第17回目 有志がつなぐ知多四国巡拝ウオーク 3日目

世話人 = ナビ野儀さん・吉田さん そして参加のミンナが一緒になって もちろんパパもママもだヨ〜ン♪

3日目 巡拝路 10ヶ寺 = JR武豊線・乙川駅スタート 〜 19番・光照院 〜 20番・龍台院 〜 21番・常楽寺 〜 22番・大日寺 〜23番・蓮華院                 
                           〜 24番・徳正寺 〜 25番・円観寺 〜 番外・葦航寺 〜 番外・影現寺 〜 26番・弥勒寺 〜 名鉄河和線・河和駅ゴール

3/19(土曜)、発生から1週間を経てまだまだ東日本大震災の被災全容や救援の手も届かぬところが多い中、もどかしさを感じながらも「普通に生活が出来る地域の人は、普段通りに過ごそう」って、そして大きな問題となり流通の混乱をさせている買占めなどは決してせず、「もし我慢して救われる方々が居られるならば、その我慢は厭わない」それが今我々に出来る支援なんだと心に思って、予定通りに集まったJR東海道線・乙川駅に8時半です。

「さあぁ それじゃあぁ出掛けよか」って言ってたら祭囃子や若衆の賑やかな声が聞こえてきた乙川駅前ですが、知多半島各地で繰り広げられる春祭の一番乗りとなる乙川祭礼の本日だそうで、実施に迷った役員や地域の方々だそうだけどこちらも「普段通りが一番」との判断で山車を町に出されたそうです。

賑やか好きのオレとしては後ろ髪を引かれる思いでしたが、山車が暴れる乙川駅前を離れて先ずは向う19番札所・光照院へとで、今は確信となった正統派の大師道に、消えた丁石、立つ丁石の一つ一つを確認しながら黒壁の角に立つ丁石の指示に従って左に曲がると「新四国拾九番札所」の塔石が迎えてくれ、対向する方向から来たミンナと合流です。




黒壁を塗り直したときに垂れて付着したのか丁石も黒く汚れていたけど、立体的な手が「左十九番 右二十番」と示しています。

19番から20番札所・龍台院への途中にも「三丁」を示す丁石が立っていたけど、交差する道が「紺屋海道」であるとの標識があり、きっと古くから有った十字路ではと推測です。
今回は少人数の巡拝で札所毎に手水舎で手や口を清めるミンナで、一宮の田中さんがワタクシのために珍しい手押しポンプから水を出して待っていてくれ、早速に手を出して洗いうがいもしましたが、震災を思うと当り前というもののなんと有り難いことか、力強く押してくれたポンプからジャバジャバの水が溢れ出てくる我が地域です。




「天変や 地変を起こし 転ってる 地球に乗って 我も生きてる」

紺屋海道がどのような道なのか不明ですが以前は名鉄線沿いを南下していたものを、古そうなこの道を下って南下することにした今回で、途中からは筋を分かって二本の道を手分けして丁石探しですが、左ハリコの名鉄電車手前の筋を南下するミンナをご覧の皆様は確認出来ますでしょうか?
でも、歩道や側溝が整備されて抜かれたのか埋没をしてしまったのか、どちらの道も丁石の姿は見つからずなのでした。




しかし、成岩駅南側の踏切を渡るミンナと離れてそのままオレが真っ直ぐに行くと有ったコレでアリマす!!



更にその先にはコレ!!



どちらも刻まれた文字は判読出来ませんでしたが、間違いなくオレの大好きな「丁石君」で、この路地を進んで



抜けた先に21番札所・常楽寺西側の山門が目の前にバッチリなのです。
今は変遷して消えた丁石たちでしたが、今回歩いた紺屋海道を南下する道が大師道で有ったことを教えてくれました。

「探求の その行く先に 見えるもの 開創の師の 背中三つが」

抜けた路地と常楽寺の間には広い国道247号線が遮っていてナビ野儀さんを先頭に山門を入るミンナが見え「おーい!」って手を振ったけど、四車線の道幅と左右から来る車で、来たは良いけどオレが渡れんじゃん!
お彼岸に入っている本日ですが
彼岸とは煩悩を脱して悟りの境地になった者が行ける三途の川を越えた向こう岸のことで、煩悩や迷いに満ちたこの人間世界をこちら側の岸という意味で此岸というそうだけど、三途の川の如くに横たわるこの国道を越えて行ったその先は、彼岸桜が咲き時が止ったような常楽寺の境内なのでした。

「一旦は青山駅から現代のお駕籠に乗って上ゲ駅まで移動しようか」って提案のナビ野儀さんでしたが、普通電車しか止らぬ駅の時刻表を見ると待つよりも歩いたほうが早そうだとの結論からテクテクで、22番札所・大日寺へと今年もです。




大日寺の境内隅にいっぱいの丁石たちが行儀良く並んでいますが、街が新しくなり抜かれたものがここに大集合のようです。

続けて行った同じ上ゲ地区の23番札所・蓮花院ではいつもお参りの後に昼食休憩をさせて頂いていましたが、今年は葬儀の準備中で静かに般若心経を唱えて失礼させて頂きました。
三界世界という言葉が有り、時の流れを区切って「前世・今世・来世」と表現したり、鳥達が飛ぶ「空」・魚たちが泳ぐ「海」、そして我々が住む「陸地」の今生きている現世を三つの世界に見立てて言ったりもしますが、時が流れ行く中で先に逝った方々が「目の前に広がる今」というものの大切さを残った我々に教えてくれます。




