丁石を訪ねて歩くパパママの知多四国巡拝(3.11を発心日として)


「雨だれの 如くに詠めと 教えられ 心の一滴 込める心経」

 第八日目 13ヵ所参拝  名鉄空港線・西ノ口駅(マイカーで古見へ・電車で移動)スタート 〜 66番・中之坊寺 → 67番・三光院 → 68番・宝蔵寺        
 → 69番・慈光寺 → 70番・地蔵寺 → 71番・大智院 → 72番・慈雲寺 → 77番・浄連寺 → 73番・正法院   
                                 → 75番・誕生堂 → 74番・蜜厳寺 → 76番・如意寺 → 78番・福生寺
 〜 古見ゴール(マイカー帰宅)

5/19(土)は続けて歩く知多四国巡拝へとで、5/6に打ち切りとなった65番札所に続く順打ち66番札所・中之坊寺へと名鉄空港線・西ノ口駅を下車です。
初めて降りた駅ですが、緩やかに傾斜する西向きの高台に真新しい住宅が連なる道を登ると伊勢湾が一望で、大きなタンカー船が空と相舞う水色の中に浮かぶように見え、やや南を見るとセントレアも遠望です。
そして見覚えのある常滑市運動公園内の特徴のあるデザインの体育館も見え、遍路道へとです。


今朝のスタートを何処にしようかと迷いもしたけど、家を出る時間が遅くなってしまい西ノ口駅を下車したのが既に10時前、まだ後ろにも居る数本は断念をして、今朝の出会いは以前から知っている君との再会からです。
彫りも薄く相当埋まっちゃっているけど民地内の一角に置かれて守られ、これからも普遍の如くに立つであろう君の案内で本日最初となる中之坊寺へとです。





我々を追い越すように先に入った車が有って境内に入ると
南無大師遍照金剛の白い上着が似合うご夫妻が並んでお参りをされていましたが
リュックを背負って入って来たパパママに感心をして頂き
車では気付き難い丁石の話をしたら「気を付けて見てみます」って言ってたけど



歩くスピードと歩く目線じゃないと隠れる彼らを見つけるのはなかなか困難かも・・・
だってこんなところにだもんネ〜・・・って



両手を広げて背を伸ばす我がママの後ろの山には大野城もです。


七丁・五丁・四丁と除草をして頂いていたりもして、晴天を受けよりクッキリと輝く刻字たちが案内をしてくれて67番札所・三光院へとです。
昨年巡拝の際に移転予告がされており、初めて入る互いに時宗の蓮生寺が今年2月に「67番札所・蓮生寺三光院」として再生したそうで、山門に立つ札所石柱も今朝旧三光院に有ったものを移動をさせてこちらに今立てたばかりだという工事の方々です。


正式移転をしたという新三光院内へとですが、真っ新な白木が眩しいほどの弘法堂が山門左手に建ち、上の両手を広げる我がママの右側山頂にかすかに天守閣が見える大野城主・佐治一成に、11歳で嫁いだ浅井三兄妹の三女お江も頻繁に寄ったというこの寺院内だそうです。
そこには「衣掛けの松」という横に長い枝を伸ばした木も有り、ここに衣装を掛けて直ぐ横の井戸に身を投げた佐治家に関わる姫の悲哀話も残ることを、工事をしていたおじさんが教えてくれましたが、お江ゆかりの寺として別の意味でも人が寄る新たな三光院でしょうか。





知多四国徒歩巡拝を始めて、たかが9年なれど寺院が建て替えられたりも含め意外なほどに様々な変化が進む各寺々で
正に諸行無常・・・
この世に形あるもので不変のものなど一つも無いという般若心経がそのまま具現となっている日々です。
移動された石柱の立つ裏門から出て、現在の旧三光院も見たくって歩を進めると知らずに巡拝の人への配慮でしょうが
新院への道を示す矢印表示があちこちにで
寺の裏側を見ると「移設は老朽も一因」と言ってたけど本堂を支える支柱も朽ちてポッキリ



、山門閉じられ移動の札所大石柱が無くなり



残されたこの丁石はどうするのでしょうか。


大野という街が春夏秋冬、名古屋の旦那衆を集めて賑わい、夏場は老若男女が海水浴も楽しんだというところだそうで、古い町並みのの中に往時を思わせる建物もいっぱいですが、海は直ぐそこで入江の水位を見ると今日は知多半島各地で潮干狩りに大勢でしょうか。




