碧海幡豆ウ協11月例会・「大浜騒動」郷土史散策ウオークに参加の一歩たち 09年11月1日(日曜) 天気 晴れのち雨 距離 20キロ
コース = 名鉄西尾線・桜井駅スタート 〜 蓮泉寺 〜 野本本証寺 〜 龍賛寺 〜 碧南・東町内会館(昼食) 〜 藤岡薫の墓所 〜 大浜陣屋跡 〜 碧南駅ゴール

11/1(日)は碧海幡豆ウ協の例会日ということで、1ヶ月前にも一緒に岩村へ出掛けた仲間の集まる名鉄西尾線・桜井駅へとです。
なんか前回例会からパパママは海外旅行が間に有ったりもして、ミンナとの出会いに久々感が強いけど、掲示板を見たみんなからも「パパママも一気に国際ウオーカーですネ〜」って言われて「いやあぁ〜、まあねぇ〜」ってそっくり返るワタクシだし、これから暫くは「じつは、こないだ韓国を歩いて来ましてネ」って、ついつい同歩をしながらもプチ自慢が出てしまうであろうオレであります。
韓国へは長過ぎて持って行けなかった水野ママとお揃いの二本杖で「さあぁ、日本の田舎を歩きましょうかネ〜」って、桜井駅から矢作川沿いを下流方向へです。


最初に寄ったのは安城市の蓮泉寺というところでしたが、今日の郷土史テーマ大浜騒動の史実を語るに欠かせぬ場所で、そもそも、安城・碧南地域で語られる「大浜騒動」とは何ぞや。
これは明治政府が徳川三百年からの維新をとの方針の下、宗教改革に乗り出してお寺の統廃合を図ろうとしたのが起因で、これに檀家制度というお寺からの搾取を感じていた民衆も加わって廃仏毀釈運動というものが広がり、寺同士も互いにもめて役人や民衆を交えたいさかいがあちこちに起きた時代だったのです。

そんな中、現碧南市鷲塚の庄屋宅でこの件を話し合った役人と僧侶衆の長時間の協議も不調となって、戸外に集まっていた門徒の暴動となり、殺気を感じてここを逃げる役人の一人が暴徒化した門徒衆に殺されたというのが「大浜騒動」なのです。
その際に主導的だったとしてここ蓮泉寺の住職だった石川台領や、僧侶・門徒も大勢捕らえられ、台領は斬罪の刑に処されたといい、今もお堂の一角には彼が打ち首の際に着ていた血に染まった僧衣が保存されてありました。
これを切々と側で見ていたかのように上手に語ってくれた板坂さんに神妙に耳を傾けた我々です。


一旦は寒気が入ったものの直ぐに復活の暖かなお天気の影響なのか、快晴の空の下を歩くと汗がにじむようなお天気で、午後は70%だという降雨予報がウソのようです。
次に寄った
野本本証寺も、大浜騒動の前は僧侶や檀家衆が集まって統廃合の廃合側にならぬようにと膝詰め談義をした場所だそうで、お寺の前の堀には最近の異常とも思える暖かさのせいなのか菖蒲の花が咲いていました。

次々と立ち寄り巡るお寺ですが、龍讃寺さんでは菊の花が咲き、樹齢からすると明治初期の騒動の頃を見知っているであろう「ねじれカイヅカ」の木が境内にでした。

この後が雨になるとは信じられないような青空だけど午後から雨との予報に、やや速いペースの先頭案内は服部さんで快調な歩が続く中、足を止めた我がママの携帯カメラの向けた先には綿の花が

肩を並べて語り合い笑いあって進む歩でしたが、矢作川沿いを下るように進み水源公園で列詰めをしたまでは良かったけど、碧南の町に入ってコチャコチャとした道に前を行く人たちを見失った昼食休憩前です。
しかも地元の方にお聞きして判りヤレヤレと直ぐに歩を進めたものだから、更に後ろを歩いていた最後尾グループやアンカーの水野パパの事を失念で、後続だった何人かは間違った道を進んでしまった昼食前です。


その最後尾で道に迷ったメンバーの中に地元の板坂さんが居られ「彼が居るなら心配いらん」って待つものの、待てど暮らせど来ぬ君で違う公民館へと迷ったミンナを案内してしまって余分な距離を歩いた方々でした。

そんな事もあり慌しい昼食休憩となりましたが、食事中に曇り空となった空から午後のスタートとともに降り出した雨で、殺された役人「藤岡薫」さんの墓所や、この殺戮暴動の後に大勢が押し掛け騒動の名前になったという大浜陣屋跡にも寄って、午後3時 名鉄三河線・碧南駅にゴールとなった20キロの本日でした。
午前と午後が別々の日のような空模様でしたが でわでわ ネ〜