10回目となる知多四国徒歩巡拝 初めての秋遍路(逆打ちにて)


「秋彼岸 過ぎて高みの 空見上げ  二人向かうは 知多四国路に」

「佛心も 無き我なれど 逆打ちの 先に見ゆるは 誰の姿ぞ」

四国遍路の祖を追った衛門三郎の故事に習って、閏年に逆打ちをすると特段のご利益があるという今年
徳を望んだ訳ではないけど、逆目線で歩く知多四国に新たな丁石との出会いを求めて秋遍路をママと開始。
(2012年10月6日)

10回目となる知多四国徒歩巡拝、初めての秋遍路・逆打ち第八日目の一歩たち 2013年1月19日(土曜) 天気 晴れ
番外・岩屋寺奥之院 → 43番・岩屋寺 → 42番・天龍寺 → 41番・西方寺 → 40番・影向寺 → 番外・浄土禅寺                 
                     師崎から日間賀島へ渡る   → 37番・大光院                                                
                     日間賀島から篠島へ渡る   → 38番・正法禅寺 → 番外・西方寺 → 39番・医王寺にて打ち止め

閏年に巡る逆打ち遍路の効用を耳にして始めた昨秋だったけど年が改まり続ける秋遍路、未達成の言い訳ではアリマセヌが「往年の故事に従うならば旧暦が良いのじゃ!」って、都合良く解釈をして続けて目指す一番札所への巡拝路です。
8時前に着いたスタートとなる知多新線・内海駅ですが、早朝から巡拝スタイルの方々が目立つと思ったら、名鉄が実施する「歩いて巡行・知多四国」が開催される当地区だそうで、駅前には大型バスが何十台も・・・参加者は毎回数千人単位だそうです。
そしてパパママは可愛い海っ子バスを利用して先ずは43番札所・岩屋寺へとです。





逆打ちに従って先に参った番外札所・岩屋寺奥之院からで



戻った
43番札所・岩屋寺は境内に幾つもの机を並べ
納経ご朱印に対応の寺院関係者たちでしたが、近隣の方々の応援も得ているのかハンコの向きや押し方のレクチャーもデス。



名鉄組は西方寺をスタートしてコチラに向かってくるそうで
42番札所・天龍寺の愚痴聞き地蔵も大勢の愚痴聞きを予感してか
いつもより穏やかさに欠ける表情の今朝でありました。




大勢の参拝者を迎える準備中の天龍寺のお庫裡さんに、パパママ逆打ち八日目記念をデス!

接待のお茶などの準備も万端で、「個人的な巡拝です」っていう我々にも「今日初めての接待よ」っていうお茶を頂き境内を後にしましたが、、外に出るとにわか作りの屋台も並べられ、今日の儲けに期待をする近隣の方々からは「あんたらが初売りだわ」っていう美味しく焼けたみたらし団子を頂いたけど、果たして大勢押し掛けるというこの後の方々はキチンと火の通った団子を食べることが出来ますでしょうか。

雲一つ無い真っ青な朝、天龍寺を出て放射冷却によって大地の熱が奪い取られた田んぼ道に向かう途中、手を合せて「ようお参り来なさった」ってお婆ちゃんが声を掛けてくれましたが、今から出るという畑仕事だそうだけど、まだまだ凍てつく大地です。
そんな中を一番先頭と思われる名鉄の巡拝者たちが我々の方に向かって来られましたが、互いにご挨拶です。


山間から海辺に戻るように進んで41番札所・西方寺へとですが、我がママが目を向ける田んぼの向こうの集落の左手、地域の方々や大宝寺へ向かう巡拝者を見守るように座するオレが大好きな地蔵さま、今日はコース都合で直接出会えないけど穏やかな君の顔はこの九年間で目に焼き付けているワタクシなのです。




西方寺到着が9時20分でしたが
徐々に名鉄が企画の「あるいて巡拝・知多四国」に参加の方々の人数が増えて、賑やかになっている境内です。




西方寺を出て我々が向かう40番札所・影向寺(ようごうじ)へ
途中の国道沿いは歩き難いほどの大勢の方々で道を譲って頂きながらの歩でしたが
何人もの見知った方々からも声を掛けて頂き「へえぇ〜、これに参加なの〜」って嬉しい新春の出会いがイッパイで
我らが歩きの原点仲間「木村婦人」ともバッタリです。

また元愛歩の知り合いからは「熱田伊勢Wで顔を見なかったネ」って言われ「スタッフの顔もすっかり変わってたよ」って話や、「名古屋ツーデーも運営困難で今年は開催が中止なんだよ」って情報もです。




