岐阜ウ協3月例会「西美濃の旧街道を歩こう」に参加の一歩たち 08年3月9日(日曜) 天気 晴れ 距離 19キロ
コース = JR大垣駅下車・貴船神社スタート 〜 加賀野神社 〜 旧中山道 〜 赤坂港跡(昼食) 〜 安楽寺 〜 御首神社 〜 旧美濃路 〜 大垣城ゴール

3/9(日)は前日よりも更に春らしさを感じられる陽気になるとの情報にルンルン気分で「今日は何処へ行こうか」だったのですが、県内各支部はバスウオークの豊田支部以外が無くてハタと膝を叩いて「そうだ!岐阜があるじゃん」って、日歩からのネットを確認してイザ大垣駅へと走らせるマイカーで有りました。
名神・小牧から西へと向う山々は朝日を浴びて真っ白にクッキリで伊吹山も鈴鹿連山も見事で思い通りの
大垣駅前に着いたのが8時20分ころだったのですが・・・
駅前にはウオーカーの姿が何処にも無く、ここでもハタと膝を叩いて「そうだ!垂井の伊藤さんに電話しちゃおう」って問い合わせると「本日は所用で家なもんで」とのお返事で早速に会報を引張り出される様子がありありですが、お聞きした場所がよくワカラン説明だったのですが、車でクルクルと廻り何とか判った集合場所とミンナです。
そして気が付いた時は集合時間を過ぎていて川沿いの公園ではストレッチ体操も始まっておりママだけを降ろしてパパは車の置き場所探しですが、基本は無料が前提でカーナビ君に相談すると市役所が直ぐ近くに有りそこに置かせて頂くオレであります。
車を降りて「イザ・みんなのところへ」ってヒイヒイと駆けながら歩いていると岐阜ウ協の重鎮・長谷さんから「いま何処だね、もう出発するけど貴船神社を目標にな」って教えてくれて、更にヒイヒイと駆けるワタクシで有ります。
そして先ほどの小さな公園にたどり着くとそこが
「貴船神社」で「アレレこの先は何処じゃいな」って先ずは真っ直ぐに先を進むと大きな信号のその先を行くオレンジ色が点在の大集団を捕えたオレです。

ハフゥ〜 ヘエェ〜 って心臓を落ち着かせて距離を縮めて最後尾に追い付くと、三輪さんが居て東京から参加だと言う平塚さんが居られ自転車に乗った新井さんも居られ、先ほど電話で説明をしてくれた長谷さんも心配をしてくれていました。
お陰さまで皆さまと合流できましたが、さあぁここからはミンナと一緒のウオークです・・・って言ってたら、新井さんが足の具合がイマイチで「今日は見送りだよ」ってこの近くが自宅だという場所で手を振ってミンナを送ってくれました。


時々はお邪魔する岐阜ウ協ですが、ちょっと間の開いた参加で昨年9月多賀三社巡り以来で長屋さんチの奥さんにも「お久し振りでございます」ってご挨拶だし、見知らぬ方からも「いつもご夫婦一緒でエエネェ〜」って声を掛けて頂けます。
立派な長屋門のおウチを長谷(ながや)さんが教えてくれますが、どのような仕事で財をなしたのか「風情も有り歴史も有りそうなこの住居を維持をするのは大変だろうな」って思うほどのお屋敷の横を通らせて頂きます。


ミンナに追いついて最後尾近くを前後の見知った方々と会話を弾ませて歩いていると、前にこんもりと可愛い鎮守の森が見えてきましたが先頭が立ち止まったようで本日最初の休憩場所のようです。
「加賀野八幡神社」という所でしたが元々は加賀野城というお城が有った場所だそうで、現在は岐阜の名水50選にも選ばれているほどの美味しい水がコンコンと湧き出ることで有名だそうで、近くに行くと大勢の人たちが競うようにひしゃくで水を汲んでいました。
そしてその水源からの小川にはハリヨという清水にしか住まぬという魚の生息する小川もあり、地域の方々が守っておられる様です。
後でご一緒ウオークだった辻さんに聞くと「あそこが私の家なのよ」って、直ぐご近所がお住まいだそうですが「春夏秋冬の伊吹山が窓の外だし、美味しい水を当たり前に飲めてイイ場所なのよ」って仰っておられました。


