう」って
頭を撫ぜもし背中もさすって頂けるような思いで歌った一番札所での般若心経なのでした。


参拝の手順もご朱印帳の頂き方も判らぬ参加者も多い中でお参りを終え、一番札所のご朱印の押された新しい納経帳を申し込みの皆さまにお渡しするのにも一苦労だったのですが、200年目の今年だけ納経帳の表には開創二百年記念の金文字が入った納経帳になるということで、新しい納経帳を求められた方々の大行列がその後に出来た境内なのでした。
パパママも自分たちの分とは別にもう二冊を頂きましたが、歩きに来られぬあなたに代わってご朱印を頂いて歩く今年のお遍路です。
さあぁ 頂いた納経帳をリュックに収めて馴染みの衆とのスナップも撮ってやっとこさ出る一番札所ですが、大勢の参拝客を見込んで屋台が立ち並ぶ門前を後にする先頭のナビ野儀隊長でございます。


参拝などに20分ほどを要して9時15分頃に出た一番札所でしたが、真っ直ぐなようであっちでカックンこっちでフニャリと真っ直ぐで無い道程を六度目となるオレの目に焼きついた風景たちを眺めながらです。
細い道ながら車の行き来も多い道が多く行列を意識的に長くした歩きでしたが、約3.5キロを
2番札所・極楽寺さんへと9時50分に到着をした我々です。
そして始まる山門入口での納経帳の受付は当初は四人ほどの専任者を決めていたのですが、皆んなから託される百冊を越える数にとても手が間に合わず勝手知ったる方々の協力も得て納経所へとです。
ナビ野儀さんが「一人十冊づつでも十人以上は必要だな」って言っていましたが、我々も大変だけどドバッと積み重ねられた納経帳の山たちに社務所の中も大変なようです・・・でも、このニギニギしさも「今年らしくて良いかもネ!」ってワタクシです。


2番札所にも有った法塔ですがこちらは正面梵字に続いて「奉修 知多・・・二百年記念寶塔也」と書いてあり、一番で「法の塔」が2番では「寶の塔」となっていました。
どちらも正しいのでしょうがその横にはやはり梵字に続き「彼岸国土微風吹動発願往生倶會一處」と有りました・・・「黄泉の国にもそよ風が吹いているよ」って、その後の意味がチンプンカンプンですが願う心が有ればあっちもこっちも同じなんだよって事なのでしょうか?
納経帳の授受に忙しくてお堂の中のオレが「心の耳たち」って呼んでいる千体座佛たちにもちょっとだけのご挨拶ですが「どうか どうか よろしくお願い申し上げます 南無南無・ナムナム」って託す我が思いです。
そして極楽寺さん名物のすっぱい梅干しのお接待を頂いてですが、何か慌ただしさが過ぎて何時もの一服感もないままに歩が動き出します。


300mほどの移動で並ぶお遍路寺の3番札所・普門寺さんですが「なんか境内や本堂の様子が昨年までと違うよな」って眺めていたらヒゲおじさんが教えてくれましたが、境内の庭木たちの中に立っていた大きな石仏が奥に移動をしていてそこが駐車場と化していたのです。
その為に昨年までは板塀越しに見えていた石仏が外から見えなくなり、山門横の風格の長い板塀自身も車の出入りの為に大きく削られて何だか中途半端な塀の長さがお寺自身を薄っぺらにしてしまった感じです。

しかも南無大師遍照金剛の宝塔も大師堂の上に無造作に縛られて立ててあり、本堂も弘法堂も納経所も庫裏もみんなきれいな建物だけど「ここの弘法さまの心は何処に有り」って感じるワタクシなのでした。
ただ、昨年までは勝手に「弘法さまが塀越しに!」って思っていたのが、間近によくよく・よく見ると実は観音様だった事を初めて気付いたオレなのです・・・いい加減なオレでしょう・・・って気になる方は昨年の3番札所のレポートも併せてご覧下さいネ〜


10時20分頃に出た3番札所でしたが大府市内に入る頃から白いものが空から落ちて来だして弾む足が踊るオレでしたが「清き心に降る雪たちよ!ワーオ・おいで・おいで僕らの頭上へね」って4番札所・延命寺さんへ到着の頃にはボタン雪にとなってきました。

山門手前の門柱横で記念のパチリのママと堀さんですが、境内では武豊・六貫山の立山さんが大宝塔の前でパチリでその宝塔には「萬日快楽」の四文字です。
         
   萬日快楽・・・「面白ろて やがて寂しき 祭りかな」って句があるように
              刹那的な喜びなどは一時のもので、何時まで経ってもホンワカと温かくなれる心の充足というものが大事で
                                そんなこころの快楽というものを大切にして過ごすんだよ って、弘法さまが教えてくれます。


