第17回目 有志がつなぐ知多四国巡拝ウオーク 第六日目

世話人 = ナビ野儀さん・吉田さん そして参加のミンナが一緒になって もちろんパパもママもだヨ〜ン♪

 
         六日目巡拝 13ヶ所参拝 = 名鉄河和線・河和駅からバスで師崎港へ 〜 船で篠島港へ 38番・正法禅寺 → 番外・西方寺 → 39番・医王寺
                       船で日間賀島東港へ 37番・大光院 船で師崎港へ 〜 あぶりやで昼食休憩(送迎はお店のバスで)  
                             48番・良参寺 → 49番・吉祥寺 → 56番・瑞境寺 → 52番・蜜蔵院  → 53番・安養院 → 51番・野間大坊
                                                  → 50番・大御堂寺 → 55番 法山寺 → 57番・報恩寺 〜 名鉄内海線・奥田駅ゴール

あの日から既に2ヵ月を経ようとしている東日本大震災ですが、昨日も被災地のあの日と今を特集で報道されていて、歳のせいかテレビ画面が歪むほど目を濡らしていたワタクシです。

                            「涙腺の コック心の 何処にある 流るる涙 止める術無し」 

天災と人災が相まって混沌の状況が続く中で様々な手落ちを繰り返す総理大臣だけど、浜岡原発の停止を指示したということに対してはワタクシは英断だと受け取っています。
皆さまは覚えていますでしょうか。
発生間無しの「需給逼迫・大停電防止」という目的で実施した関東エリアの計画停電・・・結局はいっ時で中止となったけど本当に必要な処置だったのか?
まるで「ほら!原発が動かなかったらこんな風だぞ!」って、官政混合の電気事業経営陣たちの悪意と考えるのは天邪鬼のオレだけでしょうか。
想定外という言葉で二ヶ月も福島原発のトラブルをコントロールし得ず撒き散らす放射性物質、しかも未だに先の展望が判然としないなど、原子力発電というものを運転するに当って、設備を含めた運営の技量力量共に問題が有るのは明らかな事です。
止めた場合の影響について考慮しているという中電だそうですが、何を引き換えにして生活の利便追求なのでしょうか。

前段が長くなりましたが、あの日から8回目の週末を迎えた5/7(土)は表記タイトルのウオークへと出掛けた我が家で、「傘が入ったかしら?」ってどんよりとした黒い雲もの上空でしたが、風も無く凪の三河湾を先ずは船で
篠島へとです。




下船後にトイレをバックに並んだミンナだけど今年第6日目・・・既に臭い仲の我々です。

みんなしてゆっくりのんびりと巡拝のつもりが、4月中は「弘法参拝船」というものが頻繁だったのがダイヤ改正の5月だそうで、9時15分に師崎を発ち着いた篠島9時25分だったけど、10時05分にここを乗らなくちゃ13時05分まで3時間も足止めになるという今回ダイヤで篠島滞在は40分間だそうです。
「それ急げ!」って島内を過ってない勢いで歩く我々の様子がお分かり頂けるかどうか、
38番札所・正法禅寺へと500mで、着いたと同時にご朱印と参拝組が分散並行行動デス。

「さあぁ参ったぞ!次の寺へじゃ」って番外札所・西方寺へと更に100mほど、「よし、参ったぞ!」で続く高台の39番札所・医王寺へと今度は300mほど、息を整える間も無く心経を唱えて「さあぁ、港へ急げ、土産屋には寄っちゃいかんぞ!」ってワッサカ・ワッサカ・ホイサカサです。

まるで趣味の悪い罰ゲームかのように走り回ってお参りをした篠島でしたが、オレがダッシュで港に戻り、「40分で3ヵ寺はちょっと無理だろう」って定刻を絶対に遅れるであろうミンナを待ってもらうよう乗船所に交渉で、「ハイハイ、でも定期船だからあまりはネ」って、最後尾も数分遅れで乗り込めた日間賀島行きの船へとです。
横っ腹が痛くて笑うしかないような船内でしたが、噴出した汗を拭って直ぐの10時10分には日間賀島
にて下船となりました。

全員が無事に着いた日間賀島東港へと10時10分ですが、数年前に無住寺となり閉じた鯖弘法前を通って37番札所・大光院へと100mで、25分後に来る船まで一ヶ寺の参拝で慌てる必要も無いのについつい急ぎ足となるミンナなのです。
海の守り寺らしく光が燦々と降り注ぐ魚場を表しているのか魚養山大光院の山号で、本堂の扁額には落慶記念とあり昭和乙卯(きのとう)の年が記されており、偶然にもパパママが結婚をした1975年に改築をして掲げられたもののようです。
「遍照」はお大師さまの慈悲の心を光にして苦しみのさ中の居る人々の闇を照らそうとの意だそうですが、この年は既に歴史の1ページに化したかもだけどベトナム戦争が終結した年で、それはパパママの結婚式の前日の事でありました。
今も温かな心を求めている人が大勢居る我らが地球号ですが、自身の心の中にも遍照の気持ちを持ち続けられるようにとみんなで唱える心経です。





毎年寄る大光院の境内に面するように建つ土産屋ですが
島に入る前から「今年も元気にされているだろうか?」と気にしていたけど
一昨年の暮れに逝ったお婆ちゃんの分も元気にと店を守っておられたお爺ちゃんで今年90歳になられました。

篠島で買えなかった分もとミンナで買った「海の幸」ですが、来年もお会い出来ますようにと約束をして急ぐ必要も無いのに慌しく港に戻ったけど、余る時間にアハハハ・ハです。

