第13回 知多新四国88カ寺 お遍路ウオーク 1日目



         期 間 = 2009年2月14日〜6月21日まで10回に分けて「第二・第四土曜日」の開催です。
         運 営 = 愛知県ウオーキング協会  世話役幹事のみなさんやパパママ 大代表は奥田さん

 第15回「知多新四国巡拝・札所巡りウオーク」第三日目に参加の一歩たち 09年3月14日(土曜) 天気 晴れ 距離 21キロ
集合 JR武豊線・乙川駅(AM8:30) − 19番・光照院 → 20番・龍台院 → 21番・常楽寺 → 22番・大日寺 → 23番・蓮華院               
        → 24番・徳正寺 → 25番・円観寺 → 番外・華航寺 → 番外・影現寺 → 26番・弥勒寺  解散 名鉄河和線・河和駅(PM3:45)

3/14(土)は何となく時刻改正があると聞いたような聞かぬようなでしたが、集合場所の乙川駅に下車が8時30分をやや過ぎた時間となってしまったパパママと数名で、駅前集合場所ではスタート前の出発式もストレッチも済んだようでアリマした。
そしてワタクシの顔を見るなり、さも待ちくたびれたかのように「さあぁ・やっと来で行くかぁ」って、イヤミの如くに直ぐに動き出すお遍路三日目先導はヒゲおじさんの朝であります。
夜来の雨は相当降ったようですが黒い雲も東へと移動をしてくれ、サイワイにして傘をささずに歩けます。
でも大きな水溜りもたくさん有って足下には十分注意をネ〜

本日最初となる19番札所・光照院さんへは9時ちょうどでしたが、電車の中でお遍路仲間の小口さんが教えてくれたけど般若心経は262文字有り、その中で一番多いのが「無」という字で21個あるそうです。
また「空」という字も7個有り、経文のほぼ1/10は「無」と「空」で占めていると教えてくれた事を頭にして唱える般若心経ですが、人間の業としての物欲というものが時代を超えて当時から強く有ったのか「それはつまらぬことだよ」と教えを説いた弘法さまだったのでしょうか。

                         「形ある 物とて所詮 無と同じ こころで生きよと 説く心経」

境内の石仏たちも一緒に口を動かし般若心経を唱えていた湿気のある柔らかい空気の光照院さん境内なのでした。





19-A    卍 二つの指差し 左十九番 右二十番

あちこちに立つ丁石たちが「そうそう、これが大師道だよ」って教えてくれますが、上の左写真を見ていただくと私が撮っている側に「新四国第拾九番」と刻んであり、南に面した山門の西側から来る巡拝者に向って札所を示していることが理解できます。
だから「正しい遍路道はあっちからだね」って思っていたら、向う20番札所への最初の十字路に「左十九番」「右二十番」と立体的な指差す手も彫られた丁石が有り、18番光照寺さんから続く遍路道が見えて来ます。
更に進む先にも「これで良いんだよ」って丁石ですし、細い路地ながらも立派な常夜灯が立つここも昔から有る「道」だということを示しています。

             20-@ 卍 三丁


20番札所・龍台院さんへは9時20分でしたが、ママは真っ直ぐに弘法堂奥の観音堂へと進み「勤め先のおばあちゃんから預かったの」っていう五円玉を弘法さまとのご縁が有りますようにと紐で結んで吊るします。
勤め先のおばあちゃんという表現では分かり難いかもですが、介護施設の職員と入所者の関係ながら人としてのお付き合いをさせて頂いている間柄で「もう直ぐ90歳だけどすごく賢くて博識なの」と言い「パパにも会わせてあげたいくらい」というおばあちゃんで、200年記念のご朱印で染まった納経帳を一冊プレゼントしたというママです。
今日も「お遍路に出掛けることを話してきたわ」というママだけど、今ごろはベッドの上で札所のページをめくっているおばあちゃんなのでしょうか?
一緒に吊るす、般若心経の文字の数を教えて頂いた小口さんもパチリとさせて頂きますが、後姿でゴメンなさいネ〜


龍台院さんのイブキの木の穴の中には可愛い弘法さまが居て、中をのぞくといっぱいの飴が供えてあり「おっ、今日はおやつがいっぱいだネ〜」ってご挨拶もして、本日の先達をお勤めの早苗さんにならって262文字に目をやり声を上げ唱えます。
腹いっぱいに空気を貯めて、腹の底の全ての空気を使い切って声を出し、苦しくなったらまた一気に息を吸って読み続ける・・・262文字のあいだに何回の息継ぎをしているのか・・・数える余裕はアリマせぬ。
お参りを済ませたママと鶴田ママが笑顔で会話ですが、来週は佐々木さんの住む徳島へツーデーウオークに出掛けるご夫妻だそうです。





