第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期 間 = 2008年2月9日〜6月28日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」開催
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  二十七番札所から十一カ寺を巡拝  08年3月22日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 18キロ
集合 名鉄河和線・河和駅(AM8:30) − 27番・誓海寺 → 番外・禅林堂 → 28番・永寿寺 → 29番・正法寺 → 34番・性慶院 → 33番・北室院
        → 31番・利生院 → 32番・宝乗院 → 30番・医王寺 → 35番・成願寺 → 36番・遍照寺ゴール(PM3:00) − 河和駅までバスにて戻る

3/22(土)も朝のうちは日中の暖かさに慣れた体にはヒンヤリ感が有りましたが「間違いなく日中は暑いほどであろう」との予想に薄着で出掛けた我が人生のライフワークとなったお遍路4日目なのでした。
向う金山総合駅の乗り換えでは同じ電車を待つ仲間がいっぱいだし、更に乗り換える名鉄富貴駅ではほとんど貸切ではと思えるほどの仲間でいっぱいの河和行きです。


着いた河和駅でママが杉岡さんに納経帳をお返ししていますが、三回目に「どうしても行けんもんで代わりにママにね」って依頼をされた納経帳を平身低頭のご本人へとお戻しなのです。
今までは駅前のエントランスを利用して参加者受付や開会式もしていたのですが、大人数過ぎるので一旦は駅横の駐車場スペースに全員が移動をして出発式となりました。

その際には世話役のヒゲおじさんからも前回の飴文さんでの出来事を引き合いに、譲り合いの精神や接待に対する心づかいの事や、併せてお参りの際の作法などについても繰り返しての話なのでしたが、相互にお互いを気遣うには人が多過ぎる今回のようです。
そして本日のリーダーからもコース説明でしたが、河和から知多半島の先端となる師崎へと巡る11カ寺で、8時50分に吉田さんとタローおじさんの先導で先ずは朝日がまぶしい海岸通りへです。


海岸通りを南に進み大きなタンクが並ぶ水飴工場にぶつかったところを右に曲がり、変則四差路の横断歩道を2回渡って斜めの道に歩を進めます。
そして河和中学校の信号を右に曲がって、狭いながらも交通量の多い直線の道を山手に登るようにですが、この狭い道が意外と交通量も多くスピードもなかなかで、安全班が黄旗を上げて自動車への注意をうながしながら一列となって進み、長い先にある信号でお遍路の道標を目印にまた右へと曲がります。
覚えているようで覚えていないし、忘れていたようで忘れていない道たちですが、河和駅から4キロほどを知多半島を横断するように半島中央部へとやって参りました。


河和駅からほぼ50分ほどの9時35分頃に到着の27番札所・誓海寺さんですが、県道沿いから登坂になっている参道を進むと山門の上に梵鐘が有りくぐるミンナが順番にゴーン・ゴーンで、きっとこの音を聴いて「おっ・参拝者じゃ」って納経所の準備をされるご住職なのでしょうか。
上手な写真が撮れませんでしたが山の傾斜地のような所に建つ誓海寺さんで、登る右手が本堂と庫裏となっていて正面に弘法堂、そして並ぶように
番外札所・禅林堂さんが有ります。
二つの札所が一カ寺の境内に並んで建っているのですが、初めてで知識が無いと弘法堂のお参りを済ませて「チョンかいな」って思っちゃうけど、今はベテランのワタクシでお隣に移動をしてまたもナムナムなのです。


本日は所用でお休みの木村の姐御に代わって片岡さんが先達をお勤めでしたが、珍しくお一人で参加の木村の親分が言うにはココの禅林堂には「三開山のお一人、岡戸半蔵行者がまつられておるんだわ」との事で、五年目にして漸くに古見の亮山阿舎利の発心に華航寺に眠る武田安兵衛行者とここ誓海寺にまつられる岡戸半蔵行者の二人が加わり悲願達成の200年前だった事を知ったワタクシなのです。

                            目を閉じて 見えるはボロ着た 三坊主 今も一緒に 我の前行く

弘法さまは「同行二人」と言って「心配しないで 寂しくないよ あなたと一緒に私も歩いているんですよ」って言ってますが、知多新四国巡拝には更に三人が加わって「同行五人」だし、こんなに大勢の巡拝仲間が居ることにシ・ア・ワ・セ〜って感じる、桜も咲き出した四日目のお遍路なのです。

