丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 知多四国巡拝 第五日目の一歩たち 2012年4月08日(日曜) 天気 晴れ 距離 約15キロ
 第五日目   6ヵ所参拝    日間賀島から篠島へ渡る   38番・正法禅寺 → 番外・西方寺 → 39番・医王寺                                  

                     篠島から師崎へ戻る  
 番外・浄土禅寺 → 40番・影向寺 → 41番・西方寺
 名鉄内海駅(海っ子バスで)ゴール

日間賀島で迎えた朝4/8(日)ですが、宿泊の「やごべい」の布団の中で目覚めてみると薄っすらと開いたカーテン越しにオレンジ色の光を感じ、6時からだという浴場へ30分も早く行って展望した日の出、刻々の中力強く上ってくる朝陽を湯の中からジックリと眺めてうっとり、ふと「これは写真を撮らなくっちゃ」って、東を真正面にする隣りの女風呂の我がママを呼んだけど露天風呂から内湯に移動したのか返事なし。
今度は浴衣に着替えて脱衣所側から「ママ〜」って呼んだら「ハイハイ・ママ〜って呼んでるわヨ〜」って知らぬ誰かが我がママへの伝言役となってくれ「ちょっと待ってネ〜」となり、撮った時は既に海面上となっていた太陽君です。
自転の地球が成す太陽との24時間を一日として生活を繰り返す我々ですが、この島のこの風景の中で「坂熊」のお爺ちゃんやお婆ちゃんはどんな人生を過ごしたのだろうか、生活の糧となるタコを「多幸」といい、フグを「福」と呼んで、37番札所の山号は「魚養山大光院」、これまた正に大光を得て海に養われる島人たちです。


もちろん湯上りということもありビール片手の朝食となった森宴会部長とワタクシでしたが、「ホテルやごべい」の女将に港まで送ってもらい朝8時前ほぼ貸切りのようなジェット船に乗って日間賀島西港から篠島へとです。




ベタ凪の水面を飛ぶが如くに進む高速船はアッという間に篠島へとで
師崎を含めて互いに10分も掛からず結ぶ二つの島、距離のお陰か海底ケーブルによる送電や同様に水道管での送水もあり
本土と変わらぬインフラの現在だそうです。



下船の篠島港の前に建つこの碑「山頭火篠島八句」と有りますが
「花ぐもり」や「春」を多く使い、我々同様にこの時期に日間賀島を経て篠島に渡った彼であろうか・・・

「島島 人が乗り人が下り 春らんまん」 山頭火

我々もその一人となって、春爛漫の篠島巡拝です。


日曜の今朝も早朝から競うように魚場へと向かう長い船列を日間賀島の展望風呂から眺めていたけれど、今から天然ワカメを潜って採るという漁師や、養殖だというワカメを水揚げしている人など、農業と一緒で天気相手の皆さまでしょうか。

先ずは、狭い土地に詰めるように建つ民家の路地を抜けて38番札所、正法禅寺へとです。

篠島に三つ並ぶ弘法寺で、続いて行った番外札所・西方寺、更に39番札所・医徳院へとですが、30分毎に師崎へと出る船を急いで慌しくさせてしまったオレだったけど、やはりゆったりと巡るには1時間半ほどが適当のようです。




次の船を待つ間に森mamaに撮って頂いた船着場でのスナップ



師崎港へ戻ったのが9時半過ぎ

師崎港から歩いてそのまま札所番号に従って巡拝しようと決めていたワタクシだったけど、もし我がママと二人のみだったならば足を踏み入れることに躊躇を感じていたここ、正統派の巡拝道で丁石も居並ぶながら、荒れているであろうホテル美船の裏山へと、森ご夫妻がご一緒で居てくれて進むことにした大師道です。
早速に既に立つことを知っている「五十二丁」君、倒れていたのを森宴会部長が立ててくれて進む藪の中へとです。





登り道に入って直ぐに「五十一丁」を確認



今年4月に各地を襲った爆弾低気圧で春の嵐となっていたけど、倒木たちが道を遮り



以前に確認の「四十九丁」の丁石と出会えぬままに



45・44・42・40の四本を点検しながら進む浄土禅寺へとです。



お二人をとんでもない所に連れて入ったかと気にしていたら



「四国を思い出すわ〜」って、倒木やら荒れた道もあり似たようなものだと言うお二人
知多四国で難儀を感じるようでは歩けぬ本四国かもデス。


一山越えて下ったところにある番外札所・浄土禅寺裏手へとで、山越えの巡拝者が珍しいのか墓地の掃除をしていた住職夫妻が我々を迎えてくれましたが、その墓地下のところには「四国手引大師」と「三十七丁」です。(実際には廿の真ん中に縦線が一本加わった刻字ですがパソコン辞書では出てこない)
当時はこの山道のみだったという師崎からを、馬に乗って峠を越えた大正天皇が「難儀じゃった」の一言で、海岸線の山を削って防波堤を作り通した現247号線の道路だそうです。
頂上からここへ下る遍路道は住職が手を入れて守っているそうで、倒木の話をすると「今度チェンソーを持って行ってくるわな」ってお話でした。


