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 鳴海宿から東海道を通って岡崎宿まで 09年5月07日(木曜) 天気 あめ後くもり、その後大雨 距離 29キロ 
5/7(木)世間は昨日でGWを終えましたが、有り難いのか有り難く無いのか昨年秋以来の世界同時不況という経済の大きな変化が一如となって、叶った中部地区を通られる朝鮮通信使ウオーク37日目に参加のパパとママであります。
週間予報では雨上りのはずが自宅を出る時から前日来の雨が落ちていた今朝で、金山駅で一緒になった森宴会部長の話では台風一号が影響して変化の本日の天気のようです。
そして移動の鳴海行きですが何気なく森さんに従って乗ったのが普通電車で、既に始まっていた出発式が途中まで進んだギリギリ時間に間に合ったのは良かったけど、司会進行の中村さんから「本日の檄は竹樋パパにやってもらいます」で「ええぇ〜(@@;)」のオレの恥ずかしい姿をママがパチリでしたが、前以って言ってくれていたらもっとキチンとやれたのにナ〜・・・って、ホントかヨ!でアリマすが・・・トホホホ・ホ

鳴海駅を出て直ぐに旧東海道に入りますが、古い町並みが続き「電信柱が無かったらもっと良いのにネ〜」って言ってたら、前回もご参加の有松観光協会の方が言うには「今から電線の地下工事を始めるところなんです」って、やはり歴史ある建造物が並ぶ街並みに誰もが「無かったらネ〜」って同じように思っているようです。
「昨日は流石に疲れたわ〜」って言うユキちゃんでしたが、どこにそんなパワーが有るのか一晩寝て元気快復で、足取りも軽く鳴海宿に続く有松宿へと歩が進みます。
その有松宿で出発式から同歩の方の説明では、今は和服と言うものが老若を問わず忘れられてしまい、過っては繁忙を極めた有松絞りも時代と共に廃り、絞り職人の地元の主婦たちも一日びっしりと仕事をして千円にも満たない工賃に外にパートに出るようになり、現在は高齢化した方々が技術を伝承だそうで、高く売れる絹絞り品が中心の今だそうです。
でも本当は一般の人も使える木綿絞りが一番で、木綿の絞りゆかたの肌触りは肌に接触する部分が少なく涼しさは最高で、寝たきりの人に着せると床擦れもできないというほど素晴らしいのに、最近は下駄や小物まで付いて三千円くらいのゆかたが売れる時代で残念ですって熱く語ってくれました。




「私が撮ってあげましょう」って、迎えて頂いた有松絞り会館の方に押して頂いたのですが・・・



朝から降ったり止んだりの空模様の中を桶狭間古戦場公園にて



ここでも中村さんが、家康の前は秀吉でその前は信長だったが、当時今川という強い武将が居て
ここで信長とバトルだったとの説明を、天野さんがハングルに通訳をして説明です。


更に東進の我々ですが、途中で一緒に歩いていた方が駐車場広場のようなところにミンナを案内で道路向こうの家の説明とジュースの差し入れをして頂けました。
三田医院(さんだ)という聞き漏らしましたが現在も十何代も続くお医者さんの家で、朝鮮通信使が江戸に向かう際に大雨で難儀をして岡崎に明け方に到着をするような事が有った時も往診に向かい、また帰路の時もここを通った通信使たちが暑い中を歩き熱中病になったそうで、葛湯を振る舞い労いと医を尽くしたそうで、その時に朝鮮通信使からもらったという掛け軸も飾られる床の間だそうでコピーを見せて頂きました。
そんなご縁で、今回も家の前を通る21世紀の朝鮮通信使・友情ウオークのみんなに振舞ってくれたジュースだそうで、現在の当主は往診に出掛けていて不在だそうでお顔が見られないことが残念でありました。