龍台院さんから西に進み住吉町駅の横の踏切りを渡り、名鉄電車と並列する幅の広い国道247号線を南下ですが
この間では丁石を発見することが出来ませんでした。


持っている虎の巻の地図を眺めながら、もしかしたら名鉄電車を渡らずにJRと名鉄の線路に挟まれた半田市内の細い道を南下し続けるのが正しいのでは?って、スムーズに一筆書きのように常楽寺さんの山門へと続く道が地図上に有ります。
どうなのか?どうなのか?興味津々だけど昔からの細い道たちを、また個人的に歩いてみたいと思うオレです。
21番札所・常楽寺さんへは9時50分でしたが、千人が楽に入れるという知多新四国の中で一番大きな本堂を持ち、最高位の位を示すという五本線の塀や葵の御紋で飾られたお寺の境内でお参りをして、しばしの水分補給やおやつタイムとなりました。
さあぁ、今日は淡墨桜ウオークに出掛けた中村さんに代わって先導補佐のオレですが、カメラを持って自由に過ごす穏やかな午前中です。


半田成岩地区に建つ常楽寺さんを出て約小1時間、歩いているとやや汗ばみ降るかもと思って着ていたカッパを脱いだ方々も多くなった10時50分ころに武豊上ゲ地区に建つ22番札所・大日寺さんへと一本の丁石を見ることも無く到着となりまた。
門前には住職が書かれたのでしょうか「春彼岸 菩提の種を まく日かな」と朱の文字で書かれた句が有りましたが「春」は何かをスタートさせるのに相応しい正に芽生えの時期で、立派な菩提樹も最初は小さな種からなんだから、あなたも私も新しい何かを始めましょうよ・・・って山門が語っているようです。




「先達が ポクポクポクポク 打つ木魚 春よ来いよと 呼ぶが如くに」

早苗さんの打つ木魚に合わせて、オレの今年は何の種を植えようかナ〜♪〜って、追う262文字の経文たちなのです。


大日寺さんから100mほどの23番札所・蓮花院さんへは11時でしたが、大日寺さんでお参りをしている最中に雨が降り出し、脱いだカッパを着直す方も居られました。
そして蓮花院さんでお参りの後は、いつもの様に昼食休憩をさせて頂きましたが、誰かのお話で「今日は朝が一番気温が高くて日中の方が温度が下がるんだと」って言葉通りに、歩いている時は良かったけど、昼食休憩中に一気に体が冷えてくるのが分かり、空から落ちてきた雨も降り止まぬお昼前です。


食事を終えて続ける南下はJR武豊線・武豊駅前を通って24番札所へとです。
昨年は曲がり角を間違えたヒゲおじさんでしたが、今年は補佐のオレがその事を覚えていて正しく歩けるつもりだったけど「ここを曲がるんだ」というヒゲおじさんに「ええぇ〜・違うんじゃない!?」って、今年はオレが間違えた曲がり角です。
その理由は曲がり角の地面が去年と違い茶色いタイルで飾られていて、去年のリベンジで下見をされたというヒゲおじさんに軍配の上がった細い路地への入り口だったのです。
このタイルが剥がされない限りはもう間違えない徳正寺さんへの路地の入り口で、進んだ先にはお寺の屋根も見え丁石君も「こっちで良いよ」って曲り角も指差して案内をして頂けます。
またその途中には戻って進む25番への案内の丁石もです。

           24-@ 指差し 第二十四番札所                             
25-@ 指差し 第二十五番札所ヘ

12時10分に到着の24番札所・徳正寺さんですが、冷たい雨ながらもみんなで唱える般若心経と梅のほのかな香りが一緒に自身のこころに染み入るようです。




半田同様に海路の利を活かした武豊の町にも古い味噌屋や醤油屋の黒壁が軒を並べていて、路地の中にも美味しそうな香りがいっぱいです。
「うまい刺身で一杯だわな」って誰かさんですが、冷たく落ちる雨と空気の中を歩きながら思うは
暖かい部屋の中で熱燗片手に濃厚な溜り醤油をチョイと付けた鯛刺などを口に入れられたらなんぼかイイよな!って路地のにおいたちが誘惑です。

