丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 知多四国巡拝 第二日目の一歩たち 2012年3月18日(日曜) 天気 曇り 距離 約21キロ
 第二日目 11ヵ所参拝  JR武豊線・東浦駅スタート 〜 11番・安徳寺 → 12番・福住寺 → 13番・安楽寺 → 14番・興昌寺 → 15番・洞雲院               
                         → 17番・観音寺 → 16番・平泉寺 → 18番・光照寺 → 番外・海蔵寺 → 54番・海潮院 → 番外・東光寺 〜 JR武豊線・乙川駅ゴール
第2日目知多四国巡拝は昨年の発災から一年と1週間目となる3/18(日曜)となりましたが、旧東名阪道が完全にループとなり我が家からもグッと近くなった知多半島へ「名二環」と名前を改めた高速道に乗って、先ずはゴール予定のJR武豊線・亀崎駅へと一時間ほど、マイカーを置きタイミング良く来た名古屋方面への電車に飛び乗って1駅、1週間前にゴールをしたJR武豊線・東浦駅へとです。
駅前を真っ直ぐ出て信号を渡り路地をそのまま進むと旧街道へとですが、早速にここが弘法道であることを示す「卍四丁目」の丁石くんで、建て替えられたであろう新しい家の持ち主も基礎工事の際も配慮され、目隠し壁も上手に丁石を控えて作ってくれていて有り難い事です。


こちらは誰が配慮をしてくれたのか横に大きな守り石を控えさせ、深い彫りのお陰でクッキリと判読出来る「卍一丁目」だけど、目の字が半分アスファルトの中です。
弘法道のアチコチにこの様な光景ですが、土木工事が人力だった時代、道路整備に「削る」という労力など考えられず、きっと道に穴凹が出来れば土を入れて埋め直し、また荒れれば更に埋め足しアスファルト舗装という時代の初期も土を足して平らにしその上に乗せられた舗装道路だったのだと思います。
もし丁石の横を掘ったならば、道路補修の歴史がバームクーヘンの断面のように幾層にもなっているかも、一本の丁石、それを囲む町並み風景、歩いているだけで時層空間を浮遊しているかのような不思議な感覚に囚われる大師道です。




本日最初は11番札所・光明山安徳寺へとですが
我がママは自分の立てるロウソクの火を、立ち消えていたロウソクの全てに灯してくれたけど
長短の有るいっぱいの光明が我が人生に関わる方々を思い起こさせる弘法堂内で般若心経です。



最初は単なるウオーキングの一環として歩き始めた知多四国巡拝でしたが
何時しか開創の師たちの背中を追うが如くに正しい巡拝路というものを求めるようになり、その証となる丁石に着目して繰り返すこの歩き

安徳寺山門の「十二番へ十五丁」に従って進み埋もれた「卍十四」も確認、十三丁は不明でしたが
我がママの体で隠れちゃっているけど斜め右との分岐路の角、皆さまにも紹介しましょう。



三本並んだ石柱ですが、左から「是ヨリ向テ左 五十四番へ行」「右 乙川」、草で隠れていたけど指で掘られた文字を確認すると「卍十二」



角度を変えたもう一枚はその左面を撮りましたが、「十二番ヘモドル 六丁半ナカ 三十丁」「左 かめさ」

十二番への方向が違っているし、距離も合わず?
真ん中の石柱の「かめさ」は間違いなく亀崎を示しているで有ろうがこれも乙川を含めて向きが違うように思う。
どのような過去を持っているのか、どんな時を過ごしてきて今ここに立つのか。

11番から12番札所へ十五丁、数多くの丁石たちが並ぶこの弘法道で、欠けた丁石を披露したほうが早いくらい、十三・六・二丁の三本のみが発見出来ないでいるワタクシなのです。
でもコイツがココに有ることを気付いたのは最近で、もしかしたら貯水池の工事が終わるまでどこかに仕舞ってあったかも、ただ再度立ててくれたのは有難いけど、我がママが目を凝らして見ても???、なんと向きが逆の「卍七丁目」なんだよネ〜♪


人家が目隠しとなり分かり難い12番札所・福住寺の位置に地元の方が頻繁に聞かれて困って掲示したのか手書きの道案内も有りましたが、正しい巡拝路と異なった案内で、本当は電信柱と守り石に挟まれ埋まった「卍一」のところの路地を抜けると山門が真正面となるのが大師道なのです。