このお遍路道中に大砲巻きの飴文さんを加えたり、ここつくだ煮街道(お店の名前です)を加えたり、今日の帰りには魚太郎という市場にも寄ったりなのですが、なんと粋な計らいをした大先輩たちなのでしょうか!
ヒゲおじさんが冗談半分で「来年は飴文をパスしようか」などと言っていましたが、過去十三年間で築いてきたこの道のどれも割愛などしてはイケナイ巡拝コースなのです。
お店の中はつくだ煮類はもちろんお菓子に魚にハーブティまでも試食試飲が出来て、早速にお土産を買い込む方々もいっぱいだし、ママは試食のお菓子を手にいっぱいで(乗せたのはオレだけど)再出発時にもポリポリなのがお分かりでしょうか。


真っ青で雲ひとつ無い青空、朝のヒンヤリ感も歩き出したら直ぐにどこかへで、ポカポカの陽気の中を確実に春の芽吹きを感じられる知多半島・古布地区ですが、足取りが一段と軽くなります。

パパママが参加をした最初の年もキレイに咲き誇っていましたが、今年も丁度具合良く咲いているこの木のです。
なおきちさんに教えて頂き名前を覚えたミモザの木の名をミンナに「ほらあぁ・これはミモザって言うんだヨ〜」って、もう知っている方もだし「ヘエェ〜」って方もの五年目ですが、完璧にこの木の立つ場所を認識のオレなのです。

ミモザの木のところを右に曲がると目指した28番札所・永寿寺さんの本堂の大屋根が見えてきますが、クルリと廻って南向きの山門から「コンニチわ〜」です。

入口近くのお世話係りの方の手にいっぱいを手伝って納経帳を納経所に運ぶワタクシですが、中では可愛い坊やが小さな手で大きなハンコと格闘をしていました。
冊数の多さもあって「お父さんかお母さんを呼んでよ」ってお世話係りでしたが、野田開山(かいざん)君と言い今小学3年生だそうで「父はぎっくり腰で、母は外出なんです」って、慣れた手付きでペタンコ・ペタンコと上手にご朱印を押してくれる可愛い小坊主君なのでした。

          境内の宝塔には「光明遍照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨」と有りました
          地球上と言う意味を「十万世界」と表現しているのでしょうか
          この世は闇じゃって思う時が有るかもだけどそうじゃナイ
          弘法さまは全ての人のこころの隅々にまで光明というものを与えているんだよって「光明遍照」です
          辛い事があっても般若心経を大切にな、って「摂取不捨」で
          「念仏衆生」 さあぁ ミンナで般若心経を歌ってごらん
          ただ無になって手を合わせてね

またもオレの勝手な解釈ですが、弘法堂に向ってただただ南無南無です。


10時45分に到着の永寿寺さんでしたが、お参りを済ませて路地に出ると御歳95才だという近所のおばあちゃんが永寿寺さんの境内のニギヤカさにつられてか山門前へと出て来られていました。
お聞きすると歩いて10分ほどのところにあるお墓参りが「毎日の日課でな」って仰り、家に咲いているという白と黄色の水仙の花たばを愛車の籠の中に入れて居られました。
そして息子さんが河和駅近くにお住まいだとか。90歳で先立ったご主人は叙勲もされた学校の校長を18年もされた方だとか、青くきれいに光る「この指輪は誰ぞが河和港から外国に行った時に船で財宝をいっぱい持ち帰ったんだが、その一つじゃ」って、それは何年ごろの出来事だったのか明治45年生れのお婆ちゃんなのです。
100余冊を越える納経帳に格闘の開山君だったようで、20分ほどの時間を要していた為に、お婆ちゃんともいっぱいに色々なお話が出来ましたが「来年もお逢いしましょうネー」って、さあぁ それでは 遍路道を次のお寺に参りましょうかネ〜


永寿寺さんで95歳とバッタリも偶然の出逢いだし、長命のお婆ちゃんと出会った場所のお寺の名前に永寿と付いているのも偶然で、開基200年の今年に出会った小坊主君の名前が開山君というのも、みんなみんな偶然の成せる技なのですが、偶然の積み重ねの中で出会いが有り話も和も生れて輪になるんです。