名鉄組がスタートをする影向寺は今までに見たこともないような混雑の境内で



香炉の中もこんなにいっぱいの線香にビックリでしたが



出たその先の巡拝路には我々と同行二人だという弘法様や三開人の阿闍梨たちのみ、その先に待つ丁石たちです。




海沿いのコイツに出会うと、我がママが腕を突っ込んでギャァ〜の毎回お決まりポーズです♪



陽が高くなり風もなく、どこか我がママの故郷にも似た漁港風景を眺めながら伊勢湾側を南下です。

青空を舞うトンピたちはピーヒョロロと互いに何を会話しているのか?
まだ11時前でしたが朝が早かった本日で、我々もピー・クウゥと餌を求めて啼くトンビのようなお腹の催促に従って入ったまるは食堂なのでした。


食物連鎖という言葉が有りますが互いの命を糧として生きる動物たち、必要以上に供給をして売上競争に励む人間社会、その余った物は品質や衛生という言葉に名を変えて廃棄物となる。
群れなすトンビたちは今日の糧を胃袋に満たすことが出来たのかできないのか?その日の必要を以て満足とする自然社会です。
12時を前に大亀を祀る
番外札所・お亀さん浄土寺へとです。




浄土禅寺裏手から進む山越えの道



御朱印を頂いた際に住職にお聞きするには昨春歩いた時に有った倒木の処理は済ませたとのことでしたが



管制レーダー基地の先は無理かも?って情報ながら
冬枯れの今以外に進むタイミングは無かろうと向かう山越えです。




「君居るを 知って留まる 策は無し 呼ぶ声求めて クマザザ分け入る」



知多四国巡拝の案内書にも「通行困難」と記されるこの道
春遍路でも通った4月だったけど
正規の道が藪に覆われ完全に消えてしまいかろうじて出られた頂上部へとでしたが、出会えぬ丁石たちでした。



顔を覆う高さの熊ザサでしたが
水面から潜るように頭を沈めて目を向けると意外なほどの視界が開け何年か振りに再開となったコイツです。
もしかしたら彼にとっても人との出会いが久し振りかも・・・
四十八丁君です。



「君待つを 知る俺がいて 藪の中 オイと呼んだら ハイと応えた」

オーバーかも知れないけど
もしかしたら君の存在を確認する最後の人間になるんじゃって思うほどの熊ザサの中



ママと一緒に周囲を足で踏んで視界を広げてあげたけど



水中から助けた直後の子のように失った気が覚めて荒い呼吸の後大きな泣き声を出す・・・
そんな彼の声が聞こえてくるような
四十九丁君との出会いなのです。



そしてその先も倒木だらけで
小さなナタでも有れば消えた大師道に痕跡を残せたのと、何もないのが残念です。


難儀して超えた山越えの道に大正天皇が「海側に道を」って仰る一言で作られたという現248号線の国道ですが、当時でさえもこれほどではと思える獣も通らなくなった丁石の居並ぶ古道を抜けて美舟荘前へ、そして師崎港フェリー乗り場へとです。

晴雨を含めて何度も渡ったこの島なれど、季節が反転するこの時期の日間賀島は初めてで、上陸から篠島への迎えの船が来るまでの25分ほどです。
既に無住寺となって久しい
鯖弘法にお参りもして、37番札所・大光院へとですが、境内に向くように建つ土産店を切り盛っていた爺婆二人が逝った坂熊商店の戸は締まり、参道の両側の店も春遍路を迎えるための土産物を入れる手作り袋の準備中でした。




知多遍路を重ねる中で、年に一度の来島なのに親しくなった坂熊土産店の爺ちゃん婆ちゃん
店頭での元気な笑顔を懐かしく思いながら唱えた般若心経です。

日間賀島から篠島に渡って三ヶ寺、最初に38番札所・正法禅寺、島の先人が眠る墓を抜けて番外札所・西方寺、そして39番札所・医徳院へとです。
分かり難いでしょうが納経所に貼ってあるポスター「篠島のおんべ鯛奉納祭」、この1月3・4日に有った祭事のもので、岐阜県岩村に伝わる御神渡り神事に似た、全島を停電にして八王子社に祀る男の神様を神明神社の女の神様の元に厄男たちがお連れするという祭事で、その間島民は屋内で静粛を求められるそうです。
医徳院のお庫裡さんによると「毎年の事なのについついロウソクの用意を忘れて急に停電になっちゃって・・・」って、岩村は親子だけどコチラは男女だという初めて聞いた神事です。





十年目にして初めて宿泊の篠島は篠島観光ホテル大角さんへとで
参拝を済ませた医徳院下に迎えに来て頂いた車で島の反対側へとでしたが



今は冬ながらも素敵な砂浜が広がる一大ビーチで
港や遍路寺のある場所を篠島全体としてイメージしていたものだからビックリ驚き素敵なロケーションです。



宿への到着が午後3時半
冷えた体をホテル玄関から見える露天風呂へと直行で温め、美味しい魚貝でお腹を満たした八日目でアリマした。
でわでわ 明日もネ〜


 九日目につづく