有脇地区高台にある福住寺は、この石段を上がると晴天の日は三河湾も望めますが今日は生憎の曇り空、山門を入って千躰仏が奉られたお堂にお参りをしてから作法です。
オレの般若心経はたっぷりの息を吸い腹の底に貯め、水中に潜って息を吐くかのようにジワジワと、しかし丹田から出す声はしっかりと大きく、「前回はここで堪え切れなくなって息継ぎをしたから、今回はココを越えてやろう!」って、お経の意など二の次です。
そんな心経を聞かれてか、ご朱印を頂きに行った納経所のお婆ちゃんに「元気だね」って言われたけど、反対にお聞きすると「88歳を祝ってもらったばかりだけど、こき使われている」というこれまた元気印のご朱印を頂いた我がママです。


今回の写真で気付いたけれど、境内隅に無造作に倒して置かれた丁石たち、はっきり判読の出来る「卍六丁目」で、ここまで来る中で発見出来なかったものの一本だとその丁石の数字から推測です。
もしかしたのその下の隠れたのも見つからなかった二丁目かも?何れも福住寺の周囲に立っていたものと推測されます。


12番を出て向かう13番札所ですが、この8年間で一度も出逢えなかった道を大きく変えて阿久比へとつづく広い県道沿いで、歩道部が有るものの横を高速で走るトラックに恐怖を感じるほどです。
それでも来たのは「もしかしたら?」の疑問からでしたが、初日に続いて9年目にして新発見のこれら「卍七丁目」「卍六丁目」の二本で、3.11を思い丁石を尋ねて歩く今年、九年目にしても新たな発見、出会いの有ることに二人で歩く意義を感じるワタクシです。
そしてここの六丁目を見て、福住寺の境内隅に倒して置いてあった六丁目がやはり歯抜けとなっていた11番から12番へのものだったことが確信となりました!





あれから一年余、彼岸の入りだった昨日報道では被災地での墓参風景も映し出されていましたが
一年を過ぎて気持ちを切り替えて努めて明るくと言う残された方々、悲しみが薄らぐことなどなく往った人を背負っての毎日だと思います。

「日限りに 往ったを参るも 辛いけど 来る人無きの 倒墓哀しや」

途中で降り出した雨は悲しみの涙か、残った人を励ます恵みの雨か、様々な思いを持って
13番札所・安楽寺へとです。



人々の光明を思い、遍照を願う方々が歩く巡拝寺



その足下を照らすかのように立つ丁石、「拾四番へ四丁半」

続いて14番札所・興昌寺へとですが、13番でお会いした名古屋から来られたという正装の「名古屋拝師講」の皆さま、歩いて参っているって言ったら驚いておられたけど、2台のワンボックスカーに分乗で巡る知多四国だそうで、「もう二度と会えないかと思ったらもう来たの〜」って13番14番と500mほど、並んで建つ札所です。
弘法堂の横の濡縁に座する岡戸半蔵行者が参拝者の心経を聞いてくれていますが、拝師講のお参りを手を合わせて半蔵業者と一緒に聞き、一期一会互いの健勝を祈って手を振って別れ、代わって向かう弘法堂では一段と声高らかのワタクシです。


途中の和菓子屋で一服休憩もして進む大師道ですが、15番札所・洞雲院の100mほど手前、3本の丁石が並んでいて写真を撮った手前から「一町」「十町」「十八町」でしたが、距離から類推すると16番へ向かう途中に有った「一町」以外だと思われます。

ここ三年改築工事の続く洞雲院ですが、日程は宮大工にお任せだという山門の建替え中で横から入ったけど、眩しいほどの白木の本堂、東日本大震災と重なる昨年落慶法要を済ませ新しくなったという「大悲殿」です。


意思を持って探して歩く丁石もあれば偶然バッタリと出会う丁石もで
みんなで歩いていたときは阿久比町役場のホールをお借りして昼食休憩だったから一度も通らなかったこの道
今日はママと二人だからとその先にある国道沿いのラーメン屋で昼食なのでした。



そして店の前の道を丁石の立つ遍路道に戻ろうとするとこれまた初出会い!「卍 車みち 十六番へ九丁」



更に行くと、大きな字で「十七番札所へ十丁」隣りに小さな字で「次ハ 十六番札所道」の大きな丁石
洞雲院から阿久比役場まで見つからなかった丁石だけど正しい弘法道は国道に沿っていたと判明で、しかも先に17番を参れとの指示です。