「偶然」という言葉の対意語として「必然」という言葉が有りますが、オレは常に人と人の出会いというものはそういうことで、お互いの意思とは全く違う別の何かによって「会える偶然」が「必然」として作られているのではないかと思うのです。
長崎県対馬生まれのママと道産子のオレが出逢い結婚をして今が有るのも不思議だし・・・
でも「あらぁ〜・こんなところで」って、そんな方々との出逢いの不思議さと縁(えにし)というものを大切にして、真っ青な青空の下をウオーキングなのです。
二年前にはヒイヒイと走った思い出の場所で忘れられませんが、今日もあの日と同様に穏やかな空気に包まれている豊丘地区をミンナでヒイコラと歩が進みます。


四日目は朝から一カ寺づつの距離が長くて目指す本日3カ寺目迄で約10キロの道のりを歩いていますが、本日のアンカーは武豊六貫山の立山さんです。
ユニークな帽子をかぶっていますが本四国に行って手に入れたといい、帽子には赤い字で「巡拝」とか「同行二人」と書いて有ったり弘法さまのお言葉も黒い字で書かれています。
お腹も空いて来て「メシはまだかな」って思っていましたら
29番札所・正法寺さんへと11時40分の到着です。

正法寺さんはお寺には珍しいレンガ壁の塀に囲まれていますが、まだ五年目のオレは知らないけれど、先輩たちが言うにはここの本堂が放火によって全焼をした経験が有るとの事だそうです。
いっ時は境内の隅に弘法堂や納経所を設け、檀家はもとより巡拝の方々からも基金を募り、つつましくも健気にされている様子に胸を打たれて「わたしも二回くらいは千円を出したわ」ってミンナですが、そのお陰も有ってかこんなに立派な本堂や庫裏となっている今だというのです。
何度かはここの境内で昼食をさせて頂いた経験も有りますが「今日はお天気も良いから、野っ原で食べよう」って事で行った先ですが、思ったロケーションとは異なり「ナンでココなの」って思うようなトイレも無い場所での昼食なのでした。

食後はリュックが軽くなったけど重くなった腹を抱えて、スタコラサッサと大井地区を目指します。
ほぼ午後1時に潮の香のする三河湾側に戻ってきた我々ですが、大井漁港の山手にある30番から34番まで五カ寺のお遍路団地へとやって参りました。


このお遍路団地にはわずか50mほどの距離の中に札所が寄り合っている不思議な場所ですが、木村の親分が三日目道中で説明をしてくれた武田安兵衛行者が逗留していた宝乗院さんで、古見の亮山阿舎利と再会の縁や、更には今日も木村の親分が教えてくれるには弘法大師と呼ばれている空海が814年に知多半島に来た時にここの医王寺さんに泊まられたというのです。
最初に参ったのは何度書いても嬉し恥ずかしって思っちゃう
34番札所・性慶院さんへなのですが、後で思うけど「なんでこんなお寺の名前なの」ってどうしても聞きたい性慶院さんデスが何時も聞き忘れちゃいます。。。
その山門の扉に判り易い地図が貼って有りましたので皆さまにも位置関係をね


上にハリコの地図を見て頂くとお分かりかもですが、我々は地図の下のほうから歩いて来て最初に寄ったのが34番・性慶院さんで、次にT字の道路へ一旦は出て左の33番札所・北室院さんへですが偶然かまたも葬儀と重なって山門前で合掌をさせて頂きました。
更には北室院さんの山門の前に道を挟んで左右にですが、朱塗りの山門の
31番札所・利生院さんでお参りをして、道向かいに建つ32番札所・宝乗院さんへと足を運びます。

宝乗院さんの境内ですが、ここで200余年前に四国で出会っていた武田安兵衛行者と古見の亮山阿舎利が再会をした場所だというのです。

       「なあぁ武田行者よ わしは四国に何度も足を運んでおるが、我が知多の地も四国に似ておろう」
       「この地は水に貧しく土も貧しい でも人々は一所懸命じゃ」
       「おれはこの地に住む人々のこころの支えとなるよう、是非とも知多の地に四国と同様の霊場を作りたいのじゃ」
       「そして多くの民に大師の御こころを知ってもらいたいのじゃよ」
       「手伝ってくれんかのう」

