第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目

         期 間 = 2008年2月9日〜6月28日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」開催
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさん 大代表は奥田さん

  番外札所・浄土禅寺から10カ寺を巡拝  07年4月12日(土曜)  天気 晴れ  歩行距離 21キロ
番外・浄土禅寺 → 40番・影向寺 → 41番・西方寺 → 42番・天龍寺 → 43番・岩屋寺                                         
       → 番外・奥之院 → 45番・泉蔵院 → 46番・如意輪寺 → 44番・大宝寺 → 47番・持宝院  
合計10カ寺

満足色の晴天となったお遍路五日目は名鉄河和駅から前回歩き通した師崎まで2台に分乗も満員バスに揺られて移動です。
何時頃から決まったのか晴れの場合は山越えの正統派コースとして師崎突端西の伊勢湾側からスタートで、雨の場合は突端東の三河湾側から丘を越えるコースとした五日目ですが、今日はピカピカの晴天に何の心配も無く正統派コースに入る我々です。
今までも「開創の三人はここを間違いなく歩いたんだよナ」って思う道を実感の場所が幾つも有ったけど、この道を歩くと本当に往時にタイムスリップしてしまうような感覚にとらわれるワタクシです。

亮山阿舎利 武田安兵衛行者 岡戸半蔵行者 の三人が、共にお互いの足元に気遣い「ここは石があるぞよ」とか「足を踏み外すなよ」とか「滑るから注意をな」などと言いながら歩いたであろう道を、二百年後の今、ウオーキングを通じて見知った仲間と息を弾ませて歩き始めた9時10分ころです。


朝露に濡れる堆肥のようなふわふわの地面を踏み締めるように固めて一歩づつですが、歩き出して間無しに一気に登るこの道はまだ寝起きの様だった体を一気に目覚めさせ緊張感さえも呼び起こすような足元です。
先頭のナビ野儀さんは顔に絡む蜘蛛の糸などを払いながら両手をロケットのように前に伸ばして藪をかき分け、続く人たちは前の人に近付き過ぎると乾いた葦が顔や体に当たって痛く、離れ過ぎても塞がる進路に難儀をしながら、でも足元には確かに道らしきものが有るようです。


山頂などと言うと何百メートルも登ったかのようですが、どう逆立ちをしても100mは絶対に無いという程度の頂上部に出ると畑が広がり何処からか軽トラックで登って来られるようでコンクリート製の道へと歩を進めます。
菜の花が咲く平坦部の道中にホッとするミンナですが、ジェットコースターが登り切ったところで一瞬の停止が有るかのようにこの先は・・・


ナンという名前の山なのか思い切って飛んだら下を行く人の頭さえも越えられるのでは思う地図上に道も無い山中を下って下りると本日最初の番外札所・浄土禅寺さんに9時55分なのでした。
みぎ写真の山を下って来たのですが急傾斜なのがお分かりでしょうか?  本日のママは納経帳係です。


今日のコース先導はナビ野儀さんでアンカーが奥田総大将という今は懐かしささえも感じる正統派の編成の五日目ですが、今までにナイ大人数で何とか知多半島の突端まで来て折り返す伊勢湾側です。
あまりのたくさんの参加者にオレの人物ウオッチングもままならぬ今回ですが、大きなカメラを提げた杉岡さんが今朝の河和駅下車時に左手に持つ杖を車内に置き忘れたことは思い出にカキコしましょう。
横の鶴田パパや後ろの鶴田ママもご一緒参加の本日ですが、歩く誰もに心地良い潮風が吹き渡る中を歩が進みます。


山越えの浄土禅寺から海岸通りへ出た我々の前には大きく広がる伊勢湾で、鈴鹿山系から障害物の無い海上を通って吹き渡る強い風に、ミンナして帽子を押さえながらも目を細めて眺める海の景色です。
一旦は恒例の「
魚ひろば」でトイレ休憩などもして狭い海岸通りの路地を行く我々ですが、海で働き海から生活の糧を得ている方々の息遣いが聴こえてくるこの道たちです。

40番札所・影向寺さんに到着が11時10分でしたが、なおきちさんに教えてもらって記憶の奥から引っ張り出して思い出す境内のハナズオウの「花数が今年は少ないな」って思ったら、伸びた枝の半分が枯れていていました。
年々歳々花相似たりというのも間違いで、シッカリと脳裏に焼き付いている満開の去年と、今年のハナズオウは同じでは無いことを更に記憶に留めるワタクシです。
今は国道247号線として知多半島の海岸線をグルリと一周するように整備されている幹線道ですが、きっと開基の200年前は磯場であったであろうと思われる地形で、今でも台風などにでもなると間違いなく道路に荒波が乗り上げると思うこの道を、三開山の方々はどのように歩いていたのか。
この季節ならば穏やかな砂浜を踏み締めていた三人であろうし、開創の為に知多半島を奔走していたのならば荒れる冬場の冷たい風の中も歩いていたのかもしれない。
そんな事を思っていたらママが「ギャアァ〜」ってギャグですが、旅館の前に飾ってある地元の港祭りに使われる鯛神輿の口の中に手を入れて遊んでいました。


