丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 知多四国巡拝 第三日目の一歩たち 2012年3月25日(日曜) 天気 晴れ 距離 約21キロ
 第三日目 10ヵ所参拝  マイカーで半田へ  19番・光照院 → 20番・龍台院 → 21番・常楽寺 → 22番・大日寺 → 23番・蓮華院 → 24番・徳正寺 → 25番・円観寺
→ 番外・葦航寺 → 番外・影現寺 → 26番・弥勒寺 〜 名鉄河和駅ゴール(知多半田まで電車で戻る) 

3月も最終週を迎えようとしていますが日本海側では冷たい雪が舞った一日で、太平洋側の愛知でも時折りその千切れ雲が来襲だったけど、サイワイに傘の不要な一日を表記タイトルへとで、高蔵寺の森ご夫妻にご一緒ウオークをして頂きました。
3/25(日曜)我が家から車で10分ほどのご自宅までお迎えに行き前回同様にマイカーで知多半島へとですが、先ずは本日最初の札所となる
19番札所・光照院近くに車を置いて参拝へとです。
本当だったら?今ごろは本四国を歩いているはずだけど、予定出発当日の数時間前に胃腸風邪となってしまい四国行きを断念で、ならば暇であろうと声を掛けたけど、月曜(3/26)からは3泊で野沢温泉にスキー旅行と多忙極まりない中を偶然にご一緒が叶ったお二人とです。


本四国を歩いて参られた森ご夫妻は、上着を着られて気付かぬかもだけど、背中に南無大師遍照金剛の文字の書かれた白衣も着られ、首には袈裟、手には数珠も持たれるという本格的なスタイルで、参拝の手法も本堂に向かって般若心経を上げた後、弘法堂でも再度般若心経を唱えて「大師法号」で〆るという正統派のものだそうです。
でもここは知多四国という事で我々が教えてもらった、本堂でご本尊真言を唱え、弘法堂で般若心経というお参りに習って頂き参拝です。
行った
20番札所・龍台院には弘法堂に木魚が置いてあり、ママが叩く音に合わせて唱えた心経ですが、冷たい風が吹くながらも清々しい空気です。

旧来ルートを変えた昨年でしたが、更に変えた今年も結果としては新たな発見は無かった21番へだったけど、「中埜」と表札のあるきっとミツカングループのトップの何方かの家の前も通る道、突然にmorimamaが立派な正門かと思ったら勝手口と書かれたお屋敷に向かって「ごめんくださいませ、大沢家政婦協会から参りました」って、まるで市原悦子のようにで笑っちゃいましたデス。
知多半島で始まった春の祭礼の準備だという場所では山車の組立て風景を眺めたり、その詰め所の中に有った店舗用冷蔵庫に山ほど詰まったビールたちに感心の森宴会部長デス。





森ご夫妻曰く「これは本四国にも負けぬほどの大きさだ」と感心の大本堂が建つ広い境内の
21番札所・常楽寺へとで
弘法堂での般若心経もお堂の中でです。



お参りを済ませて何気に見上げた額の一つ「衛門三郎由来之図」
今まで見てもフウ〜ンって感心も示さなかったワタクシでしたが、森ご夫妻の説明によると

伊予(愛媛)の国に住んでいた豪農の衛門三郎が托鉢に来た坊主がしつこいので箒で追い払ったが
以降8人居た子らが次々と亡くなり悲しみにくれていると枕元に弘法大師が現れて
ハタとあの時の坊主が弘法様だったと気付いた。
後悔の念から大師を追って四国巡拝に出たが20回巡礼を重ねても逢えず
今度は逆に回ったが、焼山寺で病に伏して死期の迫っていた三郎の元に大師が現れ
漸う大師に詫びをいうことが出来たという話

異説各種有るもののこれが四国巡礼の起源だといい、巡拝を重ねることにより大師に近付け、いずれかどこかで大師に巡りあえるという信仰や
「逆打ち」などの言い伝えにつながっているというのです。



幾つになっても、知らぬことを知り自分の知識となるって有り難い事です。
さあぁ 一つ勉強になって開創の師たちが通ったという正しい巡拝路探しに丁石を尋ね歩きましょうかネ〜♪




常楽寺から22番へ、今までは名鉄線路の西側の新しい広い道を歩いていたけど
昔ながらと思える細くくねった道を歩こうと決めていた今回で、早速に名鉄線路を東側に向かうと
そうとう埋まっているけど立体的な手と「卍」のマークが確認出来る丁石君を新発見です!!