着れば止み脱ぐと降るという風にコロコロと変化する空だけど、この季節のこの雨が大地を潤し、我々が使う夏の水を山河に貯えてくれる有り難く貴重なものとなりますが、豊明駅でトイレ休憩の後は尾張と三河の国の境となる境川を渡り、西三河を流れる逢妻川を越えて刈谷藩の地へと渡ります。
写真を撮るときだけママに持ってもらったけど遠藤さんから預かった昇り旗が雨に濡れたせいもあってか重いのナンのデス。

何度か碧海幡豆ウ協の例会でも通る東海道で、寄った知立神社と抜ける知立宿ですが、池里鮒(ちりふ)が元々の字で、いつ頃から今の「知」と「立」という字を使って「ちりゅう」と読むようになったのか、ミンナからも読み方を聞かれたけど難読地名の一つとなると思います。
そして遠藤さんの後の高架橋下の信号で列が切れましたが、水野ママのパープル色の車から敦子さんが降りて隊列の後に合流したのを確認のワタクシです。




三河地方では「西に知立の松並木、東に御油の松並木有り」と言いますが
東海道の面影を残す松並木の中央部は車道になっていて歩く事が出来ません。




「今日の昼食は任せてネ」って言っている敦子さんですが、用意を済ませてご一緒ウオークです。

知立宿を抜け安城に入ったころからまた降り出した雨で「晴ならば前回と同じ公園を予定したんだけど」って言いながら、雨も想定して石橋公民館という水野ママがお住みの地域の公民館を予約していて頂き、しかもディリーの我々も含め手作りのサンドイッチや鯛めしのオニギリや漬け物やバナナや牛乳やジュースなど、いっぱいの食事を用意していて頂けました。
左写真中央に写る自転車の車さんが突然に何かを言いながら拍手で、後追いで韓国の方々の拍手が加わりましたが、通訳も務める天野さんによると「こんな素晴らしい食事を用意して頂き、黙って食べるなんて出来ない。さあぁ、ミンナで拍手をしようよ」ってパチパチだったそうで、その通訳を聞いた我々も倣って敦子さんと水野ママに全員がパチパチでした。
雨露を避けられてしかもお腹が満ちる食事が用意されくつろいだ我々ですが、顔が半分消えた右写真は佐藤さんの茶色い靴下と森宴会部長の足の地色がほぼ同じだと言って並べた歩く足たちです。

12年前伊能ウオークの本部隊員となった阿羅漢さんと共に過ごした敦子さんの二年間ですが、更に中仙道ウオークの第三次を受け持たれ、今年も北海道一周ウオーク第三ステージを予定されている西川ご夫妻です。
「伊能が無かったら今ごろどんな生活になっていたかしら」って敦子さんがよく言いますが、感謝の気持ちを形に変えて朝鮮通信使日韓友情ウオークの方々にそんな十年を思ってのご接待で、食後は宣正使と遠藤さんからミンナを代表してお二人にお礼として記念のペナントが贈られました。




食後は更に強くなった雨ですが、負け惜しみでは無くて穏やかな天気ではない今日の参加を喜ぶオレです。



ただ寡黙に歩くのは辛いだろうけど、この天気を共有して向かう東京への一歩一歩を確実に、そして一緒に前に進められる



「どうしてこんなに頑張るんだろうか?」って、ユキちゃんの後姿を見つめつつ人生の有り方を思うけど、敦子さんが矢作川の手前で
「お友だちに会って欲しいの」って、入院を予定しているという知人に連絡を取り、旧東海道沿いの路端でユキちゃんをご紹介



靴の中で金魚が泳げるほどの勢いの降りでしたが、午後3時半に29キロを歩いてゴールの岡崎市内ホテルへと到着で
ロビーをお借りして完歩証授与などが行なわれましたが、78歳の岡崎の加藤さんを含めて全員が無事にゴールです。
辛い時 苦しい時を共有させて頂き有難うございました。
ではでは 明日は休養日 ゆっくり休んでネ〜・・・って、また岡崎市内を歩く明日かな??


40日目に続く