前は海で直ぐ後ろが山で海に接するほんのわずかな凹凸の平地を生活の場としていたのであろうことが写真を見られてもお分かりかもですが、住む為の家を建てる場所を惜しむかのように、田んぼを作り畑を耕し大地からの糧も得ていることが判りますし、先祖からの土地というものを大切に守って昔と変わらぬ生活をしている今の方々の思想というものさえ伝わってきます。

              「なあぁ 竹樋君、土地を売ればそんときだけたい
                        でも野菜を作っていたら毎年毎年獲れるたい 土地ってそういうもんたい」


ママの田舎、対馬に行った若い頃に聞いた言葉です。

私自身も知多半島の富貴に10年ほど住んでいて何度もこの国道を魚釣りや海水浴などと子供たちと一緒に通っていましたが、このお遍路やウオークというものを知らなかったら、その時の言葉の意味の深さや大切さのカケラも感じずに素通りだったと思います。


伊勢湾側をどんどんと北上本日3カ寺目となる41番札所・西方寺さんに到着がほぼお昼近い11時50分ころでしたが、オレも豊浜の魚ひろばで購入したリュックの中のお弁当が恋しくなっていた腹ペコ時間です。
ママは納経帳係りであることを忘れていて西方寺さん近くになって列の中ほどから前に駆けて行きましたが、息を弾ませることも無く納経帳を預かっていて、知らぬ間に脚力も体力も整っている最近なのでしょうか。
木村の姐御の先達に従って南無南無をさせて頂き、弘法さまが指をくわえて眺められるお堂の横でお弁当を開かせて頂く我々ですが、本堂の中も解放して頂きそこで食べられる方や、道路向こうの海岸に出て海を眺めて食べられる方もおられるお参り後の穏やかなお昼時です。


約1時間ほどの食事休憩を済ませ12時50分に出た西方寺さんでしたが、コース先導のナビ野儀さんが都合でお昼休憩場所から帰られて、本日サブ先導の小川さんがリーダーをお勤めとなった午後のスタートです。
山が切れて内陸部に広がる田んぼの中を半島中央部へと歩を進めますが、お腹がいっぱいで足取りに重さを感じるミンナに「足が重そうだよ〜・胸を張って背筋を伸ばしてネー」ってオレのエールに応えるのは、お笑いてんぷくチームの名は体を表す?細井さんと前回の遍照寺でリュックを置いた場所を忘れて半ベソだった井形さんです。


食後のデザートのようなウオークで13時10分ころに到着の42番札所・天龍寺さんですが、ココには昨年初めて知った「愚痴聞き地蔵様」が本堂に向う狭い境内の左手奥に鎮座をまして居られるのです。
コヤツが可愛いやら可笑しいやらなんとも愛嬌のある顔で耳がぶ厚くデカイのですが、昨年は無かった透明の小屋が設けられていて、きっと我々が第一回目を過ごした大雪の日も二回目の防風の日もココで穏やかに過ごしていたのだと思います。
地蔵さまには迷惑かもしれないけれど、何時かはどっかりと腰を下ろしてこっぷ酒を前にして「じっくりと人生を語り合ってみたいナ〜」って思うコヤツです。


今年は大人数でちょっと愚痴聞き地蔵さまと語らっていたらもうお参りが始まっていて、木村の姐御の透き通った先達の声は聴こえて来るけれど前にはもう行けないほどの中を、歌詞カードを引っ張り出して歌うオレですが、この歌詞カードが不要かと思えばそうでもないし、見る必要が有るのかといえば「ハイ!入るのです。」って、結局はまだミンナのように諳んじれないワタクシです。

                           「野辺の花 我れ歌う声 聞きたまえ こころ込めたる 般若心経」

天龍寺さんを出て更にどんどんと、桜の花が散り染める道路を半島の奥へと進んで行く我々です。

天龍寺さんを出てどんどんと山の奥へ進んで行くと43番札所・岩屋寺さんへと到着が13時30分でしたが、ここの弘法堂は本堂の中が広くて右端に弘法さまが祭ってあり納経所も堂内の反対の左端に有ります。
ミンナして本堂の中のコンクリートのタタキのような場所に入りお参りをさせてもらうのですが、広い堂内の壁には般若心経の説明書きも飾ってあって時間が有ったらじっくりと読みたいのですが・・・


