丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 知多四国巡拝 第四日目の一歩たち 2012年4月07日(土曜) 天気 晴れ 距離 約22キロ
 第四日目 13ヵ所参拝  名鉄河和線・河和駅スタート 〜 27番・誓海寺 → 番外・禅林堂 → 28番・永寿寺 → 29番・正法寺 → 34番・性慶院 → 33番・北室院
 → 31番・利生院 → 32番・宝乗院 → 30番・医王寺 → 上陸大師像 → 35番・成願寺 → 36番・遍照寺 ・・・
師崎から日間賀島へ渡る → 37番・大光院
    日間賀島宿泊

4/7(土曜)、誰もの命が活力の脈動となりますよう、そして往かれた方々が安寧の心で過ごされますよう、願わくば我らの日々も耀動の一日となりますよう探して歩く丁石の旅、今回はずーっと以前から経験をしたかった日間賀島宿泊となる本日に、森ご夫妻が同行二人となって頂けました。
電車で到着の河和駅では岡崎の金原さんと一年振りの再会ですが、我々と同じ予定の本日ながらバスで移動の27番へとだそうで、バス代の無い我々(森宴会部長曰く『金は有る!』デス)は海沿いコースへともちろん徒歩です。


丁石の所在を求めて徳川園の蓬左文庫など自分なりに調べものをしているワタクシですが、太平洋戦争開戦時に海軍施設を作るため海沿いに有った27番札所を含め村毎山沿いの古布地区へと強制移動をさせられたそうで、出会えぬ丁石君だけどいっぱいの自然が我々を迎えてくれます。
藤の花を逆さにしたようなコレは、ルピナスって森mamaに名前を教えてもらったけど寒気の続いたこの春、桜はもちろん桃や梨の花も一斉に花開く4月初旬の今年です。





時間を追って登る朝陽に重なるように一本に並ぶ影、白い歯を出して笑う三人様ですが
生物の中、人類が持つ特別な能力だという「笑う」ことによってナチュラルキラー細胞が活性化され、分泌されるβエンドルフィンというホルモンが
痛んだ心や体の鎮痛さえももたらすそうです。



まだ冷たいながらも桜源郷を春風に包まれて
27番札所・誓海寺へとですが



岡戸半蔵業者の眠る開山所となる
番外札所・全林堂の二ヶ所にお参りです。

途中で「つくだに街道」に寄って知多半島山間部となる28番札所・永寿寺へとですが、弘法堂に木魚が有ると叩く我がママ、ポクポクとリズムよく鳴らす音が境内に響き、心経の声も高らかにのつもりがポコっていってカンカラ・カン・・・すかさず横にあったのでその後を何事も無かったように続けた我がママだけど、オレのカメラは事実を逃しません!
「形有るものはいつか壊れるの」って、お参りを終えて柄に抜けたのを直していたけど、横の水盤のメダカたちも諸行無常を目の前にしたでしょうか。


一部は農地改革で消えてしまいましたが、丁石が点在する29番への大師道、峠を越えたところで出会ったおばさんが「ここの野蒜を採ったら」って勧めてくれ、今までの遍路道中でみんなに教えてもらった野蒜の味を知ってるオレが夢中で採っていたら我がママが持つ先代デジカメでオレをパチリ、この時点では我がママの手にまだ有ったカメラだけどハリコはアリマセン・・・何故でしょう?!




そして十丁の丁石が立つところの弘法さまのお堂
おばさんの説明では「ここの弘法様は海から上がって来たのだ」って言っていましたが、お茶の接待も頂きました。




新たな丁石との出会いを求め歩くオレ、ここでも9年目にして初出会いですが
自然な形で次の目的地に向かうならばとの観点から昔ながらの細い道を真っ直ぐと進んだ先には七丁が有り「ヤッホー!」って言ってたら
森mamaが「ママ〜、リュックは?」って、先ほど接待を頂いたお堂に置き忘れてきた我がママなのです。



取りに戻ったオレですが、実は疑問でその直線上以外のところに立つ過去に発見済みの八丁



ミンナが進んだ方に戻らず八丁の位置を再確認して、来るであろうミンナを迎えるように戻ると今度はこれまた初出会いの六丁デス。
しかもその間にも「大師道」の丁石が有ったと言う我がママで
森宴会部長が風で飛んだ帽子を取りに土手下に下りて、上がろうとした時に手を掛けたのがその丁石だったというのです。
「写真は?」って聞いたら「撮ったわよ」っていう我がママで、でもその写真もハリコ出来ない・・・


後日morimamaが我がママに送ってくれた一枚が左ハリコ、確かに大師道の丁石が立っていたという場所の我がママ写真を見ると先代デジカメ君はママの右手に有った事が確認出来たけど、その時アグリス側の八丁を撮っていたワタクシで、現在の巡拝路に従うように移動して立て替えられた事も事実として判明しました。
でも歩を進めるその後はカメラを持っていたのかいなかったのか、森ご夫妻とご一緒にご機嫌な歩を進めています。


