第20回記念大会「びわ湖長浜ツーデーマーチ」2日目に参加の一歩たち 2012年5月13日(日) 天気 晴れ 距離 15キロ
北国街道コース = 豊公園会場スタート 〜 長浜旧駅舎 〜 黒壁スクエア 〜 賤ケ岳山頂(昼食) 〜 伊香具神社 〜 北国街道 〜 木之本駅ゴール

2日目5/13(日)ですが、当初は河毛駅スタートの20キロにしようかと思っていたけど、頂いたコース地図を眺めてみると昨年11月に岐阜ウ協の例会(気になる方は昨年11/13のレポートを)で歩いたところで、久々に長浜の街も見たくって北国街道15キロコースを選び、スタートとなる豊公園会場に朝9時前とのんびりでアリマす。
前日と打って変わって眩しいほどの太陽と青空の中、早速に徳さんに朝のご挨拶ですが、京都の森田さんも一緒に居られ我がママと本日最初のパチリだったけど、太陽に向く方向になってもらったらミンナして眩しかったでしょうか?!
そして恵那の伊藤ご夫妻とも再会が叶いましたが、長浜城に入れる無料券が参加記念に入っていることを教えてもらい向かう豊公園内のお城へとで、途中では参加者を賑やかに送り出すという太鼓連の方々とお会いしました。





賑やかなで元気な太鼓連の方々とお話をしていると
会場に入った時に無料配布をしている事は知っていたけど、主催・朝日新聞社の朝刊を徳さんが持って来てくれ
「二人が写ってるよ、良かったね〜」って
太鼓連の方々と一緒にそのページを開くとデカデカと載っていた我れ等が姿です。



38回目の結婚記念日から約1週間
嬉しい思い出となる記事の新聞を徳さんから頂き
ミンナして再度記念の「ヨッ、オメデトウ!ド〜ン」と見得を切る皆さまに祝って頂いて長浜城へとです。


長浜城に上がって天守閣に登ると360度を一望ですが、昨日のスタート場所となった彦根城もクッキリだし、側を通った目立つ米原のエレベータ会社のタワーや、長浜ドームもで前日コースがハッキリと分かり、反対方向に行くと長浜の町から北国街道への本日コースもフムフムで、湖北地域が一望のここは戦国時代の重要拠点だったことが良く判ります。

開会式の始まる10時近くなり会場へとですが、本日も抽選券を配るという徳さん同様の赤い帽子のスタッフがスタンバイで、戻った会場にはいっぱいの参加者もです。

我々のように事前申込みの無い人も多く予想以上の参加者に喜ぶ関係者だそうですが、もらった資料に載る3500名を越える参加者名簿を見て互いを確認の会場内で、札幌の照井さんとは昨日会場を離れる際に車中から見て声を掛けて手を振り合ったけど本日は20キロコースのようで、遠方からの参加者も多い中を見つけた北海道組です。
開会式はオールジャパンの達成者や近畿マーチングの達成者表彰で、今朝出会い記念を撮った森田さんが贈呈者となり、徳さんの檄でスタートとなった参加者達です。




来賓の方の挨拶では感慨深い思いを込めての歓迎の言葉

過って衰退にあった長浜を今から20数年前、
黒壁の街として盛り上げていたさ中、滋賀ウ協の尽力もあり始まった本大会
かくも大勢の参加者に集って頂ける大会となりましたが
黒壁で賑わう大通寺商店街、田植えの始まった曽根地区や北国街道を経て琵琶湖岸を大いに楽しんで歩いてください!!
って、運営側の総意を込めて参加者への感謝の気持ちでありました。




7年振りに会っても互いの心というものが変わらず昨日の続きのように会話が弾んだ徳さんの「檄」を合図にスタートとなった豊公園の朝10時
一緒に記念のパチリをした太鼓蓮の元気な音と長浜城に見送られるように会場を後にして


