岐阜ウ協12月例会「吉良の歴史と文化に出合う道ウオーク」に参加の一歩たち 09年12月13日(日曜) 天気 晴れ 距離 13キロ
コース = 名鉄西尾線・上横須賀駅 人生劇場会館スタート 〜 源徳寺 〜 華蔵寺 〜 横須賀公園(昼食) 〜 金連寺 〜 尾崎士郎記念館 〜 吉良吉田駅ゴール

物の本によると赤穂・浅野内匠頭が吉良上野介善央への遺恨から、江戸城松の廊下での刃傷沙汰に至ったが、幕府はこれを「喧嘩両成敗」とはせずに浅野は即日切腹、赤穂藩も取り潰しとなったが吉良はお咎め無しの処置に、家老大石内蔵助は浅野家の再興と吉良の処分を幕府に嘆願したが、幕府はこれを却下した。
その結果、内蔵助は討ち入りを決意して翌元禄15年(1702年)12月14日深夜、 吉良邸に表門と裏門から進入、二時間の激闘の末、隠れていた吉良を討ち果たしたと世に言う忠臣蔵ですが、吉良の首を掲げて雪積もる中を高輪泉岳寺へと向かった早朝だったでしょうか。

これが史実と全く違うという事が認識された最近のようですが、その吉良の町で開催された12/13(日)の岐阜ウ協の例会へと参加させて頂きました。
集合場所は
名鉄西尾線・上横須賀駅近くの人生劇場公園で、前日の暖かさから一転した冷たい朝でしたが、「でもこれが普通だよね」って、昨日の異常な暖かさに比較すると堪えるほど寒く感じ、パパママも初めて厚手の冬上着を着用の本日です。
朝の出会いの一枚目は滋賀の若尾さんとママのツーショットからですが、伊吹山の隅々までを知り山小屋の管理もされていたり、寝袋を持って中国やチベットなどへ数ヶ月の旅に出るなど、知る人ぞ知る有名な方だそうです。
作家・尾崎士郎の出生地でもある吉良で、開会式の開かれた人生劇場公園には士郎の銅像も建っていますが、500選コースとなっていて県外遠方の方々の参加もある本日です。





旗手を先導に吉良の町へとです。

歩く上横須賀駅近くには尾崎士郎の生家が有り、直ぐそばの源徳寺というところには清水次郎長の子分で義理と人情の男として知られる「吉良仁吉」の墓所が有りましたが、地元ボランティア「吉良あないびとの会」の黒部さんによると、今に伝わる仁吉の姿は、浪曲師・廣澤寅蔵によって作られた「旅行けば〜〜ぁ、駿河の国に茶の香りぃ〜〜♪・・・」という「任侠・清水次郎長伝」の中で生まれ、一部は作り話もあるとのことだけど、親分次郎長との義理のため命を張った伊勢荒神山の縄張り争いに加わる前に、嫁の菊さんと人情を以って離縁したというのは本当だそうです。

ところで皆さまヤクザというのを漢字でどう書くのかご存知でしょうか?
と言う案内人の黒部さんからの質問に、若尾さんだけが答えられましたが「八九三」と書くそうで、三つの数字を足すと20となり、花札ではブタと言い最低の数字を表していて、だからそのように呼ぶというのだそうです。
色々と勉強にもなるウオークの一歩たちですナ〜♪


続いて向かった八幡山の道中には、吉良の殿様として領民を愛し領民に愛されたという江戸詰めの吉良上野介善央公(きらこうずけのすけ よしひさ)が国許に帰ると農耕に使う赤い色の駄馬にまたがって領地を回り気さくに領民たちに声を掛けたそうで、その赤馬の像も色々な形で歩道に立ちます。

八幡山の山腹にある吉良家・菩提寺「華蔵寺」へと進みましたが、塩田や領地を守る黄金堤の功績なども記録として残っており、忠臣蔵に登場の主君の様子に苦々しく辛く思っていた長い年月の地元だったでしょうか。
明日12月14日は307回目となる吉良公の供養祭だそうで大きな案内板も立ててあった山門前ですが、ミンナして墓所に参拝です。


午前中は吉良の仁吉として名の知られる大田仁吉の墓所を巡り、領民に慕われながら非業の死を遂げたのに、その後の芝居の中で謂れの無い悪名の陵辱に犯されてしまったお気の毒な名君、吉良家の墓所も巡って横須賀公園へとです。
オレンジ色のスタッフジャンパーの森さんにカメラを向けると「またどっかから電話が来るがね〜」って、ここで見たとの知らせがお友達から届くそうだけど、親しくさせて頂ける岐阜ウ協の例会です。


