米寿の挑戦 天保山から富士山頂への500キロ

戸田巽さん88歳「天保山から富士山へ・米寿の挑戦報告会」に参加しました! 2011年10月2日(日曜) 天気 曇り 
場 所 = JR大阪駅前 ヒルトン大阪 桜園の間にて AM11時〜PM3時までのはずか、気が付きゃ4時でした。    

「歩く」ということを通じて、年代を越え、地域を越えて、大勢のお友達が出来た我が家のウオーキングライフですが、10/2(日)は、大阪の戸田巽さんが為した素晴らしい快挙の報告会が有り、「是非ご出席を!」って年江さんからのご案内も有って出掛けた、安城の西川ご夫妻と我が家です。
場所は大阪駅前の「
ヒルトン大阪」でしたが、平服でって案内に本当にいつもの平服?で出掛けたら、会場で会った途端に年江さんや戸田さんや安東ご夫妻からも「あれれ、あの帽子はどうしたの?」って・・・でも流石にヒルトンホテルに△帽子は持ってこなかったパパママでアリマした。




普通は何かに挑戦しようとする場合、全く無理と思われる目標など設定をしないものですが
戸田さん曰く「誰でもやれそうなら挑戦じゃナイ!だから良いんだわ!」って
無謀とも思える炎天猛暑の中を連日35キロ以上
一切の休みも無しに大阪にある最低標高4.5mの天保山から500キロ先の最高峰・富士山(3776m)を目指すというのです。

米寿を迎えるに当ってご自身で昨年来この計画を温めておられたようで、今年の1月に「熱田−伊勢初詣でウオーク」でお会いした時に我々もお聞きしていましたが、彼は周囲に公言することで計画実行の意思を更に高めておられたのかもしれません。
そして3.11、自然災害と原発事故という人災が相まって未曾有の被災を受けた方々に対し、88歳が歩くことと登る事で応援しよう!って、更なる責務を自身の心に課した戸田さんだったのでしょうか。

年江さんの司会により、最初に各地で発生の災害に対する犠牲者への黙祷から始まった報告会ですが、先ずはお孫さんから完歩登頂を祝って花束贈呈です。





戸田さんの偉業は数紙の新聞記事となり



更には500キロを歩き通して最終となる富士山登頂の二日間は
テレビの取材も有って、その関西で放映された「チチンプイプイ」という番組を、我々も会場で見せて頂けました。



年江さん曰く宝永山荘からの登頂は「アドレナリン全開のお父さん」だったとのお話でしたが
その勇姿を我々も拝見して我が事のように嬉しかったし
ナニヨリはヒルトンホテルに入って会場で会った戸田さんがまっ直ぐに立って居られキチンと歩いておられたことです。

私はもしかしたら「今回の挑戦で痛めた腰のダメージがまだ残っておられるのでは?」って気になっていましたが
オレの想像など遥かに越える超人の88歳なのでした。

超人のお友達にはまた超人が居られるもので一緒のテーブルとなりましたが、戸田さんの登山仲間だという實川欣伸さんという方で、富士山1000回登頂の記録を持つ人だといい、今も1100回以上の記録を更新中の現在だそうです。
その實川さんが讃える戸田さんのことで、富士山に四つあるという登山口の一つから登り始め、頂上を極めた後は次の登山口に下山して更にまた登るという、一筆書きのように四登山道の登下山を休まずに一気に繰り返したという戸田さんのエピソードもご挨拶で紹介でした。
知らない方が聞くと、特別な体力筋力でも持っているかと思われるかもですが、私が思うには彼の心の有りよう(精神)が達成の一番の原動力になっているように感じます。




娘さんからは、今回道中のエスコートをされ本日司会者も務める年江さんにも花束です。


テレビ放映の様子の後は17日間のアレコレを出席の方々にスライド画像で紹介でしたが、その都度画像に登場のご本人からもスピーチです。
初日応援ウオークの吉岡さんは登山仲間、年江さんの紹介によると山歩きの原則は自己保身が基本で、飲み食いはもちろん火や服やテントなどとどこで有っても生き残れる一切をリュックの中にだそうで、彼女は30キロの荷物を背負って同道の初日、途中でダウンして戸田さんの戦線を離脱したそうです。
西川ご夫妻も8日目、上体を傾けながら腰を庇って歩く戸田さんを讃え、我がママも9日目応援ウオークの休憩中に吹いたリコーダーを皆さまに再披露でしたし、一緒に伴走をしてくれた甥子さんの安東ご夫妻もだし、応援ウオークの方々がスライドを見ながら次々と簡単スピーチをです。


