「第11回IVVオリンピアード世界大会in山梨−Japan」最終日に参加の一歩たち 09年5月17日(日曜) 天気 曇のち晴れ 距離10キロ
河口湖10キロコース = 河口湖総合運動公園会場スタート 〜 富士山麓 〜 先人の里 〜 健康科学大学 〜 河口湖会場ゴール

5/17(日)のレポートですが、前日から降り出した雨予想が80%と確実な雨降りの一日と思いきゃ、目覚めて富士山山麓のホテルの窓の外を見ると雨が上がっているじゃアリマセヌか。
そこで飛び起きご飯も食べずにスタート会場へですが、会場入り口でバッタリと鹿児島の中村さんにお会い出来て、先ずは真っ直ぐに昨日の使用感想を伝えにノルディックコーナーの内藤さんと上司の加園さんのところへです。
お陰でママは「腰痛を気にせず上手に20キロを歩けました」って報告ですが、購入した時はセールストークの上手な彼らにつられて色柄だけで決めたけど、静岡県のメーカーで羽立工業さんだそうです。
今後もママは両手にこれを持って歩くけど、キャップの磨耗度や使い勝手など何かの折にはレポートに交えて今後も加園さんたちにお伝えすることも約束をしてスタートの準備です。


そこに現れた西尾城主酒の神の大竹さんですが、外ハの字と杖がトレードマークだけど、我がママが使って具合良かったら2本杖を薦めちゃおうかナ〜
偶然の出会いの中で逢えるあなたとの再会が嬉しい大きな大会ですが、中山道ウオーク・第10次森ご夫妻隊でご一緒させて頂いた群馬邑楽の小島さんとも再会だし、折り鶴を海外の方々にお配りに忙しい日々であったろう鶴おじさんたちと福岡の二宮さんとも1日置いて再会の朝です。




更には実は後で知ったけど3年前にお会いしていたハンスとローリーたちとこのように朝の出会いをしていた我々だったのです。
でも朝は似たような顔の外国の方々で、ハンスとローリーとは全く気が付かずに、「ハーイ!グッモーニング」って握手や
「グッバ〜イ」ってハイタッチでコースに出たパパママの7時過ぎだったのです。


(3年前の出会いの様子は6年版の06/05/13のレポートをご覧下さい)

スタート直後に「もしかしてネットのパパママでは〜」って声を掛けて頂いた兵庫の亀本さんですが「ネット検索していてHPを見たことが・・・やっぱりで」って暫し同歩ですが、我がホームページもウオーキングという言葉でヒットするそうです。

更に行くとナンと三重の宝・津村さん95才ですが、最初に出会ったのが津村さん90歳の時の比叡山年輪ウオークで、以降も名古屋ツーデーなど何度かお会いしている彼女で、今日もお元気なステキな笑顔と再会が叶いました。
そこへいまだにどっちがハンスでローリーか判らないけど、先程の集団が長い足で追い越しざまに「ハバグッディ〜」でしたが、本人と気が付けば色々な会話が出来ていただろうに、互いに背を向け10キロと20キロの分岐をアッチとコッチに・・・まるで「君の名は」の真知子と後宮春樹かも・・・って、そんなこともナイか


今朝起きて雨が上がっていたので飛び出してきた10キロコースですが、まだホテルのチェックアウトをしておらずゴール後にお宿に戻る予定で、快調に歩くママを追いかけるようにハアハア言いながら富士山麓を登る方向に歩いていた8時ころです。
吸う空気は前夜の雨に洗われたお陰か、富士山の天辺から降りてくる空気の清々しさか、しっとりと美味しくて乱れた呼吸を整えるように大きく吸う空気の出し入れで体の中まで清浄されるようです。
そんな登り道の途中で横浜からだという集団に追い付くと、ナンとそこに中村よっちゃんが居て「年末に検診を受けたら色々と病気が見つかって」って暫らく入院もされたとの事でしたが、申し込んでいた朝鮮通信使ウオークを断念せざるを得なかったこの春だそうです。
でもウオークをされる方々の多くがそうですが、歩く事の素晴らしさや楽しさを知り、仲間との出会いの喜びなどを何度も経験されている方々は、何時までもベットでジッとしている事が少なく「やっぱり歩かなくちゃ!」ってご自身を叱咤激励してベットで寝ている自分を、自分自身がベットから起こすのです。
中村よっちゃんも「10キロでクタクタだわ」って言っていましたが、ママと一緒に暫し同歩で、ママの使ったのが具合が良かったら2本杖を薦めようかとも思うオレです。