日本最古だという旧駅舎を利用の長浜鉄道駅舎を通り黒壁スクエァへとで、岐阜ウ協仲間の伊藤さんからも「新聞に載ってたね」って声を掛けられたけど、無料配布の朝日新聞大会記事の写真を目にしたのか、方々から声を掛けられ視線を感じるスタート後でアリマした。




大通寺を中心に「黒壁の街」というキャッチフレーズを前面に打ち出して
昔懐かしい飲食の商店街が並び、現代っ子も寄るようにとアニメキャラのミュージアムもだし、足を止めたくなるアートギャラリィもです。



3.11を経てどれほど多くの人たちが強くて優しい人になったでしょうか。
まだまだいっぱいの挫折や哀しさに包まれ、心が折れそうになる日々を過ごしている方も大勢居る中
やれ電力事情を考えて原発再稼動が必要だとか、料金値上げの要請など
行政も含めて腹の中にそろばんを抱えて私利私欲の胸算用をしているとしか思えぬ連中が
さも優しき公共の代弁者のように画面を賑わす昨今です。


商店街のあちこちにモニュメントなどになっている狐ですが、橋の欄干もご覧の通りで、同歩の方が教えてくれるには「大通寺山門が火事になった時いち早く商店街の人々にそれを知らせ、黒壁の街が大火となるのを防いだ狐」だそうで、以来街の方々が守り神として大切にしているというコンコン狐の花子と名前も有るのです。
更に進む通りは
十里街道・職人町とありましたが、可愛いリュックのチビっ子もいっぱい参加の2日間です。




琵琶湖を囲むように広大な近江米の田園ですが
例年と変わらぬ田植えの時期ながら、「今年は苗の成長がイマイチでナ〜」って、寒さが長く続いたこの春はか細い苗が並ぶ水田たちのようです。



進む先は北国街道を曽根地区へとで



カーブミラーで遊んでいたら横を通る方々が一緒にVサインです。

スタート時に「檄」をされた徳さんも本15キロコースを歩かれると聞き、ゆっくりと最後尾近くを歩き、北国街道と竹生街道の追分では街道の歴史についても足を止めてフムフムとです。

我々の「北国街道15キロ」と、河毛からの「浅井三姉妹ふるさと巡り20キロ」「湖北の古刹と清流の道40キロ」などが全て合流となるポイントとなり、既に20キロ組は全員が通過でアンカースタッフが時間調整のためだと言って昼食休憩もでしたが、進む若鮎の道と名付けられた姉川堤防では40キロ参加者が我々を追い抜いて行く午後0時半ころです。
川に目を向けると稚鮎漁でしょうか?堰が作られていましたが、その側では堰の隙間から抜けてくる魚を待っているのか、置物のようにジッと動かぬアオサギたちもです。


2日間の延人数は四千名を遥かに越える参加者だったという20回の記念大会、パパママもウオーキングというものを始めたころから愛知と近かった事もあり何度も参加でしたが、知多遍路と重なって来れなかったこの大会、久々に湖北と長浜を満喫しての2日間も「びわ湖北回り10キロ」組とも合流となって、穏やかな琵琶湖を眺めながらのゴールとなりました。




初日もでしたがゴールでは可愛いお嬢さんたちから笑顔と冷たいお絞りの接待もで、みんなして汗を拭ってスッキリです。




両日とも出発式では3.11を追悼して全員で黙祷もでしたが
会場の一角には「被災地とともに」という表題で1.「あの時なにが」2.「原発事故」3.「悼む」4.「明日へ」の各テーマ毎に並ぶ報道写真もです。

被災翌日に救護所で友だちと再会した子らの涙の笑顔



、瓦礫の中に座り込んで呆然の人々や天を仰ぐ青年
どの一枚も胸が熱くなり息も詰まるものでしたが、わずか一年余・・・日本という国がどのような方向に進もうとしているのか
監視と関心が国民の一人一人に問われている現在です。



様々な思いで過ごした2日間、徳さんのゴールを待たずに帰路となってしまいましたが
お世話になった皆さま、有難うございました。
でわでわ ネ〜