「ファイティ〜で 降る雨の中 見送った 記憶懐かし 今日は一緒に」

2年前の5月6日(日曜)たかが7日間をご一緒しただけでクタクタ・ボロボロのパパママが
ここ豊橋駅で江戸へと向かう方々を大きな声で見送った事を鮮明に覚えていますが
今日はご一緒ウオークです。 V(*^^*)V


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 吉田宿(豊橋駅)から東海道を通って浜松宿(浜松駅)まで 09年5月10日(日曜) 天気 晴れと清風 距離 41キロ
日曜の朝はどこまで走ってもMax千円という高速道路を春日井から音羽蒲郡まで走り、皆さまがお泊りの豊橋駅前にホテルへと7時前に到着でしたが、ママが後ろに積んだミンナのおやつなどを車から降ろそうとした時に「ア・アァ〜」って腰を抑えて暫しだったけど、ギックリ腰の前兆のようなものだったかもデス。
それを聞いたユキちゃんが腰に薬を塗ってくれ「何とか大丈夫みたいだわ」ってホテルで朝食も済ませて、集合場所の
豊橋駅へとミンナして向かいますが、ディリーの方を迎えるために既に先発だった嶋さんや佐藤さんが昇り旗を持ってお立ちで任(ペー)さんやオッパーさんも加わる朝の一枚からです。
集合場所の東口エントランスで本日のコース図を並べる中村進さんでしたが、予定表では39キロだけど実績は40キロ超となる本日だそうです。

ドライバー支援だった小瀬古さんや小林さんも居られ「ご一緒かな?」って思ったら、2年前のパパママ同様にここから見送られるという本日40日目だそうで、小林さんは「岡崎から豊橋まで初めて33キロ歩いたけど、体がガタガタです」っ、ご自身の経験を語り、本隊のミンナを賞賛もして「この後のゴールまでもどうか安全に」ってご挨拶の開会式です。
宣正使のご挨拶も有り日本語に通訳するのは天野さんですが、朝鮮通信使の旅に関わった費用は一回に100万両も掛かり、それは幕府財政の一年分に相当するそうで、これらの費用は諸大名に負担させたそうです。
参勤交代も同様ですが、様々な政策の中で大きな費用負担をさせ諸大名のチカラを減衰させて、続けてきた徳川安泰の300年だったと歴史で習ったけど、1回の通信使に一年分の財政となる費用を掛けたなんてどれほどのもてなしの内容だったのでしょうか?
第4回目の帰路で、将軍家光が予算として余った千数百両を「朝鮮通信使に持たせよ」って命に、江戸から追い掛けた役人が浜名湖の湖と海をつなぐ今切りというところで追い付いたが、清廉な通信使たちは金品不受理の国からの指示に従い今切りの海に投げ捨てたとの史実も披露です。
「もしかしたら今も沈む千数百両が見つかるかもで、みんな今日は注意して浜名湖を渡りましょう」ってジョークも飛び出す宣正使でしたが、任(イム)さんの檄でスタートはパパママも一緒に歩く本日です。


「初めてこのような経験をしています」って、韓国で生れ育ちアメリカで大学時代に日本の夫と知り合って結婚したという天野さん曰く「この人たちはまるで毎日が子供の修学旅行のようだ」って言い「呑めない私には最初は苦痛な日々でしたが、今は楽しいデス」って語ってくれます。
その夜の様子も紹介のオッパー掲示板ですが「無造作に貼らないでよ!品位が下がるでしょ!」って朝から嶋さんに怒られているオッパーさんで、この事をレポートをカキコのワタクシも節操が無く申し訳ゴザイマセン。