無事に予定通りに師崎港に戻る事が出来て、待っていた昼食をするお店の迎えのバスに乗って着いた「しぼりや」ですが、豪勢な昼食料理の写真はもちろん有るはずもないワタクシで、老松の能舞台を正面にしてビール片手にああぁコリャコリャでカメラ君は暫しお休みなのです。
昼間っから泡立つ飲み物に目尻を下げるハイブリッジさんや横幕さんですが、もちろん写らぬミンナも同様で、気が付きゃ既に1時間半も腰を据えたままとなり、「次々と出てくる料理に腹が苦しいヨ〜♪〜」って言ってたら・・・
我がママ曰く「パパのはビールの飲み過ぎでしょ!」ってお言葉でアリマした。
それは、ごもっとも


昨年までは師崎港から内海駅までバスで移動をしてそこから4キロ以上を歩いて48番札所・良参寺へとでしたが、食事をしたお店のバスで師崎港からはもちろん、良参寺門前まで無料で送って頂いた今回企画のナビ野儀さんです。
お陰で浮いたバス代分が豪勢な料理となり、走り回った篠島分もたっぷりの食事時間で労を補った休憩タイムでしたが、参拝後の歩く足が何となくぎこちない午後で、直ぐに「さあぁ、ちょっと休んでみんなでセリ摘みじゃあ〜」なのです。


休耕田となったところに群生のセリでしたが、ツクシにワラビやフキなど、遍路を通じて春山菜の絶妙な味覚を知ってオレも袋にいっぱいでしたが、丁石に守られて進める歩も6日目です。

我が家が参加するようになって八年目、ナビ野儀さんや井戸田さんは17年連続となる今回の知多四国巡拝だそうで、特に3.11と重なる今年も「続けられて良かったナ」って実感の午後は、空も明るくなり49番札所・吉祥寺へとです。
繰り返す参拝寺には義援金の箱が置かれているところも多くですが、七七日を過ぎて目立つのは弘法堂に祀られる「為東日本震災物故者諸精霊四十九日法要」の卒塔婆です。
残された者が故人の来世の幸せを祈って唱える七日毎の法要ですが、多くの命を一瞬にして持ち去った津波、もしも家族全員が中陰の旅の途となってしまったのならば誰が審判人にその祈りを届けるのか・・・多くの仏教者たちが代わって祈る法要で、我々もその後を追うように卒塔婆に向って唱える般若心経なのです。




更に丘を越えて



56番札所・瑞境寺へとです。

食後に歩いた距離が途中のせり摘みも加えてまだ2キロほど、体の重さを感じながらの山号を鶴林山と同じくする50〜53番の4ヶ寺で、最初に寄ったのは52番札所・蜜蔵院へとです。
参拝後はナビ野儀さんの提案で蜜蔵院裏山がそうだという「源義朝公はりつけの松」へとで、お陰で大好きないっぱいの筍(たけのこ)をゲット出来たワタクシなのでした。





知多遍路三大団地(オレが勝手にそう言ってます)の一つ、野間大坊と呼ばれるこの地に建ち並ぶ鶴林山の寺々
伊勢湾を糧として生きる人々が支えて来たのか



社寺の大きさが地域の人々の繁栄を表すようにも思えるけど
逆に搾取の苦しみが形になったものと思うのはオレの天邪鬼の心なのでしょうか。



「遍照金剛」とは「この世の一切を遍く照らす最上の人」という意味で大日如来を指していたものが
後世になって弘法さま(空海)を尊崇する宝号となったと聞きましたが
続いて行った
53番札所・案養院の弘法堂には「無量光殿」の扁額です。
いま救いを求めている大勢の方々に「早く光を!」って唱える心経は、青空を昇って何処に届くのだろうか。


過去8年いまだに判らぬままだけど51番を廻ってから50番へとで、どちらが大御堂寺でどちらが野間大坊なのかと思っていたら両札所全体を野間大坊といい、源義朝公刀塚のそばに建つ50番札所・大御堂寺だそうです。
陽射しが強くなるのを感じながら水の張られた田園を抜け、次に向うは源義朝公が殺害をされた場所だという風呂場近くの
55番札所・法山寺へとです。

55番の札所から勝手にゴジラ寺と呼ぶオレですが、法山寺さんのお参りを済ませて納経所に行った岩田の敏ちゃんや暎子ちゃんが置いてあった甘夏みかんを購入で、みんなにもその場で剥いてご馳走です。
ちょっと汗が出るほどの午後、体が震えるほど酸っぱいミカンで口をスッキリとさせ、さあぁ続ける田園ウオークも午後3時半を回ってますが、陽が長くなって暖かなこの時期、時間を追って焦る必要の無い今回のみんなです。


普通通り普段通りに過ごすことの出来る「ありがたさ」を今まで以上に強く実感の非被災地の我々ですが、罰ゲームのように走り回った篠島、90歳のお爺ちゃんが土産屋をきり守る日間賀島、1時間半ものんびりとした昼食の「しぼりや」、送迎バスのお陰で歩行距離も4キロ以上楽が出来ました。
今日もいっぱいの丁石に守られて歩いた巡拝路ですが、最後となる
57番札所・報恩寺で打切りとなった6日目です。




思い出を記念にとみんなで並んでパチリとしてフィニッシュとなりました。
でわでわ 又ネ〜


「のどかけき 春の陽射しの 眩しさよ 閉じる瞼に 写る被災地」



 七日目に続く