健康科学大学というところがチェックポイントでトイレ休憩などもしましたが、三脚カメラがトレードマークの東京の仲村さんと今日も合流で「雨が降りだすんだろう」って思っていたら残雪の残る富士の中腹が陽射しと共に現れてくれた8時半ころです。
ここからは下る一方で我々が宿泊しているリゾートホテルの横も通ってスタート会場へとですが、東京の大沢親分や静岡の志方さんなど全国区のウオーカーの皆さまとも同歩となれたゴール手前です。


最終日のお天気に誘われてチェックアウトもせぬままに飛び出した四日目10キロコースでも多くの出会いに包まれて、ママの快調な歩のお陰もあり9時過ぎに2時間ほどでゴールとなりました。
そしてゴールチェックのテントをくぐって直ぐのブースに位置していたトルコの方々からも祝福ですが「アーユァ・シナ?」って聞かれましたが「ウイーアー・ジャパニーズ」で記念のパチリだけど、帰宅後の写真整理をしたところ、この後のフィナーレでステージに立たれたもしたIVVオリンピアードの偉い方々のようでした。


一旦ホテルに戻ったのは10時前でシャワーを浴びて汗を流して荷物を片付けていると夢璃パパから電話が有りましたが、今目覚めたばかりのファミリーだそうで、てっきり雨だと思ったら陽が射していて驚いたけど、我々が既に10キロを歩いて来たことを伝えると二度ビックリの夢璃パパです。
「バラェティに跳んだファミリーで」って今回は足並みが揃わずご一緒ウオークは叶いませんでしたが、「今日は近くの温泉にでも」って仰る夢璃パパに、四日間のお世話のお礼を言って会場に戻ったパパママなのでした。
ここからがフィナーレ前の会場ですが、ゴールをされた海外の方と会場アーチ前で声を掛けられ一緒に写真を撮り、奥へと進むと四日目にして出会った康兵衛さんとよしえもんさんが帰られるところでした。





言葉は判らないけど一緒に写真を撮ろうって方々ともハイチーズです。

日本でもそう多くは無いかもだけど日々のウオークで△帽子をかぶっているパパママが海外の方々にとって珍しかったのか、知らぬ間にカメラを向けられ「ならばご一緒に!」って、オレもママと一緒のその方をパチリですが、大勢の方々と「ハワユ〜」ですし、色々な国の方々が笑顔の交流で思い出作りに精を出す最終日大会会場のお昼前後です。




そんな中を愛歩の伊藤会長ご夫妻とも一緒になりましたが、エストニアから来られたというピンクの方々に
伊藤会長夫妻は「2年前に行きましたヨ」って伝えていたけど、前回開催地からも大勢の方が参加のようです。

数少ない単語の有らん限りを尽くしても5分と持たない会話の連続ですが、リュックからお菓子を出して我々の手に頂いたり、お返ししなくちゃってママやパパのリュックのバッチを外して「ディスイズジャパニーズカントリーフラワ〜さ・く・ら〜」って淡墨桜ウオークのバッチを「フォーユー」だし、かもめのバッチも外して「ディスイズヨコハマ」だけど、ホームページアドレスを記した我が家の名刺も用意しておらず、連休中の家の整理で山ほど出てきたウオークのバッチも「持って来ればどんなに喜んで貰えただろうか」って、初めてのいっぱいの海外の方々との交流に思い返しても残念だし目が白黒のフィナーレなのデス。