歩きながらも色々な方と同歩をしながらお話ですが、今回の本隊メンバーで最高齢の岡田さん(75歳)とも会話で、オレが「毎日お元気に歩かれていますネ〜」「ウオークは長いんですか〜」って聞くと歩きながら「ハァ・ハァー」で会話が弾みません。
そして吉田宿(豊橋)を出て
川宿で一服の時に岡田さんが寄ってきて「さっきは歩くに精一杯で声も出なんだ」って仰り、同様のことをオレが聞くと「もうずいぶん歩いたもんだ・・・伊能も歩いたし四国も歩いたし、自然歩道もなぁー」って前の山を眺めながら「もうこの様で情けないもんだわ」って仰ります。
「いやいや、歳を重ねてどんどん元気なんて訳にはいかず、無理はなさらずに」って聞いたような会話をしていたオレでしたが、歩きながら嶋さんに聞くと伊能ウオークでも本部隊員だったとの事で、嶋さんたちとも2年間寝食を共にしていた超ベテランだそうで、思わずこころで「ハ・ハー」ってひれ伏してしまいそうになるオトボケなオレなのでした。
そんな方々とご一緒ですが、朝から遠藤さんに「この一本をお願いな」って持たされた友情ウオークの昇り旗が「重いのなんの」で、写真を撮るときはママに持ってもらっていたけど、何時の間にか紀乃さんがママをサポートしていた愛知県境です。


宣さんがカメラを向けているのは真ん中ハリコと同様のアングルですが、愛知県から静岡県へと県境越えの看板をパチリで、5/5(火)35日目の垂井−一宮の時に木曽川を越えて愛知県入りをしてから足掛け6日目で愛知県越えです。

東海道を書いた浮世絵にも残ると言う白須賀宿から太平洋を望める場所で一服休憩で、天野さんが同じ場所をバックにハイ・チ〜ズ♪〜
この辺りは以前に岐阜ウ協の例会で来たことが有り私自身は覚えていましたが、白須賀宿というのは昔は海岸に近いところに有ったものの大津波を経験して現在の高台に移動したとの事で、高台から山間いの下に見える青い海の風景がステキです。
ただ第一次を経験された方々は「ここは覚えてないナ」とか「全く知らないナ」って話で、大雨の中を必死になって歩いていたという前回で「たぶん下の海岸側を通ったんだろうナ」ってお話なのでした。




お揃いのTシャツを着て肩を並べて進む歩だけど既に40日目、この方々のパワーはドコから生れているんだろうって不思議です。



道中で声を掛けたり質問をしてくる地元の方々ですが、一瞬の交錯の中で「こんにちわ〜」ってご挨拶をすると
「今どき、こんな婆たちに声を掛けてくれる人など少なくて嬉しいわ」って言い



ソウルから歩いている事を伝えると、先頭から最後尾まで手を振って「ご苦労さまやの」って見送って頂けました。



そしてオチャラケの一枚は天野さんとオレですが、午後1時を廻ってまだ昼食場所に到着出来ず
お腹の皮と背中の皮がくっ付きそうなフラフラ状態だけど、カメラが向くとこうなんだよネ〜

新居宿が昼食場所と決めていて予約もしてあった本日ですが、JR新居駅前のおおさか屋というレストランに到着が午後1時半で、2年前にもお会いした事を覚えている「なかにし@静岡さん」が待っていてくれ、食後はご一緒ウオークとなりました。
お腹が満ちて元気を取り戻した我々ですが、今朝宣正使が言っていた今切りを渡るけど昔は淡水の湖と海の間が仕切られていたのが、1498年の大地震で裂けて湖と海がつながり
今切りという地名となり、その後の転変地異も加わっての現在だそうです。
遠州の強風は有名ですが、今日も太平洋を渡る風がナンの障害物も無い為か強く吹き付けていて、昇り旗を持つ我々も油断をすると飛ばされそうな勢いで「ご飯を食べた後で良かったネ」って一時だけど長ーい橋です。





ユキちゃんが持つ韓国旗の真ん中の巴は、物事の二面性を表現した「陰と陽」だそうで
全てのものの真理を表しているそうです。




楽しみの中にもいっぱいの苦しさが隠れていたり、辛さの中にも耐える喜びや乗り越えた先の希望が有ることを
誰もが実生活の中で経験ですが、物事を考える時、同じ状況をどのように捉えるかで人生観が変わってくるものです。
そんな意味でも日々の歩きの中で誰もが心の葛藤を抱いて自問自答の1145キロの途中だと思います。

