第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目



         期 間 = 2009年2月14日〜6月21日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」の開催です。
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさんやパパママ 大代表は奥田さん

 第15回「知多四国巡拝・札所巡りウオーク」第二日目に参加の一歩たち 09年2月28日(土曜) 天気 晴れ 距離 21キロ
集合 JR武豊線・東浦駅(AM8:30) − 11番・安徳寺 → 12番・福住寺 → 13番・安楽寺 → 14番・興昌寺 → 15番・洞雲院 → 17番・観音寺      
        → 16番・平泉寺 → 18番・光照寺 → 番外・海蔵寺 → 54番・海潮院 → 番外・東光寺 −  解散 JR武豊線・亀崎駅(PM3:30)

三寒四温を繰り返しながら冬から春へと流れる季節ですが、今年はサイワイしてかお遍路初日も珍しいほどのバカ陽気だったし、第二日目となった本2/28(土)も、この二週間の雨や寒さのお天気と一転して穏やかで暖かな日和となった中部地方です。
JR武豊線・東浦駅に集まった本日ですが、奥田総大将からも「ナンと良い日よりでしょう」って朝のご挨拶でした。

                     「風も無く 真っ青な空 見上げれば こころの曇りも 消えて流れて」

更には本日先導のハイブリッチさんがコース説明でしたが、下見で仕入れた情報ということでミンナに披露は「知多新四国」と呼んでいたのは1983年迄で、開創からの歴史を鑑みて今は「新」を外してOKとのお墨付きを本四国から頂き「知多四国」と呼ぶ現在だそうです。
言われて見ると確かに「新」の字が無い昇り旗がひらめく
11番札所・安徳寺さんへと駅から10分ほどの9時ちょうどです。

昨年来た時は開創200年ということで弘法堂の中の弘法さまの手とこの宝塔が白い紐で結ばれていて、境内のここまで来て紐を触れば間接的ながらも弘法さまと接せられるとの事でしたが、年を改める前に外されたのか紐も無く、白木もこの一年の晴雨天の繰り返しで色褪せたねずみ色となっている今です。
宝塔の七言絶句は「月明りが有るのに松に影が無く、風も無いのに竹がぶつかり音がしている」って意味だけど、「そんなバカな」って思えるような現象も、尺度を越えたところで見れば全て有り得ることなのだと言っています。

先導のハイブリッジさんがスタート前の説明で「今日は一部アレンジをして歩きます」って言っていましたが、安徳寺さんを出て遍路道を外れてしまいました。
「安全第一」が理由だそうですが、外的な事ならいざ知らずこのようにして14年間を掛けて愛歩の先人たちが作ってきた「知多新四国遍路道」を崩さないで欲しいと願うのはオレだけのこだわりでしょうか?
正しい遍路道に戻って埋まっても直200年の道たちを示す丁石たちを見てホッとするワタクシです。

           
安徳寺 門前に 12−@ 「是ヨリ拾二番へ十五町」                  12-A 埋まって読めず

オレがあちこちでカメラを路端に向けるもんだから、ミンナが足を止めて一緒の方を見て「ああぁ、この道標を撮っているんだな」って気付いたようですが、抜けて倒れている丁石を撮っていると誰かが「来年はスコップを持って来るんだな」って言います。

             12-B 判読出来ず                                     12-C 卍 九丁目

9番から10番札所に向う緒川の街の中にも抜けたまま倒されていた丁石が有りましたが、立っているのも自然体で倒れているのも自然体として捉えるべきか、やっぱり起こしてあげた方が良いのだろうか。。。

          12-D 卍 八丁目                                12-E 刻まれた面が地面に臥すように


安徳寺さんを出て点在の丁石から類推すると200年前とほぼ同じ道であろうと判断出来る12番札所・福住寺さんへの巡拝路です。
実はオレ自身が手に持っている地図に「この丁石の場所を追記したいナ〜」って思いだした歩いていた道中ですが、本日は安全班リーダーの為、右手にカメラと地図、左手に黄旗で筆を持つ手がアリマセヌ。


