「切らさない こころの糸は 誰のため 自分自身と あなた思って」

日韓両国の人たちが同じ方向を向いて一緒に歩くことに意義が有るのだという
朝鮮通信使ウオークだそうですが「日々を歩き切る」ことの意義は何か
「足じゃ無くて、気持ちで歩いているの」って言うユキちゃんたちとご一緒が出来た参加2日目のパパママでしたデス。


金井カメラマンの公式ホームページもご覧下さいネ



ピンボケ写真の一枚目からスタートは5月6日のレポートですが、東海道線上り名古屋方面の電車の中からの画像です。



そして稲沢駅陸橋からの一枚ですが、オレが大垣駅まで往復をして戻って来たのと
ミンナが一宮駅を出てトイレ休憩に稲沢駅に立ち寄ったのがほぼ同時刻でアリマした。


 尾張一宮から美濃路を通って熱田宿を貫き東海道を鳴海宿まで 09年5月06日(水曜) 天気 あめ後、時々くもり 距離 37キロ 
5/6(水)実は今までも何か忘れ物をしたという経験が少なからず有るのですが「逢いたいあなたに今日も会えるヨ!」って思うと気分ウキウキで落ち着かず乗った電車の中でオニギリを食べたりお茶を飲んだり、スパッツを付けたり、バンダナを締めたりとリュックの中身を忙しく出し入れをして「そうそう、着いた早々からミンナを撮らなくちゃ!」って、普段は紛失しないようにリュックの取っ手に結んで有るカメラケースを外したまま直ぐに首に掛ければ良かったものを座席に置きっ放しにして降りた電車だったのです。
そして改札を出て「さあぁ、デジカメ君 今日もヨロシクネ〜♪」って思ったけ時には、アレレ・ない
ナイ
無い
慌てて駅改札に届け出て「有無は終点の大垣駅に到着時に判明しますので」との説明に、出発式も気もそぞろのままにミンナのスタートを見送り待つ事10分「お客さま、有ったそうですヨ」って駅員の笑顔にお礼を言って直ぐに飛び乗った下り電車でしたが、これが順調に特別快速で昨日歩いた木曽川を越え、長良川を越え、更に揖斐川を越える風景にもルンルンでママにメール報告です。
大垣駅窓口で「赤いケースにP社の白色のデジカメです」って伝え受領書も書いて手に戻った愛しのデジカメ君を首に掛け「二度と君を離さないからネ」って、またも5分とせずに来た上り快速に乗り、ミンナが来るであろう稲沢駅で降りたのが顛末ですが、ママから事情を聞いていた皆さまからも「良かったわネ〜♪」って笑顔で迎えられました。

韓国内でも同様のことが二度ほど有り結果は「返って来なかったわヨ」って嶋さんでしたが、園子さんも琴乃さんも菅さんもミンナ我が事のように「良かったわネ〜、普段の心掛けヨ〜」って喜んで頂け、ワタクシ自身も本日のレポートの肝心なハリコが叶う事になり、しかも無事にミンナと合流が出来てホッとした朝のひと時なのでアリマした。
お陰で貴重な「今」という二度と戻らないこの一瞬を記録に残せますが、ママからも「パパ〜、良かったわネ」って「ウン・ウン!」のオレでアリマす。

今日のお昼で一旦は帰ります」って言う園子さんと貴重な一枚たちですが、二年に渡る伊能ウオークの休養期に金哲秀さんが歩いた中仙道だそうで、それをゴールで迎えた園子さんに馬籠宿で手に入れて被り歩いた編笠を頭に乗せられたと聞くけど、最初から第二次以降の中仙道ウオークへの約束だったんだろうか?
彼女が少人数ながらも仲間とつないで二次を歩き今に至り、朝鮮通信使ウオークに発展したり、西川ご夫妻の北海道ウオークにつながったりと、友達以上の仲間との今が形成された立役者のお一人ですが、そんな彼女に宣さんも加わって頂き清州城をバックにパチリです・・・カメラが戻って良かったヨ〜・・・ウルウル

今度は清州城の休憩所で金泰亭(キム)さんと菅さんとオレをママが撮ってくれましたが、三英傑の一人家康は朝鮮通信使との交流に努めわざわざ彼等の為に朝鮮人街道という特別の道まで作った人で、秀吉は韓国の方々から見ると朝鮮出兵の敵の総大将であり、「清州城を建てたのは信長です」って言う中村進さんの説明に信長はどのような人物と写っているのでしょうか。
既に第1回から400年も経た朝鮮通信使の歴史ですが、われわれを含めて「歴史」というものを小説やテレビドラマや映画などの断片的な情報から勝手に類推したり想像をしているけど、歩き訪ねることにより史実というものにも興味が湧く「時代」というものがいっぱい詰まった美濃路を通る我々です。

朝から強く降っていた雨もやや小休止状態となり庄内川を渡って名古屋に入り問屋町通りを歩く頃には傘も不要になってきましたが、歩きながら本隊員はもちろんデイリーの方々まで気遣ってお昼の食事の手配をされる中村進さんで、どのようにして情報を仕入れているのかうどん屋さんに予約を済ませミンナから「鍋焼きうどんか天ぷらきしめんのどちらを希望しますか?」って歩きながらのオーダー確認です。
パパママも一緒に注文をして頂きましたが、ミンナと一緒に向かう名古屋城近くのうどん屋さんで、足を痛めた秋田の佐藤さんも「だましだましだぁ〜」って言いながら、杖を頼りに同歩です。




お腹がいっぱいになって雨具も仕舞い、ご都合でここで帰られる西川ご夫妻や園子さんとのバイバイ記念です。



第二次の韓国内では隊員として一緒に過ごしたと言う新潟の篠崎幸ちゃんと天野さんや嶋さんたちも加わってですが
茹で忘れたのではって思うほど固めの名古屋独特の味噌煮込みうどんの味は如何でしたでしょうか?

