第10次中仙道ウオーク・森ご夫妻隊 2日目「草津から近江八幡」に参加の一歩たち 09年3月29日 天気 晴れ 距離 24キロ
コース = JR東海道・草津駅スタート 〜 栗東 〜 守山宿 〜 野洲川 〜 朝鮮人街道 〜 日野川 〜 十王町 〜 近江八幡(水郷の里散策)ゴール
3/29(日)は第10次中仙道ウオーク森ご夫妻隊に参加をさせて頂きましたが、伊能ウオーク本部隊員だった金哲秀さんが歩き切ったのがキッカケで第二次の渡部園子さんへと続き、更に本日もご一緒ウオークが叶っている同様に本部隊員だった西川阿羅漢さんが敦子さんと共に第三次を受け持たれと、繋いだ10年間で今回に至る中仙道ウオークです。
第10次は3/28(土)に京都三条大橋をスタートして16日間を掛けて軽井沢まで春ステージとし、後半はまた秋に実施する2ステージ制だそうですが、毎回の隊長が独自の意思も加え、今年は朝鮮通信使街道を歩くとの説明の森宴会部長が隊長で
草津駅を出て直ぐに中仙道です。

草津宿を出て栗東の町を抜け守山宿へと快調な歩が続く中で、ワタクシの記憶の中は中仙道ウオークの最年少参加者であろうと思いますが、江平さん(埼玉)のお孫さんで京都在住の「渉くん」です。
大好きなおじいちゃんと一緒に「ボクも」って参加した初日スタートからだそうで、昨日は25キロをヘロヘロ・ヨタヨタで歩き通し「きっと今日は来ないだろう」って思っていたミンナだそうですが、今朝も一緒に歩く渉くんです。
背が高く小学校の中半ぐらいかな?って思い聞くと、ナントまだ小1の7歳で、小学校の二年生を交えても彼が一番のノッポだそうで、靴は24.5cmのを履いているけど、オレとの会話は小1でやっぱりまだ7歳の可愛いボクちゃんです。

お揃いのゼッケンを背中に揺らせて進む歩は守山宿へと入って行きますが、初めてお会いする人も旧知の方もミンナお友だち状態で楽しむ中仙道です。
守山宿のど真ん中にある東門院さんというお寺でトイレ休憩のひとコマたちは山門前でのスナップで、前日の知多新四国お遍路でご一緒だった垂井の伊藤さんと大阪の清田のダンナさまの二人に囲まれるママです。

更に敦子さんから今朝ご紹介を頂き初めてお会いした東京の鈴木さんや、親しい四日市の筒井ママと一緒にパチリです。
縁(えにし)の不思議が重なって、お互いに名前を覚え、相手を思うと顔が浮かび、声さえもが耳に蘇える仲となって、手を取り合って互いの元気を確認して我が事のように喜びあう・・・仲間ってそういうものなんだよナ・・・って思えます。
そして
野洲川を渡りどんどんと歩が進みます。




前に来てはオレと語らい後に行ってはおじいちゃんの江平さんと手を取り合って歩く渉くんですが
ミンナからの「すごいネ〜」「よく頑張るネ〜」の誉めゴロシの言葉に、足運びがぎこちないながらも大人のペースに付いて歩くご機嫌の彼です。



「あれが近江富士っていうんだよ」って指差す野洲山ですが



雲が浮かび汗の出ない程度の気温と風に、橋の欄干に体を出して記念のパチリの一枚デス。


朝日新聞が企画をした十年前の伊能ウオークが歩く楽しさや喜びというものを日本中に知らしめたのは間違いなく確かですが、今も思い出す帽子の色たちで、日本中を2年間掛けて歩く人のみがかぶった黒い帽子の横には「伊能本部隊員」の六文字がクッキリと白い刺繍で書いてあり、並んで餅を食う西川阿羅漢さんと野依六郎さんもその帽子をかぶって歩いた同志です。
更にステージ隊員とかエリア隊員とかも居て、赤い帽子や青い帽子をかぶり、伊能を共有する仲間となって日本を巡り、いまここにその仲間が連綿として歩をつないでいるのです。
第10次中仙道・森ご夫妻隊のゼッケンも当時のご夫妻が歩く姿を新聞社がシルエットにして掲載したものが元だそうですが「縦は伸ばして横は細めにして、更にワタシだけ足をもう少し伸ばしたの」って森ママの説明で、参加のミンナに頂けリュックの後で風に舞います。
守山宿の美化運動とやらで森宴会部長と清田のダンナさまがペタペタ貼った赤い矢印の道標が全部剥がされていましたが、
野洲から朝鮮人街道を進む道中のはまだ健在でしたデス。




渉くんの「渉」という字を分けると3本「川」と「歩」という字になりますが
昔の街道には大きな川が幾つも有ってそこには渡し人足が居て、蓮台というものに乗せてもらったり肩車で運んでもらったり
川の水量によって足止めをくらったり、渡し賃の交渉をしたりと
川を渡る為に人足との渉り合いが必要で「渉」の字が生まれたとかデス・・・ホンとかな??