たっぷりと休憩もして「おやおや・来ていたんだね。暫らく遇わなかったけど何処か遠くへかい?」って古越さんからも声も掛けて頂けましたが、遅れて最後尾近くを歩いていたもんだからこちらも気が付かずやっと見渡す参加者の皆さまで大勢の愛歩組も居られる本日の岐阜ウ協です。




500選認定の本日のコースだということも有るのかもしれませんが地図も足りなくなるほどの参加者が
真っ白な
伊吹山と青い空を眺めながら汗が出るほど暖かい空気の中を素敵なロケーションの大垣郊外を歩かせて頂いています。

大垣市内の中心部から一旦は東に歩を進め更に北上をして中山道へと出て、中山道を西の京都方面に進むコースとなっていますが、見覚えのある七曲半の道標はもちろん、ママが直ぐに高蔵寺の森宴会部長と大阪の清田のダンナ様がペタコペタコとした隠れて尚も目立つ赤い道標がいっぱいのこの道たちです。
歩きながらコース説明に忙しい河瀬会長も「久し振りだがね」って言ってくれますが、足取りも軽くなる伊能仲間との懐かしい中山道でもアリマす。


一旦は長徳寺さんで列詰めとトイレ休憩を兼ねた大休止もしましたが、名前を間違えて訂正カキコを頂いた長谷(ながや)さんやカッパの堀さんと田んぼの土手のような所で一服です。
そして進む歩の先は昨年の10月に第8次畑中隊で通った写真と同様に
杭瀬川の看板を一緒にパチリの赤坂港跡で、ここで昼食休憩となったのであります。

もうすでにお気付きかもしれませんが午前中の途中からはママも上着を脱ぐほどで、ポカポカ陽気に包まれた中を歩が進み昼食休憩場所の赤坂港跡の水辺へと降りて来ました。
つい先日までは長い時間腰を下ろしていると体が冷えてきて「早く歩きたい!」って思っていたほどの食事タイムですが、今日は水が流れ噴水も直ぐ横の場所に陣取って、前日もお遍路でご一緒だった尾関さんや伊藤家の食卓とオレが言う伊藤さんたちとのんびりとたっぷりと時間を掛けてお昼ご飯です。


食後は隣りの赤坂港資料館の方がここの事を説明してくれましたが、古い写真を出されての説明にミンナが注目です・・・そうそう、加賀野の名水のお近くにお住みの辻さんが写っていますが、青いジャンパーの方で昨日も一緒にお遍路を歩いた仲間なのですヨーン♪
説明に使って頂いた写真を撮ったので見難いかもですが、橋の上から撮ったという右の写真を見ると神社境内に常夜灯が写っているのにお気付きでしょうか?
当時は神社の横まで川幅が有ったそうで、今は資料館となっている元警察の建物も川を埋めて川幅を狭くした後に当時の建物を真似て平成の時代になってから建て直したそうだし、常夜灯も新しい橋の横に移設したのだそうです。
何枚もの写真を見せてくれましたが、当時の車や人々の着ている服装が今の風景と重なり、歴史の動きや時代の流れというものが杭瀬川の流れと共に変遷をしている様子に感心で、正にウオーキングというやつは歴史と時代との出会いでもあるのです。
ご説明を有難うございましたデス。


昼食後は昨年の第8次中山道ウオーク畑中隊が10/13(土)のゴールでもあり10/14(日)のスタート場所でもあった、赤坂宿本陣跡にも寄ってらせて頂きました。
その後は中山道を離れ南下ですが、石灰産業で財を成した方の家だと言う工場かと間違うような延々の壁沿いの路地を、スピーカーを持って前に後ろへと移動しながら説明をしてくれる河瀬会長のお話を聞きながらの歩であります。


