第17回目 有志がつなぐ知多四国巡拝ウオーク 第四日

世話人 = ナビ野儀さん・吉田さん そして参加のミンナが一緒になって もちろんパパもママもだヨ〜ン♪

 
四日目 巡拝路 12ヶ所 = 名鉄河和線・河和駅スタート 〜 27番・誓海寺 → 番外・禅林堂 → 28番・永寿寺 → 29番・正法寺 → 34番・性慶院 → 33番・北室院
 → 31番・利生院 → 32番・宝乗院 → 30番・医王寺 → 上陸大師像 → 35番・成願寺 → 36番・遍照寺 〜バスにて河和駅ゴール
東日本大震災発生から4回目となる週末、未だに解決の糸口さえ見つからぬ福島原発や、変わらぬ被災地域の様子に歯がゆささえも感じますが、「雨の一滴、石をも穿つ」の如く、現場で渾身の一滴を落として居られる報道に見えぬ多くの方々を思って、我々が日々やるべき事、やってはいけない事を思案の毎日です。
さてさて 「普段通り、普通に過ごす」ことが支援の一つになることを信じて、4/2(土)は知多四国巡拝へとですが、ナビ野儀さんを中心に集まったミンナと、その事実を記録するワタクシの総勢15名です。

いつものように朝の三河湾を眺め、白い蒸気が昇る水飴工場の横から山手へとですが、前回打ち切りの26番・弥勒寺から先の正統の大師路が不明のまま、本日最初となる巡拝寺近くへとで、その大きな丁石を過ぎると山門入り口に「廿七番エ三十八間」の丁石が有り、約70m先の梵鐘門を指差して我々を迎えてくれます。

河和駅から50分ほど、既に歩く途中から汗が出るほどの暖かさで上着を脱ぐ人も居ましたが27番札所・誓海寺さんへとで、山門上の梵鐘をゴーンと鳴らして、住いの住職や弘法堂のお大師様、そして開山所に眠る岡戸半蔵行者をも起こします。
最初は27番札所の弘法堂内で我がママが叩く木魚に合わせて唱える般若心経ですが、心は一つ被災地域の方々のことです


隣りに位置する開山所禅林堂とありましたが、みんなで移動をして立つ前に木魚が無く、先にお参りした弘法堂から座布団ごと拝借で、持つオレの座布団の上の木魚をポンポンと力強く叩く我がママのリズムに合わせて南無南無です。

仏語に「諸行無常」という言葉が有りますが、全てのものが「常」では無い、つまり形の有るものは崩れたり壊れたり、命というものを持つ人間を含めた生物たちも生滅の中に今が有り、決して未来永劫に不変では有り得ない。
今回東日本のように、荒れ狂う自然の現実を目の当りにしたり、逝った数万という方々が命の大切さを語ってくれて、やっとその大切さに気付いた人のどれほど多かった今という時代でしょうか・・・





辛く苦しい毎日を今現在も過ごして居られる被災地の方々のことを思うと言葉も有りませんが
昨日より今日、今日よりも明日が、より良い日になることを願うばかりです。




例年とは違う何かを背負って歩く知多四国札所巡りですが
菜の花の黄色、ミモザの黄色と、心が穏やかになる花の道を歩き



古布地区の
28番札所・永寿寺さんへと「一丁」です。

仏教などチンプンカンプンのワタクシですが、我々が今生きている世界を「此の世」と言い、次に行く世界が「彼の世」で「黄泉の国」とも言うのだと、巡拝をしていると色々な新しい知識が増えますが、文字から単純に「黄色の泉が有るんだろう」と思ったら、「ヨミ」は「夜見る」の意で、夜空に浮かぶ月を「黄色い泉」に見立てて宇宙を意味しているのだそうです。
逝った人が自分達とは違う遥か遠くの世界に旅立った、しかもそこは「ここよりも素晴らしいステキな場所なのだよ」って、残された人の心に安らぎを与えようと教えてくれるのが仏教なのでしょうか。
弘法堂前の我がママが打つ木魚の音に合わせて、「届けよ!宇宙の果てまでな!」って、分からぬながらも大きな声で腹の底から唱える般若心経なのです。

パパママがこの遍路を始めて8年目、「ここにあったはずだよナ」って探す丁石でしたが、雑草に前を覆われツタ類に頭から絡まれ視認するのが困難だったのを除草してあげたのは「三丁」で、「オレは君を絶対に忘れないからね」って写真も撮ったりしてたら、待ってくれぬミンナです・・・オーイ!オレを置いていくんじゃねえよナ〜・プンプン!