25-A  卍  十九丁



25-B  指差し  第廿五番ヘ

黒壁の中に篤信家の方が居られたから数多く立ててくれたのだろうか、丁寧に立つ丁石たちが迷い難い細い路地の中にいっぱいです。
今から200余年前、三開人たちも肩を並べてこの黒壁の路地を歩いたであろうか?腰を下ろしたであろうか?味噌蔵の方々からも味噌のつけた握り飯でももらい歩く腹の足しにしたであろうか。
同行二人と説く弘法さまですが、知多新四国には更に三人が加わり、愛歩お遍路には更に多くの同行者が居る巡拝だけど、動かず見守る丁石たちも御座ることを確認の今回です。
その丁石をカメラに収めるワタクシに「それは違うだろう」って誰かでしたが、3/4以上埋まってしまったこの丁石からもかろうじて卍マークと十の文字が読み取れ「ああぁ、気付けて良かったナ〜」と思うオレなのです。

               25-C   卍 十六丁                             
25-D  卍  十・・・ 埋まって読めず




名鉄電車の東側を武豊から富貴地区へと南下を続けますが
線路脇の人しか通れない細い道を進む手前に小さな社と並ぶように九丁と刻まれた丁石が立っていてここまでは間違いの無い
大師道であることが確認出来ます。

25-E  卍  九丁

しかし名鉄線路で分断されていて気付かなかったけど、よくよく地図を眺めると昔ながらの道は、線路を越えた向こう側へ真っ直ぐに続くのが正しいようにも思えます。
そしてその先はどうなんだろうか?・・・愛歩遍路としてはナビ野儀さんたち大先輩が作られた今通っている道で問題は無いけれど、丁石たちが無言で語り教えてくれる正しい遍路道というものを自分自身が確信したくて、探求心がムクムクと湧くこだわり屋のオレであります。
そんな事を思いながらも農地改良で形良く一枚が大きくなった田んぼの道を進み、
25番札所・円観寺さんへと12時40分です。

我が家の子どもたちが孫の萌生ちゃんくらいだった頃に引っ越して暮らした武豊・富貴地区の十年ですが、ママは早速に隊列を離れて息子の同級生で親しくしていた森田さんチへご挨拶なのでした。
そしてオレはと言いますと疑問の丁石ウオッチですが円観寺さんの山門左側の丁石は字が読めず、山門右側の看板の下に立つ丁石を見てまたまた??です。
看板下の埋まった丁石には右を指差し廿八丁とあり、その横の年季の入った古そうなのにはこれまた右を指差し「新四国霊場」と上にあり、その下に二行で「右へ廻 参十七丁」と「廿八丁 影・」と読めそうで読み難い字の一字は間違いなく、この後進む番外札所の影現寺さんを指していて、もう一つの廿八丁と共に昔は葦航寺さんに寄らずに影現寺さんだったのだろうか?!
「右に廻って参七丁」は更にその先の26番札所・弥勒寺さんを指しているのか・・・後で距離を測り直して見ようと思いますが、疑問に思うことが楽しい丁石とオレの今年です。

          26-@ 判読出来ず 





番外葦船寺-@ 廿八丁        番外影現寺・26-@?   新四国霊場 「右へ廻 参十七丁」 と 「廿八丁 影・」

六年目にしてハタと気付いたお寺の名前ですが、オレのレポート中で勝手に「華航寺」と打ち「はな」という字だと思っていたら、どうも「葦航寺」が正しくて「あし」という漢字のようです。
その
番外札所・葦航寺さんは、開創200年の礎を築いたお一人で三開山の一人、武田安兵衛行者がお眠りになるお寺でもあり、清貧の代表のような住職がお守りをしているお寺でもあります。




我々が降りて来た山門入り口には逆方向を向いた道標が立ち
指差す手と共に「新四国開山御○跡」と刻んで有りましたが、御の下の字が手書きパットで検索しても分からない草冠の下にカタカナの「ク」で
その下が進むという字のしんにょうの無いので、更に下が「旧」でクッキリと字は判るけど読めない字でした。

葦航寺さんは元々の巡拝路の中に有ったのか無かったのか・・・勝手な想像だけど知多新四国というものを開創して後に、ここの十王堂で逝ったという武田安兵衛行者を偲んで札所の一つに後から加えたのでは?でも彼が38才で逝ったということから想像するにほぼ200年に近い番外札所としての歴史が有ると思われます。
距離を測ると25番円観寺さんから葦航寺が約3キロ、二十八丁で影の字が判読出来た丁石だったけどやはりココを示す丁石のようでが、境内に入ると建て替えられたという白木の本堂が目に入り、知多四国一番のボロ寺返上の今年です。
そして弘法堂の前に立つ石仏が武田行者ですが、膝丈の法衣に身を包み金剛杖を持った彼自身が目を半眼にして「へ」の字にしたその口を開いて往時の何かを語ってくれそうに感じるオレです。


