碧海幡豆ウ協「日本一の農村景観と岩村の秋祭りを訪ねて」先導案内の一歩たち 09年10月4日(日曜) 天気 晴れ 距離13キロ
コース = 明知鉄道・岩村駅スタート 〜 岩村町内・祭り見物 〜 岩村城址公園・山頂(昼食) 〜 農村風景展望台 〜 富田会館 〜 岩村ゴール

10/04(日)カッパの堀さんの住む岩村を、西三河を中心にウオーク活動をしている碧海幡豆ウ協のみんなと一緒に歩いて参りました。
多くの方はJR中央線を利用して9時前に恵那駅到着の電車に乗車で、恵那駅から隣接の明知鉄道に乗り換えて岩村へと向かうのですが、30分ほどの乗り換え時間を利用して
明知鉄道・恵那駅待合室をお借りして朝の受付です。
そして出発式も駅舎前でですが、本日はワタクシがコースリーダーとなり一緒に下見の樋田さんと伊奈君のサポートのはずが、出発式が終わるまで姿が見えない伊奈君はいったいどうしたんじゃろか?!
先ずは今から出掛ける岩村ってどんなところかって事を、事前の予備知識としてミンナに説明のオレですが、参考に皆さまにも

【岩村の概略年表】
    1185年 鎌倉時代の始まる前、源頼朝より遠山庄と呼ばれた恵那一帯を加藤景廉が地頭に命ぜられる
    1221年 父景廉没後、その息子景朝が遠山性を名乗り岩村城を築城
    1570年 戦国時代、遠山景任に信長の叔母・お直の方が嫁ぐが、景任が織田軍臣に敗れる
    1572年 お直の方が信長の五男・御坊丸を城主にして城を守り、後に女城主と呼ばれる
    1582年 天下統一の織田信長の家臣、森蘭丸が城主に
    1601年 関が原の合戦に勝った東軍・徳川家康の家臣、松平家乗が城主に
    1631年 平穏な江戸時代となり、城主・松平乗寿(のりなが)が「みこし渡御行列」を始める
    1813年 藩士 佐藤一斉が元始四禄を出筆 幕末志士に大きな影響を
    1869年 明治時代となり藩籍奉還により岩村城の取り壊し
    1899年 岩村出身の下田歌子が実践女学校を設立
    1905年 中央線、名古屋−中津川開通の3年後衆院議員となった岩村藩士・浅見氏が、岩村電鉄を引く

これを更にかいつまんで説明を終えて「電車に乗りましょう」ってころに伊奈君が「寝坊しちゃって」ってご到着でアリマした。


1902年に開通をさせた中央線、名古屋−中津川間ですが、地理的な要因で中央線が岩村を通らぬならば「恵那からここへ線路を追加しよう」と引かれた岩村電鉄が今の明知鉄道の前進だったそうで、水野パパが言うには「時速40キロが最高スピードだったね」っていう単線の電車にゆられて30分ほど、岩村駅に到着が10時前です。

カッパの堀さんからも何度か電話もあり「今行列が動き出したよ」とか「いまうどんのみつばのとこだから」って、直ぐに祭礼提灯の下がる岩村町内をミンナで向かう祭り行列へとです。
そして「おおぅ動いているわい!」って、岐阜県指定無形文化財
「みこし御渡行列」を二年振りに見るワタクシも大感激なのでアリマす。




【みこし御渡行列】

岩村の秋祭りと言われるこの大祭は「八幡神社」と「竹並神社」双方が一体となった祭事で
初代岩村城主である
加藤景廉(かげかど)が祭神として祀られている八幡神社
二代目城主で
武並神社の祭神として祀られているその息子、遠山景朝(かげとも)を父君の元へ案内をして
御霊を一泊をさせるという古事が由来となっています。



八幡神社の父、加藤景廉公が「岩村城鎮守の神」として武士の神様であるのに対して
二代目・遠山景朝公は「町民の氏神」として民衆の神様としてそれぞれ祀られてきたとの事です。



景朝公の御霊が神官によって神輿に乗せられ、行列を組んで武並神社を出発し八幡神社に送り届け
翌日また武並神社にお帰り願うという二日掛かりの祭事です。



我々が「みこし御渡行列」が動いているのを観られてから、20分ほどで木村邸の前に御霊を乗せた山車が到着して行列の足が止まり
この後は1時間以上の昼食休憩となる祭列でして
ギリギリセーフで見ることが出来たお祭り二日目「みこし御渡行列」の様子です。