って、オレの勝手な想像で本当にこんな会話をして手を握り合ったかどうかは判りませんが、弘法堂の前には二人の決意を示すように左右に紅白の椿の花が咲いていました。


なにかこんな事をカキコしていると「仏心でも有るんかね」って思われちゃうかもですが、弘法さまと言われる人と空海という人が同じ人だとは今まで知りませんでしたし、空海と言っても「なんか・くうかい」ってくだらぬ親父ギャグしか思い浮かばぬワタクシです。
だから知多半島に空海が来たなどとは露も思わぬワタクシで、この先の大井海岸に建つ上陸大師といわれる弘法さまの石像も「勝手な想像で作ったんじゃなぁい」って思っていました。

お遍路団地に並んだ四カ寺のお参りを済ませ五カ寺目となる
30番札所・医王寺さんに着いたのが1時20分頃でしたが、木村の親分が言うには「814年に船で大井海岸に着いた大師が泊ったのがここで、実は当時の医王寺はもっと山の上に建っていて三河湾が見事に見える風景だったそうな」って、知らない知識が年を重ねる毎にどんどんと増えて嬉しいオレです。
その由緒ある医王寺さんも残念ながら今は無住寺で住職が居られず、NO6623の真ん中写真をアップして見ると判りますが、性慶院さんで一緒に頂く納経帳のご朱印なのです。
お参りして巡る我々に遅れて10人ほどで手分けして、34番・33番・31番・32番と納経帳を抱えてご朱印を頂いて廻ったお世話係りの皆さまが30番の医王寺に戻られるまで更に20分ほど待ちましたが、陽が暑いほどで木陰で一服のひと時でありました。


午後1時40分にお遍路団地を出た我々ですが、今朝から「今日は上陸大師に会える絶好の日和だね」ってミンナも言っていたけど、ナゼか「大勢での道路横断が危険だから止めにするわ」ってコースリーダーたちで、ナビ野儀さんが先導をしていた時は絶対に外さなかったのに昨年の雨模様に続いて二年間のご無沙汰になる聖崎に立つ大師像となりました。
そして国道沿いを真っ直ぐに南下をして片名漁港の山手側にある
35番札所・成願寺さんへとほぼ2時に到着です。




会えなかった上陸大師像ですが毎年お身拭いという行事が行なわれているようで
番々外の札所として特別なご朱印も頂ける北室院さんの山門の壁に貼ってあった一枚です。




思いを残して一旦は片名漁港から師崎漁港へと海岸部を進み



本日最後となる知多半島の先端部の
36番札所・遍照寺さんへと到着が2時40分でしたが
10カ寺に禅林堂を加えた11のご朱印が増えた本日です。


遍照寺さんの山門をくぐり本日最後のお勤めををする我々で、今朝から納経先達はお休みの木村の姐御に代わって片岡さんです。
昨年の8回目で手に入れた木魚のお披露目となった本日ですが、ポクポク・ポクポク・真ん中は・開けて・お参り・致しましょ・ポクポク、つて鳴る木魚の音も、ヒゲおじさんの今朝のご注意もポクポク・ポクポクって空に消えてしまったのか、はたまた狭い境内に大人数過ぎるのか??


その多過ぎた人たちの境内にお笑い天白チームのお一人、井形さんが「わたしのリュックが無くなっちゃったわ」って半ベソでしたが、何気なく背中から下ろしたリュックの場所が判らなくなり狭い境内をウロウロなのでした・・・これはその見つかったリュックに一安心をの一枚なのデス。
狭い境内に他にお参りの方々も居られ外で伊藤会長のご挨拶も頂いた解散式ですが、その後は上陸大師さまに寄らずにフィニッシュで速過ぎて長いこと待ってから到着の二台の貸切バスに分乗をして「とっとこ魚太郎」という魚市場に寄り道をして買い物も済ませ午後4時ころの河和駅発の電車でそれぞれの帰路となった四日目なのでした。
開基200年という特別な年で今までにナイ人数で巡拝をする我々ですが、我々以外にもほんとうに大勢の方々が巡拝の知多新四国に三開山の皆さまはニマニマとして見られている今年なのでしょうか。
ではでは コレにて四日目レポートをフィニッシュさせますネー





我々がバス待ちの間にも、師崎にある遍照寺への細い路地に多くの巡拝の方々が


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