JR東海・さわやかウオーク「新緑の東海自然歩道と岩村城下町W」に参加の一歩たち 08年4月29日(火曜) 天気 晴れ 距離14キロ
コース = JR中央線・武並駅スタート 〜 アグリパーク恵那 〜 夕立山(700m)越え 〜 大名街道 〜 岩村(昼食) ・・・ 明知鉄道 ・・・ 恵那駅ゴール

GW9連休中の前半 4/29(火)のレポートになりますが、ネット上でこのウオークが有る事を確認していたワタクシはママに「絶対に行きましょう!エイエイオー」だったのです!が、なぜこんなに気合いが入っていたかというと、消えた(落とした?置き忘れた?)我が△帽子の代わりを手に入れたかったこの日なのです。
久々にかんから餅も食べたいし、カステラもだし、みつばのうどんもだし、女城主もだし・・・だし・だし・だし・って、いっぱいのアレコレのカッパの堀さんの住む岩村なのです。
そして下車したのがJ
R中央線・竹並駅でしたが、歩き出して暫らく行くと昔懐かしい恵那スケート場が今も営業していて「へえぇ〜」って思ったら、ローラーブレードの現在だそうです。

降りた武並駅が8時過ぎでしたが、朝の心地良い冷たさの空気の中をいっぱいの新緑の空気を胸にゆるい登り道をテクテクがほぼ1時間チョイです。
その途中の
アグリパーク恵那という酪農地域で、寄り道をせざるを得ないように地元の奥様方のニギヤカな黄色い声と五平餅の香りに足が止まりますが、サービスのお漬け物もパクパクさせて頂き一服です。

気が付くと遠くに見えていた山が近付き、道案内の大きな赤い矢印もどんどんとその山手を上へ上へと指示をしているのです。
周りのミンナも「登りばかりだなぁ」ってスピードが落ちますが、反して上がる心拍数と呼吸のハァーハァーだけど、心地良い体に対する負荷を楽しみ、吸う美味しい朝の森林の空気が体の中まで沁みてくるのであります。




ママも林道の路肩に落ちている枝打ちの棒を選って杖にしていますが
最初は一本だったのが、振り向くと両手に二本になっていたけど
「もしかしてオレが見てない間に下っているんじゃなあい」ってほどスピードが落ちてオレから離れる急坂です。




この道を岩村城主が使った時代の道標だと記してありましたが
左ハかまど 右ハおうい とあります。



今は街の中心が変化している東濃地方ですが、岩村城主が東濃尾一帯を支配していた往時を証す道標です。

夕立山という標高700mほどの山を越えたのだと後で知りましたが、この山道は岩村城主が中山道に出るために使った為に大名街道とも呼ばれていたとの説明もあり印の道祖神も置かれていたり、明治四年には尾張徳川家62万石から鈞姫が3万石の岩村城主・松平乗命にお嫁入りした時に通られたとの説明も地元のボランティアの方でした。
その頂上付近でもお茶やみそ汁が売られ一服をされる方も大勢でしたし、写真を撮り忘れたけど三度笠の多治見の泉さんとも再会でしたが、パパママは目指せかんから餅でしだれ桜の咲く下り道を進むんです。





夕立山を越えて降りて参りました岩村は、農家と稲作の準備をされる方々の作業が見られる水田風景でありました。



日本一の農村風景と言われる岩村ですが、時間感覚というものを無くしそうなすてきな風景が広がります。

一番最初に岩村に来たのはいつだったろうか?カッパの堀さんが誘ってくれたかなり前の岩村ファミリーウォークが最初だったように思うけど、町の通りに入った途端に家々の前に飾られた一斉語録が目に飛び込み、家々の前に下がる紺色の暖簾が強く印象に残った記憶でしたが、それから何度も何度も足を運んだ岩村の町がだんだんと近付いて来て、口の中には既に三色の「かんから餅」味が広がる11時過ぎです。

まだこの時間に竹並駅をスタートする人も居るのでは?って時間で、一気に東海自然歩道の一部だという夕立山を越えてきて懐かしい岩村駅となりましたが、矢印に従って駅前に行くと「ゴールは恵那駅です」って案内の方々で、それではと岩村城下に足を向けたワタクシたちです。




「火は親しむ可くして 狎る可からず」

本当にどの一枚もフムフムで、読んで字の通り「火は上手に使っていいけど、慣れというものが油断を誘い危険ですよ」って
なるほどですが、実は一斉はこの意の内に潜むもう一つの人のこころの事も語っているのです。
畏敬の念というものの大切さや、人の持つ傲慢さへの戒めの意も含まれているこの一文です。



「愛悪の念頭 最も藻鑑を累わす」


これまた「好きだの嫌いだの愛憎の思いというものにどれほど人は悩ませられるもので有ろうか」と語り
しかし冷静な第三者にしてみるとこれほどバカらしいことも無いと裏で言っているのです。




 「満を引いて度に中れば 発して空前無し 
                    人事宜しく 射の如く然るべし」

一斉という人は武道にも長けていたのか立禅といわれる弓道の極意を説いていて
「度に中れば」と言うのは「的に当たれば」という意味ではなく「射行が正しく行なわれれば」という意で
矢が体を離れる(射る)までが全てだと言っています。

『心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し
           妻手三分の一弓を引き、而して心を納む是れ和合なり
                              然る後に左右に分かるる如くこれを離つべし』

これは吉美順正が説き今も尚弓道に関わる人たちの目標となっている射法訓の一部ですが
「心を納む 是和合なり」の真髄を語っている一斉なのです。

さあぁ こころが味を覚えていて、オレの口と喉がこの柔らかさを忘れないでいる「かんから屋」さんにやっと到着で、餡子有り・きな粉有り・ゴマ有り、三色の味を楽しむ我々であります。




たくさんの一斉語録に包まれて進む岩村の街です



かんから餅で甘くなっ口に山ゴボウの漬け物も放り込みお茶も飲み
カステラを食べてみつばのうどんも食べてちょっぴり辛口の味も楽しんだりした2時間ほどでした。



そして岩村駅に戻りましたが、恵那駅まで春風が車内を吹き抜ける明知鉄道に揺られて
心地良い思いで帰路の、正にさわやかウオークでありました。
ではでは ネー



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