丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 知多四国巡拝 第六日目の一歩たち 2012年5月05日(土曜) 天気 晴れ 距離 約22キロ
 第六日目 16ヵ所参拝  名鉄内海線・内海駅(海っ子バスで移動)スタート 〜 43番・岩屋寺 → 番外・奥之院 → 42番・天龍寺 → 44番・大宝寺 → 45番・泉蔵院  
                      → 46番・如意輪寺 → 47番・持宝院 → 48番・良参寺 → 49番・吉祥寺 → 56番・瑞境寺 → 52番・蜜蔵院 → 53番・安養院        
                               → 51番・野間大坊 → 50番・大御堂寺 → 55番・法山寺 → 57番・報恩寺
(ご主人に迎えを依頼) 野間・紅葉館ゴール

我が家にとって5月5日子供の日は結婚記念日でも有り、特に思い出深い毎年を重ねていますが、今年は4/7・8の41番札所で止まっていた知多四国巡拝へと出掛けたGW後半で有りました。
前回、高蔵寺の森ご夫妻との日間賀島での宿泊が楽しくって、今回も宿泊をして連日巡拝の予定ですが、名鉄内海駅から岩屋寺へと向かうバスの時間都合で早朝からの行動・・・朝食を手に入れようと思っていた金山駅構内売店もまだ開いてなく空腹のまま向かった
43番札所・岩屋寺へとてす。
8時到着の本日最初の札所、こんな早い時間に参拝者は居ないかと思ったら、内海から一緒に乗った彼もだし、新城から来られたと言う車遍路の方も「これで三日目」だそうで、共に
番外札所・奥之院とです。




朝6時から開くこの時期の納経所だそうで我々よりも早くに来られて参った方も居たのか、それを灯明の長さが示しています。

「出会い有り すれ違いあり 遍路寺 互いを語って 輝く灯明」

暑くなる予想ながらもまだひんやり感のある中を歩き遍路の始まりですが、土手にアヤメの咲く田んぼを目印に槙の木が囲む蜜柑畑へとです。




42番札所・天龍寺へとでここに来たら境内隅に隠れるように居るコイツにご挨拶ですが、誰の愚痴も聞き入れて呉れるであろう
大きな耳が特徴で顔の表情も何とも穏やかです。
納経所でお聞きすると知多四国霊場会のマスコットとしてよく目にする可愛い画や優しい言葉の作家丹羽善久さんの作品だそうで
偶然にもこの後寄ることになる彼のアトリエだったのです。



お参りを済ませ、境内前に並ぶ近所のお婆ちゃんたちが営むお店へと行き「何か腹の足しになるものは?」って聞いたけど
干し芋も売り切れたこの時期だそうで、蜜柑の接待を頂いて進める歩です。



「腹ペコで 食べた蜜柑の 酸っぱさよ 胸に心に 沁みてうれしや」



「君居るを 知って九年の 歳月を 重ねて今日も 会える嬉しさ」

集落の人々を守るためかこの先の山越え「名切坂」を行く旅人や巡拝者の無事を祈ってか静かに座する路傍の地蔵様

その先を進むと狭まる谷あいの田んぼに稲を植える老夫婦、「共に80歳を越えて止めようか」と思ったけど「買うと高いから」って言い「来年はもう無理かも」ってお話もです。
谷あいの一番高い位置のこの一枚は粘土質の土が固くて何十年も守をしてるのにどこかから水が抜け、今はエンジンポンプで水が補えられるから良いけど昔は大変だったって曲がった腰を伸ばして暫し見つめる田の水位です。


石仏が見守る先の「名切坂」とはどのようなことから付いた名前なのか、今はほとんど通る人も居なくなったようで、過去8年みんなと足を止めては蕗採りをしたけど、二人では採り切れないほど群生の蕗で、その蕗の葉に覆われ完全に隠れていた丁石も陽が当るように顔を出させて上げました。
持ち帰るにもう限界と思われるほどいっぱいの収穫をして進める歩ですが、先に進んでいたママが「キャアァ〜」、その後ドタドタ・ガサガサと音がオレにも聞こえて我がママの目の前に大きなヘビの尻尾がとの事、「パパも見たぁ〜?」って聞かれたけど返事もせずに一目散にその場から逃げるワタクシで、この事のみが二人遍路の一番の悩みなのデス・・・トホホホのホ

太古から爬虫類と戦うそれがきっとDNAに刷り込まれて恐怖感となっていると信じるオレだけど、ワタシの干支が巳年とは何故なんでしょうか?





後門の狼・前門の虎ではアリマセヌが、我がママが見たという大蛇から脱兎の如く逃げつつも、その先にも似たのが居るんじゃないかって思い
荒れた巡拝路を再度ママを前に行かせてオロオロのオレだったけど



お大師様が守ってくれたか大っ嫌いなヘビ君に会うことなく44番札所・大宝寺の裏山から境内へとです。
(守ったのはワタシよ!って、我がママの無言の視線が・・・)

参拝を済ませ境内を出たところの駐車場に、餅などを売っているご夫婦の出店が有ったけど、今日は居らずにお休みでまたもお腹を満たすものがナシって思っていたらお菓子をゲットです。
そのおじさんが右ハリコ、子供の日を祝う日章旗が元気になびく家の前を行く我々に、「お揃いのその姿が良いね」って45番札所へと向かう道中での「腹の虫騙し」となる貴重なお菓子の接待でアリマした。

更に先、過って確認済みの丁石たちを再確認もしながらの道中、反対側(ママの頭の上)に写る立派な枝振りの一部しか写らなかったけど「ウバメ樫」という木だそうで、90歳のお婆ちゃんが「嫁に来たころから変わらぬ大きさだ」ってお話もです。

