第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期 間 = 2008年2月9日〜6月28日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」開催
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  19番札所から十カ寺を巡拝  08年3月8日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 22キロ
集合 JR武豊線・乙川駅(AM8:30) → 19番・光照院 → 20番・龍台院 → 21番・常楽寺 → 22番・大日寺 → 23番・蓮華院 
        → 24番・徳正寺 → 25番・円観寺 → 番外・華航寺 → 番外・影現寺 → 26番・弥勒寺 → 名鉄河和線・河和駅ゴール(PM4:00)

3/8(土)は、雪の心配も暴風の心配もナイ穏やかな暖かさを予感のJR乙川駅に集合で有りました。
乗っていた電車のオレの携帯に「乙川駅にはトイレが無いので出来るだけ車中で済ませるように伝えてね」って、ヒゲおじさんから届いた電話は既に東浦駅近くで、近くの何人かは慌ててリュックを背負ってトイレに駆け込んだ電車内なのでした。
そして下車した乙川駅に今日も今日とてワンサカで、先ずはトイレの有る本日最初の札所へ行くべく8時20分ころには早めの開会式も始まり、奥田総大将のご挨拶やらヒゲおじさんのリーダー説明やらハイブリッジさんのストレッチやらとゆっくりと時間を掛けた丁寧な開会式で「早い開式、意味ナイじゃん」なのでありました(半分冗談交じりのパパのコメントですのでドチラ様もお気になさらずにネ〜)


冷たいながらも心地良い朝の空気の中を元気いっぱいの皆さまが横幅いっぱいに広がって渡る横断歩道ですが、信号待ちの車の中からもこんな場所では予想外なのか、大集団の横断に目を丸くして見ておられました。
半田大橋を渡り阿久比川沿いに南に下りその先にはミツカンポン酢や清酒ねのひで世界に知られる中埜酢店と中埜酒造ですが、開業の当時から阿久比川河口の水路と三河湾が物流を助けて、創業から大きく成長をさせたのであろう面影が色濃く残っている風景です。


お遍路道中も三日目からは「山有り・川有り・海が有り」の自然いっぱいの中を歩けるようになりますが、初めて参加の方々の目にはどんな風に映るこの黒壁たちの風景たちでしょうか。
酢や麹のほのかな香りが漂う中を大きく息を吸い大きく息を吐いて、更にドデかく大きく息を吸いっからして苦しくなったらド・バーっと吐いて、またまたゲホゲホ・・・コン・コン・ゲボ・ゲボ・・・調子こきのワタクシで有りました。


乙川駅から1キロほどを本日最初の札所となる19番札所・光照院さんへと到着ですが、穏やかさを実感出来る境内に正に鬼の形相でみんなを上から睨みつけるような天邪鬼が居ることに気付いた今年です。
来るたびに新たな発見をするまだ五回目の巡拝ですが、ここの宝塔には

                         「自信教人信 難中転更難 大悲転普化 真成報仏恩」

        自分が一所懸命に信じれば良いんだよって、そのことを人が教えてくれる
           難しい悩みを抱えていると強く思っていると、また輪を掛けるように重なる難が生れるものだけど
              でも大変過ぎる悲しさもいっぱい過ぎると、それさえも普通に感じられるもんだよ
                  そんな仏さまの教えてくれることに耳を傾けていたら見えなかった「真」というものが見えてくる
                       その「真」とは何なのか・・・雑念も何もない真っ青な「空」というものじゃよ
                            さあぁ きれいなこころで ただ 歩こうよ

                                                って、勝手気ままなイイカゲンなオレの解釈です。

本日二カ寺目となる20番札所・龍台院さんへと半田市内を700mほどの移動で到着が9時10分頃でした。
皆さまへの説明も五回目となりますので割愛ですが、お参りする方々が吊るす五円が弘法さまとのご縁をつないで、更にお寺の境内を飾る生花へと昇華のこの儀式を楽しむ皆さまであります。
それを静かにカイヅカの穴から耳を澄まして見ている可愛いコヤツですが、手を合わせて「この一年にありがとう」って、そして「どうかオレの願いをお願いしますネ」ってしてから、木村の姐御が先導の摩訶般若を歌わせて頂くオレなのであります。