大師堂の左奥に立つ弘法さまに向かい早苗さんの先達に従って唱える般若心経ですが、右奥の位置にはいつ頃誰が作られたものなのか、たぶん武田行者が本当に使っていたであろう錦の法衣を着られたリアルな顔の半身像が目をオレたちに向けておられます。
そして納経帳にご朱印を押してくれるこのご住職の顔が「後の武田行者像によく似ているよなぁ」って思い「もしやご子孫では」ってそのまま伝えると、返ったお返事は「皆さんからもよく言われますが、縁(えん)も縁(ゆかり)もございません」と二重言葉で否定です。
でもオレは「ココで住職をしているだけで立派なご縁だろうが」って清貧のこの住職が好きに思え新しい本堂のこともお聞きしましたが「仏心を移す時期や落慶法要などもまだ考えておらんのだわ」と言い「盛大が良いのか、身内でやるが良いのか、さてのう・・・」って、改築の本堂の支払いや、全てに費用が掛かるであろう慶事のことなど色々と思っておられる風です。

                      「朽ち果てて 穴開くボロ寺 消えたって 残す清貧 白木の本堂」

                               「忘れない 寺の中から 見えた空 腐ったわら屋根 こころの清貧」

真新しい白木の香のするまだ閉ざされた本堂でしたが、建物を新しくすると中の色々にもお金が掛かるのであろう・・・慣れないソロバンを片手に「建てたはいいけど」って毎夜思案なのかもです。


葦航寺さんを出たのが午後1時40分でしたが、布土地区の路地を巡って更にどんどんと南下を繰り返します。
そして知多半島の外周を一周するように走る国道247号線に出ると、直ぐ堤防のその先は三河湾が広がり大きなタンカーや貨物船がゆったりと海を進む姿が見えましたが、知らぬ間に青空になってきました。


歩を進めた先には「今年はいつ来られますか?」って奥田総大将に電話が来るほどの仲となった飴文さんで、名物の大砲巻きのお接待を受けそれに負けぬ買い物をする我がお遍路仲間です。
昨年は開創200年で大勢過ぎる参加者にごった返して節操の無い食い荒らしをしてしまったことから、朝のスタート時にも「節操を以って譲り合いましょう」とのご注意でしたが、昨年の人数を予想してか今年は逆に食べ切れないほどの大砲巻きが出て、ヒゲおじさんも「糖分はとうぶん控えにゃ」ってほどです。
お腹をいっぱいにして「さあぁ、後2カ寺だよ〜」です。


大砲巻きの飴文さんの隣りの山の上に建つ番外札所・影現寺さんへは午後2時25分でしたが「腹が苦しい」というヒゲおじさんと鶴田パパは「こっちの方が楽かも」って階段を昇り、ほとんどの方は「足の置く位置が自由なこっちが楽でしょう」って急坂ですが、手摺りが助けてくれた階段だったでしょうか?
「210段だったわ」という鶴田パパでしたが、二人してしばし海風に吹かれて呼吸を整える階段の上で、ママも一緒に青空に映える三河湾をバックに思い出パチリでアリマした。


富貴の円観寺さんを出てから寄った葦航寺さんも、そして立派な石像や石灯篭が立つ広い境内の影現寺さんまで一つの丁石も発見出来なかったオレですが、またまた虎の巻の地図を眺めながら「正しい遍路道は名鉄線路の海側だったのでは?」って想像するワタクシで、一度じっくりとナビ野儀さんとこのことについて語ってみたいと思うし、意見もお聞きしたいと思うオレです。
そして進む本日最後の
26番札所・弥勒寺さんへですが、やはりここでも見つからぬ丁石で、もう道も消えてしまったであろう「藪の中を通って弥勒寺さんへの道が有ったのでは」って地図とにらめっこで、午後3時5分に弥勒寺さんの境内へです。

お参りを終えて弥勒寺さんの境内で花を撮るママですが、途中で一時の雨も有っりやや冷たい風も吹いたけど総じて穏やかな一日を無事に終えられました。
奥田総大将のご挨拶や本日の先達を務められた早苗さんの労をねぎらったりして解散となった3時15分です。




山門を出て真っ直ぐのところに廿六丁と刻んだ丁石を発見です。
「ここから誓海寺さんへの遍路道は、さてさてどうなのか??」一度自分で自由に歩ける時にしっかりと探索をしたい丁石たちですが
「ここに居るからネ〜」っていっぱいの丁石がオレを呼んでいる様に感じる今年です。

まだ見ぬ丁石が知多半島にいったい何個あるのか・・・楽しいお遍路です。
ではでは これにてネ〜



4日目につづく