「生きるって 生きているって どんなこと 彼岸の人が 君に微笑む」

JR武豊駅で昼食休憩をしましたが、当初は名古屋ツーデーを考慮して組んだ巡拝スケジュールだったものを、中止との報に改めて話し合った次回以降で、宿泊の提案も出たけど、4/2(土)を繰り入れて初日スタート日の遅れを調整し直した今年度・17回目です。
今回の大震災に様々な行事が中止になったりしていますが、普段通りにすべきことと、自粛すべき事がごちゃごちゃになっている感がある中、淡墨桜ウオークは実施のこの週末だそうで、路地を歩き、満開の梅を撮り、お参りをしてはご朱印を頂く・・・何気ない日常を過ごすことのなんと大切なことか・・・
24番札所・徳正寺です。




いっぱいの丁石が並ぶ道ですが、「九丁」を確認して進むと
前に横たわる名鉄河和線で道が寸断されているけど、昔は真っ直ぐに行けたと推測出来ます。
そこで、今回はその南の踏切を渡って、線路向こうのその道を進む事にしました。



アハハハ・ハですが、やっぱり有った「八丁」だけど、刻字が判読出来ないと思ったら、電信柱と向い合せた側に刻字が
だれがやったよ!向きが間違ってるよ プンプン ・・・でも、ここに残してくれただけでも感謝です。




更に並ぶは「七丁」が・・・ああぁ もう1キロを割って近付く札所です。

我が家も10年ほどを過ごした武豊・富貴地区に位置する25番札所・円観寺へとですが、愛情を込めて育てたのであろう花がいっぱいで、弘法堂の前には募金箱も置かれていました。
今我々に出来る事の数少ないそれは支援金の寄付で、託す義援の心です。

昨年まで歩いていたコースを変えて「極力忠実な大師道を!」って、多くの丁石を新発見の今回ですが、円観寺から葦航寺へも新たな道を探求のワタクシが先導で、名鉄線路の南側を行きます。
途中ではツクシやセリを採ったりもですが、思わぬ登り坂の出現などもあり、先頭を行くオレの背にみんなから「パパ〜・・・」って冷たい視線を浴びせられたけど、この道もローカルチックで良いでしょう。。。


着いた番外札所・葦航寺ですが、一昨年までは穴の開いた藁屋根本堂で風雪と共に過ごしていただろう住職一家ですが、まだご本尊様が住まう本堂を建て直しただけで、ご自身たちの庫裏屋は古いままです。
海の見える布土地区高台に位置して山号を「達磨山」とする「葦航寺」ですが、達磨大師が葦の舟を使ってインドから中国へ渡ったということに由来する寺の名前だそうで、知多新四国開山の目的を達して、その翌年にこの地で没したという武田安兵衛行者を祀った開山所の一つでもあります。
弘法堂の中は法衣をまとった今年80歳の住職にも似た武田行者が祀られており、堂の前には石仏となって我々の参拝を迎える彼だけど、三開人が居て今こうして歩かせて頂ける我々なのです。

更に進む布土地区の迷路のような路地、ナビ野儀さんの先導で路地と言うにも笑っちゃうような民家の庭先のような狭いところを抜けて、、毎年寄って休憩をさせて頂く大砲巻きで有名な飴文さんへとです。
今日は名鉄が開催する「歩いて巡拝知多四国」がこの地域で開催されたそうで、数千人が歩いた10キロ・5ヵ寺とのことで、コース上のここ飴文さんにも朝から大勢が来てごった返し、やっと一段落した3時過ぎだそうです。
「今、来てくれてよかったわヨ」って、お茶と大砲巻きを出して頂きましたが、やや疲れも出てきたこの時間・・・温かいお茶と甘いこれでホッと一息です。




海岸沿いの飴文さんでお買い物や休憩のお礼をして、急坂を登って高台の番外札所・影現寺へとですが
眼下に広がる穏やかな海に、眼底に焼付く大津波の東日本沿岸が重なります。


「背の海よ 足下の大地よ 天空よ 自然は我らに 何を語らん」




26番札所・弥勒寺へと、午後4時をやや過ぎて到着の本日です。

山門に「智目行足」の文字がありましたが、
「智目行足 到清涼池」とは、正しく物事を見て(智目)、それに従った行動(行足)をすれば
こころ穏やかな(清涼地)心境になれますヨ(到)って意味だそうで



我がママがポクポクと叩く木魚の音に従って唱える般若心経



今年も17回目を実践の「知多四国巡拝ウオーク」ですが、続ける行足の彼方に見えるものは何でしょうか。



「人として 如何に有らんと 我に問う 歩いて参って 見える真実」



この笑顔でフィニッシュとする3日目レポートですが
 でわでわ さあぁ、次回も元気に歩いちゃいましょうネ〜♪