「伊能ウオークが歩いた道を辿ろうin愛知」2日目に参加の一歩たち 2012年3月4日(日曜) 天気 曇りのち雨 距離 24キロ
コース = JR東海道線・一宮駅スタート 〜 稲沢 〜 春日ゆめ広場(昼食) 〜 美濃路街道 〜 清洲城 〜 西枇杷島町 〜 名古屋市役所前ゴール

3/4(日)は6回実施の表記タイトル第二日目ということで、前日ゴールの一宮駅に集まる参加者たちですが、「明日はそっちに行くよ」ってメールの通り、カッパの堀さんもご参加で当時のグッズを持参着用の岩村からです。
ゼッケンを下にハリコしますが、バッチ類のどれも懐かしさいっぱいです。
左ハリコは着ていたTシャツの図柄が撮りたくて後ろを向いてもらったけど西川ご夫妻も喜ぶこれらで、水野ママや海口さんも加わっての一枚、そして水野パパや岡本会長も加わった正面からのカッパさんです。





本部隊々長 大内惣之丞の手書きサインがあり
まだ恵那市に合併前だった2000年12月なのか隠れているけど緑の字は岩村町で
メッセージ欄の完歩印には「完歩証 2000.12.3 第5ステージ 名古屋市」や「完歩証 2000.12.17 第5ステージ 静岡市」などデス。

一宮スタートと言うことで小川の完ちゃんや堀田ご夫妻や伊藤ご夫妻など一宮組も多数ご参加でしたが、代表して先ずは堀田パパと我がママで、駅前に立っていた元気はつらつ川柳のこれ

                                     「早歩き 老いの神様 追いつかず」

アハハハ・ハですが、なんと素晴らしい!我々の為に作って頂いたかと思うような一句で、もしかしたら一宮歩こう会の何方かの句かもです。
本日は前日と一転して曇り空でしたが「オレは晴れ男だ!」って言い張るカッパの堀さんが連れて来た空では?って思うワタクシで、だって彼はカッパだヨ〜・・・って言ってたら、出発式が始まった一宮から名古屋市役所までで、2000.12.2(土)の再現となる本日です。


当時の伊能ウオーク「一宮−名古屋」この日はパパママもウオーキングというものを実践して丸二年、歩く事の楽しさを肌で実感していた40歳後半の頃だったけど、土曜日だったので我がママと二人して参加でしたが、暑いほどの晴天だった事を鮮明に覚えています。




今日も本部隊員だった阿羅漢さんに伊能流の檄をお願いで、全員でコブシを突き上げてイザ目指せ名古屋城!でアリマす。


「昨日は用事が有ってね」って言う米寿の横井さんも参加の本日ですが、「昨日は16キロだから来ず、今日は24キロだから来たんだよネ」って突っ込むオレで、とても88歳の足取りとは思えぬ、誰もが「ハ・ハァ〜」って頭を垂れて認めるスーパーウーマンと我がママのスタート直後です。
久しく出会っていないけど我がリンク先「川柳&ウォーク」の一宮の寺さんによると「一宮歩こう会が伊能ウォークの名誉隊長である俳優の加藤剛氏を招き、見送り隊を結成したこともあって、参加者は700人を超えた。見送り隊は下津(おりづ)市民センターまでの6.5kmを歩いた。」と彼のウオーク記録が有り、パパママも参加していたけど裃袴姿の伊能忠敬となった加藤剛がこの沿道沿いでミンナを見送っていたあの日の事を鮮明に思い返す朝のスタートです。


先日の中日新聞に「一宮歩こう会」が創設13年間の記念誌を出したと有りましたが、寺さん記録を読んで「へえぇ〜、日歩が呼んだのかと思ったら違ったのか!?」って今回初めて知ったけど、もしかしたら記念誌にこれ等の記述もあるかもです。
一宮の伊藤ご夫妻は当時、前日の朝日新聞の記事を見て「一宮スタートならば一緒に歩いて見ようかね」って、ご夫婦がウオーキングを楽しむ切っ掛けがこの伊能ウオークであることを阿羅漢さんに語っていたけど、全国各地で同様の方々がいっぱい生まれた伊能の2年間です。
本日は藤原さんがアンカー担当でその横の定位置を歩く水野ママですが、一宮から
稲沢市へと入ります。

歩いている途中で碧海幡豆仲間の山賀さんから水野ママに電話があり「今歩いている最中だわ」って話で、更に「もちろんワタシは先頭グループ、旦那はビリだわよ」って説明もだったけど、水野ママはこの定位置で、電話に夢中でアンカーより遅れる彼女を気遣って水野パパがスピードを落としたのがコレです。
山賀さ〜ん 実態はご覧の通りだヨ〜ン♪
水野ご夫妻はみんなとのウオークを楽しんで稲沢駅でフィニッシュとなりましたが、少しづつ一歩一歩の想いでまたご一緒ウオークをさせて下さいネ〜


カッパの堀さんが連れて来たと確信ですが、朝のスタート時にはみんなして「降り出すのは夕方らしいよ」とか「ゴールまでは大丈夫!」って、傘や雨具の用意はしても使わずに済むと思っていたのが、11時40分ころに昼食場所となる春日ゆめ広場着いたまでは良かったけど、食事を終えて腰を上げスタートとなる12時15分には雨が落ちてきました。




当時だったら考えられぬ錦の御旗となる御用旗を傘をさして肩に担ぐ渋谷さんや
雨が降りだして急ぎ足となったか勝手に御用旗の前を行く人
晴雨風雪にもこの旗だけは下ろす事無く、これを御旗に伊能忠敬を思って歩いた伊能ウオークから11年 正に縷々往く歳月で
当時の御用旗を知る方々は
目を三角にされるかご愛嬌と見て頂けるかどちらでしょうか。


清洲城から美濃路を通って名古屋市内へとですが、降る雨に「御用旗も仕舞っちゃおうか」ってとうとう全ての旗がリュックの中に納められちゃい、街道沿いの屋根神様もひれ伏したと言う御用旗だったけど、写真を撮ってもこれでは只のウオーキングのようで実に寂しい限りです。
でも道々の地元の方が降る雨の中を「一宮から歩いてきたんです」って言うと「へえぇ〜」って感心をされ、サイワイに雨の降り方も優しくなってきた午後2時前です。





傘を畳む人もいる中ポンチョ姿の敦子さんと我がママです。

ショート13キロ組と清洲城で分かれて更にみんなして足が速まり西枇杷島町から庄内川を越えて名古屋市へとですが、トントン拍子の午後2時40分に予定の午後4時を上回って名古屋市役所前に到着です。
当時「若い人にも手伝ってもらいたくて」って愛歩役員となっていたワタクシでしたが、一旦は名古屋城広場で隊列を整えてもちろん先頭は御用旗、直ぐ後ろに黒い帽子の本部隊員が列をなし、続くステージ隊にエリア隊、更に後ろにデイリー隊と、寺さんの記述によると総勢700名だったそうだけど、なんとその一番前の御用旗を「竹樋君に!」って、緊張の中で名古屋市役所へ進む道々を守る愛歩の大先輩たちに目礼をして歩いたあの日、2000.12.2(土)を懐古して見た官庁街です。





横井さんや山下さんにも加わってもらって西川ご夫妻との本日最後の一枚ですが
2000.12.2(土)そのゴール後に一宮の小川の完ちゃんたちに誘われて呑みに行った新栄ビルの
魚善という居酒屋が
偶然にも敦子さんの叔父さんが経営していたお店だったというオマケ付で、縁とは本当に不思議なものです。

でわでわネ〜