当初予定の会場から「人数が増えまして」って五階桜園の間になり、戸田さんの登山仲間やウオーク仲間、更には8年振りに再会だという切り絵仲間や、ご親族も大勢が集まって、予定時間を一時間以上も延長して盛り上がり、最後は我がママが吹いて戸田さんのテーマ曲になったという「若者たち」を全員で歌ってお開きとなりました。

戸田さん、年江さん、そして大勢の出席の皆さま、「天保山から富士山へ・米寿の挑戦報告会」へのご招待を頂き有難うございました。
ウオーキングを通じて有意義な1日を過ごす事が出来ました。 でわでわ ネ〜




オレが感じた彼のこと



猛暑の今年だっただけに10月に入って一段と秋を感じ、朝夕に寒ささえも感じる愛知小牧ですが
被災地の今はどのような気候でしょうか。

喜怒さえも感じられぬ惨憺感の中、雪が舞う一変崩壊の景色の中で寒さに震えていたあの日から7ヶ月に喃々として
夏が行き秋が駆け抜けようとする今、体の中に新たに漲る力というものを感じられますでしょうか。
誰もが忘れ得ぬあの現実
被災の皆さまに何かしなければとと思いつつ各所で入れた義援の心ですが
平常を維持して、足を引っ張らぬ事が一番と過ごした非被災地の我々です。



そんな今年、88歳になられる戸田巽さんが「米寿の挑戦」として歩いた17日間
背に頭に突き刺す太陽
焼ける地面が足に纏わりつく炎天猛暑の中を連日休むことなく歩かれた戸田さんに
一番苦しかったと思われる中盤頃となる9日目に同道をさせて頂いたパパママですが、前日も計画書では34キロのつもりが実踏41キロ
日が暮れた午後7時を廻ってのゴールだったと。
途中では「もう止めたら」と挑戦断念を勧める人も有ったとか・・・



でもきっと彼の中では「こんな程度でオレが負けたら被災の方々に申し訳ない」
「オレが頑張って、頑張る所を見せて残された方々を励ますんだ!」って心で思いながら
体に鞭打ち苦しい一歩に一歩を重ねた17日間だったと思います。




サイワイにして我々が同道した8/20(土曜)は降雨予報だったけど終盤まで傘要らずで
前日までの猛暑も遠方の雨雲を通して吹き来る涼しげな風の日となり、勤行のように歩を進める戸田さんへの一助となったでしょうか。



どのような感性なのか自分の辛さや苦しさを人に感じさせる事無く、逆に我々の帰りのことを心配される戸田さんで



今日もゴールが遅くなる予想に、地図を見ては早めの帰宅を勧めてくれる彼に従い一つ手前の
舞阪駅でお別れしました。

その後、日が落ちた国道沿いの歩道、雨も降り途中では側溝の蓋が突然無くなるような場所も・・・
周囲に配慮が薄くなる戸田さんに、年江さんと安東さんが足元の注意を促すような状況だったそうです。
そんな中、突然に「六根清浄 六根清浄」と唱えだした戸田さんで、鬼の形相で歩き切った9日目だそうです。

六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、人間が持つ六つの根を清らかにすること。

     その六つの根とは、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で有り
                 それに第六感ともいう深層意識の中にある根幹を加えて六根という

「禍福は糾える縄の如し」と言うけど、この世に幸も不幸も定量だったならば、自分がより多くを背負う事によって誰かが楽になる。
自分に課した苦難を以って、それを無心の思いで成し遂げることによって、今を苦しむ誰かの肩代りになるのでは。
そんな思いで歩かれた戸田さんだったからこそ、決して足を止めることの無かった17日間では




報告会では「被災地を支援しようと言いながら自分が歩くことで精一杯だった」って仰る戸田さんでしたが
十二分に戸田さんの思いというものが感じられた「米寿の挑戦報告会」で
完歩登頂を祝って集まった大勢の方々です。

戸田さ〜ん 素晴らしい報告会に参加させて頂き有難うございました。 でわでわ これにてネ〜