そうそう 高さんの後は二川駅から合流で色々と会話をしていますが中瀬さんといい、先日の東山道ウオークにもご参加とのことで、愛歩の看板・福田女史とも知り合いだし、四日市の筒井ご夫妻とも親しいというベテランウオーカーです。
そしてその横は碧海幡豆ウ仲間の大江さんもご一緒ウオークの本日ですが、更に後の遠州の強風がご理解頂けるような紀乃さんをアップでパチリです。


元警察署長だという副使の裴さんですが名前の呼び方もペーさんというと思ったけど違っただろうか?職業柄からか笑顔が少ないと言っていましたがワタクシの向けたカメラにVサインで、心が通い合うのに言葉が不要だということが分かります。
もうお一人も同じような形のおヒゲで、名前は最後まで覚えられなかったですが、ユキちゃんが言うように気持ちを伝えようと思うとハングルの片言程度でも有ればもっと違う関係になれたかもの第二次応援ウオークのオレです。




在日の高さんが歩きながら話して頂けましたが、ご両親が韓国の方で日本で生まれ育った彼女の時代は
差別というものが激しく、その事がばれぬようにと子供七人全員で、父母にハングルの言葉を発する事を厳しく諌めたと言い
それが彼女にとって一番の悔いだと仰ります。
ただ黙ってお聞きするだけでしたが、両親に言葉を抑制させたことで自分たちも祖国の言葉を話すことが出来ない結果となって
自分自身に対しても時代というものに対しても辛く苦しく今も考えるそうです。
そのお話をして頂けたという事で高さんと気持ちが通じたようで嬉しくも感じたワタクシです。


第一次の時は白旗の外周が赤いギザギザになった形のものに朝鮮通信使と書かれたものなどで、史実の絵に見る「清道旗」に似たものだったけど、今回の図案は前回と異なるものでした。
そして一次の記憶では本隊の方々が自ら持って歩き通しておられたように思ったけど、今回は「是非ともディリー参加の方に持ってもらおう」って事でパパも持った本日でしたが、一見軽そうに見えるこの旗が実はすごく重くて見た目はプラスチックのようだけど、どうも芯に鉄パイプが使われているんじゃ?って感じます。
「雷なども心配だからプラスチック製のを選んだみたいよ」って菅さんでしたが、磁石でも有れば確認したんだけどその重さに遠州の強風が加わった本日で、一日持っていると腕にも相当な負担のこの旗なのです。
その重さが理由になってディリーの方に持ってもらおうって事だったのかも知れませんが、ワタクシが写真を撮る時にはママに持ってもらい、それをサポートのユキちゃんから更にオッパーさんへと渡った瞬間が真ん中ハリコで「オレも仕事をしているところを撮ってよ」ってゴール手前で、依頼されたユキちゃんが撮った写真はオッパー掲示板です。
こうして遊びも交えて進んだ友情ウオークですが、浜松駅の高いビルも近くに見えてきて影も長くなった午後五時半ころです。


長距離ウオークをすると「歩くってナンだろう」とか「どうして歩き続けるんだろう」って自問自答をしたくなるような毎回辛いゴール前ですが、ミンナと共歩きをする事により「自分も苦しいけどあの人だって頑張ってる」ってお互いに競争意識ではなく、苦しみの共有者としての意識が強まる、それが歩き仲間なのです。
前を行く人の見えない手が自身の手を引いてくれ、後から来る人の見えない手が優しく背中を押してくれ、自然と足が進み「あぁ〜・疲れた〜」って言いながらゴールを迎えられる。
でもこの大変さもいっ時だから良いようなものを、既に40日を過ごし、更にまだ10日間も続けられる方々のこころの持ちようには想像も付かないオレであります。

午後6時前に41キロを歩き浜松駅にゴールとなり、パパママも参加認定証と共にまた頂いた記念のペナントですが、楽しいディリーウオークを有難うございました。
本隊の皆さま この後もお気を付けてお江戸へネ〜 でわでわデス。