これらから洞雲院近くに3本並んで立っていたのは
たぶん国道が出来て移動させられた丁石たちと推測です。
次回歩く時はその道を辿ってみようと思います・・・まだジッとして見つけてくれるのを待っている丁石があるかも。



従って行った17番札所・観音寺ですが、お寺の裏(50mほど)から入るところに立つこの「二町」



計算が合わず疑問でしたがお参りをした後、反対側の階段を降りて「の」の字のように坂を戻って見ると・・・




小さな公園を挟んでその先の階段を進むと
先ほどの丁石の立つ場所で「二町」の距離もほぼ合致、これまた正しい遍路道が解き明かされ

三開人が辿った足跡と、初期の巡拝者たちによって形作られていった正しい大師道を示す丁石たちに納得と満足のワタクシですが、先ほど新発見の分岐に立つ大きな丁石まで戻って向かった16番札所・平泉寺へとです。
きっと先ほどまで集団で来られた方々が居たのでしょうか、たくさんの線香が立てられていた弘法堂でしたが、17番で坂道を登ったせいもあって途中で上着を脱いだ二人です。


卒業や春休みを迎えて町に子供達が賑わうこの時期ですが、立つ丁石に向かって写真を撮ったり読み難い刻字を判読しようと目を凝らす我々に興味を持つ地元の子からも「何してるんですか?」って声が掛かって、知多四国のことを説明して「知多半島中にいっぱい立っているんだよ」って教えて上げたけど、彼らにとって普段通る道に当たり前に立っているこれら、意味が理解出来たでしょうか。
でも「今朝東浦から歩いて阿久比に行って、ここに来たんだよ」って話は、理解出来たようで「スゲッ」って返事で「頑張って下さい」と言われて「君達もネ〜」であります。
阿久比から乙川へ今は歩けないそうだけど、この竹やぶの山を越えるのが正しい遍路道だったという時代も有ったそうで、その点と点をつなぐように立つ丁石と子供達です。


デジカメ君の記録によると午後2時10分に到着の18番札所・光照寺でしたが、山門横の雨に濡れた寒アヤメ君にご挨拶をして本堂、そして弘法堂へとで、置かれていた木魚をお借りしてママが叩く音に合わせて、これまた誰も居らぬ境内を良いことに声を大にして唱える般若心経のワタクシです。

                          「意味などは 判らぬけれど 腹からの 心さらして 唱える心経」

それを納経所で聞かれていたお庫裏さんが声を掛けてくれましたが、この秋にご自身もまた見たことがないという秘仏を開帳するそうで、「ご縁が有りましたら是非来て下さい」ってお話もです。


光照寺山門の前に指差して立つ「是ヨリ十九番ヘ十三丁」の丁石ですが、ここから直接19番札所に向かった事がなく、次回第三日目は一旦ここに来てお庫裏さんにもご挨拶をしてから大師道を辿ってみたいと思います。

そして向かう
番外札所奥ノ院・海蔵寺へとですが、途中ですごい人混みとなりミンナが進むほうに一緒に行くと、半田地区でここから始まる春の祭礼だといい何台も山車が出ていました。




翌日の新聞によると、この屋台上を巡る男達の格闘もあったその後だったそうです。

ワタクシなりに知多四国の色々に目が行くようになった今回で、ご朱印を頂いたお庫裏さんにお聞きすると、明治時代に知多四国霊場会という組織を作ることに尽力をした事が縁となって明治42年に番外札所に追加されたという海蔵寺だそうで、今日は祭りのために駐車場として提供の境内だそうです。
ここの丁石は先に参った「十八番ヘ八町三十間」とありましたが、今朝出た東浦からこちら方面に来て有脇地区に戻る巡拝路も有るそうで、次に参った飛んだ数字の
54番札所・海潮院への道中にもそれを示す丁石があちこちです。

本日最後は54番を出て番外札所・東光寺へとですが、弘法大師の62年間を一年一体として62体の年弘法様が祀られるお堂も有るここで、「弘法も筆の誤り」を基としているのか、勉学に勤しむ様子を表しているのか、手に足に耳に口にと筆を持つ笑っちゃうような弘法様もです。




番外を入れて11箇所にご朱印が増えた白衣、まだまだ白いところがいっぱいですが
慌てず焦らず一歩ずづ立つ丁石の案内に従って歩く知多四国巡拝もこれにて第二日目の打切りです。

でわでわ ネ〜