そんな境内で心模様を春にしたママが梅の花の写真を撮っていましたが、梅の花を携帯電話で心の春を待つ方へと飛ばす現代版・菅原道真公のようです。
更には事有るごとにお遍路道中で名前が出てくる徳島の佐々木さんへも、オレがここを使っていっぱいの春たちをお届けしますネ〜
って、まだ空模様にも余裕のあった11時10分ころに出た延命寺さんから30分ほども進むとこんなお天気だがねぇ。


本日は20キロほどの道程を9カ寺を巡拝して歩く予定なのですが、100冊を越える納経帳のご朱印に一カ寺づつが徐々に長くなり、歩行スピードもお天気のせいもあってかそれほど上がらずで6番札所・常福寺さんへ到着が11時55分でした。

そしてオレのお遍路道中の中で抱きついてキスをしたいほど大好きなヤツが座っているのですがそれがコヤツです。
天邪鬼(あまのじゃく)って言葉だけで「パパだね」ってママが言うようにオレの代名詞のような大好きな常福寺の天邪鬼君が、足を抱えて「おおぅ 今年もうるさい連中が数を増して来よったわい。 なにぃい〜 雪が降ったの降らぬのとうるさい連中が、こんな程度を寒いとはチャンチャラ可笑しいワイ・・・ガタガタ・ブルブル・・・これは武者震いじゃい!」って、上手に庭木の下にもぐりこんで雪を避けながらこう言っています。

人が丸いというものを「本当にこれは丸いのか」 四角ですって言うものも「本当にこれは四角かな」って自分の中で反証をしてみる・・・「楽しいナー」って事も「悲しいナー」ってことも、みんなみんなそれぞれに深い意味があって「本当に楽しいのかや」「本当に悲しいことなんだろうか・・・その悲しみの奥にあるシアワセ色はほんとうに無いのだろうか?」って天邪鬼のオレなのです。


境内を墨絵の世界にしていく12時丁度に木村の姐御の先達に導かれるように読む6番札所での般若心経ですが、一年振りで覚えていたようで覚えていなかったオレが般若の歌詞カードを目で追ってパチクリしていると後ろでスラスラと歌う木村の親分で、お参りを終えた後に振り返って「お上手ですネ」って言った時のお顔です。
この一年間いっぱいの願いを持った人たちが弘法さまの指先につながるというこの紅白の紐を握ってお願い事を伝えるのでしょうが、オレも「どうか・どうか・ただただお願い申し上げます」って握る紅白の紐の先で「届けよ、我が気持ち」なのです。





雪の降る中をお遍路の道が輝いていて、曲がり道も真っ直ぐもオレの体と頭の中が一致して
大先輩のナビ野儀さんの先を「こっちで合っているでしょう」「あそこをそっちに曲がるんだよネ」ってカメラ片手に飛び跳ねるワタクシです。

ナビ野儀さんがオレのカメラに愛歩旗の小旗を広げてくれますが、誰よりもオレがこのお遍路道中を覚えた事を喜んでくれていると感じるのに間違いは無いでしょうか。
そして着いた「あいち健康の森公園」ですが、午後1時まで40分ほどの昼食休憩をとって再度午後の出発となります。





天気予報では午後から雪になるとの事でしたが、既に午前中から降り出した雪が降り止まぬ風景を眺めつつの
昼食休憩を済ませて、今朝から「今日は6番までにして帰るわ」って言っていた河西さんら
ここからバスで大府駅まで帰る方を残して動き出した我々です。



最初から企画をされたり参加をされていたナビ野儀さんが「わしもこんなお遍路は初めてだわ」って仰りますが
ワタクシも知多半島の真ん中の武豊で十年間の生活をしていたけど伊勢湾越しの鈴鹿山系から雪雲が延びると
時々は真っ白くなる知多半島なのです。



真っ白くなる風景を眺めていると昨年1月に碧海幡豆ウ協で歩いた時(07/01/07のレポートです)を思い出しますが
水野パパママと歩いたあの日以来の雪中ウオークです。


歩を進める度にワサワサの雪たちがどんどんと天上から落ちて来て真っ白に積み重なる雪たちに建物も田畑も道路もただただ白一面になっていく中を、キュッキ・キュッキと足元を鳴らして歩く我々なのでした。
ふと気が付くと車道の車たちのスピードも落ちて渋滞も始まり車内からは自分たちのこの先の運転の心配と、降雪の天気の中を歩く大集団に「こやつら、なんじゃらほい」って、目が合うどのドライバーたちも不安と驚きが一緒になった顔をされている方々と交差するように進む先には
7番札所・極楽寺さんは午後1時半です。
ここの弘法堂には幼少の弘法木像が安置されていますが、立つ法塔の側面には「弘法大師増法楽」とありました。
これって「いっぱいの人々が楽しく般若心経を歌って歩くと、その人たちの心の中に弘法大師さまが居住まうので、結果としてたくさんの弘法さまが増えちゃうんだよ」って事でしょうか?
またいい加減なオレ流の解釈なのです。