順打ちの中でどんどんと連なるように点在の彼らが正しい道順も教えてくれ
68番札所・宝蔵寺、そして名鉄の線路を越えて弘法堂のとんがり屋根が正面に見える69番札所・慈光寺



その先々でも「コッチだよ」「曲がってネ」「ここを真っ直ぐにだよ」って、いっぱいの彼らが手を振って我々の歩を応援してくれます。



地図や様々な情報の無い開創のころの巡拝者にとってナンと心強い味方となったコヤツらでしょうか。


大野城下・東屋敷に建つ常夜灯の横にクッキリと立体の手をアップです。
その下には「新四国七十番道」と小さいながらも力強い刻字で、どんな石工が彫ったのか、各地の丁石たちにはそれぞれ顔に個性があり、大勢の篤志家たちの寄進によって居並んだことが分かるけど、山間部や街なかなど、どこに立てるかは誰が采配したのでしょうか。
70番札所・地蔵寺を経てガリガリ君が恋しくなる日差しとなっています。

冷たいアイスで内臓も冷やして熱中症の予防もしながらの順打ちで、71番札所・大智院へとですが、老朽の屋根の瓦の張替え工事に入った今年だそうでスッポリと工事用の足場に包まれた本堂です。
防火やボケ封じや足だの手だのと各お寺毎に弘法さまのご利益というものを特徴にしていますが、ココは目の弘法さまでメガネ弘法とも呼ばれ、座するお大師さまも笑っちゃうけどご覧の通り、サングラスです。





こんなのも有って他の参拝者に撮ってもらったけど、観光気分の方も多い大智院です。

知多市の大きな旭公園を避けるように西側を進むと旧大野道と呼ばれる古道へと一本の線でつながりますが、その道を進みながらクンクン・クンと、警察犬の如くに進む道の左右にかくれんぼの丁石を探すオレで、「丁石くん、見っけ〜」なのです。

大野道で岡田の町へとですが、途中で土蔵倉の中からパタンパタンと音が聞こえて足を止め上がらせて頂きましたが、知多各地から集めたという昔ながらの機織機(はたおりき)が並び、その先生の作品が壁に飾られていて、「お茶でもどおぅ」って暫し、生徒を集めての教室にもなっているという蔵の中の作品鑑賞もです。

サングラスを掛けたお大師様からやや距離のある大野道を進んで途中のお店で長崎チャンポンの昼食もして、72番札所・慈雲寺へとで、そのまま向かう知多四国三つ目となる佐布里(さぶり)地区のお遍路団地へとです。

以前は小さな水田を囲むように五ヶ所の参拝寺が並ぶ風景が一幅の絵のようにさえ感じられたものですが、開創200年を前に車遍路の方々の為か手前の田んぼが一枚潰されて砂利が引かれ駐車場へと変容で、今年はどのような理由からか、更に二枚も同様に駐車場へと様変わりでありました。
幾ら多くの参拝者が来てもこれほどの駐車スペースは不要だろう思うほどだし、折角の景観も台無しになっていたけど、無住寺も多く田んぼを管理する人も居なくなったからだろうか。
ここは反時計回りのように
77番札所・常蓮寺から入り73番札所・正方院へとです。




正法院の境内から階段を上がって75番札所・誕生堂へとですが
最初のころは三開人の何方かが誕生した場所なのかな?って思っていたけど
弘法大師が生まれた本四国・75番札所善通寺と札所番号が重なることに由来して誕生堂と命名、祀る大師だそうです。



更に
74番札所・蜜厳寺へと



そして田んぼ向かいの
76番札所・如意寺へとですが
五ヶ寺全ての山号が雨宝山で、知多半島が水に貧しかった時代、民衆の思いを反映させて名付けられたものでしょうか。

佐布里の遍路団地から進む78番札所・福生寺へは新興住宅地へと変貌をしていて、丁石との出会いなど全く無縁の住宅団地へとですが、辛うじて雨寶山の出口のこれと、福生寺境内に移設をされたのであろう丁石が往時を偲ばせるのみとなっています。




本日はここで打切りとして、今朝はマイカーを古見駅近くに置き電車で西ノ口駅へ移動でしたので、車で帰路となった八日目です。

でわでわ ネ〜




 九日目につづく