本日の吉良町を歩く例会は「歩きたくなる道500選」の一つにもなっていて、遠方から来られた方々も参加認定印を頂くために昼食を終えた後は長蛇の列となっていましたが、出発前に一宮の栄子ちゃんや大垣の辻さんと我がママのスナップをパチリです。

シャッターチャンスが遅れ旗手の鞍岡さんが外れてしまいましたが、ハンドマイクを持つのがコースリーダーの森寛治さんで、冷たい風が吹く吉良の田園を「家でごろごろしていても一日、外にいても一日、同じ一日なら歩かにゃそんそん」とばかりに隊列を組んで歩きます。

シャッターチャンスが遅れ旗手の鞍岡さんが外れてしまいましたが、ハンドマイクを持つのがコースリーダーの森寛治さんで、冷たい風が吹く吉良の田園を「家でごろごろしていても一日、外にいても一日、同じ一日なら歩かにゃそんそん」とばかりに隊列を組んで歩きます。
同歩となる若尾さんとはとっくに親しいという栄子ちゃんや河瀬会長だそうですが、パパママは一度も登ったことの無い伊吹山の主だという若尾さんが「来年は是非とも」って伊吹山に誘って頂け「山頂に来ればコーヒーの一杯も差し上げましょう」って約束もです。
登山口から早ければ二時間、どんなに時間を掛けても四時間も有れば十分で、昔は夜間登山ウオークを企画して何度も岐阜ウの仲間を頂上に案内したという彼だそうですが、この時期は登山道も閉じられているのだそうです。


矢作古川と並ぶように流れ地元吉良の山手を水源とする矢崎川の堤防を南に進むと金連寺というところでしたが、愛知県最古の木造建築だそうで国宝にもなっている金連寺弥陀堂へとです。
ウオークを知って県内各地へ出掛け色々な古い建物を見ていますが、手入れや管理の良さなのか古さを感じずシゲシゲと眺めちゃったけど、県内一古いと言われるとナンか良い具合に見えちゃうのはナゼでしょうか?




続いては更に南に進み町立図書館も併設の尾崎士郎記念館へとです。

去る日は楽しく 来る日もまた楽し              
よしや哀憐の夢は儚くとも
                                         青春の志に湧き立つ若者の胸は曇るべからず       尾崎士郎

サミュエル・ウルマンという人は「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」と言っていますが
士郎も時空の流れの中での心の有り方というものを語っている記念館前です。




映画や芝居にもなった「人生劇場」が彼の代表作で
館長さんの説明によると初版時は売れると思えず1000部のみの発刊だった事もあり
今はその貴重な初版本に一冊70万円の値が付いているそうです。
しかも地元・士郎の吉良図書館ということで
「集めに集めたところ初版本が70冊にもなっていて、5000万円近い価値が有りウシシシ・シなのです!」ってお話です。



更には士郎は大酒呑みで「朝起きて二杯、昼に一杯、夜になると臨機応変」と底なしだったそうですが
それを聞き「オレは遠慮し過ぎかな」って思った方も何人もで
本日欠席の長谷さんにも聞かせたかったけど、笑っちゃったのは手放せなかった胃薬だという説明なのでした。

隣接の豪農・旧糟谷邸も拝観ですが、いっ時は体調を崩されたげと元気に歩かれる岩田の敏ちゃんの奥さまのアッちゃんとママです。
一服をして、終日を各ポイント毎に興味を引く説明をして頂いたお揃いの水色のユニフォームの「吉良あないびとの会」の皆さまに、参加者全員がお礼を言って記念館を後にです。

ゴールは名鉄・吉良吉田駅でしたが、前日と一転の寒風をモノともせずに、吉良で生まれ育った3名士の足跡を名君が通ったという「赤馬の径」に従って歴史と文化に十分に触れ合って歩いた13キロでした。
河瀬会長からは「お正月はいっぱい食べて、太った体をまた一緒に歩いてスリムにしましょう」ってご挨拶でしたが、サブタイトル「さよならウオーク」のフィニッシュでありました。
今年も何度もお世話になった岐阜ウ協さんですが、でわでわ コレにてネ〜