更に進むと、二又となる道の真ん中に建つ古いお堂の前に
「新四国廿二番ヘ拾八町」「右武豊道」と刻字もはっきり判読可能な丁石君と出会えました。



正しい大師道が見つかったのも嬉しいけど、三人してアハハハ・ハの両手でVサインと思ったら
札所番号を手で表現の
22番札所・大日寺へと到着です。

今歩いて来た道々に立っていたであろう、丁石の一部が大日寺境内の隅に並べられてあるのを森宴会部長にも教えたけど、埋められたり捨てられる事を思うと有り難い事です。
続いて行った
23番札所・蓮花院の参拝を済ませ、車参拝出入口用のミラーに向かってまたまたVサイン、順調な歩も「そろそろお腹が空いてきたネ〜」って11時半です。

JR武豊駅前の像に足を止め目も止める我々ですが、昭和28年秋台風の際に命を賭して列車転覆を防いだ武豊駅職員「高橋熙」の像で、morimamaはオギャーと泣き、ワタクシはお腹から出る前だった互いに誕生年の出来事です。
互いに同い年の我々、中学生の家庭科で卵を使ったミモザサラダというものを作って、その後に知った実際のミモザの木ですが、オレはこの知多四国巡拝の中で覚えたこの木「ミモザのはな〜・咲くころ〜♪」の春遍路であります。

一旦は大師道を離れて名鉄武豊駅近くで昼食をして、24番札所・徳正寺へとですが、何年前のことやら・・・我がママが咲き誇る美しさに境内の石の上に乗って写メを撮っていたら木村の親分に睨まれた、懐かしき徳正寺境内の梅が今年もきれいに咲いていました。




25番への道も丁石が数多く残っているけど今は名鉄が通って寸断された大師道



でも全体風景の中でその先に続く道が見える、ほら皆さまにも向こうから「こっちだヨ〜」って声を掛けてくれる丁石たちの声が聞こえますでしょう。



懐かしそうに教えて頂きましたが、森ご夫妻によると本四国でよく見るという歩行路を示す遍路シールが貼られていて
従って迂回をしながらもその先へとです。

上ハリコ線路手前、祠の横の丁石が「九丁」、線路を越えた先に向きが間違って立て直されたのか、まるで恥ずかしそうに電信柱に顔を隠すような「八丁」、そして曲り角に「七丁」と、遍照の如くに我々の歩路を照らしてくれる彼らです。

その先、富貴・東大高地区でも山車が出ていて、引き廻しの訓練だというところを見せてもらったけど、体力の有りそうな若い衆ながらも初めての舵取りなのか足元が怪しく事故にでもなりそうな危なかしさを、昔はバリバリの現役だったと思われる先輩達が声を荒げて指導です。
確実に動く季節というものですが、田植えを前に互いの英気を養う一大農事だったかもの春祭り、地域の老若男女が一同に集まって山車の引き回しをすると知多半島に春が来ます。


「さあぁ、足を止めてちゃ遍路が進まんよ」って25番札所・圓観寺へとですが、山門前の「ぼけ封じ観音」の赤い字に森宴会部長に向かって「さあぁ、しっかりお参りしましょうネ」ってmoramamaだったけど、ボケる暇などナイ忙しいお二人です。
既に三年前になりますが、我々が参った日の朝に盗られたと言う本堂の香炉、その代用はキャットミルクと書かれた缶で、今日は室内だったかもだけど猫がいっぱい居る札所なのです。





そして参ったその弘法堂ですが、今まで全然気付かなかったけどお堂の中をじっくりと見てみると
なんと大師像の手前に堂々と丸々と太って手を上げた出べその猫の置物が・・・
おいおい!いくら猫好きでも巡拝の徒にまで参らせるかヨ!って、笑っちゃうような堂の中です。