29番札所・正法寺を前に誰が立てたのか笑っちゃうよな「すぐそこ」、境内の大屋根がもう目の前に見える距離に「無用の長物」のようにも思えるけど手の込んだ大丁石です。




正法寺さんにお参りをして昼食休憩も済ませて、お遍路団地の大井地区へとです。

ナンでも記録のオレだけど穏やかな昼食後の下り道、なにが原因だったのかコテンと転んだ田中さんで、いつもはご夫妻で参加だけど本日は自治会の都合で奥さまだけがご参加。
恥ずかしいやら照れくさいやらで、転んで痛かろうに直ぐに自分の怪我を確認もせずに「だいじょうぶ、大丈夫」って立って歩かれましたが、ウオーカーの皆さま、転倒した時はあきらめて先ずは道路に大の字で動いてはイケマセン。
そして「手は、顔は、膝は、足は」ってチェックして、大丈夫でも痛みが治まるまでは暫し休憩が必要です。
我がママの消毒治療を受けて歩を進めるけど、やっぱり痛いんだろうに歩き方が少し変な田中さんのその後なのでした。

大井地区に並ぶ遍路寺ですが、弘法大師(空海)が尾張上陸の第一歩を印した宿縁の地だといい、開山の三師たちが寄って知多半島に札所を作ろうとした場所でもあります。
最初に着いた
34番札所・性慶院さんの山門にはこんな張り紙が有りました。

                          無常という仏教の言葉が胸にしみます。
                               互いに力を合わせて災難に立ち向かうしかありません。

田中さんに笑顔が戻った性慶院さんの境内ですが、弘法堂に結縁布(けちえんふ)という赤い布が切って置いてあり、「お大師さまに今の思いを届けたい」と張り紙があったけど、五円玉を結んで祈るのは皆さま同じで、三週間を経てまだ困難の中に居る被災地の方々のことだと思います。

何度か紹介していますが今年は納経帳を止めて白衣に押して頂くご朱印で、気が付くとどんどんと朱印の数が増えているけど、33番札所・北室院さんでは上陸大師像参拝のご朱印も一緒に頂けます。
弘法さまの言葉だという文言が印刷されている背の真ん中の場所に押してもらったけど、
住職がその書かれている意味を教えてくれました。

                                 空尽き 衆生尽き
                                     涅槃尽きなば
                                         我が願いも尽きむ   空海

「空や人々そして仏のさとりが無くなれば、わたしに願う事などなにも無くなるなるであろう」との事ですが、逆に言うと「この世が有り、心の安寧を求める人々が居る限り、私はみんなと一緒なんだよ」って言っています。
正に被災の地の方々に届けたい思いですが、遥か千年を越える昔に生きた空海という人が語る言葉が今のこの時代に通じる、普遍の真理というものを語ってくれている人に関わる道だから、止めずに休まずに今年も歩いている大師道と、唱える般若心経なのでしょうか。
  
                          「仏法の 何か知らねど 詠む心経 今日有ることの ありがたき哉」

続いて31番札所・利生院32番札所・宝乗院30番札所・医王寺へとですが、本堂改築計画中の医王寺さん境内は一昨年とすっかり変わって、建物が消え土留めのコンクリートの壁が眩しいほどだけど、仮弘法堂の横には以前から居る石仏たちが我々を迎えてくれます。




この海につながる遥か北で起きた自然の猛威などという言葉では語れぬほどの大惨事



、何事も無かったような静かな海を見ていると信じられないようだけど現実



自分たちに何が出来るのかを自問自答しながらの日々だけど
「普段通り、通常通り」と言いながら、それ以上のことが出来ない自分への「ただの言い訳じゃないだろうか?」って
眺める海に立つお大師さまに問うてみたけど



「お前は、お前の今を生きよ」って、お大師さまでした。

海を眺めながら暫く休憩をした聖崎公園でしたが、高台への昇り降りが響いたのか先ほど遍路団地手前で転んだ田中さんが「やっぱり足が痛いわ」ってことで、途中のバス停で彼女の納経帳を預かって河和駅へ引き返して頂き、続いてお参りをした35番札所・成願寺さんへとです。




発生からほぼ3週間を経た東日本大震災を背負って歩いた第4日目ですが
全員が完歩とは成らずながら本日10ヵ寺目となる
36番札所・遍照寺さんへとです。



開山所・禅林堂を含めて11回目となる般若心経でしたが、みんなして気持ちを一つにして唱えて本日の打ち切りとなりました。



バスで帰路の師崎からの途中では春祭りの山車が出ていた河和地区でしたが
経済活性のために通常通りの生活をして普段通りに行事をこなす、中止とするのは簡単なことですが、続けることのなんと大切なことでしょうか。
ナビ野儀さんを先頭に有志が続ける第17回目、互いに支え支えられての知多四国巡拝ウオークです。



32番札所・宝乗院さんの宝塔に「光明遍照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨」と有りました。

地球上の全てを指して「十万世界」と表現
この世は闇じゃって思う時が有るかもだけどそうじゃナイ
弘法さまは全ての人のこころに光明というものを遍く与えようとているんだよって「光明遍照」です
辛い事があっても般若心経を大切にな、って「摂取不捨」
「念仏衆生」 さあぁ ミンナで般若心経を唱えてごらん
ただ無になって手を合わせてね

般若心経には「空」や「無」といった文字がいっぱい並んでいますが
人の力の空しさを嘆いているのでは無く
それを知った上で「あなたを励ますわたしがいるんだから、共に生きましょうネ」って語っているのだと思います。

でわでわ ネ〜