綴る我がお遍路道中記ですが、完璧に覚えきった半田の街を名鉄線を左手に見ながら南下を続けると五本線の入った塀と大きな屋根が目印の21番札所・常楽寺さんへと到着が9時45分でありました。
門を入った時からニギニギしい空気と多くの袈裟を付けた方々に「なんじゃらほい」って社務所を覗くと、今までは龍の衝立だったのが今日は大きな大根を乗せた荷車を坊主たちが引っ張る図ですが、どのような意図の絵なのでしょうか?
更には本日の納経帳のお世話係りは鶴田ママや岡崎の益子さんたちですが「重い納経帳を持って大丈夫〜」って口だけで心配のオレがあっちへこっちへとキョロキョロと本日はフリーなのでアリマす。


木村の親分と姐御の家が直ぐ近くだと言う常楽寺さんでは「知多新四国開基二百年記念慶讃大法要」というものが執り行なわれていた真っ最中で、驚いたのが幾つか並んだ花台の中にかの有名な(オレの中で)藁屋根が崩れた貧乏寺の華航寺さんのものが一等地に置かれているではアリマセヌか??
そして靴を脱いで本堂に上がらせて頂くとギッチリの人たちがだれぞの講和を聞いている真っ最中でしたが、後で木村の親分が説明してくれるには「知多新四国の札所全カ寺のお坊様が選り抜きの檀家10名ほどを連れて集まった本日だ」とのことで、軽く千人を越える方々での大法要だそうです。
さあぁ オラっちたちも般若心経だヨ〜ン





「経に曰く 天下和順にして月日は清明なれ 時を以って風雨は宜しい ただ災いに属するものは起きるに不ず」
誰もが願う自然の安寧を、お経のどこかに書いてあるのでしょうか・・・安楽寺さんの宝塔です。


「前以って言っといたんだけどねぇ」って木村の姐御も仰りますが、本日の行事でてんてこ舞いであろう社務所の応援にかけ付けた檀家仲間に「この時間に100名以上のお参りがあるでご朱印を頼んだよ」って伝えていたものの他の用事もいっぱいだったようで、長いこと時間を掛けて押して頂いた納経帳を受け取り境内を出る我々です。
知多半島の季節の歳時記に載るここの境内の彼岸桜もまだ今年は蕾のままでしたが、横目に見ながらきれいに満開の時もあり、散って終わった時も有り、たかが五年、されど五年の気候のそれぞれに生きる我々と彼岸桜君なのです。
さあぁ 足取り軽く〜って参道を下って山門を出たところに面白い三輪車のミゼット君が停まっていましたが、美浜の寺沢さんというおじさんが古い車の手入れをして自分で荷台にベニヤを打って作ったものに、プロに書いて貰ったという「祝開創二百年」の赤文字を入れたこの車で巡拝で「これで行くと人気でネ〜」だそうです。


真っ青な空が眩しい半田の街から武豊へとどんどんと南下を続け途中では昼食お弁当の為にコンビニに寄ったりもして、3キロほどを歩きました。
途中の八百屋では商品の格別の安さに「近かったら毎日買いにくるんだけど」とか「今買っちゃこの先が重くて歩けないしネ」って、大きなビニル袋に50個ほども詰まったミカンが300円だったり、大根も人参も何本も縛って100円だったりと、それらに未練たらたらで10時50分に到着の
22番札所・大日寺さんなのです。

大日寺さんの納経所で可愛いお嬢さんがご朱印を押してくれていますが、名前はかなちゃんで今年高校を卒業して名古屋の大学へと通学が決まっているこの春だそうです。
写真は無いけど彼女一人でご朱印を頑張っていたらお祖母ちゃんが出て来て「やっぱりここは慣れたもんが」って代わられたけど、冊数の多さに途中で音を上げ「やっぱり若い方がええかのぅ」って交代に大笑いの納経所の中と外でしたが、出逢いが有りふれ合いがあるお遍路となっております。


お遍路で武豊に来ると待っていてくれる大日寺さんの境内ですが、武豊在住のウオーク仲間でもある青木さんは我が息子の小学校の先生のお母さんでも有るという不思議なご縁のかたなのです。
その青木さんが毎年のようにお遍路道中の我々を地元武豊に迎えて頂き、しかも「マ・イ・ト・シ」のようにお接待のお煎餅をミンナに頂けるという天使のような方なのでございます(ケッシテお菓子をもらったからのヨイショではナイ?)
普段のウオークスタイルとは似付きもしないステキな大島の作務衣のような洋服を着られ、この姿で初めて出会った五年前は別人かと思って丁寧な言葉遣いになっちゃったオレですが、今年はもう驚かない(ナニを)ワタクシです。
しかも一度乗らせて頂いた事のある青木さんの電動自転車にオレがまたがってわずか400mほど先の
23番札所・蓮花院さんへと移動でしたが、ママに「これに乗っているトコを撮ってネー」って言いながら調子に乗って勢いよくピューンだったもんだから「早過ぎて撮れないじゃない」って貴重な我が自転車遍路の一コマはアリマセンでした。

