碧海幡豆ウ協「安城横断と、目指せ碧南の油ケ渕菖蒲園ウオーク」に参加の一歩たち 09年6月7日(日曜) 天気 晴れ 距離 22キロ  
コース = 名鉄新安城駅・曙公園スタート〜安城歴史博物館〜デンパーク(昼食)〜都築弥厚公園〜丈山園(お抹茶)〜油が淵〜応仁寺菖蒲園〜碧南芸術文化ホールゴール

6/7(日)は第一日曜恒例の碧海幡豆ウ協行きですが、最近はお値打ちな高速料金に目を付けて、電車賃や所用時間なども気にして決める交通手段で、我がパソコン君を叩いて聞くと簡単に教えてくれる便利で不思議なネット検索というものです。
「距離43キロ・高速料金450円・所用時間約45分ナリ」に、ガッチャ〜ン!と決めたマイカーでしたが、新安城駅近くの公共駐車場に車を置き集合場所に歩いて行こうとすると水野パパママにバッタリで、もっと駅に近くて便利な水野パパママ御用達の無料駐車場が有ると言うのです。
一旦は停めた車のところまで水野パパに乗せて頂き戻った水野家専用駐車場ですが、余りにも便利過ぎる場所に「秀樹・かんげきぃ〜」って古過ぎます。
集合場所の
曙公園では受付が店開きで参加票の提出や本日も茶席を用意だと言い、本来は300円のところを太っ腹の岡本新会長が「本日はドーンと3割引きの200円でOKです」って支払いや、8月バスウオークも「限定45席の早いもん勝ちデス」と言うので早速に参加申し込みやらです。
そして本日の歩く距離も「愛歩広報では19キロだったけどコチラもオマケで22キロに増量です」って開会式で、阿羅漢さんご指導のストレッチもする朝です。


スタートして間無しに西川ご夫妻の住むマンション横も通りましたが、3年計画で進めた北海道1周ウオークの第三ステージに出かける6/12(金)から半月ほどで、アップをすると不在時に泥棒に入られる可能性も有りますのでコレも駐車場同様にナイショです。

そして水野ママに依頼され手配をしたママと一緒の二本杖ですが、メーカーがもう一本デモ用にと送ってくれたのを持っていったワタクシです。
それを見た四日市の長ーさんが気にとめられ「ちょっと如何ですか?」ってお貸ししましたが、オランダで四日間連日50キロ歩いたツワモノを知る周りから「あんたには似合わない」とのひと言で30分もせずに返却となった二本杖です。


続いて今度は西川家と同じマンションに住む長坂さんに渡った二本杖ですが、敦子さんや阿羅漢さんもこの春に奈良での上級指導者研修会に参加で、「体験したけど、最後まで上手に歩けなかったわ」って敦子さんだったしオレも今朝暫らく使ったけど手足が思うように合わず杖と足が一致しない右左でした。
でも水野ママも直ぐにだったし、お貸しした長坂さんもナンの説明も無しに長さだけ調節をしてあげたらスイスイと上手に歩くのに「へえぇ〜」って感心のオレでアリマす。
一旦は
安城総合運動公園でトイレ休憩をして、今度は安城歴史博物館で休憩でしたが、オモチャ博物館で有名な北原輝久さん所蔵のオモチャや本物の古いミゼットなども展示の館内でしばし休憩の我々です。

西三河を中心に活動の碧海幡豆ウ協に参加で何度も歩くようになった安城ですが、子供の頃に日本のデンマークと習った通りどこまでも真っ平な平野の中に稲田が広がり麦栽培も盛んなようで、この時期は麦秋と言わせるように麦の収穫時期のようです。
「だーれかさんと、だーれかさんが、麦ばたけぇ〜♪」って歌われる様に昔の日本麦は背が高く伸びていたそうで、人の背丈以上だったものが品種改良が加えられて腰丈ほどのものとなり収量も改善され、近年の食の安全が厳しく言われるようになり更に耕作地を増やしている今だそうです。
そんなコンバインが仕事をする風景を眺めながら田園の中の歩が進みます。


午前中にほぼ12キロの距離を歩き「日本のデンマーク・安城」と「公園」という言葉を引っ掛けたネーミングの「デンパーク」に予定通り到着で昼食休憩となった我々です。
そしてイイ具合に芝生の生えた土手の上のようなところで昼食となったのですが、その細長い芝地のオレの座った場所がお弁当の真ん前でミンナに囲まれてしまい昼食風景が撮れなかったのが残念です。
って、実は食べるに忙しい言い訳で、ウオーキングの昼食とは思えぬ赤身のマグロの刺身や、薬味が乗って分かり難いかもだけどワラ焼きの鰹のたたきが水野家からだし、肉じゃがや鮭入りおにぎりも敦子さんからで、棒葉鮨や玉子焼きが長坂さんからだったりと、しかも最後のデザートにはイチジクのワイン漬けがこれまた敦子さんからで、後がしばらく動けぬほどに食べた昼食休憩なのでした。