事前に予約と注文をしていたもののいっぺんに30人以上が入ったうどん屋さんで、しかも狭い階段の二階に全員が通されて最初に食べ始めた人が食事を終えてもまだ注文の品が目の前に来ぬ人も大勢居た為、午後の集合の加藤清正像前に予定時間を越えても集合する事が出来なかったハプニングも有り「たぶんこの時間なら」って集合場所で待っていてくれた亀山の恵美子さんも「もう、行っちゃったのかしら?」って心配だったようだけど無事にユキちゃんとも再会が出来て、同様に待っていた愛知ウ協の伊藤会長も正使の宣さんと再会の握手です。
予定時間を随分と過ぎてから加藤清正像の前を全員が揃って午後のスタートですが、まだ半分以上の距離を残す本日です。

菅さんとも笑顔の再会ですが、第7次中仙道のユキちゃん隊にふらりと現れて以来ほとんど歩いていないそうで「久し振りに歩いたわ〜」って恵美子さんですが、誰から知ったのか三年振りの出会いを果たし、伊藤会長も忙しい中をしばらくご一緒ウオークです。
そうそうオレが今朝忘れた赤いカメラ袋が無事に胸元に戻っていますが、お陰で撮れているこの一瞬たちで有り難いことデス。

名古屋城から真っ直ぐに伏見通りを南下している途中ではまた降り出した雨に何度かカッパや傘を出し入れもして、一旦は本日本隊の宿泊先となり、愛歩も熱田−伊勢ウオークの時に利用すると言う熱田神宮近くのホテルに到着をして解散式となりましたが、前日に佐世保ウオークで105キロを歩いて来たという歩仕事人こと川島さんもここでフィニッシュとなり、写真に写らなかったけど前日まで東京スリーデーに参加していたという美濃の善さん等、ディリー参加者や本隊員のお疲れの方々など半分ほどがここをゴールとされました。
そして当初予定の鳴海宿へとまだ10キロほどを再スタートです。




続けて歩く女性軍ですが、何のために歩いているのか36日目、連日の疲労を感じさせず



電信柱でストレッチのユキちゃんに倣うママは、たかが2日間だけど「もうクタクタだわ〜」って足は上がらず

熱田七里の渡しに寄って美濃路から東海道へと進路を変えて歩を進めますが呼続(よびつぎ)の地名のところで、前回も説明を聞きながら忘れてしまっていたけど中村進さんが再度の説明です。
七里の渡しで「もう直ぐ船が出るぞ〜」って言うと、それを聞いた旅人が後続の人に「おーい、船が出るそうだぞ〜」って伝え、またそれを聞いた人が更に後を歩く人に「急げば次ぎの船に乗れるぞ〜」って呼び継いだそうでそれが地名として残ったと言うのですが、何時かここを通る時にミンナに披瀝したいと思うオレです・・・でも肝心の時には不思議と忘れちゃうんだよネ〜
重い足を何とか動かし、前を行く人の見えない手に引かれ、後から来る人に見えない手に背中を押されながら笠寺観音へとやって参りました。

昨日も雨の午後を歩き通して37キロで、本日も朝からの雨の中を目的地の鳴海宿まで歩くと同様の距離の連日で疲れもピークとなる本隊の皆さまですが、途中で宿泊先に寄り半数近い人が離脱された後なのが余計に精神的な疲れを誘ったようだけど、尚且つ「気力と熱い思い」を抱えて、自身の足のチカラの限りを精一杯の努力をされるミンナです。




「たかが一日ならば俺だって」って思いますが、昨日までの35日が有りまだ残す14日間を抱えて
向ける目の先に何が見えているのでしょうか。



「切らさない こころの糸は 誰のため 自分自身と あなた思って」

旧東海道を歩を進めるミンナですが、雨は上がったけど疲労度もピークとなり引きずる足でようやく名鉄本線の線路が見える角を曲がって目的地だった鳴海駅が見え「おおぅ、ゴールだよ〜」って、歩き続ける事を休められる事になった午後5時半で37キロの本日でした。
朝から雨交じりの中を歩き通した通信使ウオークの皆さまですが、36日目を無事に終えられました。




36日目 ゴールを祝してビールで乾杯!



歩き終えて大満足のミンナですが、手に持つお酒のことを韓国語でメッチュというそうです。



鳴海駅から宿泊先の熱田まで電車で戻る本隊メンバーですが、一緒に同じ釜のメシを食べたもの同士
苦しさ辛さはもちろん楽しさもを共有しながら、通じ合うのは言葉以上に気持ちです。