大日寺さんから蓮花院さんへと移動の我々ですが、青木さんが手に持つ大きな袋には上手にミンナに配れるようにと前以って小袋に入れたお菓子を用意して頂いていて、お参りを済ませた後にミンナの手に渡ったオヤツとなりました。
「どうもごちそう様でした」ってミンナのお礼に笑顔の青木さんで、そこに「さあぁ、来年もよろしくね!って付け足しましょう」って言うオレに照れまくる青木さんでした。


お参りを済ませて青木さんのお接待のお菓子も配って頂き恒例のお弁当タイムでしたが、この時も河合さん経由で青木さんからの干物の焼いたのや漬け物やグレープフルーツなどといっぱいが廻ってきた写真が無いけどお昼休憩なのでした。
40分ほどの昼食休憩を済ませて蓮花院さんを出たのが12時ちょうどでしたが、武雄神社の横を通りJR武豊線の起点駅となる武豊駅前を以前は「豊醤油」という名前だったと記憶しているけど、ものすごく大きくなり変身をとげた「ユタカフーズ」という会社の横をどんどんと南下です。
そして曲がるべき分かり難い路地をコースリーダーのヒゲおじさんと中村さんが間違えて一本早く曲がったもんだから正規の遍路道に戻るのにクネクネとして「野儀さんが午前中で帰って良かったよ」ってボソリのヒゲおじさんです。
でもご意見番の木村の親分が「あそこを曲がれば直ぐここだったに」って、まあぁお腹も満ちて武豊の裏路地を楽しんで歩くポカポカのお遍路日和の本日なのです。
そんなクネクネの前に待つ道標が「こっちだよ」って教えてくれる路地から路地へと入って行くと
24番札所・徳正寺さんに12時25分です。

今回は参加者が多く後ろにいると木村の姐御の声も遠くに聞こえ、フリーのママも並んで般若心経なんだけど、どうもママの読むスピードがどんどんと早くなりコッチまでつられて「変だな〜」って思いながら輪唱だけど、再度耳を澄まして木村の姐御の先達の声を頼りに読む場所を調整しながら「ママ・早過ぎだよ」っていうと「こころを込めているんだからイイの」のママです。
「なるほどネー」って感心やらあきれるやら・・・


ママの悟り切ったお言葉を受けて周りを見てみると、鶴田パパがどっかりと腰を下ろして手を合わせているし、桑名の千秋ちゃんも口は般若心経だけれど手は早速に青木さんのおやつを引っ張り出そうとしているし・・・「ハハーン やっぱり人それぞれでイイんだね」って、いっぱいに立つ線香の煙も自然に身を任すかのように風と共に空に消えていくのです・・・やっぱり正しいこころを以っての自然体が一番なんだよね。

徳正寺さんを出て武豊から富貴へと進む我々ですが、我が子供たちにとっては故郷とも感じているいるであろうし、ママにとっても子育て真っ最中を過ごした懐かしい風景へと歩が進み、25番札所・円観寺さんへと13時に到着なのでした。

円観寺さんへと向うすぐ手前でママが列を離れて「コンニチわ〜」って、我が息子と同級生で小学生の頃は頻繁に子どもの手を引いて行き来をし合った鉄平君のおウチだったのですが、二年前には大きくなった鉄平君とも会えたこのお遍路です。
今年もお祖母ちゃんが居られましたが、鉄平君も今は独立して家を出て我が息子同様に結婚もして子供も産まれ「もう10カ月にるんですよ」って目を細めるお祖母ちゃんです。
我々も三人の孫のジジババとなり、時が流れ時代の流れというものをしみじみと感じながら鉄平君のお祖母ちゃんとの出会いの有った富貴なのでありました。
さあぁ 歩はどんどんと南下で進むのであります。