名前に似合った中仙道の道中旅を楽しむマスコット的存在は、飛び回り走り廻ってミンナの周りを
ワタルくんなのデス。

お昼休憩場所は「前以って下見をした時に頼んでおいたの」って森ママでしたが、比叡降しの冷たい風を避けられるJA農協の大きな建物の下で、また大きな壁が陽によって熱せられ壁からも暖気が発生する最高の場所で昼食休憩となりました。
くつろぐ森ご夫妻ですが、この日の為に日程調整や宿の手配やメンバーへの連絡やら色々とご苦労が有ったと思います・・・けれど歩き出したらもう足は止まらずで、ご夫婦して支え支えられての16日間の春ステージです。
野依さんに垂井の伊藤さん、そして大きい阿部さんですが今回は「リング潜り」をご持参だったでしょうか?聞き漏らしてしまいました。


清田ママと敦子さんの後には滋賀ウ協の方々が居られたり畑中さんのお友だちが参加されていたりですし、筒井さんはNHKで「75歳まだまだ青春!」「見よ!カモシカのこの足を」ってテレビに出られ、最近は雑誌にも紹介をされたとの事で、ご夫妻して16日間を森ご夫妻とご一緒です。

そしてオレと渉くんとおじいちゃんの江平さんですが、なんか可愛いコイツがオレになついて来るんだよネ〜
ママが色々な方々の休憩風景をカメラに収めてくれましたが、早春の陽だまりでくつろぐ阿羅漢さんと歩仕事人こと川島さんもご一緒パチリなのでした。

鈴木さんと岐阜の善さんも同様にパチリですが、事務所のきれいなトイレもお借りすることが出来てゆっくりと休憩させて頂けました。
さあぁ お腹もいっぱいになりこれ以上居るとお昼寝タイムになりそうでそろそろ腰を上げて出発ですが、森ママが携帯カメラで食後のスタート風景を狙い、それを迎え撃つように撮るワタクシであります。





進めた朝鮮人街道は日野川というところを渡りましたが、土手が新しくなっていて



更には新しい橋も掛かっていて、今日は休みなのか工事をされる人も居ませんでした。
ミンナは以前からある橋を渡りましたが、歩仕事人さんと敦子さんとオレの三人だけが「勝手だけど渡り初めだな」って言いながら



まだコンクリートが剥き出しの新橋を進むとなんと橋の欄干に朝鮮通信使の歩く様子が壁画となって飾ってありました。
明日スタートのソウルからのミンナが歩く頃はこの橋をキチンと渡れるのかどうか?楽しみなことです。

立派な道標が400年記念だとのことで立てた2006年だそうですが「朝鮮人街道」と目立つ文字たちが間違いなく往時のままの道である事を示し、また道と街が一体となって街道筋であることを示してくれている道中です。
十王町を通り小船木町から近江八幡へと午後の軽快な歩が進みますが、家康と彼からこの道を使うことを許された朝鮮通信使のみが歩いたという街道を楽しむ我々です。




近江八幡の街に到着をしてそのまま歩を進めた先には「特選・近江牛」を販売する「西川精肉店」というところですが
先回りの森ママが事前に人数分を手配していてくれて
揚げ立てホカホカの特選近江牛風味のコロッケをみんなして頂きました。

この店について歩仕事人さんは「イヤな思い出が有るんだわ」ってエピソードを披露にミンナして笑っちゃいましたが、たまたま当たった店員さんとの相性が合わなかったようで「こんなとこ二度と入らんわ」って言いつつも手にしたコロッケはペロリと平らげておられました。
そのパクつくコロッケ風景は黄門さまと喜井さんたちや、西川ご夫妻とママですが「我が家のルーツは近江八幡かも」という、西川性が多い近江八幡の地だそうです。


琵琶湖を干拓して一大米穀地帯となったこの地で、琵琶湖から大阪へもつながる水路を上手に利用して米問屋や農薬屋など、日本中を相手に商業で栄えた近江八幡の街は「水郷の里」とも呼ばれています。
そこを自由散策となった我々は早速に時代劇でよく利用もされるという水路沿いの小路に足を向けましたが、一分咲きの桜の木の下を女性軍はテレビの時代劇の話題でいっぱいで、我がママなども「パパが興味がないからビデオで撮って、パパが寝てから見てるの」って「誰ぞがステキ」だとか「あの人がカッコいい」とか、女性はいつも女性で咲かぬ桜の代わりにお喋りの花が満開の水郷の里でアリマす。


豪商の家々が建ち並ぶ地域も通りますが、たまたま通った路地の写真に向って左側の立派な家は「西川」性で入場料を取って商家の中を見せていました。
そして写真に向って右側は歩を進めて行き表札を見ると「森」性で「当家は公開をしておりません」と有り「あらぁ〜、西川さんチは入場料を取らないとやってけなくて、森さんチはまだ大丈夫なのネ〜」って、またまた大笑いです。
そんな事を気さくに語りバカな話に大笑いをして歩を進める・・・このような方々と一緒に歩かさせて頂ける・・・なんとステキな一日だったことでしょうか。
渉くんと江平さんは水郷の里で京都から迎えに来るという渉くんの両親を待ち、我々は駅前の本日宿泊のホテル前にゴールの24キロでありました。
楽しかった 第10次中仙道ウオーク 2日目に参加をさせて頂きありがとうございました。