                         
 「歩くって なんて素敵な ことだろう 留まって居ては 見えぬ出会いが」

今までは一日の終わり近くに参っていた45番札所・泉蔵院で帰路を急いで慌ただしい参拝だったけど、今日はお庫裏さんともゆっくりとお話で、お堂の中も案内して頂き、数学に関する記述のある「算額」というものの現物も見せて頂きましたが、日本で八番目に古いものだそうです。




泉蔵院から同じ道を戻るように歩を進めると
先ほど参った天龍寺境内の愚痴聞き地蔵の作者だと聞いた丹羽善久(にわぜんきゅう)さんのアトリエがあり寄らせて頂きましたが
各札所でも展示をよく見るご覧の画や文言です。



ここ内海出身だという善久さんだそうで
簡単な言葉ながら身に染み入りますが、人生というものも難しく考えずに平易に過ごすのが一番と言っているようです。



「八十を 超えて故郷 いよ恋し」・・・同様に内海出身の哲学者、梅原猛の言葉も平易です。



「変わらない 何年経っても 変わらない あなたを思う 気持ち今でも」

我がママも結婚38年目のスタートを平易な言葉です。


46番札所・如意輪寺へとですが、立っていた丁石を動かすことなく防火水槽を作ったためか意識して見ないと気付かぬほどだけどコンクリート水槽の角の出っ張りをアップで見ると、深く刻まれた指差す手と弘法の文字がクッキリ、オレが丁石を探索するんじゃ無くって、見えぬ丁石たちが光となって道程をオレに示し呼んでくれているようにさえも感じる九年目、新緑が眩しいほどの五月晴れです。

内海駅前でやっと有り付いた朝食兼用のお昼ご飯でしたが、空腹過ぎて喉の通りが悪いのを冷たいビールに手伝ってもらってお腹を満たし、続いて行った47番札所・持宝院へとです。
過っては一寺九院の十ヶ寺を要して内海一円が持宝院の地所だったとの住職のお話でしたが、明治の廃仏毀釈運動(仏教寺院や仏像・経巻を壊し、寺院や仏僧らが得てていた特権を廃すること・・・仏教の名の元の搾取が有ったのか?)で小作たちに土地を取られた際に、地所内に立っていたこれらの丁石も寺院に持ち込まれ現在に至っているとのことです。





内海から小野浦へと「今場坂」越え
ちょっとでも峠越えを楽をしようと思う方々のチカラがこのような道になったのか
そこを吹き抜ける涼風が心地良く汗を拭ってくれます。



あの忘れえぬ 3.11 大勢の命が大波に呑まれて一年余、多くの残された方々が逝った人を思い辛く苦しい日々であろうが
その事を逆に逝った方々が案じているんじゃなかろうか。
瓦礫となった家財を眺め嘆いているあなたに、「我々にはもう無くなった命が、あなたには残っているんだよ」って
風の中からそう語る大勢の声が聞こえてくるようです。




そんな切り通しを抜けると、残る数少ない丁石が



正しい大師道で有ることを示してくれ



今場坂を越えて小野浦キャンプ場の間を抜けて、イブキの木の足元に現れたという子安観音の48番札所・良参寺へとですが、今夜の宿も近付いた午後2時で、予定している57番までの遍路寺が右ハリコの中に見えてきました。




丁石というものに興味を持って正しい大師道というものを探し始めて何年目だろうか?



知多四国全体にいったい何本の丁石や道標が残っているのか
三開人の足跡を知りたくってクンクンと犯人の残した臭気を探すシェパードのように道の左右をうろうろ・キョロキョロ



獣道のようなところの雑草に隠れていた丁石も「ガルルゥ〜」って探し当てては尻尾を振るワタクシでして、着いたるは
49番札所・吉祥寺へとです。

オレが勝手に遍路団地と呼んでいる鶴林山グループが建ち並ぶ野間地区ですが、朱塗りの門が特徴の52番札所・蜜蔵院、そして53番札所・案養院へとで、お参りを済ませて納経所へいくとどこかで見たことのある住職が居られました。




知多四国霊場会が主催する寿参る会(スマイル)の先達をされて居られ、大勢の白装束の巡拝の方々を連れて札所に入って来られたのを
お話をしていて思い出しましたが、再会記念のパチリは住職のお母様にお願いしました。


51番札所・野間大坊、更に50番札所・大御堂寺とですが、今年はNHK大河ドラマで平清盛が放映され、野間で殺害された源義朝が祀られるこの地へと例年以上の観光客だそうで、太刀塚にも真新しい木刀が山のようになっていました。




更には野間駅の東側、源義朝が入浴中に殺害されたという湯殿跡がすぐ横にある



55番札所・法山寺へと



陽がやや傾く午後4時半、寺の裏手を通って



早苗の畦道を行くお疲れ気味の我がママも頑張って



本日最後となる奥田駅近くの
57番札所・報恩寺へと
岩屋寺からここまで歩いて来たというと、お庫裏さんが驚きながらもご褒美にって饅頭の接待を頂きました。
本日は野間大坊近くの
「紅葉屋」というところを予約していて
車でここまで迎えに来て頂いた宿のご主人に撮って頂いた一枚でフィニッシュとなりました。

疲れた体をお風呂で癒し、大河ドラマに併せて野間の旅館組合の女将たちが考えたという夕食「義朝御膳」となりましたが
紅葉屋の気さくな主人や女将が愛情一杯に、温かな料理を次々とデーブルへと
源平の色を表したという白色の鍋が赤く染まるのには驚いたけど
食べ切れないほどの海の幸もで
お腹一杯の満足と岩屋寺からの疲労感いっぱいで夢の中となった38回目の結婚記念日でありました。

でわでわ 5/6(日)も歩いちゃうからネ〜


 七日目に続く