                       「濡れた手で 立てる線香は 形だけ でもいいんだよ 誰ぞが知ってる」

さあぁ また雪んこの中を歩こうかネ〜♪





ドカドカと降り積む白過ぎる風景に自身が覚えていた記憶の風景と一緒とは思えず
異空間を歩いているような感覚に捕えられながらも、五感をピンピンに働かせ「ここを下るんでしたよね」とか
「これは左だよネ」ってナビ野儀さんに導かれた今までの記憶を全開に思い起こしての先導補佐のオレでしたが
野儀さんはわざとオレを先に行かせ、巡る「この遍路道を竹樋君に任せられるかな」ってテストを受けているような午後なのです。


一旦は半島中央部に進んだ道をやや戻るように下り道が続いていましたが、着いた8番札所・傳正院さんでヒゲおじさんが「人に注意してたらオレが転んじゃってよ・・・どうも胸の具合がな」って仰っておられました。
この頃になるとミンナの手袋をはめた手も濡れて着込んだカッパの下から出す皆さまの納経帳にも雪が落ちて来て、写真だけを見るとのんびりしているかのように思われるかもですが、納経帳のお世話に慌ただしくしていて本堂と敷地を隣にした弘法堂でのお参りを済ませた方々にも一旦は本堂の軒下に戻って頂き濡れぬように注意をしながら返す納経帳です。
森岡から緒川の旧道を歩く我々ですが降り積む雪に更に重なる雪たちです。


「これであと二カ寺だね」って出た傳正院さんが午後2時10分頃でしたが、降雪の真っただ中を突き進む道中写真が少ないのです。
理由は正式なお遍路道でもある森岡から緒川の旧道だったのですが、タイヤを滑らせながらの車たちが前から後ろからと行き交いそこに我々の行列が重なって危険極まりない状態で濡れた黄旗を振りながら大きな声で注意喚起だったのです。
そして国道に出ると案の定ですが、道路は縦も横も大渋滞で信号は何度も変われども動かぬ車たちがのそのそと赤信号の交差点へと突っ込んで行き、横断歩道も安心して渡れぬほどの午後2時半で、だから異常なほどの車両が入り込んできた旧道だったようです。
車を運転する人たちも大変でしょうが歩く我々も大変で、踏み締める足元は雪で安定をせず滑らないようにも用心もしていると普段歩く筋肉とは別のバランスをとるための筋肉が否応無く使われているようで足がクタクタなのです。
なもんだから油断をするとスッテンコロリンとなる人が続出で「転ぶ時は踏ん張らずに身を捨てなさい」って言うどさん子パパの助言と積んだ新雪に守られる転倒者たちです。

2キロほどの道のりを40分ほども格闘をして途中で列詰めなどもして超長蛇となった行列が
9番札所・明徳寺さんへとやっとこさ到着したのは午後2時50分なのでした。
降雪の境内に立ち木村の姐御に従って歌を歌い終えるとお二人の方が入って来られオレに声を掛けて頂けましたが、昨年ママと二人で歩いたこのお遍路道で一緒になった事を教えて頂き思い出しました。
全く見知らぬ方々と出会いの偶然が重なって一緒になれた今回ですが、ナンの約束も無くこんなお天気の中を一年振りに再会が出来るなんて・・・弘法さまが引き合わせる遍路寺です。
さあぁ 残りは一つだヨーン♪〜


知多新四国札所巡りの中で「この一番から十番がもっともお遍路として正しい古くからの道を歩いているんだよ」ってナビ野儀さんが教えてくれましたが、最後は雪風景に間違えそうになりながらも先頭の先を野儀さんに確認しながら進む曲がり角たちです。
数えたこともナイけれどいっぱいの道標たちが形は無骨な四角柱でも石仏たちと変わらぬ、いやそれ以上に魂も心も通わせて歩く我々を見守り見つめていてくれるのです。
この道標たちに守られて14年間・131回目にして初めて出会う雪風景の中の巡拝も午後3時半に本日最後の
10番札所・観音寺さんに到着です。

観音寺さんに向う道中がピークだったかもですが、最高気温が2度だったというこのお天気の中を初めてお遍路というものを経験された大勢の方が無事に10番札所までの9カ寺を巡ることが出来ました。
朝のご挨拶が飛んでしまった奥田総大将が本日の締めで「大変なお天気になってしまいました」って言っていましたが、きっと何時までも思い出に残る本日だと思います。
この後は
JR武豊線・東浦駅へと戻りましたが、雪の影響で電車が止まっているとの事で1時間以上も寒い駅舎で待たされて何とか帰宅が叶った一日となりました。
ではでは 今年第一日目のお遍路レポートでアリマした。




  二日目につづく   目次に戻る