          12-F  四丁目                                12-G 卍 三丁目




福住寺さん手前の丁石はしっかりと埋まっていて一丁目の「一」だけがかろうじて読めるのですが
こころの時代と呼ばれる近年と違い
全国の道路に舗装というものが広まった昭和40年代頃はこの知多新四国の丁石もぞんざいに扱われていた時期だったのか?
はたまた土建屋と呼ばれた当時の工事を請け負った業者の猛者たちが、勝手に荒っぽい仕事をした結果なのか
アスファルトの下に深く埋まってしまった部分に思いを馳せるワタクシです。

12-H 卍 一 ・・・

その埋まった一丁目を示す丁石のところの細い路地を曲がって進むと目の前に見慣れた山門が見えた9時35分ころでしたが、12番札所・福住寺さんです。

今朝は奥田総大将から「納経帳のお手伝いを皆さんにもお願いします」って声掛けで、当番だったママ以外にも碧海幡豆仲間の岡本さんなどもお手伝いでしたが、大勢のお手伝いに戻す納経帳の仕事をしなくてよかったママが他の方々と雑談をしていると、「重いなぁ〜」って我が家の納経帳を腰を落として手を下げて持って来るヒゲおじさんに、恐縮しながら受け取るママとのひとコマです。




お参りを済ませて出ようとするとお寺の軒下に無造作に積んである丁石に目が止まりましたが「今年は丁石!」って思っていたので気付いたけど
今までも同様に有っただろうに全く気が付かなかったこれです。
何かの事情で今まで立っていた場所に居られなくなって持ち込まれたのでしょうが
お寺でも邪魔な丁石なのか?人も物も役目というものが有って存在価値となるのでしょうが、少なくとも立たせてあげたいと思う丁石です。

「丁石よ どこに立って いたんだい 戻りたいだろ 君の居た場所」

12-I 十二・・・        12-J 卍 六丁目         12-K 上の丁石に隠れて読めず


石垣に同化して守られているものも有り、土手が守っているものも有りますが、遍路道が道で有り続けている事が存在しうる必須の可愛いコヤツ等です。

          13-@ 指指し 大師道                                13-A 廿五丁


藤江地区に建つ11番の安徳寺さん、有脇地区に建つ12番の福住寺さんなど昔から集落として村を形成してきたところは今も変わらぬ「道」が存在で立つ丁石ですが、垣根の下に隠れるように立つ丁石を発見で突然振り向きカメラを向けて中村さんを驚かせてしまいました。中村さん、ごめんなさいネ〜

           13-B 廿四丁目

大昔はただの野っ原だったところが現在は新興住宅地に変わったり、農地改革の基に一枚が形良く大きな田んぼになっている現在で、本当の遍路道の存在は全く判りません。
でもお寺からお寺へと歩く楽しさは不変で、何がこの笑顔なのかママと鶴田ママですし、お遍路仲間のミンナを先導のハイブリッジさんなのです。





ほとんどの方が途中で上着を脱いだ田んぼ道を廿六丁ほどでしたが、いつもの場所の梅も満開ですし

田んぼの土手の土筆も顔を出しそれをママに持たせてカメラに収めるヒゲおじさんもとっくに軽装となっています。
季節を乗せて季節と共に歩く春遍路ですが、穏やかな日よりの中を阿久比山地区の
13番札所・安楽寺さんへと10時半です。

阿久比川沿いに二カ寺が並ぶ板山地区ですが、安楽寺さんにお参りをして更に200mほど先の14番札所・興昌寺さんは岡戸半蔵行者が祭ってあるお寺です。
本堂の縁台に座る半蔵行者にご挨拶もして、行者堂に立つ半蔵行者にも手を合わせ「あなた方のお陰で200年後の我々が、このように楽しく巡拝をさせて頂くことが出来ています。ナムナム・・・」って、本四国まで行くのは大変だけど、知多の地を巡って「お大師さまのこころ」ってヤツを自分なりに感じて歩けるシアワセに手を合わせます。

                           「草むらに 大の字になり 身を任せ こころ任せて 空を見上げる」

「十方が空」という言葉が体の中に沁みこむような青空に刷毛で書いたような薄い雲もまた「ああぁ、これが自然なんだよネ〜」って、この心地良さは何でしょうか。




10時55分、興昌寺さんを出て護岸工事で整備された阿久比川沿いの細い道を進みますが
本当は車が走るこっち側が正しい遍路道だろうと思い、安全班が必要ないのでミンナと離れて国道側を歩いていると
地蔵さまと並んで丁石がガードレールに守られるように立っていました。
「やっぱりこっちが遍路道なんだ!」って安心感と
今日は欠席のナビ野儀さんはきっとこれを知っていて「安全なあっちをいつも案内しているんだろうナ」って思うオレです。