更に進む番外札所・奥の院さんですが、岩屋寺さんの納経所で奥の院さんのご朱印も一緒に頂く為に冊数が多くて時間が掛かりお世話係りの方々に岩屋寺さんに残って頂き進む我々なのでした。
写真を見ると判るでしょうが、一緒に「それではリュックもお願いね」って短い距離でしたがリュックも下ろして背中を軽くして奥の院の岩壁への階段を登らせて頂き岩場の窖(あなぐら)に向って大合唱の般若心経は反響が凄くて体中を包むように自分たちの方に返ってきます。


戻った岩屋寺さんでお世話係りの方々から二つご朱印が押された納経帳を戻して頂き再び来た道を、愚痴聞き地蔵さまの居る天龍寺さんの前も通って海沿いの山道へと進んで行きますが、もう一つオレが親しくなっている路辺の地蔵さまとも再会です。
今年は例年の倍ほど仲間を引き連れてのお遍路となっていますが、普段のウオークとは異なる各寺でのお参りや、こんな極端な変化の道たちをどのように感じられるのでしょうか。


本日2回目の大きな山越えですが、ほとんど人も入らぬよう家山道にはわらびやフキなどが自生していて、足を動かしながらも上手に山菜取りを楽しむ方もおられます。
どんどんと登って道木無き道らしきところを一気に下るとお寺の屋根が見えて来てホッとしますが、道を覚えたとしても一人や二人では絶対に入れないと思われるような鬱蒼の山中です


この山道をどれほどの方が通られるのか?知らぬ方が境内に居られたら、突然のように壁の様な裏山から続々と湧いて出てくるように大勢の我々に驚かれることでしょうが、もくれん寺として知られる44番札所・大宝寺さんへと参りました。
この4月以降の陽気に既に満開の時期を過ぎている事を承知していましたが、待っていてくれたかのように白い木蓮が微かな香りを残していてくれたほぼ午後3時です。
もくれん寺でのお参りを済ませて北上をしながら内海の町へと進んでいくと
45番札所・泉蔵院さんへと3時35分でしたが、距離もそうですがアップダウンも多くお疲れ気味の皆さまです。

内海海岸を目の前にした高台にある泉蔵院さんの境内ですが、陽がかなり傾き東向きの弘法堂が我々に大きな影を作る中を木村の姐御のお腹に響く先達の声に従ってお参りを済ませると、木村の親分から肩を叩かれました。
ここの境内の下を知多半島海岸沿いを包むように走る247号線なのですが、突き出た高台に沿うようにヘアピンカーブとなっていて横断場所がどちらから来る車たちにとっても死角となってしまい、しかも歩道の無い道路を横断しなくちゃイケナイところなのです。
お遍路道中の中でも一・二の危険度も高い場所で、安全班のワタクシにみんなより先に行って車を停める準備をするようって指示でしたが、来年以降は若干の道の変更をしてででも渡る事を止めるべき場所のようです・・・もちろんカメラで様子を撮る余裕も無く写真は有りませんが、無事に全員が横断をして「あと二カ寺だよ〜」って西日を背に歩が進みます。


同じ内海の町に並ぶ残った二カ寺でしたが46番札所・如意輪寺さんへと到着がぴったんこの午後4時で、ワタクシがこのお遍路巡拝に参加をする直前ぐらいに建て替えられたであろうきれいな本堂とひと棟となっている弘法堂です。
何気なく見ると本堂や弘法堂と境内の高さが大きく異なり柵の様なものも有るものだから何となく違和感を感じますが、横の入り江がなんと言う名の川なのか?周囲の民家もそうだけど、きっと大雨などの際には防波堤を越える水位となり、境内も水に浸かるほどのことが当たり前に繰り返されているのだと思います。
そのことが分かると納得でナムナムですが、さあぁママがハシャイで先頭の愛歩旗の小旗を持って進む先には本日最後の
47番札所・持宝院さんです。




先頭で飛び込んで行ったママが一気に88段の階段を駆け上がり続く皆さまですが
もう疲れてもエネルギーが空っぽになっても大丈夫なミンナのようです。


今日の納経帳のお世話をしていた早苗さんや益子さんも先頭を追ってフウフウでしたが、続々と登ってくるミンナから託される納経帳がいっぱいで、大丈夫かな〜・落とさないようにネー・・・って、パチリの後で直ぐに手助けをしたワタクシです。
陽が傾く中でお参りをした午後4時半でしたが、距離もたっぷりだしアップダウンもたっぷりを思い返して大きな声で歌うこの声は、知多半島全体にも届くのでは!って大満足の大合唱です。


解散式での奥田総大将もいっぱいの笑顔ですが、山あり海ありの知多半島の先端から伊勢湾側を内海まで、初参加の方も含めて全員が無事に歩き通せたことが嬉しいと喜びを語られるお遍路五日目でありました。




内海駅に向うママや木村ご夫妻や後ろの鶴田パパママなどの表情から今日一日の我々の満足度をご想像下さいネー



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