碧海幡豆ウ協12月例会「鎌倉街道を来年の熱田神宮に向って」に参加の一歩たち 08年12月07日(日曜) 天気 晴れ 距離16キロ
コース = 名鉄本線・新安城駅 〜 曙公園スタート 〜 不乗森神社 〜 鎌倉街道 〜 知立八橋 〜 祖母神社(昼食) 〜 境川 〜 名鉄本線・前後駅ゴール

北海道や日本海沿岸地方に雪ダルママークが並び太平洋岸側は晴れマークという冬型の典型のようなお天気となった12/7(日)でしたが、中部地方の平地でも碓氷が張り車の窓も凍てつく0度近い気温の朝でした。
「さあぁ!今日は恒例の例会だね」って言いつつ先月一回欠席をしただけなのにナニか久々感のあるミンナの顔を思いつつ、バスと電車を乗り継いで
名鉄本線・新安城駅への途中、金山駅では昭和例会行きのヒゲおじさんたちともホームを挟んでご挨拶をしたりでしたが、向う新安城駅での「名鉄ハイキング」も開催される本日だそうでホームも電車も似たようなリュックスタイルの方々でいっぱいの朝です。
電車を降りると間違えて名鉄ハイキングに行かぬようにと山賀さんが待っていたり、改札口を出ると「主人に車でここまで送ってもらったの」という橋本姫とばったりと出会ったり、集合場所への道案内に水野パパが待っていたくれたり、公園のベンチでは本日ウオーク後の食事会の参加費や来年の会員申込みなどと現金が飛び交う博打場のような賑やかさを敦子さんや水野ママが仕切っておられました。


碧海幡豆ウ協の特徴は開会式らしくない開会式と歩く距離が長くてしかも歩くスピードが他協会に比べて早いことなのですが、岡本さんの簡単過ぎる挨拶と大江さんの更に簡単なストレッチの後はコース説明もないままにイザスタートです。
今までは「ヒイ・フウ・ミイ・ヨゥ」って頭で数えていたのを今日から使うそうで「日本野鳥協会ご推薦」というカウンターで竹下さんが参加者数をチェックだけど、これで横井さんを置き忘れる心配はしなくて良くなったでしょうか。

更には本日の黄旗安全班はパパママの二人が担当という事ですが、先ずはママの仕事振りを中心にレポートのオレでアリマす。
やや強い風も吹く碧海幡豆ウ協の12月例会ですが、勝手にウオークタイトルを変えるオレで、正しくは「鎌倉街道を通って熱田神宮を訪ねる@」とあり、今日は新安城から名鉄本線・前後駅まで歩き、来年年初の1月例会で前後駅から熱田神宮まで鎌倉街道を歩き、みんなでお参りをしよう!という1年越しの初詣でウオークなのです。


「鎌倉街道ってナンじゃいな」という方も居られるかもですが、中学生のころに「イイクニ作ろう鎌倉幕府」って習った通り、源頼朝が朝廷を守る平家を倒して武家政権の中心を東日本の鎌倉に移したのが鎌倉時代の始まりなのです。
それから約140年間続く鎌倉政治の中で権限を使って各地の御家人とか豪族に「地頭」という地位を与え仲間に取り込み、その彼らは幕府になんぞあれば「駆け付けて幕府と将軍をお守りしますよ」って約束となったそうで、その為に全国各地から鎌倉へと向う道が出来てこれを「鎌倉街道」と称したそうです。
「イザ・鎌倉」って言葉通りに武者たちが走った道を、平成のこの時代に「熱田にお参りしましょうね」って歩く我々ですが、和(のどか)を実感しながらの歩であります。
集合場所の
曙公園から先ずは鎌倉街道へとですが、不乗森神社(のらずのもりじんじゃと読むのだそうです)に早速その歴史の痕跡で碑文にはこのような句も書かれてありました。

                      「馬降りて 神の威徳を かしこみて 鎌倉街道 過ぎしもののふ」

って「イザ鎌倉」と走る武者たちも馬から下りて礼儀を以って通った三河の国だったのでしょうか。


道が出来て人の往来があると平民の泊まる宿場が出来て、名のある地頭が投宿をする社寺は更に立派になったのであろう、京都にも負けぬ敷地の中に大屋根の本堂が建つのを眺めると鎌倉時代にタイムスリップしたかのようにさえ感じます。
今日のコースリーダーは水野パパですが、数年前にも一度同コースを企画したことが有り今回も「何度も何度も下見をしたよ」って、新しく出来た道たちに邪魔をされながらも忠実に東海道と平行するようにやや豊田側を通る鎌倉街道を歩きます。
進む安城から
知立八橋という地名ところでは今もカキツバタで有名なところですが、芭蕉の句碑が残っていたり「根上りの松」という立派な松もですが「値上がりの待つ」株主ではアリマセヌ。