中山道を京都方面に向うと次は4キロほどで関ヶ原宿となりますが、河瀬会長の説明によると、かの有名な1600年の関ヶ原の戦いの前日に東軍の総大将となった徳川家康が最初に陣を張ったのが、ここ安楽寺さんの裏山だというのです。
後に勝った家康が「岡山」という山の名前だったものを「勝山」に変えさせて、麓の安楽寺には戦死者の霊を弔うように指示をして「三つ葉葵のご紋」を下譜して現在の安楽寺があるのだそうです。
大きな本堂の横には梅林も有りましたがこの下に荒れ野を駆け巡り息の途絶えた雑兵たちが眠っているのでしょうか?
歴史というものは名を残した者たち以外にもいっぱいの人々が関わって時代を形成したのだと思います。


大屋根に輝く金色に葵のご紋の安楽寺さんを出て御首神社という物騒な名前の神社にも寄らせて頂きましたが、戦国時代の合戦場となった各地にこのような地名が多く「首塚」だとか「血の池」だとか「首洗い」だとか・・・戦いに勝ったものが手柄の証拠として刎ねた首を家康の下へと持って来た際に血や泥の汚れを洗った場所やそれを検分した場所や最後に弔った場所など・・・今でもその静まらぬ霊たちがいっぱいにたむろしていそうな空気の社殿奥ですが、時代というものが凝縮したような場所が今は白い幟が立ち屋台も境内に出て春祭りのような様相となっています。
どんどんと気温が上がる午後ですが、長谷さんやお昼ご飯をご一緒だった伊藤家の食卓とオレが呼ぶ、伊藤さん姉妹ともご一緒の午後のひと時が穏やかに流れて行きます。


中山道赤坂宿から南下を続ける途中に有った安楽寺さんや御首神社でしたが、4キロほどを歩いて美濃路と交差するところを今度は東へと進み大垣郊外を四角く一周するようなコースとなっております。
中山道も美濃路も当時の面影をいっぱいに残している道幅と町並みが続きますが、途中には遠くからでもはっきりと「アレは一里塚だね」って判る
「久徳の一里塚」へとやって参りました。
この塚の反対側を指して首をかしげている辻さんたちですが、オレも聞いてその時だけは覚えていたけどもう読めない???神社でありました。


最初は中山道の山の中に「赤坂港跡などとふざけた地名になんじゃらほい」って思っていたオレですが、今日のお昼の資料館の方の説明によると、杭瀬川の当時は今の揖斐川本流の川幅や水量にも負けぬほどの立派な川の流れが有ったそうで、それを裏付けるように川下の美濃路側にも川の土手に本当に大きくて立派な「塩田の常夜灯」として残っておりました。
大垣という街がどれほど勢が有り徳川家とも縁が深かったのか、朝鮮街道と呼ばれる朝鮮通信使の一行も何度も行き来した大垣の街には目を見張るような家々もあちこちに点在しています。


水の都とも呼ばれているという大垣の街を歩かせて頂き大垣市役所近くの「奥の細道結びの地」の碑が立つ船町港跡公園にて最後の休憩となりました。
そしてふと見渡すとオレが今朝マイカーを停めさせて頂いた駐車場が直ぐ横のようで、この後に更に
大垣城へと足を伸ばしてゴールとなるようだったのですが、辻さんのお気使いも知らずに見知った方々にご挨拶もして失礼をさせて頂いた市役所近くだったのです。
でも本当に素晴らしいお天気に恵まれリーダーの高見さんや旗手の森さんの先導でどこもかしこもステキな場所ばかりを楽しませて頂いた一日なのでした。
参加させて頂き有難うの気持ちを込めてのレポートをフィニッシュとさせて頂きます。  ではでは ネ〜




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