碧海幡豆ウ協初歩き「吉良様の町と、西尾のてんてこ祭りウオーク」に参加の一歩たち 2016年1月3日(日曜) 天気=晴れ 距離=14キロ 
コース = 名鉄西尾線・上横須賀駅スタート 〜 華蔵寺(吉良公菩提寺) 〜 源徳寺(吉良の仁吉墓) 〜 西尾憩いの農園(昼食) 〜 熱池八幡社 〜 福地駅 〜 西尾駅ゴール

西日本は3〜4月の気候だという年末来の連日、お正月に来た孫たちも帰り、1/3(日曜)はパパママの初歩きとなった表記ウオークですが、集合場所となる名鉄西尾線・上横須賀駅へと10時前です。
松の内という事もあり他協会は次週以降が初歩きのようで珍しい顔もチラホラ、今年初の出会い記念は超久し振りの弥富きんぎょの芝やんと地元の服部さん、互いにミンナして新年のご挨拶もです。
始まった出発式ですが、伊奈会長の新春挨拶や事務局長の海口さんからは来週実施の「熱田−伊勢ウオーク」の事、そして地元の小滝さんが先導案内をして頂ける本日のようで、地図を片手にコース説明もです。





数年に一度は歩くこの地域ですが旗手は井上さん先導は地元の小滝さんと服部さんです。
以前は西幡豆郡の一部だった吉良町が西尾市に統合して久しいが
先ず向かうは吉良家菩提寺へとデス。



事前連絡がなかったのでもしかしたら今日は欠席かな?って思っていた高蔵寺の森家でしたが
森宴会部長は箱根駅伝を見たいとのことで森ママのみ
そして安城の西川家も息子さん家族が来られているそうで阿羅漢さんは欠席
敦子さんと森ママと我がママ三人が並んで華やかな新春記念スリーショットなのです。



そんなウオークの列をワタクシに代わって車止めに立って撮るのは岩村カッパの堀さんで、正面からはまた後でネ〜♪


忠臣蔵に知られ、赤穂義士に討たれる憎き悪代官というイメージが全国的でしょうが、地元での吉良上野介義央公は領地田畑を守るべく治水の堤を建築するなど、優しい名君として領民から深く愛され慕われた殿様であったとの記録しか残っていないそうです。
その吉良公の菩提寺となる
華蔵寺に到着ですが、境内に入るとお堂に木像が安置されていましたが、覗いてみると確かに優しい笑みを浮かべて座して居られました。

                                    「行春や 憎まれながら 三百年」   鬼城  

名君と慕った吉良の領民たちは、今もなお年末を迎えて赤穂義士の話題が出る度に、苦々しくやるせない気持ちで過ごしているのかも・・・





お正月ということもあって本堂や庫裡にも入らせて頂けましたが
襖絵や訪問者の残したものもで、「念ずれば花ひらく」で知られる坂村真民さんの一文や



アタックチャンスの司会を永く務められた児玉清さんの色紙なども

そして裏庭を大お庫裡が説明してくれたけど、先祖を祀るお堂を中心として子々孫々の反映を願って庭に鶴亀を配したというこの庭園は、上野介公が作らせたのだそうです。




既に我が家の庭にも蝋梅が咲いていますが、ポカポカ無風の中で足も軽やかに初歩きの本日デス。

吉良三大名士というに相応しいかどうかですが、吉良公や人生劇場を書いた作家・尾崎士郎と並ぶ「吉良の仁吉」が眠る源徳寺にも寄って、憩いの農園で昼食休憩となりました。

風も全くなく最高気温16度と一月初旬とは思えぬ暖かさで、シートに座る背中に陽が差すと暑いほどでしたが、この時期に敦子さんが作ってくれる美味しい秋刀魚寿司を頂き、ご機嫌のランチタイムでアリマした。

食事を終えて向かうは熱池八幡社(にいけと読みます)へとですが、そこで行われる県指定無形民族文化財になってる「てんてこ祭り」へとです。




1200年ほど前から続く



豊年祈願の神事だそうですが



元来田植えをするのは女の役目で、男たちは田んぼの畔で声を挙げてその作業を応援をしたとのこと



これが子々孫々の繁栄への願いとなって
真っ赤な着物を着た年男たちが大根で作った男根を腰に付けて舞う現在のようになったそうです。
担いだ太鼓をテンテコと鳴らし



その音に合せてユーモラスに腰を振ると男根がピンピンと動く



見学の人々もそれを見ながら



祭列と一緒になって八幡社までゆっくりと進むのです。


祭礼の行列が熱池八幡社に到着をして、この後は大きな竹箒を持った年男たちが田んぼに肥を撒く作業を真似て、境内に焚かれた火の灰を観衆に向かって撒くという行事となり、最後にはお米や自転車も当たるという餅まきを参拝者に向けて行うのですが、我々はこのお祭りを数年前にも見ているので帰路となりました。
一部ショート組は
福地駅までの11キロ、ロング組は西尾駅まで戻って14キロの初歩きとなりましたが、旗手の井上さんやコースリーダーの小滝さん、ご案内をありがとうございました。

でわでわ コレにて ネ〜