「線路は続くーよぉ どこまでも〜♪〜」って調子で「遍路も続くぅーよぉ ど・こ・ま・でも〜♪〜」などと、みいちゃんの住む武豊をドンドンと南下する知多半島東側ですが、冨貴も越えて布土も越えて「またも来ました、我が貧乏の華航寺よ」なのです。(判らぬ方は昨年以前の我がお遍路レポートをご覧下さいネ〜)
13時50分 
番外札所・華航寺さんへ到着ですが、入ってビックリ「ボロ寺がナイ!」
有ったはずの朽ち掛けの本堂が消え青空のみで弘法さまが仰るようにこの世の全ては「正に空」の風景なのです。
そして更に進むとその場所はキレイになっていて真新しいコンクリートの基礎が打たれていて、それを見ているとムクムクと湧き立つ様に真新しい本堂が生れてくる様子が目に浮かぶようで、嬉しい思いでいっぱいのパパなのでした。

             ボロ屋根の 中で無言の 説法は 幸も不幸も 己が決めよと ・・・07年のオレの一句

             朽ちてよと 傾いてても お大師の みこころのまま 過ごす遍路寺 ・・・06年のオレの一句

             軟弱が ナニを基準に しあわせや 不幸語るは ちゃらおかしい ・・・05年のオレの一句

知多新四国お遍路寺で一・二を競うボロ寺の中に見た、お大師さまの気持ちというものを感じたままに毎年オレが句にしてきたものですが、清貧という言葉が相応しい方々が守っておられる華航寺さんなのです。


毎年来る度に華航寺さんに特別な空気を感じていたオレですが、今までボロボロの本堂とその一角に居たこの方々しか目に入らず、弘法堂でのお参りをしていても全く気が付かなかったけど、本堂改修の為に弘法堂の一角に納経所を移動されその為に中がじっくりと見られたワタクシなのです。
コンニチわ〜って、首を突っ込んで奥を見ると向こうからもこっちを見ているのが居やがる。。。リアルな顔だが誰じゃいな?
一歩下がってみると弘法堂の前にも墓石と思われるものや、だれぞの像も立っているけどこいつも誰じゃいな??

不思議がっているオレに木村の親分が寄ってきて教えてくれました。
      この方は開創200年の礎を築いたお一人で三開山の一人、武田安兵衛行者というんじゃな
      元々四国の人なんだが、諸国遍歴の旅に出てこの知多半島に来た時に
      四国で既に巡拝の旅に出ていた古見の亮山和尚と出会っていて
      大井の宝乗院さんでバッタリと再会したんだと
      それからは岡戸半蔵行者も一緒になって、知多にもお遍路巡拝の道をと
      三人が奔走をされ、何度も四国に行き来もして知多半島もグルグルの彼等だったというのです。

その開創の師の一人「武田安兵衛行者」が38歳で最後に命を閉じたのがこのお寺の十王堂で、だから遺品も多く墓石も建つ華航寺さんだというのです。
オレは我がお遍路レポートを勝手に自分が感じるままにカキコしていたけれど、ここの境内でずーっと感じていた事に「やっぱり間違いが無かったんだ」って確信をもった嬉しい五回目訪問で、初めて知った武田行者が居る開山所の華航寺さんだったのです。


この由緒のある華航寺さんがなぜ番外札所なのかな?っても思うけど、華やかな表舞台が好きでオレがオレがという連中の多い世の中で、知多新四国を一所懸命に巡拝して歩くであろう後世を思い、静かにご自身を見つめていたのであろう武田安兵衛さんだったのだと感じるオレです。
参拝の間にもママが座って可愛い花を携帯カメラに収めていますが、きっと誰かさんが喜ばれるであろうママからの花の写真付きメールなのだと思います。
知らなかった事をいっぱいに木村の親分に教えてもらったけど、境内の真ん中に陣取るウバメガシも当時のものだそうで、武田行者が亡くなった200年後の今も緑が青々と繁っていますし、我々もこうして巡拝をさせて頂ける知多新四国なのであります。


ボロ寺が新しく建ち代わる様子も楽しみな華航寺さんを後にして、お互いが別々に下見をしたという先導のヒゲおじさんと中村さんですがアッチだコッチだと言いながらも、名鉄電車の線路を挟んで海手を行ったり山手を行ったり、本日はナビ野儀さんが午後から所用だといってご不在となりましたが、どの道もナビ野儀さんがその日のお天気やご本人のお気持ちで通ったことのある道たちです。
段々とオレも遍路道の全容が見えてくる巡拝五回目で有り、開創200年の節目の今年なのであります。