着いた29番札所・正法寺のレンガ造りの塀が地震に対する倒壊対策か、山門も壊され外周もシルバーに塗られた鉄骨で囲われていたけど、誰ぞ景観について助言する人が居なかったのか、お寺としてレンガ造りも珍しかったけど門も消え無残な感じさえします。




進んだ太井地区への道中、ここも農地改革で消えてしまった旧道ですが
それを教えてあげようと森ご夫妻を案内した道が途絶える手前の丁石



でも森mamaが「奥にも有るじゃない」って
「ええぇ〜どこ〜?」のワタクシだったけど手前の倒木に隠れていた丁石と上の座仏です。
(これは木をくぐって近付き撮ったものです)




ワタクシも何度もこの場に立ったのに気付かず今回初出会いとなる、森mamaが発見してくれた丁石を皆さまにもアップにして披露ですが
方向を示す手のような痕跡、そしてその下はハッキリと「大」の刻字でその下は「師」のようにも思えます。
更にその下の苔生す色のところ、これまたハッキリと「井」の字が読めて
横の湧き水場から推測するに「大師井戸」と刻字されているのではと勝手な判読ですが、次回来るときは「井」の字の下を確認しようと思います。


山間部の高台農地では農作業の方とお話もしたり菜の花の咲く坂道も下って大井漁港を前に抱える遍路団地へとですが、居並ぶ5ヶ寺の先ず最初はお寺の配置都合から34番札所・性慶院に到着です。

続いて行った33番札所・北室院ではこの後参る上陸大師のご朱印も一緒に頂き、31番札所・利生院そして32番札所・宝乗院、更には30番札所・医王寺へとです。
元々は医王寺を中心とした一つの寺院群だったものが道路が通って分断され、今の形となっている各札所だそうで、老朽の医王寺は一昨年から建て替え中でまだ続く工事のようでした。
本日最初に寄った誓海寺のよもぎ餅、つくだに街道での試食、豊丘のおばさんのご接待、「ちっともお腹が空かないね」って言っていたけど、腹の底からの般若心経を続けて五ヶ寺で流石にペコペコ、「どこか食事の出来るとこは?」って大井の町の誰に聞いても名前が上がらなかったけど、見つけた中華料理のお店、もしかしたら不味い店ではって心配も無くて安心してどっかりと大休止です。




続いて行った上陸大師像ですが



もう少し早かったら渡ることも出来たかもの台座の下まで露な大潮の本日です。




高台を削って平らにした圃場整備の田園など、歩く場所によって冷たい暴風を遮るものが無い場所も有った本日でしたが
「これが良いわ〜」って帽子の上から包被りをした森mamaが我がママを見て笑っています。
35番札所・成願寺でお参りを済ませ、納経所でご朱印を頂いたのは良いけれど
弘法堂にポールを置き忘れたことも、忘れたそれを森宴会部長が使っている事にも気付かず、境内を後にする我がママなのです。



知多半島最南端となる
36番札所・遍照寺へと、教えられるまで気付かずにいた我がママですが
この時点で先代デジカメ君は既にドコかに置き去られてしまっていたのか、まだママの手の中だったのか?
帰宅後に連絡を取った寄った各所や管内警察署ですが、
拾ったという一報もまだない現在で、長い間本ホームページを支えてくれた事に感謝して「ありがとう」と「さようなら」デス・・・トホホホのホ

知多四国巡拝を始めて九年目、初めて島に泊まって連日遍路を計画した今回で、師崎港から日間賀島へと渡りました。
宿の手配などで事前に聞いていたけど
、37番札所・大光院の境内を前にする親しくなった土産屋「坂熊」のお爺ちゃん、3年前の暮れに往ったお婆ちゃんだったけど、その後も元気に接してくれたお爺ちゃんもこの春2月に逝ったというのです。




写真を送ったお礼にと、行く度に海の幸を土産に持たせてくれた優しかった二人を思って心に込めて唱えた般若心経でしたが
「諸行無常を心して日々を活きて生きよ!」って今は店頭に居らぬお二人が教えてくれているようで、オレの唱えた心経が聴こえましたでしょうか。


陽が傾く夕刻、目の前には篠島、それを包むように後ろに渥美半島、横を向くと知多半島で、志摩半島や伊勢湾側も一望の展望露天風呂、海の幸をいっぱい味わった夕食でしたが、森ご夫妻が居られて一段と賑やかだし豪勢となった料理やお酒を楽しみ、夜は風の止んだ凪の海面を満月が照してクッキリの島々や半島を眺めに再度展望風呂へ。
十二分に満足をして過ごした知多四国巡拝の四日目でありました。 でわでわネ〜