そしてまたまた線路の東側へとですが、初出会いの立つ丁石たちにニンマリのワタクシであります。




新たな丁石たちとの巡り合いにルンルン気分で歩くワタクシですが、カーブミラーを見つけてはハイ・チーズ!だったり



菜の花の咲く道々で三人にカメラを向けたり
布土地区に入って高台から眺められる三河湾で、メガソーラが並ぶ武豊火力発電所もクッキリとでした。



でもmorimamaのブログによると久々ウオークでちょっとお疲れだったこの頃の森ご夫妻のようで
武田安兵衛行者が眠る
開山所・葦航寺へとです。

数年前までは知多四国随一の清貧のボロ寺だったのを建て替えて立派になった本堂ですが、先に参っていた方々の中の先達、「おん あぼきや・・・」と続く光明真言の最初「おん」の部分を力一杯の言葉に代えて「おん!」と発声をするのは、様々なお経のリズムのある中で初耳だったけど、力強さがなんとも耳に残った開山所です。
参拝を終え階段を降りて直ぐのところで今度は長い竹棒を持った方々がなにやら談義中、聞くに「線路下を山車が通れない」って困っていましたが、「まさか何十年も祭りを続けていて、そんなバカな」って思っていたら、元々ギリギリだったのに名鉄の線路下に落下物防止の金網が取り付けたここ一年だそうで、我が事のように心配の森宴会部長・・・「ならば道路を削るかネ」って、祭りは来週だそうです。





そしてまた新たな丁石、弘法道を指し示す手と「二十六番」の刻字から、基本は海岸沿いを行く開山の師の足取りだったようです。



不変の如くに不動の丁石、真実の探求をするかのように追い求めるその前に次々と姿を現してくれる彼らに、感涙のオレですが・・・って
それほどオーバーでも無いけれど



出逢えて嬉しいコヤツ等を正面からも 「大 師 みち」と3列に斜めに並ぶ刻字も珍しい
みちの下の更に小さな刻字は??



開山所を出て直ぐに海辺に向かうよう教えてくれ
次はこれ、「師」の字が判読出来ないけれど「大 みち」と彫られたひらがなは判り
並ぶ隣りは指す手と「三十一丁」



さらに進むと路上に建つこの時計、「心ト時 常ニ正シカレ」って
誰が何時ごろ作ったのか、地区の人々に対して諭すかのような文言だけど
森宴会部長がご自分の時計を見て曰く、「おいおい、時間がちょっとあわねえぞ」ってどちらが正しかったのでしょうか。

進む先には「卍二十六丁」が有り、これ又埋まっていて「卍二十」のみの判読でしたが、二人して両手を広げたら左右の壁に手が付きそうな蛇行の道、200余年前は知多半島の大動脈だったと推測の大師道です。
直ぐ横の堤防を越えて海辺にも出ると、昨日から解禁となったあさり採りだそうで、漁業組合の方が焚き火をしながら監視をしておられ、知多四国巡拝で乙川からだと言うとみんなして驚いておられましたが、しばし我々もその輪に加えて頂き休憩です。


毎年このコースの恒例になっている「飴文」に寄ってお茶や「大砲巻」を頂き休憩もして、海岸から直ぐ高台となる番外札所・影現寺へと急坂をハーヒーなのです。

坂を登りきって海をバックに三人をパチリ・・・皆さま 森宴会部長の足元をご覧下さい。
奥様よりチョットでも背が高く見えるようにと今朝からスナップ写真を撮ろうとする度に爪先立ちで、我々も写真を撮ってもらって同様にしたけど、脹脛が攣りそうになってしまいイタタタ・タ〜のワタクシでありました。





影現寺を出てからも海沿いを行く我々で、歩く足元で鳴る貝殻の音を楽しんだり



、柔らかい砂地や、水際の固い砂



対岸には碧南火力や先ほどの漁師さんに教えてもらったけど
蒲郡の兎島もなだらかに広がる水面の向こう側だし、渥美半島も遥か沖にです。

第三日目も最終となる26番札所・弥勒寺へと午後4時、山門横の掲示板に「看脚下」の文字、美濃の山寺・大安寺の山門にある「脚下起清風」を思い出させます。
小さな字で意味の説明も有りましたが「脚下」をそのまま股間や足元って思っていたら仏語の中では「日常の暮らし全般」を指すそうで、「理屈や道理など考えずに、ただ日々の暮らしを看よ」ってのが「看脚下」だそうです。
座禅などでも「無」を維持するには、一つの考えが頭に浮かんでも次を考えずに捨て去ることが肝要だと言いますが、同様の意でしょうか。





夕日を背にするように建つ弘法堂に向かって、三つ並んだ木魚を三人で叩いて唱えた本日最後となる般若心経でしたが
我々にとって正に同行二人となって頂いた森ご夫妻です。

我がママは朝から笑いっぱなしで一段と目尻の皺の数を増やしたのでは。
河和駅へと向かう道中でも赤いバンダナを首に巻いた繋がれていない老犬と目が合い、互いに無言ですれ違ったけど、二人して老犬の思いを忖度する森夫妻が可笑しくって、またまたご覧の我がママですが楽しい一日となりました。
でわでわ これにてネ〜