食後のスタートはお抹茶をドーンと3割引きにして距離はバーンと2割増しにした名実ともに太っ腹な新会長の岡本さんが先導となりましたが、爽やかな春風が吹き過ぎでママや敦子さんの帽子が飛ぶほどで、後にする公園内ではクルクルと気持ち良さそうに風車が風に回っていて、奥さんが勤めている場所は公園外の管理事務所だと教えてくれる安城の竹下さんです。
みんなしてお腹も満腹にして、さあぁ今からどちらでしょうか。


誰が下見歩きをしてくれたのか足元に雑草が繁る道なども通ってのどかな田園地帯ウオークの本日ですが、都築弥厚公園というところで休憩となった午後です。

公園中央に読めぬ名前の銅像でしたが「つづきやこう」さんと言い地元の方々からは「この方を知らぬとは!」と呆れられ、自分の先祖かのように口角に泡を飛ばして語るには明治用水開拓の祖だそうです。

     江戸中期の安城ガ原とか碧海台地と呼ばれていたこのだだっ広い原野に水を引いて立派な田畑にしようとの遠大な計画を立て
     私財を投げ打ち測量を開始して『三河国碧海郡新開一件願書』を江戸幕府に提出したというのです。
     そして許可を受けた年に78歳で没年となってしまった都築弥厚は、ここ和泉村で生れ育ったでアリマする ベベン・ベン・ベン

     弥厚が死んで頓挫した計画は、岡崎の庄屋・伊豫田与八郎も同様の考えから岡崎藩に具申するも、刈谷藩などの反対にあい話は進まず
     明治に入ってから岡本兵松という人が弥厚の計画を知り、再度維新後の役所に計画申請をして
     県が動いてこの地に引かれた明治用水路だそうですが、ベン・ベ・ベンベン
     これが叶って広大な農作地に生まれ変わり、日本のデンマークと教科書などにも名を残す安城一帯なのでアリマして
     今、水路沿いの明治川神社に祀られるのはこの三人なのだと言う一節でゴザイマシタ チョ〜ン


都築弥厚公園に隣接するように建っている丈山苑というところでお抹茶を頂くことをウオークに取り入れた今回コースですが、てっきり「和泉そうめん・丈山の里」という名前を使っているうどん屋チェーンが作った建物かと思ったら、京都の詩仙堂を模した市の施設だそうです。
「江戸初期の武士で後に刀を捨てて文人となった石川丈山(いしかわじょうざん)が京都に建てた詩仙堂を模して、ここ生誕地の和泉の場所に再現したものです」って説明も有りお抹茶も頂いた我々です。




生涯 自然に 住まう

石川丈山の書も飾ってありましたが素直な草書で書かれた衝立を見て知る丈山の心だけど
武士を辞めて刀を捨てて鎧を脱いだ爽快感はどのようなものだったのか



肩肘を張らずに自然と接し、自然に生きることの喜びや楽しさ、なかなか難しそうだけど
自分自身の「生」というものやその大切な「一瞬」の連続を大事にしたいものです。


過っては安城ガ原や碧海台地と呼ばれていただだっ広い荒野に「矢作川の上流から幾筋かの水路を作って水を引き、荒地を開墾して一大耕作地帯を作ろう!」との地元・和泉に住んでいた都築弥厚の発案が現実となり、完成した時代を名前にした明治用水路が有って広がる現在の碧海地域田園地帯です。
どこまでも続く田園風景の中を丈山苑でフィニッシュとなった長坂さんに代わって、興味を示した杉山さんが使った二本杖ですが「意識をすると上腕も運動になるわネ」ってこれまた上手にスイスイです。


朝から歩いても歩いてもどこまでも広がる田園風景で、我々が進む度に水田を逃げるように移動していた白鷺の群れですが、延々と20分近くも一緒に移動には笑っちゃうオレで「お前らどこまで行く気だ」って、続く田園の中を大勢の人間が何時までも向かってくるので驚かせてしまったでしょうか。

この水路を引いた事により10万石の収量が叶ったとの明治期以降だそうですが、元々は矢作川河口に位置するここは海だった時代も有ったそうで、その名残りだという大きな池のような油ヶ渕の隣りには応仁寺菖蒲園というところが有り、暫し菖蒲の花の周りで大休止の我々です。

安城の東の端近くから安城市西端という名前通りの西の端を過ぎると油ヶ渕で、そこを境に碧南市へと入り菖蒲園を楽しんでゴールとなった碧南芸術文化ホール前に午後4時15分でした。
途中の丈山苑でお抹茶を味わい40分ほどの休憩も有ったけど「実際には24か25キロかもな」ってほど、たっぷりと歩いた認定22キロもアンカーの水野パパが到着でフィニッシュとなった本日です。




ゴール記念は会の主軸を成す西川ご夫妻や「ここは距離が長いから」って四日市から参加の長さんや碧海幡豆仲間です。



解散後は役員会となった我々ですが、上部組織の愛歩から下りてきた報告依頼事項の担当を決めたり
気が早いようだけど来年度のコース計画の提出依頼が有ったりもだし、自由なディスカッションもして意思の疎通を図った我々で
陽も傾き涼しくなった午後5時前に名鉄三河線・北新川駅から帰路となりました。

ではではネ〜♪