我々にとっては定番となっている三日目お遍路道中での札所ではないけれど必ず寄らせて頂く、大砲巻きが美味しい飴文さんへと足取りも軽くやって来たのが午後2時35分でしたが、塩漬けの桜の花を浮かしたお茶を頂きアンコがほど良い甘さのこれが大砲巻きなのです。
初めて来られた方々も毎年参加の方々もいっぱいにお土産を買っておられましたが、流石に100名を越える人数が一辺ではてんてこ舞でミンナもお店もおお大変のいっ時なのでした。


飴文さんでの一服を終えて待っているこの急坂ですが、気を緩めているとマジで背中から下にゴロゴロと転がり落ちていきそうなほどの参道を一気に登り切ると、高台からステキなロケーションの三河湾やその対岸となる西浦海岸や三ヶ根山などがクッキリと見えます。
でも振り返って見る気力も失せるほどのハーヒーを登り切って早速にお世話係りの方に渡す納経帳の用意ですが、千秋ちゃんなどは全力を使い切って茫然自失状態の
番外札所・影現寺さんへと午後3時前です。

本日の納経帳のお世話をしている鶴田ママや植野さんたちですが、参加者が多いこともあって今年から始めたご朱印を頂く為のページを事前に開いてお世話係に渡す参加の皆さまです。
確かにスピーデーではあるのですが、コレが良いようで、でも間違えて開いて渡して違うページにペッタンコの人も何人かの今回です。
先ほどの華航寺さんでボロ屋根の様子が知りたくて先頭で入ったオレでしたが、事前に開いて集めている納経帳係りの人の様子を見て「間違うとイカンでこっちで開くからそのまま渡して下さってええですよ」ってご住職のお言葉に「何でも知っている優しい方なんだナー」って、感心をしていたオレなのでした。
ミンナ気を付けて開きましょうネー


弘法堂でのお参りを済ませてお世話係りから納経帳を返して頂く皆さまですが、間違い無くお参りのお寺のページにご朱印が押されているかどうか確認が必要で、特に冊数の多い今年は注意が必要のようです。
そんな間にママがオレと木村の姐御のスナップ写真などですが、最近はデジカメや携帯電話のカメラが大はやりで、風間さんも弘法堂をパチリだし、先ほどの急坂ヘロヘロの千秋ちゃんが今度はオレを狙っていました。


影現寺さんの裏庭側から山手を通って本日10カ寺目となる26番札所・弥勒寺さんへと向う我々ですが、大雪の一日目を経験し台風の様な暴風の中を歩いた二日目に「今年のこれからはどんな天気じゃ」って心配したものでした。
でも今回は、既に午後3時を回って陽も傾きかけて寒くなりそうなものですが、穏やかに柔らかい風を楽しんで、梅の花を眺めながら足取りも軽く進む歩たちなのです。


午後3時40分に到着でしたが、時間を記録しだした昨年は午後3時10分に到着でしたので、昨年と比べると30分ほど遅くに到着をした今回です。
でもどのお寺でも「ちょっと一服」っていう時間も全く無いし、歩くミンナからは「今年はかなりスピードが早過ぎよ」って声も聞きますが、各お寺での納経帳のご朱印を頂くのに時間が掛かり過ぎてそれをカバーすべく歩速が早くなっていた今回だったでしょうか?
でももう大丈夫 このお参りを済ませると 後は駅まで行って電車に揺られて帰るだけです。

弥勒寺さんの境内西側にある弘法堂が西日のせいでキラキラしていますが、お大師様も「今日もミンナお疲れさんじゃったね」って語ってくれているようで、木村の姐御が先達の般若心経を読んでいるだけで疲労感が抜けて行きます。

今日も納経帳に赤いハンコのページがまた増えましたが、お参りを終えた後でお寺から頂いたミカンが水分たっぷりで喉の渇きを癒しもしてくれ「もう歩かなくていいわね」と言い、先ほどの影現寺さんからココまでの道の事でも真剣に「近道は本当にナイの?」って聞いていたおわらい天白チームの細井さんたちとゴール記念の一枚デス。

更には河和駅までの道中ですが、木村の親分に教えて頂いた武田安兵衛行者の眠る華航寺さんのことは絶対に忘れませんし、今はもう消えたあのボロ屋根のことも絶対に忘れない本日のワタクシです。

長きに渡ってパパの駄文にお付き合いを頂いた皆さま ご精読を有難うございました。
ではでは コレにてチーン ではなかった チョーン!




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