パパママが交通安全班だったものだから(特にオレがネ!)順調に進み(信じないかもですが・・・)、昼食休憩場所の予定だった祖母神社(そぼじんじゃ)へとスムーズな歩です。
敦子さんとママも風に吹かれながらもユキちゃんの話題のようですし、橋本姫と於本(おもと)さんも会話を弾ませ、その後の岡本さんたちも白い歯を出し何を会話でしょうか。
そしてアップの水野ママが手に持つ赤い袋ですが、祖母神社の手前に落ちていたのをオレが拾い「誰か落とさなかった〜」ってお聞きすると「さっき歩きながら於本さんから貰ったばかりなのよ」「良かったワ〜」って水野ママでした。
これを聞いたオレは早速に大声で「水野ママが捨てたのを見た!」ってミンナに広めようとしますが、誰もがワタクシの性格を知っておられるようで信じる人は一人も居りませぬ。。。


祖母神社の境内の陽だまりにシートをひいて腰を下ろす我々です。
神社というものの構造にもよるのかも知れませんが、社殿前を大きく包むように社務所や古札納め所や寄合所などが配置されていて、更に大きな木たちが神社全体を包んでくれていて、ポッカリと暖かな空間を作ってくれています。
そこでお弁当を広げてくつろぐいっ時ですが「あまり食べ過ぎるとこの後の宴会料理が」ってお互いに注意をしながらも「これが美味い!」「この味付けがイイ!」って交互に伸びる箸たちで、会話を弾ませていると知らぬ間におかずの箱が順に空になっていき、前屈みだったミンナの姿勢も両手を後に突っ張って腹を出して「お腹が苦しいヨ〜」って小1時間です。

さあぁ午後のスタート前ですが、赤い袋をプレゼントした尾本さんとソレを直ぐに落としてしまい、オレに拾われたのが良かったのか悪かったのか、水野ママたちが手をつないでハイチーズです。
午後も歩く鎌倉街道ですが、安城市から知立市そして豊田市、更に刈谷市を通って豊明市へと五つの市を歩きました。
途中では下流でひとつになる
逢妻女川逢妻男川を渡り、また刈谷と豊明の境を流れる境川の三つの川も越えて歩が進みます。

            「それと聞く しるしばかりか さかい川 細き流れは 名にながれても」    飛鳥井 雅世

有名な歌人の詠だそうですが、鎌倉街道を歩いた彼が尾張の国と三河の国の境だから「さぞかし堂々とした立派な川だろう」と思っていたけど、なんと優しいかわいい川だろうとの意を詠んだそうです。

いっぱいの歴史を味わった16キロほどの鎌倉街道ウオークも順調過ぎる歩で、予定時間より小1時間も早い午後2時過ぎに豊明駅へとゴールとなりました。




あまり昼食風景以外の飲食の場は載せないのですが(などと、実は写真を撮るのも忘れちゃう)思い出記録として少しだけです。
パパママの安全班のお陰で当初のゴール予定は午後3時ころだったのが1時間近くも早い2時過ぎに豊明駅となってしまい
、どこかを余分に歩かなくちゃまだお腹もまだ空いてないし、食事会の予約時間も3時半からだとの事で
「どうしょうかナ〜」って、本日リーダーで宴会の幹事もされている水野パパでした。
そこで早速にお店に電話をした水野パパで、上手に掛け合って「それでは早めに来店頂いても対応しましょう!」って
返事をもらい、ミンナで前後駅から知立駅まで移動で午前中のご都合でウオークはお休みされた碧海幡豆ウ協の主役
阿羅漢さんも知立駅で合流です。



宴会の初めにはご挨拶や乾杯の音頭取りもして頂き
和気合いあいと「さあぁミンナで食べよう!さあぁ飲もう!」って始まる食事会です。



昼食から間が無い3時ころ・・・「まだお腹がいっぱいで」って言いつつも、並ぶ料理に箸が出て
ビール瓶を持って立つ人が出始めて座が明るく崩れる夕暮れ時です。



誰もが目の前の料理が片付く頃には頬も良い色となり



心も体も芯から温まってお開きとなった碧海幡豆ウ協の忘年ウオークと忘年宴会なのでした。
ではでは ネ〜


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