15-@ 判読出来ず


「ここからあそこに行こう」って思った時、200年前ならばそうそう何本も道が有った訳でも無かろうし、オレは自分の虎の巻の地図を眺めながら阿久比川沿いのこの道を南下して、今は名鉄電車が走っていて坂部駅横の踏切りを横断だけどきっと15番札所・洞雲院さんの前の細い道に向う橋が有ってそこを渡ったのだろうって想像します。
先導のハイブリッジさんはいつもの道に変えてその川沿いの道を真っ直ぐ進みましたが、洞雲院さん手前の石門には「知多新四国」と彫ってあり、立つ丁石を見て「これで良いのだ!」ってオレは限りなく正しい三開山の方々と同じ道だったであろうところを忠実に歩けて嬉しく思います。

                                                                           15-A 指差し 大師道




声を揃えて唱える般若心経がご覧の皆さまのこころの耳にも届くでしょうか。。。洞雲寺境内です。

洞雲院さんに到着が11時15分でしたがお参りを済ませたところをスナップは、右から先導のハイブリッジさんにアンカーの吉田さんそしてママです。
そして出た先に立つ丁石には廿一町と有りましたが、今までは「丁」の字だったのが「町」の字を使っていて???のオレです。
でもこの距離はたぶん16番札所への距離を示しているのだと思います。  16-@ 廿一町
我々はこの後一旦は昼食休憩で、いつもの様に阿久比町役場の公会堂を利用させて頂くために阿久比地区の路地を進んで12時20分まで40分ほどの休憩をして午後のスタートです。
暖かいなって思いながらも足を止めるとやや体が冷えますが、歩くと薄っすらと背中に汗が出るほどの本日で、さあぁ向かうは16番を飛ばして先に17番へとです。



丁石ウオッチで並べる写真たちですが、15番の洞雲院さんから16番札所へは、そのまま17番札所にも向えるようになっている大師道のようで上手に道案内をしてくれている丁石たちです。
しかもその「丁」の字が「町」なんだけど、ネットで調べるとどちらも正しい表現で109mに変わりは無いようです。

         16-A 九町                       16-B 七町                      16-C 卍 六町


アハハハ・ハって子供のいたずらなのか、気の効いたおじいちゃんの仕業なのか「卍」のマークとその下の「四町」と彫ったのをマジックでなぞったのかハッキリと読める丁石です。
これを見てアレアレ?ってまた疑問ですが「丁」の字を使うところはその下に○丁目と「目」の字が付き「町」の字の丁石には「目」が無い・・・??? なんでだろう〜♪なんでだろう〜♪ってもう流行らなくなった漫才コンビの歌が耳に付きます。
そして確信ですが、立つ丁石はここを左に曲がって16番に先に行けって指示していて、これがやっぱり正統派のようだけどミンナはいつもの様に真っ直ぐ進み急坂を登って17番へと進んで行っちゃうんだよネ〜 オーイ 待ってよ〜

丁石は各地地元の篤信家が資金をだして作られたものなのか、下の真ん中写真でクッキリと読めるがアグヒの山内清右ヱ門と横に彫ってあり、隣りに立つ16番への指マークは平成4年にアグヒの宮崎さんが寄贈して立てたと記してありました。
直ぐお近くの方で何度も巡拝者に道を聞かれて「これを追加で立てようか」って思われたかもですが、時代を超えて生き続ける知多四国です。

               16-D 卍 四町                                   16-E 卍 十六番   16-F 卍 二町

そして説明が分かり難いかもですが、下から急坂を登った上にも「二町」と彫られた丁石が立っていてハハーン!のオレです。
間違いなく16番から同じ道を戻ってここに上がって来て、これを今我々が歩くように真っ直ぐ進んでお寺の裏から入るのでは無く、右に曲がって2回左に曲がって下の階段からが正しいんだ!って確信のオレです。
もう一度確認は必要だけどオレがここの先導担当となったらば「正しい巡拝路でミンナに歩いて欲しいナ〜」って思うオレです。


                                         17-@ 拾七番札所                     17-A 卍 二町

17番札所・観音寺さんへは12時40分でしたが、毎年のようにお参りした後にお茶とお菓子のお接待を親子三代で振舞って頂き、お礼を言って16番札所・平泉寺さんへと歩を進めます。