江戸期の衣装や道具類も多く使用のため雨が降ると即中止となり
初日だった昨日は朝まで残った雨のせいで動かなかった行列だそうで、サイワイにして見られた本日なのでした。


止まった行列の右大臣・左大臣と一緒に敦子さんに長坂さんと水野ママですが、この後はミンナでまた町を散策となり、朝から何度も「これを食べなきゃ岩村じゃない!」ってオレが連呼のかんから餅を食べに行く我々なのデス。
その途中の家々の軒に飾られた一斎語録の一つです。

            「気には老少有れども 而も理には老少無し」・・・真理というものは何時の時代になっても色褪せないとの意です。

みんなして入ったかんから屋さんですが、この三種盛りは実は特別に対応して頂けるもので、普通は五個一皿350円がベースで、何度も出掛けて顔見知りとなり顔馴染みになったお陰で注文が可能な210円也で味わうかんから餅なのです。

町並みの全てが歴史資料館であり美術館であり、美味しい食べ物屋さんとなっている岩村ですが、自由散策の1時間ほどではどれほども見られなかったかもだけど、また足を運ぶキッカケになってもらえればと思います。




またも一斎語録の一つです。

「赤子の一啼一咲は皆天籟なり 老人の一話一言は皆活史なり」  佐藤一斎

赤ちゃんの泣き声や笑い声のなんと新鮮なことだろうか!正に天使の声で
生命の躍動というものがその声からシッカリと伝わってきます。
そして人生の諸先輩たちからのお話もまた、耳を傾けて聞くに「人生を如何に生きるか」のヒントがいっぱいなのです。


短いお祭り見物や町内散策でしたが、11時20分に再集合をして向かう717mの岩村城址へだけど、岩村自体が標高530m位の位置にあることと、山城防備のために故意に直登に近い急坂の登城坂となっている部分も長く、1キロほどの山頂までです。
登り口に近い
藩主邸下田歌子勉学所などにも立ち寄りましたし、登城坂のアレコレなど下見で得た知識をミンナにも大きな声で説明のオレでしたが、行列が長くなりその説明の大半も先頭付近の一部の方々にしか伝わらなかったかもです。

山頂の岩村城址公園での昼食休憩ではカッパの堀さんがお友達に頼んで明智のお店から山頂に配達をしてもらったという五平餅をご馳走になったけど、美味しさが先にたち写真を撮ろうと思った頃には既にミンナして見事に平らげてしまっていましたが、堀さ〜ん ご馳走様でした!
お腹を満たして山の反対側に下山ですが右ハリコはカッパの堀さんが撮ってくれた一枚です。


先頭を一緒に歩く横井さん85歳ですが、機会があれば是非ともどなたも一緒に歩いて欲しいと思うオレだけど、来月には「蒲郡50キロウオーク」に参加だそうで、でも本人曰く「50キロって言っても45キロくらいしかナイのよネ〜」って、これを言う85歳にのけ反っちゃうオレでアリマす。
農村景観展望台から富田地区を眺めたり、藁葺き農家に入らせて頂いたり、事前にお願いをしたら「自由に使って下さい」ってトイレの鍵を開けておいてくれた富田会館でも一服の午後です。

午後3時に岩村町内に戻って予定通りの電車で帰路となった我々ですが、お祭りも見られ心地よい秋晴れの中を田園風景を楽しんだ碧海幡豆ウ協例会も無事に終えられました。
今朝寝坊をして遅刻の伊奈くんは、堀さん情報によるとどっかりと腰を据えたゴール後のようですが、カッパの堀さ〜ん 下見を含めて大変お世話になりましたがどうも有難うございました! 奥さまにもよろしくネ〜♪





最後に軒下の一斎語録をもう一つです。

「昨の非を悔ゆる者は之有り  今の過ちを改むる者は鮮(すく)なし」    佐藤一斎

生きるとは何ぞや!人はどう生きるべきや!己を見つめ周囲を見配れ!と説くあれこれを
言志四録と呼ばれている四誌(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録)に残した一斎ですが
それらの文言が飾られるこの町を見歩くだけでも一日では足りない岩村です。
でわでわ コレにて