更には帽子が国旗のデザインのブラジルの日系三世と四世だというご夫妻ともお会いしましたが、既に六世の子供たちも居るブラジルだそうで、ママが指差す服には移民100年祭のプリントもで、この後は熊野古道も歩かれるそうです。
IVVオリンピアードの歴史は22年だそうですが、ウオーク発祥のオランダが1回目で、ドイツ・フランス・ギリシャ・フィンランド・イタリア・オーストリア・ベルギー・チェコ・エストニアと続き、日本が11回目だそうで、次回12回がトルコだそうです。

ここに参加の多くの方々はその歴史に関わり、楽しかった自国での開催の思い出をこころに、継がれる国々に参加をされている方々なのかもしれませんが、どなたもなんと親しげなことでしょうか。
手を握り肩を抱き合い互いのカメラで思い出を写し合う・・・国と国が争い会う理由はいったいなんなんだろうか?って不思議にさえ思えます。


会場のあちこちで思い出パチリの国際交流ですが、会場内に響くスピーカーから平戸から歩いているというハンスとローリーたちの紹介が有り「エエェ〜!?」って思ったら、ステージの上に立ったのは、今朝簡単ながらもご挨拶をしていた彼らなのです。
しかも外人だと思った背の低いヒゲの人は日本人で、名前は聞き忘れたけどハンスやローリーををエスコートしている人のようで、もう一度会話をしようと思ったけどステージを降りた後は混雑もあり出会えなかった彼らです。




ステージをバックに並ぶ青いシャツの集団は前回開催の国から来られたエストニアの方々ですが
人口が140万人ほどでバルト三国と呼ばれてソ連からの独立に多くの涙を流した国の方々と知ったのは帰宅してからだけど
この国の方の一人が「マイカントリーイズベリースモール」って一所懸命に語ってくれたのが強く記憶に残ったオレだし
彼らから頂いた思い出の旗やバッチが今我が家にです。

大人数で参加のベルギーの方々が隊列を組んで会場を一周したりもして会場を盛り上げ、パパママ〜って声を掛けて頂いたタマっちあやっち親子とも久々の再会などもあり、午後1時から開かれた閉会式ですが、政治家となったスケートの橋本聖子さんは富士急所属で懐かしの地だとの閉会の挨拶でした。
またIVV日本会長宮下充正さんは、閉会式が始まった頃に落ちて来た雨を例に出し「世界中から来られた皆さんとの別れが悲しくて富士山が泣いています」ってスピーチで、英語や他の言葉にも通訳をして流れる司会者の言葉を聞いて各国の方々が大拍手でアリマした。
その後は今回開催国の日本から2年後開催のトルコへと大会旗の引渡しも行なわれ、長いようでアッと言う間の四日間のお祭りが終わろうとしています。





国際大会というものに対してもう少し知識が有れば名刺も用意して、プレゼント用のバッチやお菓子やキャンディなども用意し
英語だって多少は語意を多くして望めたかもだけど、、いっぱいの外国の方々から声を掛けて頂き
思い出写真を撮ったり色々なものを頂きながらお礼は「サンキュー」の言葉だけだったパパママです。



北欧の曲だと聞く「蛍の光」でフィナーレでミンナで手を振りながらでしたが



お国から用意をして来たであろう国旗をママに「フォーユー」で頂いたりして



名残りを惜しんだ閉会式後はミンナして会場を後にした午後2時ころです。



それぞれのお国に真っ直ぐ帰られるのか、日本のどこかを観光して帰られるのか意思の疎通は出来ませんでしたが
お互いに気持ちの疎通は十二分に出来た我々で
二度と会えないかもだけど地球のどこかにあなたの笑顔が有ることをオレは忘れません!

小澤ファミリーのお誘いのお陰でIVVオリンピアード世界大会に参加出来た今回でしたが
世界の国の方々とのいっぱいの出会いとふれ合いにハートが興奮をした四日間を過ごせました。
朝鮮通信使ウオークを歩くオッパーさんのゼッケンのメッセージ欄には「世界平和」と書かれていますが
オレもそのように書きたいと思った今回です。
ではでは 長かった四日間のオリンピアードレポートをコレにてネ〜♪