手前の古そうな丁石は字も古くイチの字が「壹」って彫ってあり、12時55分に平泉寺さんでしたが、お参りを済ませて南側の門を出てぶつかるT字路は観音寺さんから真っ直ぐの道と重なり、そこに立っていたのには廿五丁と彫ってありました。
丁石たちの距離表示や位置を見て18番への丁石だと理解できるけど、16番から17番・18番へとの巡拝路を教えてくれる丁石たちにハハーンってニマニマのワタクシであります。

                 16-G 卍 壱町                                            卍 18-@ 卍 廿五丁


「あのお寺にはアレが有り、このお寺にはコレが有り」って記憶に留めるあれこれですが、18番札所・光照寺さんには山門扉裏に咲く「寒アヤメ」がオレの中のコレなのです。
今年もきれいに咲いてくれていますが、花の優しさにホッとする気持ちになれるし、紫色にも日本的な高貴さと美しささえ感じられる寒アヤメさんです。
そしてここの弘法さまにバイバイをして山門を出たところに立つ大きな丁石には「是ヨリ十九番ヘ十三丁」と有りましたが、我々は番外札所・海蔵寺さんへと歩を進めます
                                                                 
                                                               
19-@ 指指しマーク 是ヨリ十九番ヘ十三丁

番外札所・海蔵寺さんに到着は午後2時5分と細かいですが、時と共に過ごす我々の日々ですので、時空の中の瞬間というものを時刻という形で刻んでおきたいと思うオレです。
弘法大師さまの法衣が宝だという海蔵寺さんがなぜ番外なのか??知多新四国のお寺さまの中に、他にもこんなに弘法さまにご縁が有るのに番外で良いの〜?って思うところが何ヶ所か有りますが「番外」と言うとなんか只の「オマケ」みたいだけど、実は「別格」と言う方が正しいんじゃ?って勝手に考えるワタクシです。
物事の真実というものは勝手な思いや目線というものからあぶり出される事が有るけど、どんなもんじゃろか みなの衆??って勝手な私見です。
これは全くのオマケですが、中日新聞に知多遍路のことが紹介されていて、そこにママが写った写真が載っていたと久恵さんが新聞の切抜きをママに手渡してくれ、一緒にそれをのぞいた奥田総大将や先達の片岡さんや中村さんをハイパチリです。
更にはママがパチリですが、細井さんや藤井さんと座り込んでおやつタイムです・・・のどか(和)でしょう。


海蔵寺さんから54番札所・海潮院さんへの道中で丁石を発見です。
場所はその次に行く東光寺さんから下った位置でしたが「十二番有脇」「十三番板山」と二行に並び、その下に「大師道」と刻んで有り、やはり昔の正統派の巡拝路は十一番から番外の海蔵寺さんを経て続く番外の東光寺さんを通って十二番の有脇地区へと歩を進めるのが正しいのか再確認が必要なようです。

         12・13-B 十二番有脇  十三番板坂 大師道

54番の海潮院さんは元々は連番をなす小野浦地区に有ったのに、住職継承の都合で札所も明治30年にここ亀崎地区のこのお寺に引っ越しさせたのだそうです。
でも番号だけを引っ越しさせたのかお寺の名前も一緒に持って引っ越したのか、住職に聞いたのですが明治30年を聞いたのに名前のことまで聞くのを忘れてしまったオレでした。


海潮院さんを出たのが3時ちょうどでしたが、来た道を戻り番外札所・東光寺さんへの道中に立つ丁石は先ほど出会った12・13番の大師道の道標へと続くことが分かりますが、刻んだ字がシッカリと読めず再確認が必要なようです。

       12・13-A 判読出来ず                                      12・13-@  判読出来ず

東光寺さんへ到着が15時13分ころでしたが、本日11回目の般若心経をみんなで唱え、穏やかで暖かな日和の中を無事に2日目を終えられて、奥田総大将も満面の笑みでご挨拶です。
丁石確認もこれほど丁寧にレポートに記録する事を意識せずに写真を撮っていたので、「判読出来ず」はオレ自身の責任のものも一部有ります。
もう少し丁寧に撮らなくっちゃ!でわでわ 2日目はこれにてネ〜