開創200余年の知多四国、番外札所というものが色々な理由によって出来たようですが、住職が教えてくれた浄土禅寺のこと。

           今から100余年前の実話
           伊賀上野の谷村佐助という人が夢に現れた亀の声に、二見ヶ浦に上がった病んだ亀を村に連れ帰り治療して助けた
           その亀の体に「奉大海龍大神」「伊賀国上野村谷村佐助」と書き海に戻したと。
           その頃ここ浄土禅寺の住職にも「天寿全うの我を奉り給え」と亀が夢枕に立つ連日の三日目
           目の前の海岸に体に文字の書かれた息絶え絶えの大亀が打ち上げられたとのこと。
           当寺に祀ることを誓って、息絶えた200キロ超の大亀の実物写真も有り
           体に書かれていた名前から連絡の谷村氏からの礼状やその後の交流のことなども

この奇跡が有って、開創100年を記念した知多四国霊場会の総意で番外札所に加えられた浄土禅寺だそうで、朗々と講釈師のように現住職のお母さんが語ってくれたその話です。

たっぷりと時間を掛けて過ごした浄土禅寺を出て、潮の引いた海岸を歩き腹時計に従って賑わう食事所へとです。




この2日間本四国をお二人で回ったという森ご夫妻と一緒に歩いて感じた事ですが、ちっとも前に進まない・・・

釣り人が居ると釣果を聞きクーラーBOXを開けて見せてもらう
海で何か採っている年寄りが居ると近付いて座り込み、収穫物がナマコやヒジキだと我々にも教えてくれる。
昆布干しのお婆ちゃんにもご覧の通りで



干してある昆布は摘んで口に入れる



金柑を収穫していたご夫妻にも声を掛けては何個も頂く。
このワタクシも結構自然体で歩いているって思っていたけど、お二人の歩きは歩きであって歩きでない。
誤解しないで欲しいけどグチっているんじゃなくて
歩くことの真髄というものをご一緒した二人から考えさせられ、「オレなどまだまだ小さいんだナ〜」って感じさせられた同行二人となのデス。


埋立地に建つ「魚広場」や「堤防沿い」を通る今までと違う民家の立ち並ぶ細い道を歩き着いた40番札所・影向寺(ようごうじ)へとですが、車遍路だという方々とも互いの道程を語り合ったり、本堂前の花に飾られた甘茶を前に今日がお釈迦様の誕生日4月8日だということを再認識です。

余談だけど、作ったものが不良だったり壊れたりすると「オシャカになった」って言いますが、この語源は鋳物職人のダジャレから生まれたもので、火加減から良品が出来なかった時に「火が強かった・・・しがつようか・・・4月8日」で、お釈迦様が生まれた日だから「オシャカになった」でアリマする。
べべん・べん・べん





影向寺を出て、特別な大潮なのか朝からずーっと潮が引いたままの海岸でしたが



今度は逆に堤防を越えて海岸を歩く事にした我々で



これまた初経験、もしかしたらこれも自然がもたらす幸運の巡拝路かもです。




どこまで石畳のような海辺や砂浜を歩けるのか



途中で堤防の上に戻らないと行けないかもって思っていたけど



延々と続く普段は海中となるであろう大師道です。

月と地球の引力バランスが互いの位置によって異なり、その張力の影響から海面水位が変化して
海岸線の海水が引いたり満ちたり、それだけでも高いと思われる堤防を飲み込むような水位になったり、足元が丸見えになったり。



昨年3.11から津波の話題が絶えませんが、潮の満干だけでもこのような水位差なのに、もし地震という外力が更に加わったならば・・・




晴れた日などは昼食もした山門前のイルカのモニュメント前まで結果として堤防下を延々歩けて着いた41番札所・西方寺へとですが
イルカ像右手の堤防上に西方寺の瓦屋根が見えるのにお気付きでしょうか。



素晴らしい海風景や潮風を満喫して山門へとです。
ここで打ち切りとなった第五日目でしたが、オレ自身の心の中に「新たな歩きの感性」というものが芽生えた2日間でした。



森ご夫妻 同行二人となって頂き本当に有難うございました。
でわでわネ〜